一泊なのにこの荷物!

第26回

ロケ

2022.05.15更新

 私が社会人となったのは1982年。平凡出版という名の雑誌社で、翌年にはピンクとシルバーの派手な8階建新社屋が建ち、マガジンハウスという名に変わった。ださい名だな......と内心思っていたら、イラストレーターの沢野ひとしさんから「どうですか、雑誌の家は?」なんてハガキが案の上舞い込んだ。

 今は労働組合と関連会社くらいにしか残っていない「平凡」名だが、そもそもは芸能誌の草分けである『月刊平凡』『週刊平凡』や、若者雑誌の草分けの『平凡パンチ』で名を成した会社。70年代からは女性誌『アンアン』『クロワッサン』や、男性誌『ポパイ』......と、名を聞けば「ああ」という雑誌をいくつも抱え、会社全体が肩で風を切って、昭和後期の日々を進んでいた。

 初任給が20万円近くで驚いた。一時金(ボーナス)は夏冬2回、春秋にも0.5ヶ月が出て、年間計10ヶ月分は支給された。先輩の話では、かつてはもっとよい時もあり、ある夏の一時金闘争で経営側は一発満額回答。「君ら、そんなもんでいいのか」とせせら笑われ、執行部は責任をとり解散したという逸話も。

 それまで貧乏学生で、家賃6万円、10万ちょいの仕送りとわずかなバイト収入できゅうきゅう暮らしていた私は、にわかに降って湧いたこの事態に浮き足立ち、最初の給料で20万円の羽根布団を買った。なんでそれかは忘れたが、布団は今もある。いいものは長持ちするのである。

 同期入社は全員男で15人。社のルールでそれぞれが業務、すなわち編集ではない職務に就き、私は希望通りの宣伝部配属で、『ブルータス』『ポパイ』担当となった。憧れの出版社の憧れの雑誌担当となった。

 私という人間は、生まれながらに運がよく、高校も大学も会社もいつも第一志望に入れた。そんなに能力があるとも人品骨柄に魅力があるとも(まるで)思えないし、努力家でも全然ないわけで、つまりはやっぱりただ運がいいだけ。人からは「運も実力のうち」と言われることもしばしばだが、そんなわけがない。ただの偶然だ。

 クライアントからお金をいただく広告部や、取次・書店に雑誌を売ってもらう販売部とは逆に、宣伝部はお金を使う威張れるセクションである。編集部に通い、編集長と攻めどころの打合せをして、ポスター、新聞広告を作る。当時予算はまあ潤沢で、ラジオCMまであった。ニッポン放送『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』という月〜金の15分番組をスポンサード。パンチガールと呼ばれるアイドルたちがいて、初代は「モコ、ビーバー、オリーブ」......ってわかる人にはわかるよね(オリーブはシリア・ポール)。有名なところでは7代目に松田聖子がいたわけだけど、残念ながらそれは私の入社の2年前だ。

 私の代は、ジ・アルフィーの3人が番組の合間のCMを作ってくれていた。デビューから8年経っていたが、まだあまり陽の目を見ていない兄さんたちだった。けれど明るく優しく楽しかった。新米の私が書いてくる下手な放送台本を、こうしたら? とギターを交えてアレンジしてくれた。私の台本はどんどん悪のりしてコントとなり、高見沢さんを「ばか」役に配し続けたものだが、彼はとても楽しそうに(上手に)演じてくれた。ずっと後に雑誌『ターザン』の取材の際、テニスコートで黒眼鏡の桜井さんに会ったら「おー君か!」と笑顔で迎えてくれたのが嬉しかった。

 収録は毎週木曜日。20時頃からというおかしな時間で5本録りをすると「テッペン」の24時を必ず回り、それが終わると、同じスタジオで25時からの『オールナイトニッポン』の準備が始まり、タモリさんが現れた。私はスポンサーであるのをいいことに居残り(「オールナイト」のスポンサーではないのに)、あるときには収録ブースにまで入り込みタモリさんの前に座った。高校の頃から聴いていたあの深夜放送、あの軽快な「ビタースウィート・サンバ」で始まる、あの「ビバヤング!」の、あのカメ&アンコーや糸居五郎の、そして今目の前にいるのは激烈に面白いあのタモリさん! 舞い上がる青年の私に、タモリさんがけげんそうに「取材の方ですか?」と聞いてきた。「......あ、いえ」「???」。

