学ぶとは何か 数学と歴史学の対話

第9回

ウクライナ侵攻について(藤原辰史)

2022.03.15更新

歴史学者の藤原辰史さんと数学者の伊原康隆さんによる、往復書簡の連載です。伊原さんから藤原さんへの前回の便りはこちらから。

 今回は、歴史学者が現在の出来事をどうとらえるか、そのおりにどう歴史を学び直すのかについてのお話をさせてください。歴史学の営みは、単に過去の事実を学ぶのではなく、過去を通じて現在を理解しようとする試みでもあることは、よく言われる通りです。今回、ロシアがウクライナに侵攻したという衝撃的な事実を前に、私たちはどう頭を整理できるのか。歴史学をはじめ人文学の知はこのようなときに、悪い意味にも良い意味にも、威力を発揮します。悪い意味、というのは、歴史の歪曲と国威発揚と「非国民」の確定のために用いること、良い意味というのは、過去の愚行の背景を知り、現在に生かすために用いること、と取っていただいてかまいません。

 この問題が起こる前にウクライナ情勢について私が考えたことは、『毎日新聞』(2022年2月24日付朝刊)で書きました。校了は前々日でしたので、侵攻を止めるための国際世論の形成について書くのが精一杯でした。先週、この記事を読んでくださった伊原さんから、ミシマ社を通して、ウクライナの歴史について語ってほしい、とご依頼がありましたが、「ウクライナの歴史」という固定した物語を語ること自体が、ウクライナをめぐる中東欧の複雑な関係性を捨象してしまう危険性があるので、今回は、人文学的な立場から、できるかぎり冷静に、目の前で起こっていることについて語りうることだけを記したいと思います。

 第一に、ロシアの軍事行動は、純然たる国際法違反です。しかも、武器を持たない文民に、妊婦や胎児や乳児にさえもミサイルで攻撃するなど言語道断です。子どもたちも攻撃を受けて亡くなったり、武器の破片が頭部にめり込んだりしています。難民たちが避難するために交渉で定められたルートも、ロシア軍によって安全が守られていません。サポロジエにせよ、チェルノブイリにせよ、原子力発電所からの放射性物質の拡散をウクライナとヨーロッパに対する脅迫に用いるなど、どんな言葉によっても正当化することはできません。国連の安全保障理事国の蛮行であり、世界最多の核兵器を保有する国の蛮行であるということが世界中の人びとから安眠を奪います。

 第二に、ロシアとロシア人を同一視してはならないことです。プーチンの支持率が高いと報道されているとはいえ、ロシア人の中には侵攻の反対やプーチン批判を表明して、警察に逮捕された人びとも多いと報道されています。国内には、プーチンに公然と反対を唱えた企業もいますし、プーチンを大統領に指名した故エリツィン大統領のファミリーもプーチンを批判しています(石川一洋NHK解説委員「ウクライナ軍事侵攻とプーチン体制」時論公論)。国民が自分の言葉を論理的に支持してくれるという自信がないからこそ、強権的振る舞いをしているように見えてなりません。3月8日の国際女性デーで戦争に反対するプラカードを掲げた女性を、黒い重装備の警察官たちが捕まえている映像を見ました。また、ロシアの都市ニジニ・ノヴゴロドでは、何も書かれていない白い紙を掲げただけで女性が警官に拘束されています。このような警察の国家暴力の中で反対の意思を表明する人たちと、私たちのような場所から意思表示をする人たちは、その重さが決定的に異なるとはいえ、抵抗者たちへの連帯を示すために、仲間たちと一緒に、さまざまな方の助けを借りながら、声明を9言語で発信しました。すでに多くの大学や学会がそれぞれの立場でユニークな声明を発表していて大いに触発されましたが、このように、後出しジャンケンではなく、時代のうねりの中にあって発信する行為は、のちに批判を受けるプロセスも含めて、学問的にもとても重要だと思います。

