スポーツのこれから

第4回

アスリート・アクティビズム

2021.07.19更新

 緊急事態宣言下のなか、東京オリンピック・パラリンピック(以下東京五輪)がまもなく開幕を迎えようとしている。開会式を数日後に控えたいまもなお現実感が乏しいのは、おそらく僕だけではないだろう。続々と入国する外国人選手団、スポンサー車両が連なる聖火リレーの様子など、五輪関連のニュースを目にするたびに心が揺れる。僕が住むこの国はいったいどうなってしまうのか。その憂いが頭をもたげてきて気分が陰鬱になるのを、どうにも止めることができない。

 東京をはじめとする首都圏では早くも感染拡大の兆候がある[1]。選手団をはじめ外国からたくさんの関係者が来日する東京五輪がこのまま開催されれば、感染者が増大するのは必至である。人工呼吸器が足りなくなるなど医療の逼迫度合いが増せば、社会不安はよりいっそう高まる。東京五輪後の「アフター・オリンピック」は、どのような眺望が広がっているのだろう。どれだけポジティブに想像しても、暗澹たる光景しか僕の脳裏には浮かばない。

 あらたに新型コロナウイルスに感染する蓋然性が高まり、感染によって健康を損なう人も命を落とす人も増えること。そして「ギリギリのところでなんとか踏ん張っている人たち」は、感染収束の見通しが立たずこの先も不自由な生活が続いて心が折れてしまうこと、それらが心配でならない。人生をかけて競技に打ち込むアスリートには申し訳ないが、おちおち彼、彼女らのパフォーマンスに酔いしれるなんて到底できそうもない。

 現役アスリートをはじめとするスポーツ関係者は、東京五輪の是非をめぐって自らの意見を積極的に発信するべきである。かねてから僕はそう主張し続けてきた。その理由は、スポーツイベントであるオリンピックに関わる当事者として、その責務があると考えるからだ。

 パンデミックのさなかにあって多大な感染リスクが見込まれる大会の開催を、国民同士が肩を寄せ合いながら生きる社会の一員としてどう考えているのか。「復興五輪」や「アスリート・ファースト」「レガシー」「コロナに打ち勝った証」や「夢や感動を与えて絆を取り戻す」など、そのときどきでころころ変わり、空語でしかないスローガンをどのように感じているのか。「バブル方式」が穴だらけで感染対策がきわめて杜撰であることに不安は生じないのか。少し時を遡れば2019年に日本オリンピック委員会が理事会を非公開にしたことに異論はないのかなど、挙げていけばキリがない。

 自らが依って立つところの事象に対して意見を発することは、スポーツに限らずとも民主主義社会を生きる「おとな」として当然のことである。なのにスポーツ界からはほとんど声は上がらない。

 慣習的(あるいは惰性的)に4年に1度のスケジュールで行われてきた、あくまでも平時における「お祭り」であるオリンピックを、あらためて問い直すためには当事者の意見は不可欠である。世論の大半が反対の意を示し、大会そのものの意義が揺らいでいるにもかかわらず、時が過ぎ去るのをただ待つかのようにダンマリを決め込む態度は、きわめて特異であると言わざるを得ない。

 ただ一方で、決められたルールの枠内から出ることなく権力上位者に逆らわないという、長らくスポーツ界に蔓延している「慣習」を思えば、このダンマリは理解できなくもない。まるで大気圧のようにのしかかるこの「慣習」への抗い難さを、スポーツ経験者として身をもって知っているからだ。

 スポーツ界に身を置く人間が批判的な意見をどれだけ口にしづらいかはよくわかる。それでもなお口にすべきだと僕が主張するのは、いまこそスポーツは変わらなければならないと思うからである。何度も言うが、スポーツはいま、存続の危機を迎えているのである。

 なぜアスリートをはじめとするスポーツ界から意見が聞こえてこないのか。神戸大学の小笠原博毅氏は、社会的な発言に二の足を踏むアスリートの心的構造は歴史的につくられたものだという[2]

 歴史を振り返ってみよう。

 1968年のメキシコ五輪で陸上男子200mに出場したアフリカ系アメリカ人のトミー・スミスとジョン・カーロスは、当時の世界新記録で金メダルと銅メダルを獲得した。表彰台に立ったふたりはうつむきながら黒い手袋をした拳を高く突き上げ、世界に蔓延る人種差別への抗議を示した。国人公民権運動の象徴である「ブラックパワー・サリュート(黒い拳を高く掲げる敬礼)」を行ったのである。

