第23回
ねどこ
2022.02.15更新
連日寝不足、常に忙しく、基本大荷物。疲れていて、体のどこかが疼き、どこかが病に冒されている(気のする)私の人生なので、睡眠は大切にしてきたのであった。寝床は重要。寝具は友。一生の時間の何分の1かはそこで過ごす場所をおろそかにしてどうする。ケチってたらあかん。わが身大事。
ということで昔はウォーターベッドまで入手したものだった。ぷかぷかゆったり気持ちはよかったけれど、ずっと通電しておくとか、空気が入ってしまってじゃぼじゃぼと音がするとか、そのうち小さな水漏れなども起こり、つど業者に来てもらったりしてまことにストレスフル。結局ふつうのに替えた苦い経験も。
現在の私の寝床は、フクラのセミダブルベッドにビラベックの羽毛布団をいずれも麻のシーツでくるみ、枕は西川のエンジェルフロートを据えるという布陣。このなかで最重要は、枕。自分にはベッドより布団より何よりマイ枕であることを長年の経験で知った。そばがら、もみがら、ひのき、プラスチックのパイプ、ビーズ、羽毛、低反発ウレタン......あーでもないこーでもないと色々試してきた半生であったが、やっとたどり着いたのがこの「エンジェル」。ネーミングの是非はともかくとして、低反発でも高反発でもない、軟らかすぎず硬すぎない(私みたいな)特殊ウレタンのこの枕を、ひんやり触感の専用カバーでくるむ。頭を乗せれば、適度にふんわり沈むいい感じ。ああこれこれ。天使の浮き舟。旅先にも持っていきたいのだけれど、どっしり重めで、かさばるため諦めざるをえないのが残念だ。一応もう一つ買って、足しげく通う東近江の実家に置いた。誰かに使われぬよう自分の部屋に隠してある。だってイヤだよねえ、
枕が合わないと、悪夢を見るような気がする。ヘビだらけの道、蜘蛛の巣だらけの廃屋、ゴキブリだらけの台所、ゲジゲジだらけの庭......なんて「だらけ」の夢も怖いけれど、成人後も見続けている答えが何もわからない試験場はともかく、〆切りに間に合わず落ちそうな雑誌とか、誤植だらけの書籍だとか、作家の手書き原稿をどこかに忘れてきた! なんて夢は現実的でとても恐ろしく、うなされて目覚めれば汗びっしょり。最近そんな夢を見なくなったのもエンジェル枕のおかげか。いや、単に会社を辞めたからやろな。
うなされるで思い出したけれど、映画やドラマで悪い夢を見た人がガバッと半身を起こして汗だく、「......夢か」なんて、そんな描写をいくつもいくつも古今東西の作品で見るのだけれど、人ってあんなふうに起きますかね。少なくとも私は一回もない。腹筋弱いし。何千回と怖い夢を見てきたけど、一回も「ガバッ」はない。ベッドから落ちたことはあるな。あるいは胸がどんどん重苦しくなり、さては金縛りか! と思ったら、猫のはじめが乗っかっていたということもあったな。
長く生きてきたので、いろんな寝床を経験してきた。
史上最もショックだったのが、映画のロケ先の石垣島のホテル。夜にやっと戻ってシーツをめくるとなんか赤い長い太い紐が一本。よう見れば30センチの大ムカデ。悪夢ではなく現物。うぎゃあと悲鳴を上げて隣室の「みゆきちゃん」を呼んだ。大食い選手権にも出たという彼女は猛者で、スリッパを脱ぎ「なんね、こんなもん」とバシバシ撃退してくれたっけ。わ、そこまで叩かないでも......。
せつない寝床もある。とある山奥の知人の家に、まだ幼稚園児だった娘を連れて遊びに行って、知人と昔話に花が咲き、調子づいてお酒をしこたま飲んだら完全に悪酔い。布団を敷いてもらった階上の屋根裏部屋に娘を寝かし、私はトイレでちょっと吐いて、また階下で飲んで、深夜に戻る。真っ暗な部屋、天井の低さを忘れた私はごつい鴨居でおでこを勢いよくガツーン、仰向けに倒れ込んだ。ああ、こういう時は本当に星が出るんだと激痛のなかで思いつつ、なんとか這って娘の眠る布団の隣にまで転がってゆく。痛みで意識がどんどん遠のくなか、ああこのまま失神して死ぬのかなあ......娘の寝息を聞きながら、アホな父ちゃんですまんかった、なんて半泣きの夜であった。これは前の「もうだめだ」の巻で記すべき思い出の一つ。翌朝無事に起きられて、でかいたんこぶ撫でつつ安堵する。死んでなかった。