 第三に、プーチンは「クレイジーだ」「病気を抱えている」という言説には最大限の警戒心を持ちたいということです。もしかすると何らかの病いを抱えているかもしれませんが、それを知ったところで今回の侵攻の背景を正しく理解することにはつながりません。「あいつはクレイジーだ」という言葉に一番癒されるのは、自分の行動はすべて理性的だと思い込んでいる人や、歴史の重みを直視する勇気を持たない人です。そのような態度は知的ではありません。しかも、そのような態度が同じ過ち繰り返すことにつながります。ドイツで在外研究をしていたとき、目の横に指をさして「あいつはクレイジーだった」とヒトラーを評する人と何回か会ったことがあります。が、ヒトラーがクレイジーだったので第二次世界大戦と大量虐殺が起こったという説明では、誰がヒトラーを支持したのか、どういう国際情勢がヒトラーを追い込んだのか、という問いが消し飛んでしまい、それは歴史の皮相な理解でしかありません。このような浅い理解は、人災を自然災害のようにとらえることに近づき、暴力の前には外交も言葉も無駄であるという粗野な思考に陥ります。

 第四に、では、どういう背景を学ぶべきか。私も、ナチズム研究や農業史研究の枠内で、とくに『トラクターの世界史』(中公新書、2017年)の執筆時にウクライナがスターリンとヒトラーのはざまで経験した大飢饉や戦争による破壊を考えてきたにすぎませんから、わからないことがあまりにも多いです。自分の無知と言語能力の貧弱さを呪う日々です。こういうとき、頼りになるのは、数学もそうだと思いますが、信頼すべき研究仲間ですね。この間、凄まじい量のウクライナやロシアの情勢に関するメールがスラブ地域の歴史学者から流れてきて、それを毎日読んで学んでいます。歴史は一度学んだら終わりではない、学び直して、点検し、少しでも改善しつづける努力が大事だと改めて気づかされます。

 以下は、新聞や雑誌や書籍を読んだり、あるいは、職場や別組織の研究会でロシアや中東欧の歴史学の専門家たちから学んだりした途中報告ですが、最低でも、NATOと欧米諸国の30年(つまり、冷戦終結後の軍事行為)を考えるべきだということをひしひしと実感します。まず、ソ連が崩壊し、ロシアが仮想敵でなくなったはずなのに、NATOは、その存在意義の再定義をロシアが理解できるようなかたちで提示できませんでした。欧米諸国はこの30年でロシアと良好な関係を築くことができないまま今日に至りましたが、それはロシアのせいだけではありません。

 たとえば、冷戦終結から約10年後の1999年3月、米国大統領のビル・クリントンは、ドイツ首相のゲアハルト・シュレーダーらと共に、ユーゴのセルビア系住民に対するNATOの空爆を国際連合の許可なく実行し、それを78日間にわたって続けました(コソヴォ空爆)。アルバニア人の虐殺を推し進めるユーゴのスロボダン・ミロシェヴィッチをヒトラーに見立て、ユーゴのアルバニア人への弾圧や難民流出を人道的破局である、という論理で空爆を仕掛けました。しかし、この空爆は、セルビア系による民族浄化をかえって悪化させたと言われています。「人道のための軍事介入」や「平和維持活動」という冷戦終結後のNATOの論理が、いまロシアによって用いられていることを考えずにはいられません。

 私が愛読する歴史書の書き手であるギリシャ近現代史の専門家のマーク・マゾワーは、『バルカン――「ヨーロッパの火薬庫」の歴史』(井上廣美訳、中公新書、2017年)でこう述べています。「湾岸戦争で明らかになったように、欧米諸国は戦争そのものを派手な見世物であるかのごとく見なすようになっている。コソヴォとセルビアに対するNATOの介入は、人間が関与していないかのように見える遠隔操作技術を利用して、今や軍事作戦が敵味方ともに最小限の死傷者と流血ですむことを欧米の大衆に納得させようとした。おそらくこのようにして、戦争そのものからも、かつての社会的暴力と同じように、人間的側面の排除が進行中なのだろう」(p.259)と。これは、民族浄化を起こした「バルカン」を取り立てて暴力的だと形容する欧米諸国も、ヒトラーの時代の前後から、民間人を巻き込んで最新の技術を使って目立たぬように残忍なことをしてきたのではないか、バルカンに住む人びとの本性が野蛮というわけではない、という文脈で読まれるべき一節です。