 ふたりはシューズを脱いで表彰台に立った。スミスは黒いスカーフをまとい、カーロスはビーズのネックレスを着けていた。「シューズを脱いだ」のは南部の子供たちの貧困を、「黒いスカーフ」は奴隷船から投げ出されてサメの餌になった者たちを、「ビーズのネックレス」は南部で縛り首になった者たちを表現したのだと、カーロスは後年に説明している。彼らは『歴史のなかで忘却され、誰にも祈りを捧げられなかった者たちの追悼を表現していたのである[3]』。

 また、同種目で銀メダルを獲得し、彼らとともに表彰台に立った白人のピーター・ノーマンも、「人権を求めるオリンピック・プロジェクト」のバッジを胸につけて彼らに賛同を示した。成城大学の山本敦久氏はこの抵抗運動について、「黒人アスリートがメダルを獲得したとしても、黒人コミュニティの貧困や教育・医療環境がよくなるわけではない。オリンピックという擬似的な世界で英雄視されても、アメリカに戻れば、白人と同じレストランやバスやトイレを使うことすらできない。自分たちは、アメリカの白人支配層のために日々血や汗を流しているのではないか。こうした理想と現実の乖離のただなかで沸き起こってきたのがオリンピックに反対する黒人たちの運動であった[4]」と述べている。

 社会に変化をもたらすために特定の思想に基づいて意図的な行動をとることを、アクティビズム(積極行動主義)という。当時のアスリートのなかにはトミー・スミスやジョン・カーロス、そしてピーター・ノーマンのように、社会問題を自分事として捉え、意思表示を積極的に行うアクティビストがいた。

 彼らと同じか、それ以上に有名なのは、元ボクシング選手のモハメド・アリだ。

 1960年のローマ五輪で獲得した金メダルをオハイオ川に投げ捨ててオリンピックが抱える理想と現実の矛盾を知らしめ、人種差別と闘った。白人支配者層を公然と罵り、世界に離散した黒人ディアスポラたちの連帯を叫んだ。ベトナム戦争への徴兵を拒否して、社会に反戦を訴えかけた。彼の叫びはいまもなおこの世界にこだましている。

 身を挺しての彼らの抵抗運動はスポーツ研究者のあいだではすでに共有されている。研究者のみならず当時を生きた人およびスポーツ史に明るい人には知られているだろう。彼らの行動はそれだけのインパクトがあった。だが時代が下るにつれて忘却の彼方に追いやられようとしているのもまた事実である。歴史とは、ことあるごとにこうして呼び覚まし、いまをよりよく生きる知恵を汲み出すためにある。

 彼らの勇敢な行動はおもに美談として語られがちだ。

 だが、それでは不十分である。 

 この物語には続きがある。

 僕が本当に伝えたいのはここからだ。

 勇気ある行動に出た彼らはその後をどのように生きたのか。

 それが問題だ。大きな大きな問題である。

 ジョン・カーロスもトミー・スミスも競技資格を剥奪され、陸上界から追放された。ピーター・ノーマンも黒人側に立ったことをバッシングされ、陸上界に戻ることなく命を落とした。モハメド・アリもまた世界タイトルを剥奪され、ボクシングライセンスまでも失って禁固5年という重刑を宣告された。最高裁で逆転判決を勝ち取るまでのあいだの、ボクサーとしての全盛期の4年間を、アリは失うこととなった。

 これまでオリンピックは、政治的なパフォーマンスをするアスリートに対して厳しい制裁を加えてきたのだ。そしてその姿勢はいまも変わっていない。

 2020年1月に国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は、東京五輪で政治的なパフォーマンスなどを禁止するとあらためて強調した[5]。ソーシャルメディアでの個人アカウントや公式メディア会見で政治的見解を示すことは認めているものの、従順なアスリートならばこのメッセージに込められた政治的および社会的な発言をするなというニュアンスを読み取るはずだ。

 多くを語らず競技だけに打ち込むのがアスリートの役割だという心的構造は、こうして長らくの時間をかけて形成されてきた。政治的なパフォーマンスをしたアスリートを容赦なく罰することによって、その口を封じ込んできた。

 アスリートだってひとりの人間なのだから、そのときどきの社会情勢や政治的な出来事に対してなんらかの意見を抱いて当然だ。自らも含めて周囲の人間にシンパシーを感じ、その不遇や不幸を憂いて矢も盾もたまらず行動に出たことは本来なら罰せられるべきことではなく、社会的弱者の気持ちを代弁したという意味ではむしろ歓迎すべきである。

