スポーツのこれから

第6回

パラリンピックの意義

2021.09.19更新

 東京パラリンピック(以下「東京パラ」)も終わった。パンデミックによる1年の延期を経て、反対論が渦巻きながらも強行開催した東京五輪・パラリンピックは、すでに過去のものとなった。世間の関心は新型コロナウイルスの感染対策に否応なく引き戻され、自民党総裁選挙の行方とその後に控える衆議院解散総選挙に移りつつある。

 どんなことでも終わってしまえば関心が薄れゆくのは人の常だ。両大会の開催の前と後で、日常生活にさほど変化がなかった人はとくにそうだろう。だが、振り返りは必要である。よりよき未来を描くためには過去の検証を怠ってはいけない。

 前回は東京五輪を振り返って、スポーツとオリンピックは切り離すべきだと提案した。スポーツを「絵」だとすればオリンピックは「額縁」であり、それがどれだけ過剰に設えられているかを指摘したわけだが、これはパラリンピックについても同様である。

 それを受けて今回は、パラリンピックという「額縁」で縁取られた「障害者スポーツ」という絵画の素晴らしさについて書いてみたい。
 

 私が考えるパラリンピックの意義は、障害者の存在が身近に感じられることである。

 パラリンピックの様子を伝える映像は、私を含め普段の生活で障害者に触れる機会が少ない人たちに強烈な心象を残す。腕や脚の欠損、全盲など障害を持つ人たちを目の当たりにし、自分が生きるこの社会には障害者がいるという現実が突きつけられる。

 もちろん障害者の存在は、ほとんどの人は頭では理解しているはずだ。とはいえ常日頃から意識しているわけではなく、車椅子に乗る人を街で見かけたときなどにリアリティを感じるくらいだろう。友人にいる、家族にいる、関連施設で働いているなど、日常的に障害者と接している人を除く大半の人は、障害者を「こことは隔たったところにいる人たち」として認識しているのが常ではないだろうか。

 2011年にWHO(世界保健機関)と世界銀行が共同で行った調査によれば、全世界の人口の15%になんらかの障害があるとみられている[1]。そのうちの80%が低・中所得の国に暮らしていることから、障害者はここ日本においてはとくに圧倒的な少数者である。

 パラリンピックは彼らの存在をクローズアップし、普段、障害者と接することが少ない人たちがその存在を体感的に知る契機となる。ここに大義があると私は思う。

 東京パラを通じて私が印象に残ったのは、パラアスリートには「社会とのつながりを明確に認識している人が多い」ということだった。東京五輪に出場するアスリートに欠落していると感じていた「社会へのまなざし」を、パラアスリートはしっかり持っている。試合後のインタビューやそれを報じるニュースからはそれが強く感じられた。

 たとえば、走り幅跳びで自らが持つ世界記録を更新して優勝し、200m(義足T61)も制して2冠に輝いたヌタンド・マーラング選手(南アフリカ)である。

 生まれつき両脚の骨に障害があるマーラング選手は、車いす生活だった10歳のときに「義足なら走れるようになる」からと反対する両親を説得して、太ももから下を切断した。

 自分をいじめるやつを見返してやるというルサンチマンから始まった挑戦は、やがて社会における自らの役割を見つけるに至る。「アフリカ中の障害者が健常者と同等に扱われるようにしたい。国を変えるのに大統領になる必要はない。ただの人であっても、変化を起こすことはできる」と、故郷アフリカに色濃く残る、障害者の活躍の場を狭める意識を変えることを彼は目指している[2]

 記録を伸ばすことを通じて社会の変革を促すメッセンジャーとしての自覚が、彼にはある。そう自覚する彼の存在は、自らの不遇を受け入れようと努める障害者には「眩しく」映るだろう。


 もうひとりは、陸上女子400m予選(視覚障害T13)に出場したモニカ・ムンガ選手(ザンビア)だ。彼女は「アルビノ」である。「アルビノ」とは生まれつき髪や肌の色素が薄い遺伝子疾患で、弱視などの視覚障害や肌が紫外線に弱く日焼けしやすいなど、運動には不向きな症状がともなう。

 それでもなお彼女が競技を続ける理由は、「もう殺される人は見たくない」からである。アフリカではアルビノの身体の一部を得ると幸運になれるという迷信があり、いまだにアルビノ狩りがなくならないという。国連人権高等弁務官事務所は、2006年から2019年のあいだにアフリカ28カ国で208人が殺害、585人が襲撃され、なかにはなたで殺されたり手足を切断されたり、儀式のためにレイプされたケースもあると報告している。被害者の多くは女性や子供である。

 ムンガ氏の母国ザンビアでは、アルビノの子が生まれないように、アルビノに出くわしたらシャツにツバを吐かなければならないという迷信もある。また隣国のタンザニアでは切断された身体を高値で売買する人が後を断たず、四肢や生殖器、耳、鼻、舌などが680万円ほどで取引されている現実がある[3]

 身の危険が迫りながらも「走ることが偏見をなくすキャンペーンになれば」と自らを奮い立たせて練習に励み、有名選手になったことでアルビノ狩りの標的にされなくなったムンガ氏は、「スポーツができることを示して差別をなくしたい」という。