 ロシア軍による民間人の殺害も、子どもをミサイルで殺すことも、自分こそが人道的で民主的であるというアピールも愚の骨頂ですが、欧米諸国がイラクやコソヴォで行なった蛮行もその評価から本来は逃れられるようなものではありませんでした。

 何度も繰り返しますが、以上のようなことがロシアの現在の侵攻に正当性を与えるのだと言っているのではありません。あくまで現状理解の背景に過ぎません。ただ、このような経過の理解を抜きにプーチンの「クレイジーさ」をいくら強調しても、あまり意味がないと考えます。イラク戦争で、アメリカ軍が空爆によってイラクの子どもたちを含む非武装の市民(空爆のバグダードで撮影を続けた綿井健陽監督の映画『Little Birds イラク戦火の家族たち』で、子どもを空爆で三人失った父が頭から血が流れ続け死にゆく子どもを抱えて「これが大量破壊兵器か!」と叫ぶシーンを思い浮かべます)を殺した罪が消えたわけではありませんし、消してはならないと思います。結局、米英が空爆の根拠としたイラクの「大量破壊兵器」も存在しませんでした。イラク戦争のとき、「アメリカの蛮行認めぬ」と日本の首相やその周辺の政治家が言ったでしょうか。「イラクの難民を受け入れる」と言ったでしょうか。岸田首相はいま「ロシアの蛮行認めぬ」とか「ウクライナからの難民を受け入れる」と世界に向けて表明しているのに。このような歴史を踏まえることでようやく、私たちは、ロシアの蛮行を、欧米諸国から借りてきた人道主義者の仮面をかぶることなく、心の底から非難し始めることができると思うのです。そして、自分たちの立ち位置を確認した上で批判する方が、現状のロシアだけを見て批判するよりも、よほど強力で核心的なロシア批判になると考えます。たとえば、ロシアも結局、欧米のやり方をまねることでしか自分を主張できていないこと、ロシアの支配者は、自国の偉大な文化からそれを乗り越える思想の一片も学び取れないことを指摘できるはずです。

 第五に、これは旧来の戦争観では追いつかない事態であること。まず、コロナ禍の軍事侵攻である、ということ。これが、ウクライナ・ロシア双方に感染を広めることは間違いありません。また、体を清潔に保つことが難しい難民たちの逃避行の中で、感染リスクはいっそう高まりますし、すでに病気を抱えている人びとにとっては、精神的な苦痛も相まって、重症化の危険性は二倍にも三倍にもなります。さらに、ロシアのやり方は、サイバー攻撃、情報戦争、無人機、原子力発電所の包囲など、新しい「ハイブリッド戦争」であり、生活の前提を破壊するので、乳幼児や病者のような生活の変動に弱い人であればあるほど被害は大きくなります(廣瀬陽子『ハイブリッド戦争』講談社現代新書、2021年)。しかも数日間で終わらせる電撃戦は失敗に終わりましたから、今後ますます生活基盤の破壊は激しくなるでしょう。

 最後に、日本はすでに、ウクライナで起こっていることの当事者である、ということです。隣国のロシアへの、史上稀に見る経済制裁に加わったことによって、ロシアからは非友好国として認定されました。今後、日本の小麦や原油をはじめ生活必需品の価格も上がるでしょうし、インターネットで世界と接続している日本もサイバー攻撃の対象から逃れられません。2015年9月に成立した安保法によって集団的自衛権の発動が憲法の解釈によって認められましたから、直接日本への攻撃がなかったとしても、アメリカの戦争に加わるシステムがすでに整備されています。

 また、すでに台湾有事を想定した要塞化が進んでいる日本の南西諸島についても、あまりにも本土の人間は無関心です。昨年末に明らかになった日米共同計画の原案によると「有事の初動段階で、米海兵隊が鹿児島県から沖縄県の南西諸島に臨時の攻撃用に軍事拠点を置くとしており、住民が戦闘に巻き込まれる可能性が高い」のです(『沖縄タイムス』2021年12月24日付朝刊)。「日本を守る」と言いながら、結局は国民を、とくに沖縄の人びとを犠牲にする態度を当時の首相の説明から何度も感じましたが、それはこのようなかたちで具現化されはじめています。