 アスリートはパフォーマンスだけしてればいい。政治的な発言をするのはおかしい。怒りすら込めてそう主張する人たちは、実はIOCが長年かけて仕組けた「アスリートの沈黙」の影響を受けているだけではないだろうか。

 一縷の望みはある。テニスの大坂なおみ選手だ。

 憶えている人は多いだろうが、大坂選手は2020年の全米オープンテニスで、黒人犠牲者の名前が書かれた黒いマスクを着けて会場入りした。いまだにアメリカ社会で続く人種差別を意識した行動であることは論を俟たない。彼女の行動は瞬く間に世界に広がり、称賛の声があふれた。社会問題に鋭く切り込んだ彼女の選手生命はいまも脅かされてはいない。時代は確実に変わりつつある。だからこそパンデミックが五輪幻想を雲散霧消にしつつあるいま、アスリートは積極的に発言すべきだし、各競技団体に属する元アスリートもまた、当事者としてなんらかの見解を示さなければならない。開催都市やその国家に「災害規模の負担」をかけるオリンピックそのものを解体するために。

 元日本オリンピック委員会(JOC)理事の山口香氏は、組織の中にいながらも以下のような勇気ある提言をしている。

選手たちも五輪と向き合ういい機会だ。国民がこれだけ『今回は無理ではないか』と叫んでも、強硬に開催する理由を言えるだろうか。(...)選手にはこの経験を糧に言葉を持ち、議論できる人間に成長してほしい。そして再び心から応援してもらえるスポーツ界に変えていく気概を期待したい[6]

「再び心から応援してもらえるスポーツ界に変えていく」という文言には、スポーツ界の現状に対する危機感が表出している。心から応援してもらえなくなったいまのスポーツ界を変えるために、僕たちは行動しなければならない。歴史の要請から自由になるためにはことばをもつことが必要だ。大坂選手の行動がおもにソーシャルメディアを通じて広がったこと、またIOCもそこでの発言は認めていることからも、まずはスマホやパソコンの画面のまえで「気概」をみせてはどうだろう。

 日本におけるスポーツは、いま、帰路に立っている。その自覚と危機感を持つ人がどれだけいるかで「アフター・オリンピック」の世界は変わる。スポーツ界に蔓延る旧態依然の体質を拭い去るために、奇しくもコロナ禍が与えてくれたこの機会を活かさない手はない。

 わずかでもいいから声を上げよう、行動に移そう。感動を届けられる存在だと自負するのであれば、その一言やその一歩にも影響力があることを自覚してほしい。そして、メディアをはじめとする世論が、その一言やその一歩を真摯に受け止める。アスリートの自覚と、彼らの発言や行動を批難しない空気を作る。そうしてアスリート・アクティビズムを再び活性させることが、スポーツの刷新とこれからの発展につながると僕は思う。


【参考文献】
小笠原博樹 山本敦久編 『反東京オリンピック宣言』 航思社 2016年
天野恵一・鵜飼哲編 『で、オリンピックやめませんか?』 亜紀書房 2019年

【注釈】
*1:7月13日時点で東京都の実効再生産数は1.21(『東洋経済オンライン』2021年7月14日確認)。1週間当たりの感染者数が前の週の1.2倍前後になる状態が2週間以上続いており、急激な拡大が懸念される状況になっている(『NHK NEWS WEB』2021年7月12日)。
*2:6月23日全国・全世界同時行動『今がやめ時、オリンピック即刻廃止!』(https://note.com/posken/n/n8f8b6dd2ed51)
*3:小笠原博樹 山本敦久編『反東京オリンピック宣言』航思社 2016年 p.235
*4:同上書 p.235
*5:『AFP BBNEWS』2021年1月11日
*6:『神戸新聞』2021年6月1日

平尾 剛

平尾 剛
(ひらお つよし)

1975年大阪府出身。神戸親和女子大学発達教育学部ジュニアスポーツ教育学科教授。同志社大学、三菱自動車工業京都、神戸製鋼コベルコスティーラーズに所属し、1999年第4回ラグビーW杯日本代表に選出。2007年に現役を引退。度重なる怪我がきっかけとなって研究を始める。専門はスポーツ教育学、身体論。著書に『近くて遠いこの身体』『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)、『ぼくらの身体修行論』(内田樹氏との共著、朝日文庫)、監修に『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)がある。

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