スポーツのこれから

第18回

「胆力がある人」と「鈍感な鬼」

2022.10.19更新

 酷暑下でのスポーツ活動はすべきでないとしながらも、心身の発達やパフォーマンスの向上には厳しい環境が不可欠であると書いたのが、前回である。選手も指導者も、スポーツに求められるこの「厳しさ」を、その程度を見極めながら確保すべく試行錯誤しているのが現状で、だからこそ酷暑下での活動も暴力的な言動による指導も、いまだに続いていると思われる。スポーツの質を保持するためにはそれらをやめるべきだと一刀両断にするのはどうか。そう、躊躇している人は多いはずだ。

 私のなかにもある、たぶんに経験則に基づくこの心理的抵抗をいなすために、今回はスポーツに不可欠な「厳しさ」について書く。誤解の余地なく正しいものとしてスポーツ界に流布する「厳しさを乗り越えてこそ成長する」という物語を、少し立ち止まって検証してみたい。

 繰り返すが、スポーツには「厳しさ」が必要である。できないことができるようになるためには、いまの自分の能力をフルに発揮してもできないことへの挑戦が欠かせないからだ。これはなにもスポーツだけに限らず、「できる」から「できない」、あるいは「わからない」から「わかる」への跳躍には相応の困難がついて回る。成長を望むのであれば「厳しさ」から目を逸らしてはならず、むしろ乗り越えるべき壁として歓迎すべきである。

 できないことができるようになる、わからないことがわかるようになるためには、この壁をなんとかよじ登らなければならない。

 だが厄介なことにこの壁は、そのてっぺんが見えない。どれほどの努力をすれば乗り越えられるのか、その見通しが立たない。わずかなくぼみを見つけてはそれに手をかけ、少しずつゆっくり登るうちに、ふと気がつけば壁の向こう側に降り立っている。上達とはそういうものだ。「2時間の練習を1週間続ければよい」というような定量的な努力ではなく、いつどこにたどりつくのかはわからないままにただ目の前のことに取り組むという、まるで暗闇のなかを手探りで進むようなあがきが必要となる。

 視覚が働かない暗闇の只中ただなかでは、見えないことからくる不安や恐怖と向き合わなければならないし、その情況で前に進もうとすれば視覚以外の五感は研ぎ澄まされる。微かな音を聞き分け、わずかな匂いを感知し、風の流れや温度の変化を肌で感じながら、やや前屈みになって摺り足で進むことになろう。

 このとき心身は潜在する能力を発揮しようとする。限界を越えるためにジタバタとするそのプロセスを経て、意識されず潜んでいたその能力は顕在化する。

 見通しが立たないにもかかわらず手足をばたつかせる。これが身体能力を高める上では欠かせない「厳しさ」の本質である。

「窮鼠猫を噛む」や「火事場の馬鹿力」という俚諺りげんがあるように、追い込まれた状態でなんとか生き延びようとするのが生物であり、人間だ。誰も助けてくれず、自分ひとりの才覚でどうにかする以外に生きる道はないという情況になれば、生物としての人はその潜在能力を爆発的に発現させる。

 生物学的装置ともいえるこのメカニズムを肌身で知る経験者は、選手につい「厳しさ」を求めてしまう。たとえそれを引き立てるのが炎天下や暴言、暴力であっても、ある程度は必要なんじゃないかと完全には否定しきれない。むしろ結果的に選手の潜在能力を開花させるのだからという理由で、おおよそ、よしとしている。

 だが果たしてそれでいいのだろうか。

 思想家の内田樹氏は、人としての尊厳を顧みず、人格を全否定して追い込むスパルタ教育では「胆力がつかない」という。

たしかに人間を追い詰めると、恐怖や苦痛や不条理に対して「鈍感」にはなる。でも、入力に対して鈍感になることと「胆力がある」ことは違う。胆力があるというのは、極めて危機的な状況に陥ったときに、浮き足立たず、焦りもしないこと。どんなに破局的な事態においても、限定的に自分のロジックが通る場所が必ずあると信じて、そこをてがかりにして、怒りもせず、絶望もせず、じわじわと手をつけてゆく。とんでもなく不条理な状況の中でもむりやりに条理を通していく。胆力とはそういう心構えではないかと僕は思っているんです。頭に血が上って鬼になってしまうということと胆力があるということは方向がまったく違う[1]。

