一泊なのにこの荷物!

第28回

部活

2022.07.15更新

 息子の唯一の習いごとは小1から始めた週2回夕方のサッカー教室で、京都のサッカークラブ「おこしやす京都AC」主催。賀茂川のグラウンドで行われ、通いは自転車。母が見つけた教室に、コガネ虫みたいにころんと小さい6歳がサドルをいちばん低くしてキコキコ漕いで向かう姿は"頼りなさ"の権化そのものだった。クラブのユニフォームで生意気にストレッチするものの、なんといっても腕が短いからどこかヘン。私や妻の子らしくプレイ中は目立たず、「ヘイ、ヘイ」と叫んでもボールをなかなかパスしてもらえずよその子たちのダンゴ周りを走っているだけ、あまつさえすぐに気を散らして、コーチに「こら、ゴールを倒さない!」とか注意されたりしていたのだ(ゴールは小さな簡易版)。厳冬期の賀茂川端で立ち会っているのは寒かったなあ。内臓まで凍えた。

 そんな子どもも月日が経てばそれなりに形になってきて、背も伸びて脚も太くなり、ちゃんとドリブルでき、真面目にスローインしたり、学校以外の仲間と何かを喋り合ったりする姿をうれしく少しさびしく思う。今夏は自転車のサドルもぐんと高くなって、ときおりゴール数を報告し、今は親の付き添いを拒み始めた小学4年生だ。余談だが、本稿の担当のノザキ嬢のサドルもとても高い(ということはこないだのインタビューでも指摘した)。 

 さて部活である。

 原稿を書きながら、「おやびんの高校のときの部活の花形は何だったの?」と妻が聞くので、「無論、野球部」と即答したら、「へえ」。横から娘が「なんで?」と驚く。そのことに驚く。

 へえとかなんでって、そんなの当たり前ではないか。「私の頃はサッカーだったな」と妻。そうか『キャプテン翼』以来勢力図は変わったか。娘に「君の高校は?」と聞いてみると、「ホッケーかな」。ホ、ホ、ホッケー? と父さんはベタに反応してみる(ものの流される)。「なんで?」「なんでって、人気なんだよ。マネジャー志望者も多くて競争率高いんだよ」。おお、時代は変わりゆくのね。

 80年代に愛読した吉田聡の『ちょっとヨロシク!』全12巻は部活動を渡り歩く漫画、しかも水球部とかカーリング部とかクロスカントリースキー部とか、当時のマイナースポーツ連発で大いに笑わせてくれたものだが、今ではどれも人口に膾炙されている。野球やサッカー、ラグビー=スタースポーツという時代はもう終わったんだな。

 ちなみにと、全くスポーツに興味なさそうな文化系の娘に問題を出してみる。「野球は何人?」「...11人」「サッカーは?」「...9人」「逆だ」「知らんし!」。「バスケットは?」「...6人」「バレーボールは?」「...5人」「逆だ! わざとだな」「わざとちゃうし。まじで知らんし」と逆ぎれ。

「野球のファールって何だ?」「えっと、打った球をキャッチする」「それはアウト」「わかった、空中に浮いた球をキャッチする」「だからそれはアウト」「知らんし」。

「そもそもどんなゲーム?」「打って、三つ目の目印に来たら1点」「四つ目だ。三つは三角ベース。しかも目印ではなくベースだ」「知らんし」「塁とも言う」「知らんし」。

「サッカーはどんなゲームだ?」「えっと、走り出したほうの側と逆の側のネットにボール入れたら1点」。......ん? ま、正しいか。説明へただな。

 妻が「私も野球のルール、あまりわかってない」と白状しだす。「キャッチアップとか、何?」「もう間違ってる。タッチアップだ。アメリカではタッグアップと言って、走者がどっかの塁にいて、打者がフライを打ち上げ、捕球されたときに......」とまで解説しつつ、確かに野球のルールは複雑だなと私も思う。

 こないだ佐々木朗希投手が1イニングで4奪三振なんてことをやってのけたけれど、普通3アウトでチェンジのはずなのに? とこのカラクリ、わからない人には絶対わからないだろう。誰かに親切に説明してあげたくてそわそわするも、私の家族相手だと「イニング」「3アウト」「チェンジ」から「振り逃げ」まで教えねばならないから諦める。そもそも聞こうとする前向きの意志がまるで見えないし。かつて始球式でイチロー相手にボールを投げた経験を持つ本上さんが、そのことを鼻にかけないのは、彼女が奥ゆかしいからではなく、その凄さがいまひとつわかっていないことによる、と私は推断する。