 東日本大震災のあとも原発を稼働しつづけ、いまだに核武装を訴える政治家を抱えるような危険極まりない日本列島で、どのような心持ちでいればウクライナで起こっていることに対する単なる「傍観者」でいられるでしょうか。核兵器の恐ろしさは、その使用である前に誤用であることを歴史は教えています。冷戦期、核兵器は、憎悪ではなく、単純ミスや確認の怠慢によって、何度も破局をもたらす寸前まで人類を追い詰めたことはあまり知られていません。冷戦期の核兵器管理の担い手にアルコール中毒や薬物中毒者がいたのは、この緊張感ある管理に耐えられなかったからだと言われています。原発が多数存在するウクライナでのミサイル攻撃が、小さなミスでどれほどの災厄に発展するかはいうまでもないでしょう(エリック・シュローサー『核は暴走するーーアメリカ核開発と安全性をめぐる闘い』布施由紀子訳、河出書房新社、2018年)。伊原さんの言葉を借りれば、歴史を知りたいという気持ちと歴史を学ばねばならないという心の動きが今ほど触れ合いやすいときはないでしょう。歴史を知ることはそのまま自分を知ることにつながるからです。

 さらにいえば、いまはプーチンを批判する日本の選挙民たちは、日本政府を批判する人間を排除し、気に入らない報道に介入して、気に入らない人物を左遷して、日本学術会議の会員から政府批判者を排除して、表現の自由を制限するような人たちを選んできた自分を、どう考えるのでしょうか。プーチンが署名した「ロシア軍の行動に関して偽情報の拡散を禁じる法律」は、戦争や侵略という言葉でこの行為を批判すると訴追される法律ですが、率直に言って、2021年度の報道の自由度が67位である日本がこのような言葉狩りから自由であるとは思えません。そんな政治を放任すれば日本の政治家も容易に「プーチン」に行き着くことを、つまり、イエスマンに囲まれているうちに「プーチン」になりうることを今回学んでいないとすれば、日本の未来は暗いとしか言いようがありません。

 では、私たちは、どのようにして、災厄を終わらせる国際世論を築けるのでしょうか。フェイスブックが容認したように「プーチンを殺せ」とみんなで叫ぶことでしょうか。「ロシアを叩き潰せ」と合唱することでしょうか。そうは思いません。そんな言葉を、プーチンはむしろ待っているのではないでしょうか。これで恨みっこなしだ、というときを彼は待っているのではないでしょうか。心が乱れるいまこそ、わかりやすい図式に飛びつくのではなく、複雑な現象の複雑さに目を凝らし、心を落ちつかせて、「学ぶ」ことが重要ではないでしょうか。

 ところで、私は、伊原さんが文系の私にも届くように言葉を尽くして「虚数」について説明をしてくださった、その仕方に心乱れる時代に学ぶヒントがあるように感じました。二乗すると-1になる虚数とは、名前に「虚」が入っているにもかかわらず、いや、それだからこそ実に奥深いものですね。「平面思考としての新しい数」、つまり、数を直線上で前後するものとして考えるのではなく、数を平面としてとらえることを可能にした、という説明は、高校三年生で虚数をちょっと触れただけだった私にとって、とても鮮烈に響きました。i の発見で、これだけ数の世界を拡張できるのか、と。芸術を愛する数学者の伊原さんだからかもしれません。a + bi は、少なくとも、前進と後進しかできなかった自動車が、ついにハンドルを獲得した、ということだと理解しました。

