ないようである、かもしれない

第31回

やっぱり、ないようであるかもしれない、に自分は導かれて(前編)

2022.05.14更新

 先日、千葉県にあるヴィパッサナー瞑想センター「ダンマーディッチャ」に行き、10日間の瞑想修行をしてきました。終わってみて思うのは、なんとも得難く、貴重で豊かな10日間だったと同時に、本当に過酷だったということです。でも、心から、行ってよかったと感じています。

申し込みまで

 それまでの人生で瞑想に取り組んだことがなかった僕が、なぜ行くことになったのか。これは自分でも明確な説明ができません。帰ってきてから会う人に、10日間こもって瞑想をしてきたんですよ、と言うと、ほとんどの人が「え、なんで? どしたの?」と聞いてくれます。そうですよね〜、とか言いながらうまく理由が説明できないのです。

 僕がヴィパッサナー瞑想を知ったのは何年か前で、認知行動療法の勉強をしていた時に、マインドフルネスと絡めて出てきたのが初めての出会いです。その時はなんだか不思議な言葉だなぁと思いながら、ヴィパッサナー瞑想を参考にしたらしいマインドフルネス瞑想というものに取り組んでみました。でも、瞑想中は覚醒すると書いてあるのに、僕は何度試してみても数分で寝てしまって、なんの効果も感じることができませんでした。そもそもそんなに簡単に効果が感じられるものでもないのですが、その時は分かりやすい効果を追い求めていた分残念で、小さくない落ち込みがありました。悔しくて、参考元のヴィパッサナー瞑想のことを調べてみると、10日間の合宿があるらしいことが分かりました。10日間・・・。当時は10日間のスケジュールが取れる状況では全くなかったため、諦め、数年が経ちました。

 2020年、映画『精神』、『精神0』のほか、選挙や演劇など、珍しいテーマ選びの視点を持ち、そのテーマをただ観察する観察映画という形をつくりあげた映画監督の想田和弘さんと会う機会がありました。以前から想田さんの作品の多分全てを観ていた僕は、想田さんと会えるだけですごく嬉しかったのですが、少し長い時間お話をさせてもらえることになり、その時に想田さんがヴィパッサナー瞑想の体験を話してくれました。想田さんの体験は、『なぜ僕は瞑想するのか ヴィパッサナー瞑想体験記』という書籍に詳しく書かれています。この本の内容は、僕が10日間で体験した内容とほとんど同じなので、興味がある人はぜひ読んでみてほしいです。

 数年前のヴィパッサナー瞑想との出会いのファーストインパクトに続いて、想田さんによるセカンドインパクトがあり、これは行けということか! とメッセージを受け取った気になりました。今回は、なんとかしてスケジュールを確保することを考えながら、ヴィパッサナー瞑想センターのホームページを開いて日程を確認しようとしたところ、コロナ禍の影響で全ての修行が中止になっていた時期でした。行けというメッセージは勘違いだったのか、と思いつつ、勝手に焦らされている気分になり、諦めきれなくて時々ホームページにアクセスするようになりました。そうするうちに、ついに修行のコースが再開されたことを知り、何度かコースに申し込もうとしました。でも、例えば年末年始のようなまとまった休みが取りやすい時期はすぐにキャンセル待ちになってしまい、なかなか申し込めず、焦らすねぇ・・・という気持ちが大きくなっていきました。僕は知らなかったのですが、合宿に参加したい人はとても多いのです。それに加えて、コロナ禍で参加人数が絞られていたことも、この焦らしに影響していました。おあずけされるほどに、行ってみたい気持ちは膨らむものです。僕は引き下がらず、申し込み日時ちょうどに申し込みボタンをクリックするという、大人気の落語やライブのチケットをどうにかして手に入れようとする時の、本気のスイッチを自分に入れました。

 僕はこの春から、色々な事情があって働き方が変わり、元の勤務先には非常勤の形で勤務しているものの、一度退職の形をとりました。もしかしたら、この変化のタイミングくらいしか11泊12日の修行日程を確保できる時はないかもしれません。そのタイミングに合うスケジュールのコースの申し込みボタンを念を込めてクリックしたところ、ついに申し込めました。

 こんな流れで参加を決めたのです。振り返ってみると、ヴィパッサナー瞑想に参加したい純粋で強い気持ちがあったというより、ないようであるかもしれない流れに導かれたというのが本当のところかもしれません。最初になんとなく気になった時の残り香に、セカンドインパクトが重なり、その後、新型コロナウイルスと協働した焦らし作戦にあい、半ばムキになって参加する権利を手に入れたという流れです。気づけば、どんなコースかほとんど知る前に、あの過酷なコースの参加を決めていたのです。参加が決まってから少しずつ調べるうちに、あれあれ? 行くという選択でホントにオッケー? 無理でないかい? という自問自答をすることが多くなりました。