「厳しさ」を乗り越えれば人としてタフになる。これはおそらく誰もが経験し、理解している。だがそのタフさにはふたつの側面があると内田氏は指摘している。

「胆力がある人」と「鈍感な鬼」である。

 理不尽だらけの「厳しさ」では胆力が身につかず、感性が鈍く感情が制御できない鬼を育てることになるというこの見立ては、実に的を射ていると私は思う。心身ともに追い込まれた情況で身につくタフさにはこうした負の側面があることを、私たちは自覚しておかなければならない。

 恐怖や苦痛、不条理を感知する力は誰しもに備わっている。怖いと感じるからこそ慎重に事に当たれるし、苦痛や不条理はすべからく取り除かなければ時間とともに心身は擦り減ってゆく。

 もし恐怖や苦痛、不条理に鈍感な個体がいたとすれば、それが「早死に」するのは自明である。身に迫る危険を感知できないのだから畢竟ひっきょうそうなる。怖いもの知らずの無鉄砲さは大怪我を避けられず、苦痛や不条理に歯を食いしばって耐える状態は徐々に生命エネルギーを枯渇させるからだ。ここから考えると、恐怖や苦痛、不条理を感知する力は、生きる力そのものだといえる。恐怖や苦痛、不条理をなんとか解消すべく感情を制御しながら思考を重ねつつ粘り強く事に当たらなければ、私たちは長生きすることができない。

 内田氏のいう胆力は、この生きる力と重なり合う。

 冒頭に戻ろう。

「厳しさを乗り越えてこそ成長できる」のは確かにそうである。生ぬるい環境で人が育たないのは紛れもない事実だ。ただ、だからといって理不尽さで心身を追い込み手っ取り早くこしらえた「厳しさ」を選手に課すのは違う。「鈍感な鬼」が育つからである。そうではなく、胆力すなわち生きる力が身につくような質の高い「厳しさ」を模索する。これがこれからのスポーツの課題だといえるだろう。

 頭がボーッとするほどの酷暑下でなぜ練習や試合を行うのか。

 退屈な反復練習を押しつけるだけの一方的な指導は、スポーツ指導と呼べるのか。

 痛みが激しく十分にパフォーマンスができないにもかかわらず無理をして試合に出なければいけないのはなぜか。

 心がこもっていないかたちだけの挨拶に意味はあるのか。

 なぜ丸刈りにしなければならないのだろう。

 たかだか数年長く生きているだけでそんなにエラいのか。

 始めたばかりのころに感じていた楽しさはいつ失われたのだろう。

 指導者を怖がりながらプレーするのはおかしくないか。

 レギュラーになるには仲間を蹴落とさなければならないのだろうか。

 恐怖や苦痛や不条理を前にして葛藤する選手の内面を忽せゆるがにしない。安易な解決法を与えず自らの力で乗り越えるための「余白」を、全力で確保する。選手が自ら導き出した結論を尊重し、自発的にその一歩を踏み出すまで、じっと待つ。こうした気配りのうえに築かれる<厳しさ>をこそ、私たちは追求しなければならない。ただでさえ選手は暗闇のなかを歩くようなもどかしさを感じているのだから、それに寄り添い、励まし、ときに叱咤しったする。この絶妙な匙加減さじかげんに、そばに立つおとなが心を砕けばスポーツは変わる。

 繊細かつ大胆な人物が育つ。そんな<厳しさ>を私たちは追い求めなければならない。感性を鈍磨どんまさせ、生きる力を削ぐ「厳しさ」の元凶である酷暑や暴力など、もってのほかなのである。


[1] 『セオリービジネス 教える力、育てる力』 講談社 2009年

平尾 剛

平尾 剛
(ひらお つよし)

1975年大阪府出身。神戸親和女子大学発達教育学部ジュニアスポーツ教育学科教授。同志社大学、三菱自動車工業京都、神戸製鋼コベルコスティーラーズに所属し、1999年第4回ラグビーW杯日本代表に選出。2007年に現役を引退。度重なる怪我がきっかけとなって研究を始める。専門はスポーツ教育学、身体論。著書に『近くて遠いこの身体』『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)、『ぼくらの身体修行論』(内田樹氏との共著、朝日文庫)、監修に『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)がある。

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