 いや本当に今思いだしても冷や汗が流れる。当たり前だが、無関係の者がスタジオにいてはならない。ましてや収録中の空間、タレントの前になんて。ラジオ特有の自由な空気に調子に乗ってしまった、勘違いだらけの青二才だったのだ。覚えたての、「おはよーございます」「おつかれでーす」を得意げに繰り返し、業界用語の「キュー」だ「ジングル」だ「ケツカッチン」だと口にする若造。あの夜、怒られなかったのは、一応のスポンサーだったからだろう。

 今更語るのも気が引けるが、80年代はバブルの時代で、その責任の一端はマガジンハウス、特に『ブルータス』にあると思う。オシャレ少年『ポパイ』の兄貴分として1980年創刊。特集主義で、たとえば「ぜいたくは敵だ」の「敵」の前に「素」を入れるような雑誌だった。「大蕩尽のかなたに永遠が見える」「羨望のハワイ不動産ガイド」とか、「黄金のアフリカ」「地中海を行く」「史上最大のニューヨーク特集」とか、「裸の絶対温度」「居住空間学」「死ぬまで独身」とか......"悦楽"なるキーワードの元に、煽りに煽ったのだ。

 宣伝部生活を1年半送った後に、私は正にこの憧れの『ブルータス』に入る幸運に見舞われ、編集者人生をスタートする。私は文化欄15ページと、蓮實重彦、山上たつひこ、椎名誠の連載を担当する。3年後は「鉄人」特集からスピンオフして生まれた『ターザン』に移った(鉄人=アイアンマンの競技、トライアスロンは、当時は信じられないスポーツだった)。

 ああ、自分がえらい、カッコいいわけではなく、バックの組織がカッコよく立派だからであることに気づかぬまま風を切っていたつもりの青年の貧弱であったろう肩よ! そのへんのごちゃらごちゃら、20代のオロカな編集者の右往左往、パワハラとセクハラの魔窟、物欲とタバコとアルコールででろでろのこの業界話は、またいつかちゃんと向き合って書いてみたい(恥ずかしさ、悔恨とともに)が、そうだった、今回はロケの話でありましたね。長いな。長くなるな。すまんすまん。


 オシャレ、カッコよさで売るグラビア雑誌には"撮影"がつきものだ。スタジオで撮るか、外で撮る=ロケにするかは企画時に決める。『ターザン』を例にとれば、ランニング特集を組むとして、たとえば「有酸素運動とは?」なんて記事を文章だけ、ただ科学的な学術論文にしてしまっては誰も読まない。読む気が起こらない。広告も入らない。それはやばい。やっぱりカッコよく「見せる」必要があるというわけで、いいカラダを用意する(ターザンでは体は「カラダ」と表記した)。こんなボディになりたい、というモデルを撮影する。

 予算は潤沢にあったなあ。午前帰宅が当たり前で、編集部のタクシー券は週1ペースで一冊ずつ猛スピードで消えていたっけ。昼ごはんも夜ごはんも、誰と食べ、どれだけ飲んでも領収書をもらって落とせた。精算の際、ときどき上司(キャップや副編集長)が「いいかげんにしろよ」と口先だけで言うのだが、上司自身だっていいかげんにしてなかったのだ。学生アルバイトが夕方鮨屋の出前をとる。「特上2人前。光モノ抜いてください」なんて言っていたっけ。契約店の食券が何枚もあるのだ。そしたら先輩編集者が「おい!」と大声を出し、さすがにとがめるのかと思ったら「おれも2人前」と言ったのであった。

 さて、ロケに当たっては、まず外国人モデルをオーディションする。日本人モデルは絵がリアルになりすぎるので、外国人を使うのがあの頃のオシャレ雑誌の常識。数社の事務所に電話、「コンポジット」と呼ばれる写真・プロフィールのカードを取り寄せ、決まった日時に集まってもらう。彼らは出稼ぎで各国からたいがいショートステイで来ているのだ。21世紀の今、ましてやコロナ禍の今はどうなのだろう? 儲からない日本、雑誌自体の少なくなった国にはそんなに来てくれてはいないだろうな。さびしいな。

 たいていは英語でインタビュー。走れるか? 走れる。(そりゃそうだな)。きれいに? YES. おなか見せて......おお腹筋六分割、合格! てなもん。

 気をつけなければいけないのは、外国のモデルたちは何でも「できる」と答えること。「泳げる?」「泳げる」「上手に?」「YES」......編集部にプールがないのをいいことに「I can」のオンパレード。それにだまされ、見た目だけで選んでしまって迎えた本番当日、「......おまえ、どの口で......」なんてことが何回あったことだろう。

 カラダの硬いストレッチのモデル、陽ざしをやたら眩しがり目を開けられないモデル、右足と右腕が同時に出てしまうウォーキングのモデル......いろいろいたなあ。あるときは目薬のタイアップ撮影だというのに、呼んだモデルが「先端恐怖症だ」と現場で白状したことも。やれやれ2階から目薬作戦かよ状態になったり。