コース参加前

 ヴィパッサナー瞑想の10日間コースのことは、想田さんの本をはじめ、調べると色々な人がブログや動画で紹介しているので、ここでは体系的な説明はしませんが、状況的に、かなり削ぎ落とされた環境で過ごすことになります。10日間に加えて、コースにチェックインする日とチェックアウトする日を合わせて約12日間、他人から見ればこの世から消え、自分としてはこの世で慣れ親しんだものを概ね手放すことになると言っても大げさではないかもしれません。

 まず、携帯電話などすべての通信機器を預けるので、外との連絡は一切取れません。電話もつながらないし、メールも一度もチェックできず、社会の動きを知ることもできません。ほとんど伝わる人はいないかもしれませんが、個人的には、コースから帰ってきたらNBAのレギュラーシーズンが終わり、プレイオフの開始直前だったのは驚きました。コース参加前はまだレギュラーシーズン真っ最中な気分で試合を観ていたのに、いつのまにかプレイオフ。ワープした!? という感覚は初めて経験するものでした。
 さらに、何かを読む、メモとして書き留めるなどの読み書きも一切できません。僕はこれを知った時、とても不安になりました。SNSなどには疎いので、通信関係は10日程度であればなくても大丈夫だろうと思えましたが、読み書きができないという状況に10日以上も身を置いたことはないし、普段自分の近くにあるものだけに、それがない生活が想像できませんでした。
 極めつけは、参加者同士で会話を一切せず、ジェスチャーなどのコミュニケーションもせず、目も合わせないという「聖なる沈黙」です。同じ場所に10日も一緒に暮らしているのに自己紹介も挨拶もしない、食堂で食べ物や飲み物を取る時にうっかりぶつかりそうになっても何のジェスチャーもしない、などは実際に経験しましたが、今考えると不自然なことです。「笑ってはいけない◯◯」というテレビ番組がありましたが、「喋ってはいけない瞑想センター」というのを連想しました。万が一、こっそりとでも喋ってしまえば何かされるなどの仕組みだったらどうしよう。でも、そんな仕組みだったとしても、人といるからには喋りたくなるものではなかろうか。それを自分は我慢し切ることができるのだろうか。こういった不安も大きなものでした。

 総じてみると、10日間はネットや書物で新たな情報に触れて思考を巡らすことも、メールや対話やSNSで他人とコミュニケーションすることもできません。孤独な修行・・・。これらをつけ焼き刃的に調べれば調べるほど、10日間も続ける自信がなくなり、大きな目的もなく参加していいのか、とか、よく分かっていないのに行くのは失礼ではないか、など、様々に弱気な考えが湧いてきて、キャンセルする? という、申し込みに必死になっていた時には考えてもみなかったアイデアも頭をかすめました。でも、ヴィパッサナー瞑想の報告を文章や動画でしてくれている人はみな、行ってよかったと言っているのです。少なくとも、とてつもなく危険というわけではないらしい、それにあんなに焦らされて必死で申し込んだんじゃないか、やらずにやめたら後悔するかもしれないぞ、などいろいろな形で自分を鼓舞しながら、なんとか気持ちを保っていました。

10日間のコース 自分の外のものをできるだけなくす

 実際にコースが始まると、最初の方に指導されることは、10日間、集団で過ごすものの、修行は一人で行う気持ちが大切だということです。そのために聖なる沈黙があったり、外とのつながりや読み書きなど、外部との刺激の出入りの一切を断つことが必須なのです。

 僕は知りませんでしたが、世の中には無数に瞑想法があるそうです。ある言葉をマントラのように唱え続けるとか、崇拝する神様など何かしらのイメージをひたすら描くなど、瞑想の形は多種多様に存在すると、修行中の講話で聞きました。そんな中でヴィパッサナー瞑想は言葉もイメージも使わず、とにかくからだの感覚に気づくように、からだの各部位に順番に意識を集中させて観察し続けます。マントラもイメージも、自分の外のものと言えると思いますが、外のものを一切使わないというのがヴィパッサナー瞑想の大きな特徴です。これは恐らく、聖なる沈黙を守ってコミュニケーションを断つことや、読み書きもネットもしないで外からのインプット、アウトプットをなくすことにもつながっています。