まだ10代の頃、見知らぬ若い女子と一つ布団に寝たこともある。と書くといかにも妖しいが、夏の山小屋が超満員で寝具の数が足りず、2人で1枚ずつのせんべい布団に寝かせられたのだった。8畳ほどの部屋に20人くらい。パーティ別とか、男女を分けることなど無理で、主人がはいあんたはここ、あんたはこっちと強引に分けてきて、私は幸か不幸か女子と床に就く。寒いので布団は一緒にかぶって体温だけが伝わってくるという、なんとも微妙な空間、間合いであった。ひと言も言葉を交わすことなくその女子は私に背を向けてすぐに眠りにつき、経験値の乏しい若人は緊張で眠れぬ一夜を過ごしたのだった。
椎名誠の怪しい探検隊に参加してからはテント&寝袋という形も増えた。個人テントを持つ前は、大テントで雑魚寝ということも。椎名隊長はそういうのを好んだのだ。新潟沖、粟島での幕営は大人が12人寝られるという触れ込みの巨大テント。しかし8時に就寝した沢野ひとしが大の字で中央を占拠。その周りに椎名はじめ酔った先輩たちが次々ばらばら倒れ、おのおのの文字で休むもので、テントは7人で満員に。片づけをして最後に入ったドレイ隊員の私にはもう横になるスペースはなく途方に暮れる。落語の『寝床』のサゲじゃないか。
定吉「浄瑠璃が哀しいて泣いてたんやおません」
旦那「そちゃ、なにが哀しいねん」
定吉「みなはこうしてお休みになってますけど、わたしだけが寝ることができませんので」(『らくごDE枝雀』)
旦那の殺人的な浄瑠璃こそなかったけれど、沢野ひとしの歯ぎしりのひどかったこと。定吉である私は、泣く泣く倉庫用のチビテントに寝に行った。
一家4人で一つのテントで寝たこともあった。四国、吉野川の「川の学校」イベントで、会場の河原に幕営するのだが、参加者多数でいい場所は既にない。やっと確保できたスペースはやや勾配のある地面。床が斜めのテントは初めての体験で「面白いね」などと強がりつつも、水筒は転がる、おにぎりもころころ、赤ん坊(息子)もごろごろ。就寝時はみんなで頭を高いほうにして寝る。いやこれが寝づらいのなんの。「寝袋は滑りやすい」素材であることがわかった。うとうとしてはずり下がり、這い上がっては、またずり下がる。深夜娘は諦めて、最初から一番低いところに移動するという知恵を働かせた。朝目覚めれば4人全員がイモムシみたいに下に溜まっていたものだ。
あの寝床この寝床を思い出していくときりがない。
子どもがいるということはいいことも悪いこともあるわけで、たとえば寝かしつけというものも典型的なそれだ。妻の原稿通り、小3の息子はまだ一人で寝られないという甘えん坊。なんて書く私も小6まで母と祖母の間で寝ていたそうだからエラそうなことを言えた者ではないけれど。
欧米では早々に子どもを分離して自分の寝室、ベッドに寝かせる。わが国の二の字、川の字、多ければ州の字になりくっついて眠る習慣とはくっきり違う。人格形成に大きな差が出るだろう。個人主義が日本に定着しづらいのは案外そんなところにあったりして。映画『ポルターガイスト』なんかを見ると、かなりの異変が起こっているのにやっぱり子どもは子ども部屋で寝かせるのか! と驚いたり。スティーヴン・キングものもそういうの多いね。ホラーの怪奇現象はだいたい夜に寝室から起こる。超常現象を扱ったモキュメンタリー映画『パラノーマル・アクティビティ』なんて、その最たるもの。怖かったなあ。
って話がそれた。冬の寝床の少年。お風呂上がりのシャボンのいい匂いをさせ、湯たんぽのように温かで、なぜかその時間だけ素直でいい子になるという不思議よ(妻の文章を読んで、何をぼそぼそしゃべっていたのかを初めて知る)。忙しい妻に代わって、寝かすまでは私が担当するということも多く、父はここぞと『宝島』『十五少年漂流記』『トム・ソーヤーの冒険』なんていう定番を一緒に読む。今も昔も、子どもはトムのペンキ塗りシーン、大好きだね。
がしかしアルコールを摂取した父が先に眠りに落ちることもしばしば。後に妻と交代、這い出るのがあまりにつらく、当初やっていたエンジェル枕の持参はやめた。熟睡してしまいそうなので。
もっと昔、娘の寝かしつけでは、優しい音楽を慎重に選曲し、静かに流してやったものだ。オードリー歌う「ムーン・リバー」とか。ショパンのピアノ協奏曲第一番の第二楽章とか。グリークのとか。シメはビートルズ『ホワイトアルバム』のラストソング「グッド・ナイト」で。リンゴ・スターが歌っているが、元はジョン・レノンが息子のジュリアンに歌った子守唄と聞く。甘い夢を......ストリングスだけの伴奏にうっとり眠りに落ちそうな父に娘が言う。
「ねれないー! うるさーい!」