 彼女もまた社会の変革を促すメッセンジャーとしての役割を、強く自覚している。

 彼女を知るまでアルビノにまつわる悲劇を知らなかった私は、彼女の存在を通じて目を覆うような現実に気づくことができた。気づいたところで直接的になにができるかは、心もとない。だが無知のままではなにも変わらない。知ることこそが改革への第一歩だ。だからメッセージを受け取った者の義務として、せめてこうして文章に認めることで世間に向けて現実を直視するよう促しておきたい。
 

 さて、ここでもう一歩踏み込んでパラリンピックの意義について考えてみる。

 パラアスリートからのメッセージを私は好意的に受け取った。差別という社会矛盾を解消すべく、自らの経験に裏打ちされた強い意志をそこから読み取った。それに触発されて、いまの自分になにができるのかを問いかけるきっかけにもなった。

 障害者が活躍できる場を広げるために競技に打ち込むマーラング選手と、アルビノへの迷信を打ち砕き、これ以上は死者を出さないという決死の覚悟を決めたムンガ選手が背負うものの大きさは、とてもじゃないけど想像がおよばない。つねに死と隣り合わせて生きてきたムンガ選手の半生を思うとき、いままでどれだけ自分が守られてきたのかを痛感する。これまでの苦悩が実にちっぽけだったと幾分か肩の荷が下りる気持ちになる。

 彼らの存在はそうして私を勇気づけてくれる。

 だが、もしかするとこう思うのは私だけかもしれない。健常者として生まれたからこそ感じられることなのかもしれない。というのも、パラアスリートの存在が当の障害者に及ぼす影響は実に複雑だからである。

 アルビノのライターである雁屋優氏は、当事者としての複雑な胸の内を記事にしている[4]

 東京パラでは、アルビノであるゴールボールの欠端瑛子選手、トライアスロンのスサナ・ロドリゲス選手(スペイン)、先に述べたムンガ選手らの活躍を観て、「自分事のように誇らしく思えた」という。スポーツそのものへの思い出がよくないにもかかわらずそう思えたのは、「パラアスリートによって、私の持つ『アルビノだから、できない』という呪縛が、力強く解かれている」からなのだと。

「アルビノのパラアスリートと私は完全に同一ではないが、近しく思える。自分の『ありえたかもしれない可能性』を示されて、誇らしい」。

 ただ雁屋氏はこのあとすかさずこう述べる。

「同時に、複雑な思いもある。私は、パラアスリートのように、強くもなければ特別でもないからだ。私は、あんな風にはなれない。そのこともわかっているからこそ、劣等感にさいなまれる」。

 これは以前、聞いた話と重なる。

 数年前、私はブラインドサッカー協会から依頼されて視覚障害のある小学生にラグビー指導をした。普段、伸び伸びとからだを動かす機会のない子供たちにそれを提供したい。種目を問わずさまざまな競技に取り組むことで心身を解放してあげたい。こうした関係者の強い思いから私に白羽の矢が立ったのだが、そのときに聞いたのは、パラアスリートによる超人的なパフォーマンスは障害者に精神的なプレッシャーをかけることにもなる。だからパラリンピックの開催には専門家や現場で働く人たちのあいだでは常に賛否両論がつきまとうということだった。

「誇らしい」のと同時に「劣等感にさいなまれる」。この引き裂かれた思いを当の障害者が感じていることには、想像をおよぼしておきたい。

 記事の最後で雁屋氏は、この二律背反を乗り越えるための提言もしている。

「自らの可能性を閉さないこと」を大切にした上で、「本人や周囲の人たちが、医師や体育研究者をはじめとした専門家や、先輩当事者に相談するなど情報収集して、『どうしたらできるのか』を模索していくことで、可能性は広がるだろう」と。

 私たち健常者にできることは、パラアスリートの活躍ばかりに目を奪われることなく、それらを通じて当の障害者がどのように感じているのかに想像をおよぼし、その上でからだを使う機会を一緒になって考えることだと思う。当の障害者が自らの可能性を閉さないように、「どうしたらできるのか」をともに考えることこそが必要なのだ。ここまで深く掘り下げてはじめてパラリンピックには意義があるといえるのではないだろうか。

 パラリンピックは、パラアスリートがメッセージを発する機会であると同時に、受け取る私たちの感度と知性が問われるまたとない契機である。この「絵」としての価値を保つためにも金ピカに彩られた「額縁」は捨てて、あらたに運営の仕方を考え直す。そうして障害者スポーツの国際大会はこれからも継続していくのが望ましいと私は考えている。


*1「World Report on Disability 2011」『World Health Organization』
*2『毎日新聞』 2021年9月4日
*3『朝日新聞』 2021年9月2日
*4『withnews』 2021年9月4日

平尾 剛

平尾 剛
(ひらお つよし)

1975年大阪府出身。神戸親和女子大学発達教育学部ジュニアスポーツ教育学科教授。同志社大学、三菱自動車工業京都、神戸製鋼コベルコスティーラーズに所属し、1999年第4回ラグビーW杯日本代表に選出。2007年に現役を引退。度重なる怪我がきっかけとなって研究を始める。専門はスポーツ教育学、身体論。著書に『近くて遠いこの身体』『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)、『ぼくらの身体修行論』(内田樹氏との共著、朝日文庫)、監修に『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)がある。

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