 瞑想で自分の感覚を観察し続け、気づき続ける段階にもいくつかありますが、どの段階でもやっていると、すぐに絶え間ない雑念が湧いてきます。それはまるで川の流れのようで、湧き始めると流されないようにするのはとても大変。いくら気をつけていても気づいたら流されていて、感覚の観察なんてまるでせずに何かのことを夢中で考えてしまう時間の方が多いくらいでした。そんな時に、マントラやイメージがあると、まさに藁にもすがるように、流されないための頼りになるのだと思います。マントラを唱えたり、イメージを保ったりすることで集中の軸のようなものができて、雑念に流されにくくなるのです。でもこれは、自分の感覚を観察し続けるのではなく、唱えたりイメージすることに集中していることになります。
 ヴィパッサナー瞑想の修行では、頼りになりそうな自分の外のものをできる限りなくして、自分の感覚に気づくことだけを目指せるようにセッティングされているように思います。だからこそ過酷で、しばらくは何が何だか僕は掴めなかったわけですが、この瞑想法でしかこころの深いところから穢れを減らす「こころの手術」はできない、と講話では指導されます。

 こころの手術・・・。なんとインパクトの強い言葉なのでしょう。1日の終わりに1時間半ほど流される講話を毎日聞くのですが、その中でこの言葉が出てきた時、えらいこっちゃ! と思わず言いそうになりました。聖なる沈黙があるので言えないし、そもそも、えらいこっちゃなんてセリフはほぼ使ったことがないのにどうしてだろう。

大切だと思った3つのこと

 僕がヴィパッサナー瞑想のコースに参加して、最も大切だとコース中に何度も言われ、確かにそうだ、と感じた3つのことがあります。1つは先ほどから書いている、自分のからだの感覚を観察し続け、すべての感覚に気づくということです。瞑想を段階的に行っていると、徐々にとても微細な感覚を感じるようになります。最初の数日は自然な呼吸に全ての意識を集中させ、呼吸をする鼻やその下の狭い部分の感覚に集中し続ける「アーナーパーナ瞑想」を行います。しばらくは、息が入って出ていくくらいしか分かりませんが、雑念に何度も何度も流されながらも続けていると、呼気と吸気の温度って違うなぁ、とか、鼻の中って時々小さい虫が走る感じがするなぁとか、普段全く着目しない感覚に気づくようになります。3日半、このアーナーパーナ瞑想を続けた後、ヴィパッサナー瞑想を行う段階に入ります。簡単に書いていますが、呼吸と、鼻やその下の狭い部分の感覚のみに集中し続けることを、1日10時間以上、3日半も続けるって、今考えると相当な苦行です。それができてしまう瞑想センターは、やはり異世界のような場所なのだと思います。3日半アーナーパーナ瞑想を行うと、相当細かく微細な感覚に気づくことができるようになります。鼻にもその下の狭い部分にも、なんだか電流が流れているような、細胞が細かく振動しているような感覚をとらえるようになるのです。

 ヴィパッサナー瞑想では、頭のてっぺんから足の先まで、すべての感覚を見逃さずに観察し続けます。それまで、鼻とその下の狭い部分のみでやっていたことを、精度は保ったまま全身で行うということかなと僕は思っています。でも、いきなり全身の感覚をエイ!っと細かく感じられるわけはないので、最初は、からだのすべてを狭い部分に分けて、順番に調べていくような感じで続けます。そうすると、アーナーパーナ瞑想で鼻やその下の狭い部分で感じたような細かい感覚が、全身に絶え間なく流れているような感覚になる瞬間が生まれます。

 この経過の中に、とんでもない辛さがありました。僕はコースに参加するまで瞑想はほとんどせず、運動もストレッチもしておらず、からだがものすごく硬いです。簡単にあぐらをかける人と比べて、長時間座って瞑想を行うことの難易度が大きく違うのではないかと思っています。アーナーパーナ瞑想の段階では、何度でも足を組み替えたり、座り方自体を変えて良いと言われていました。それでも、瞑想ホールで瞑想する他の人たちは、ほとんど動かないので、我慢が続けられない自分に相当なプレッシャーを感じていました。その中で、僕の隣の外国の人だけは何度も足を組み替え、時には瞑想用の座布団の上に仁王立ちしたりもしていたので、唯一の同志と考えて、「辛いよな、頑張ろうな」と声に出せない声がけをしていました。でも、やがてヴィパッサナー瞑想に入ると、コース前に読んだとあるブログに書いてあった、とても辛い時間がやってきました。

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ミシマガ編集部
(みしまがへんしゅうぶ)

編集部からのお知らせ

この連載が本になりました!

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 本連載をもとにした『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』が2021年2月に発刊されました!
 刊行を記念して、装画を担当された榎本俊二さんや、人類学者の磯野真穂さんとの対談イベントがおこなわれ、その一部が文章としてミシマガに掲載されています! ぜひご覧ください。

【榎本俊二×星野概念 『ムーたち』ラブな精神科医と榎本俊二の妄言対談】

ミシマガ記事はこちら

【磯野真穂×星野概念 「病む」と「治る」ってなんだろう。~精神臨床と医療人類学の話から~】

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