 いまのウクライナの状況を考えるときに必要なのは、元首相が唱えた核共有論というような「前進か後進か」の論ではありません。「景気回復、この道しかない」という同じ人物の言葉と同様に、それはハンドルのない車の論理、プーチンと同一線上にあって、それと正面衝突するしかない論理です。「学ぶ」とは「ハンドル」の操作を覚えること、と言えるのではないかと思います。重要なのは、前進か後進か、という二者択一を突きつける社会そのものを揺るがす論理の所在を指し示すことです。私が、『毎日新聞』の記事で、ロシアの侵攻が迫る状況でウクライナの音楽、舞踊、小説、歴史、地理、農業などについて触れたのはそういう意図がありました。私は記事発表のあとに、プーチンが2021年7月12日に、ロシア語、ウクライナ語、英語で発表し、クレムリンのホームページに掲載された論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」を読みました。今回の侵攻の根拠となる歴史論文です。ここでは、ウクライナとロシアとベラルーシは歴史的に見て「一つ」であり、ヨーロッパで最も大きな勢力であるが、ウクライナのナショナリストがロシアを敵対視して失政を繰り返し、経済的にも苦しい状況に陥ったと述べています。ソ連がウクライナを連邦の構成国の一つにしたとき、地方分権政策を行なったことを強調していますが、その中には1930年代初頭のウクライナの大飢饉については触れられていません(大飢饉については、ロバート・コンクエスト『悲しみの収穫ーーウクライナ大飢饉』白石治朗訳、恵雅堂出版、2007年などで学びました)。また、ウクライナ出身のゴーゴリはロシア語で作品を書いたのだから、ウクライナの文化遺産としてロシアから切り分けるべきではない、とも論じています。つまり、ウクライナの独立性を否定しているのです。

 「一体性」とはなんでしょうか。日本国の住人が日本人だけではないように、ウクライナもロシアも、音楽、芸術、宗教、どれをとっても「一体」ではなく、むしろ、複雑で多様だというところに、足場を築くことはできないでしょうか。

 歴史書を読んでいると、敵に立ち向かう人が憎むべき敵に似てくる傾向が、歴史の登場人物たちにしばしば見られることを学びます。敵と私が直線上に対峙するからです。直線的思考は視野を狭めます。核兵器には核兵器を、という単純極まりない思考もそうです。ナチスも、最大の敵である共産主義の運動から、旗や歌や集会の形式を盗み取りました。先ほど述べたように、プーチンの蛮行も、アメリカやNATOがこれまでやってきたことと似ています。

 かつて日本は、アジアの盟主を名乗り、ハンドルのない車のアクセルを踏み続け、中国や東南アジアや太平洋で戦争を引き起こし、膨大な人びとの命を奪いました。同時に、原爆の投下と、原発の事故という世界でも稀有な歴史も有しています。だからこそ、ウクライナで侵略に直面している人びとにできるだけ近い緊張感を持って、ロシアでもアメリカでも中国でもない、力の論理を骨抜きにする思想も言葉も日本の政治家から発せられていない現在は、やはり残念に思います。

 もちろん、言葉の連帯や思想の共有による包囲が初期の段階で戦争を止めた歴史はほとんどありませんから、それがどれほど困難な試みであるかは理解しているつもりです。私は原則として悲観論者です。これだけの悲劇を重ねても、人間は忘れっぽく、歴史から学ぶことを嫌がります。なおも暴力でしか突破口を開こうとしない人、核兵器を玩具のように扱いたがる人、自分の利益ばかりを考える人が世界に溢れています。人間の尊厳を守る盾がいったん破れれば、この先、日本でさえも何が起こってもおかしくありません。ロシアが軍事行動に気を取られているうちに、世界各地の不正義への注意は散漫になり、よりひどくなっているかもしれません。だけれども、悲観はまだ非観ではない。観たくない現実を観る力がまだ私たちに残っている以上、せめて学びを共有することはやめないでいたいと思います。私自身も暴力を包囲できる思想がどういうものなのか、はっきりとかたちをつかめているわけではありません。ただ、今回の「ハンドル」を握っているのは、コロナ禍でつらい状況に置かれた、芸術や学術の担い手ではないかと思っています。音楽、絵画、舞踏、そして学問の世界的ネットワーク。ここには、原則として国家間の利害を超えた共有すべき価値が、ずいぶんと商業主義に傷つけられましたが、残っています。すくなくとも、ミサイル一発で消えてしまうそのような小さな営みの集積が、ヴェトナム戦争に対する反戦運動の世界的なうねりを起こし、アメリカで厭戦ムードを高めたことは間違いありません。そして、芸術も学術も現実の悲惨さだけではなく、その背景を「学ぶ」ことで、普遍性を獲得していったのだと思います。にもかかわらず、欧米諸国はロシア出身の芸術家と共に現状を打開する作品を考えていく、という道を簡単に捨て、敵か味方かを迫る粗暴な論理をとりつつあります。であるからいっそう、世界共通言語の数学の世界を私たちに語る伊原さんの言葉は私たちに大きなヒントを与えてくれます。恐怖と直面してもなお言葉を発する人びとを雑多で多方向的な言葉で支えながら、直線的でしかない現状を平面の世界へと変えるための「学び」を、微力ながら続けたいと思っています。