 ロケは、スタジオの数倍時間とお金がかかる。必要となればロケハンを別日にする。ロケバスを頼む。カメラマンとアシスタント。スタイリストとアシスタント。ヘアメイクとアシスタント。ライター。モデルが2人の場合も。時には監修の先生。そして編集者(私)。こんなふうに多いときは10人以上。ハイエースではすまなくなり、マイクロバスにしてもらい......。

 朝ごはんは大量におにぎり、サンドイッチ、お菓子、飲み物を買う。昼用にお弁当を用意しておくことも。この数は、人数プラス1〜2個というのが正解で、足りなかったときの気まずさたるや相当のものとなる。撮了後は余裕があればレストランやカフェへ。大人数が入れるところをあらかじめ探しておく。そこでは、ビールを飲むことが多かった(ロケバスさん以外)。

 諸経費もさることながら、この全員にギャラを支払うのである。予算が潤沢にあったというより、予算のことなんて誰も何にも考えていなかったな。

 けれど、上記のロケなんて、かわいらしいミニサイズのものだった。でかいのは海外ロケというやつだ。私自身は(若輩者だったもので)数回しか行っていないけれど、ツワモノは年数回あちこちに飛んでいた。特集によるが、現地コーディネーター、現地モデル、カメラ、ヘアメイク、スタイリスト、それぞれのアシスタント......宿泊代、食事代、酒代、物品購入......「アフリカゾウを買った」というのは今や有名な伝説だが、数十ページの企画で映画に近づくような大規模のロケがまかりとおっていたのであった。これらは航空会社やスポンサーとのいくつものタイアップが必須ではあるけれど、いま思うにそれらとて焼け石に水ではなかったかな。決して『ブルータス』や『ターザン』が大黒字だった話は聞いたことがないから。当時マガジンハウスを支えていたのは『アンアン』だった。「まんこう続き」なんて聞いていたもの。まんこうは「満広」。広告をこれ以上入れられず断っているという事態。ちなみに当時、見開き2ページの広告料金は300万円ほどだったと記憶している。

 おごれるものは久しからず。バブルのはじける音とともに、経営が慌てる。ボーナス満額回答、給与のベースアップなんてありえない。ロケの数は減り、貧弱になっていく。一回のロケ、一人のモデルでたくさんのページを作らねばならない。スタッフ数も減らし、必然的にアシスタント同行はご遠慮いただく。さすればごはん代も浮く。夜ごはんは一人1000円まで。それを超えたら自腹。いやそもそもロケはやめよう。赤字雑誌は休刊にしよう(廃刊とは呼ばないのが通例)。タクシーなんてもっての外、ベースダウンにリストラも始まって......等々。多くは当たり前、しかたのないことで、過去が異常すぎただけ、まあバチが当たっただけのことだが。私や当時の仲間は、まるで『細雪』の4姉妹のような気持ちで(ってへんな喩えかな)、あの栄華を極めた(調子に乗ってた)日々を思い、斜陽、悪循環、縮小の一途をたどる雑誌作りにせつない思いを抱き続けている。

 そしてこのバブル話というのは、若いモンには嫌われる。これも当然。だから基本は黙っている。が、今回は敢えて書いた。テーマが「ロケ」と来たら仕方がない。

 まだ実はほとんどのことは書けていない。おお、椎名誠や、荒戸源次郎との映画ロケの話もあった。四万十川、石垣島、会津、長崎。

 思えば本上と最初に出会ったのもロケだったな。私の未来の妻は、目黒のビルの屋上にいた。季節外れの水着姿、19歳のキャンペーンガールが寒風に震えていた。なんてこの話を書き進めていくとイヤがられそうなので、これもまたいつかの機会とする。

本上まなみさんによる
「ロケ」はこちら

澤田 康彦

澤田 康彦
(さわだ・やすひこ)

1957年滋賀県生まれ。編集者・エッセイスト。1982〜2010年:マガジンハウスにて、「BRUTUS」「Tarzan」等を編集。2015〜2019年:「暮しの手帖」編集長。2020年より家族の住む京都に戻る。近年の編集本に「戦中・戦後の暮しの記録」(暮しの手帖社)、著書に「ばら色の京都 あま色の東京」(PHP研究所)、「短歌はじめました。」(穂村弘、東直子との共著、角川文庫)など。最新刊は「いくつもの空の下で」(京都新聞出版センター)。京都暮らしのお気に入りは、入山豆腐店の朝イチの豆乳、美山の由良川。

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