 こちらと来たら子どものころから当たり前に空き地でやってたし、授業でもソフトボールがあったし、テレビではプロ野球(アナウンサーがジャイアンツびいきでちっともニュートラルではなく不快だったもんだ)や、春夏は甲子園で大にぎわいだったし(当時最終予選は京滋大会。滋賀はいつも京都にやられて出られなかったな)、漫画では古くは『スポーツマン金太郎』や『巨人の星』(これまたジャイアンツ礼賛話で不快だったけど)、『キャプテン』『ドカベン』『アパッチ野球軍』、さらには『タッチ』(憧れの喫茶「南風」!)まで傑作揃いであったから、野球のルールなんてものは目に体に心に感覚的にしみこんでいるわけだ。打ったら即刻1塁に走るもの。塁に出たら盗っ人のようにリーリー。ヒマがあったらついピッチングフォームやってしまうし、手ごろな棒を持てば素振りをしてホームラン予告のポーズをとるし、グローブに手を入れたらパンパン叩いてさあ来いと構えてしまうのである。

 おっさんたちが日常的に使う野球用語をにこにこと受け止められる私は寛容な人だ。いやむしろ同類か。「全員野球で」「すべり込みセーフだ」「ベンチがうるさいから」「外野は黙っとけ」「続投する」「空振りに終わった」「ゲームはツーアウトから」「逆転満塁ホームランだ」「君は三冠王だ」「来シーズンはがんばろう」......どれもいいよね。

 かくエラそうに語る私だが、思えば長くバットを振っていない。近ごろは打球ひとつ捕球していない。最後のゲームの記憶はもう20年近く前、雑誌『ターザン』時代、編集部で記事化も兼ねて作ったチンプス(Chimps)という野球チームにおいてであった(映画『ターザン』の相棒のチンパンジーから命名)。ナイキとタイアップしたりして、そういうところがマガジンハウスなのだが、ユニフォームは「C」のマークでストライプに青や赤をあしらい、つまりはシカゴ・カブスのパクり感満載。恰好はよかった。しかしヘタだった。恰好よいことでかえってカッコ悪いのであった。ちなみに私の背番号は「0」。うまく説明できないが、そういうのを選ぶのが私だ。「1」「3」「11」「14」なんかは選ばないのだ。

 担当ページの編集者があちこちの草野球チームと月1〜2回対戦を組んだのだが、悪戦苦闘の連続。最悪だったのは、どこをどうトチ狂ったか当時の日本のアメフトチームの雄リクルート・シーガルズとの試合がブッキングされ、こちらの1.5〜2倍の体格のマッチョたちと戦う羽目になったもの。ああシーガルズのポテンシャルの高さよ。守りは30分、攻撃は3分で終わる。全て空振りで終わるこちらを敵ピッチャーが気の毒がって真ん真ん中にふわっとスローボールを投げてくれるも空振り。ピッチャーゴロ。あ、打った、レフト前だ! レフトが1塁に剛速球をびゅーん、アウト! レフトゴロ! なんという肩の強さ、なんという足の遅さよ。気づけば100点近く取られるとはアメフトのスコア以上。こちらはゼロ封の完全試合。誰ひとり塁に出ることが叶わず、あんなに早く家に帰りたいと願った午後はなかった。

 シーガルズ戦は特別な話で、日頃の相手はまあシロウト集団だったのだが、それでも勝利の女神が微笑むことはなかった。しかし後日の『ターザン』の記事や部内報では「互角に渡り合うも」「惜しくも」「玉砕」「次戦に意気込み」など戦中の大本営発表のごとき文言が並んだ。

 リリー・フランキーのヤングジャイアンツとも対戦した。チーム名が憎らしいのでぜひ倒したかったが、これは互角で、しかも先方は朝早いせいか集まり悪く、こちらの選手を貸したりして、どっこいどっこいのダメさ加減。当方には本上さんが応援に来ていたため、リリー監督と来たら、当たり前顔でこちらのベンチに移動、采配をふるっていたものだ。

 チンプスは、普通にゴロを捕って1塁でアウトにしたり、フライをキャッチしただけで大拍手が巻き起こるチームであった。セカンドを守っていた私自身の唯一のよき思い出はダブルプレー。対戦相手は雑誌『ダ・カーポ』チーム。敵の強いショートへの打球を6→4→3で(誰一人ボールを落とさず)やってのけるという大奇跡。快哉、鳴り響く拍手......あの記憶だけで今もビールを2杯は飲めます。

 さて、野球を花形とあがめたものの、実は私が入部したのはバドミントン部であった。1970年、中学に入学して選んだ部活動。「羽球うきゅう」は実にマイナースポーツであった。野球部は確かに花形だが、サワダ少年は冷静で慎重だった。グラウンドでの練習を遠目に見るなり悟った。あれは外のスポーツである。暑くて寒い。顧問がコワそうだ。罰はケツバット。すぐに隊列を作って、道具が多い。サハラ砂漠よろしくみんな水に飢えている。決定的なのは全員が丸坊主(なぜだ?)。その点バドミントンは、屋内競技、コートもさほど大きくなく、ラケットは軽量、羽根も超軽量、髪の毛を生やしてても可! ラクチンそう。