 駄文を連ね、申し訳ありません。つい長くなってしまいました。こういうときこそ、心は煮えたぎっていたとしても、頭を冷やして、学ぶことの意味についてじっくり考えていきたいですね。

(伊原さんから藤原さんへのお返事は、毎月20日に公開予定です。)

藤原辰史/伊原康隆

藤原辰史/伊原康隆
(ふじはら・たつし/いはら・やすたか)

藤原辰史(ふじはら・たつし)
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年『ナチス・ドイツの有機農業』で日本ドイツ学会奨励賞、2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、2019年日本学術振興会賞、同年『給食の歴史』で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞を受賞。『カブラの冬』『稲の大東亜共栄圏』『食べること考えること』『トラクターの世界史』『食べるとはどういうことか』『農の原理の史的研究』ほか著書多数。

伊原康隆(いはら・やすたか)
1938年東京生まれ。理学博士。東京大学名誉教授。京都大学名誉教授。1998年日本学士院賞。東京大学数物系大学院修士課程修了後、勤務先の東京大学理学部(1990年まで)と京都大学数理解析研究所(2002年まで)を本拠地に、欧米の諸大学を主な中期滞在先に、数学(おもに整数論)の研究と教育に携わってきた。著書に『志学数学――研究の諸段階 発表の工夫』(丸善出版)、『とまどった生徒にゆとりのあった先生方――遊び心から本当の勉強へ』(三省堂書店/創英社)など。最新刊は『文化の土壌に自立の根』(三省堂書店/創英社)。

編集部からのお知らせ

このたびのウクライナ侵攻に関して、編集部からのお知らせです。

(1)イベント情報 MSLive! 緊急企画「歴史学者と学ぶ ウクライナのこと」

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●イベント内容
ウクライナの平和はどうすれば実現するのだろう?
別の国に住む一人の人間として今、できることの一つは、まずはしっかりと、ちゃんとした歴史、事実を知ることーー。そういう思いから本講座を企画しました。
そもそもウクライナとは、いったいどういう国で、どういう歴史を経てきた場所なのでしょうか。
今回、いま起きていることを、報道とは違った角度で知るために、歴史学者の藤原さんと、ポーランド史研究者の小山哲さんをお迎えし、それぞれによるミニ講義の後、お二人の対談をおこないます。総合的、文化的、歴史的に、このウクライナ情勢を考えつつ、これから知っておくべき視点を学べる2時間。ぜひご参加くださいませ。

●開催日時
3/16(水)19:00~21:00
→現在、アーカイブ動画版を配信中です!


●出演

藤原辰史(京大人文研・農業思想史)
小山哲(京大文学研究科・ポーランド史)

詳細はこちら


(2)「自由と平和のための京大有志の会」に寄せられた作家・津村記久子さんによるメッセージを、津村さんの許可をいただき、ここに再掲いたします。

ウクライナ侵攻に関して

 ウクライナ国民が、他のどの国の人間の意図も含まない自分たち自身で、ウクライナの未来を決定する権利を持つことを改めて強く支持します。
 ウクライナの皆さんは、私たち民主主義の国に住む者全員の代表者です。皆さんの苦痛は、私たちが分かち合うべき苦痛です。私たちの苦痛です。
 ウクライナの人々が、生きて在るべき場所に帰り、自分たちの暮らしを取り戻し、その中で笑えるようになることを、心の底から祈っています。

 津村記久子(作家)


A novelist’s views on Ukraine war

I firmly support the people of Ukraine, who, independent of any external intention or direction, have an inalienable right to determine the course of their own country.

You, the people of Ukraine, at this moment, represent all of us, those who are living in democratic countries. Your pain should be shared by all of us. Your pain is nothing but our pain.

I cordially pray that the people of Ukraine will soon be back to where they should be, and recover their way of life, having a pleasant chat with their dear ones, free from worry.

Kikuko Tsumura

自由と平和のための京大有志の会HP

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