 と、これはこれで大間違いの選択であった。コートが狭いといっても、前後左右東西南北に動き回らねばならぬことピンボールのごとし。シングルス3セットめは呼吸が止まりそうになるくらいのしんどさだ。しかもシャトル(羽根)が風の影響を受けやすいため空調、扇風機はNG。よって夏はどんより暑く、冬はきんきん寒かった。当時のバドミントンの試合の服装は「白を基調」、確か8割以上白色で、なんて厳しく定められ、すなわち地味であった。どこをとってもテニスに比べて華やかさに欠け、注目されない、誰も応援しに来ない。あんなに厳しいスポーツなのに「軟弱」と片づけられる理不尽さよ。

 この部を選ぶだけあって、地味でサエない先輩が多かった(私が言えた者ではないが)。トレーニングタイムはやっぱりシゴキの時間。先輩たちは自分らもやられてきたので、ここぞとばかりにサディストと化した。ちょっとしたミスで、炎天下、琵琶湖の浜辺・松原まで数キロのランニング、ひどいときにはその先の米原、磯まで! なんて無理を命じたりした。屋内スポーツだと思っていたのになー。あるいは壁を背に空気椅子。私の細脚の椅子には先輩がおもりを持って座った。ウサギ跳びにアヒル脚に耕運機。今思えば誰ひとりスポーツ科学も医学も学んだわけではないのに、トレーニングメニューをこしらえていたのである。脚を伸ばして揃えて20度ほど上げたままにする腹筋運動(今は腰に悪いからやらない)。耐えられず脚が床につくと雑巾のしぼり汁が顔に落ちてくる。手首のスナップを鍛えるということでラケットにカバーをつけて何度も振らせた。これは夏場が多く、なかなかの風がおこって涼しいので先輩が前に立ち「もっとあおげ」と命じるのだった。けれどもまあ丸坊主ではないから、と自分を納得させた。私の誇りはそういったシゴキを後輩に施さなかったことだが、後輩たちからは「ほったらかし」と言われていたと後で聞く。ほったらかしの方がいいだろう。そういえば暮しの手帖社でも言われていたかもなー。

 部活中の慰めとしては、体育館の向こう側半分で練習している卓球部の女子たちが美女そろいであったこと。ときおり眺めてはドキドキしていた。それくらい。

 そんなこんなだったが、ある秋の運動会で驚いた。クラブ対抗の長距離走で、我らがバドミントンチームが、陸上部に次ぐ2位の好成績を収めたのだ。屋内ハードスポーツの実力、思い知ったか。コート内のピンボールワークで知らぬうちに持久力を身につけていたのであった。高校もバドミントン部、気づけば運動の苦手だった私がスポーツテストで2級獲得という意外な好成績をたたきだす結果を導いた。

 あのとき18歳。1975年。思えばあそこがわが肉体のピークであった。そのあとは大学で東京に来て、部活は華道部(小原流)、そのあと映画研究会へ。そのあとマガジンハウスで超のつく不健康な編集者生活を続け、着実に体脂肪を身にまとい、基礎代謝を劣化させていく。そして久々のクラブ加入が上記『ターザン』のChimps。体が野球感覚を覚えていても、応えてくれるわけではない。わがチームメイトはみごとに肉離れや骨折、熱中症に倒れ、故障者続出。用心深い私は幸い何ごともなかったが、やがて五十肩、つまり肩関節周囲炎に見舞われ、右肩、続いて左、もう一度右を患い、動きに精気を欠く日々を送り、今に至る。とほほのほの64歳。気づけばスポーツも観戦ばかりだな。

 昨日はテレビで大谷翔平の活躍を見て大興奮。家族に「父さんも編集者と執筆者の二刀流だ!」と言ってみる。すべる。

本上まなみさんによる
「部活」はこちら

澤田 康彦

澤田 康彦
(さわだ・やすひこ)

1957年滋賀県生まれ。編集者・エッセイスト。1982〜2010年:マガジンハウスにて、「BRUTUS」「Tarzan」等を編集。2015〜2019年:「暮しの手帖」編集長。2020年より家族の住む京都に戻る。近年の編集本に「戦中・戦後の暮しの記録」(暮しの手帖社)、著書に「ばら色の京都 あま色の東京」(PHP研究所)、「短歌はじめました。」(穂村弘、東直子との共著、角川文庫)など。最新刊は「いくつもの空の下で」(京都新聞出版センター)。京都暮らしのお気に入りは、入山豆腐店の朝イチの豆乳、美山の由良川。

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