スポーツのこれから

第20回

テクノロジーとスポーツ 

2022.12.26更新

 サッカーW杯カタール大会は、連覇を目指すフランスを下したアルゼンチンの優勝で幕を閉じた。日本代表はというと、ノックアウトステージの初戦でクロアチアに敗れ、「史上初のベスト8進出」という悲願達成にはまたしても至らなかった。とはいえグループステージで強豪国のドイツとスペインを下したのだから、その実力を如何なく発揮したといえる。負けたクロアチア戦もPK戦にまでもつれ込んだことを思えば、観る者には日本強しの印象を与えたはずだ。
 また4年後に期待である。

 思い起こせばこの度のW杯はピッチ外での出来事が物議を醸した大会でもあった。

 クローズアップされたのは、スタジアムなど関連施設の建設に関わる移民労働者の劣悪な労働環境である。猛暑のなかで多くの人が低賃金で長時間労働を強いられており、米人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は低所得者層の移民たちへの賃金未払いや制限的な労働慣行、原因不明の死亡を、批判した。英ガーディアン紙の調査によれば、2010年から2020年までに少なくとも6500人が死亡しているという。

 また、開催国のカタールでは同性愛を違法としている。当国の治安部隊がレズビアンやゲイなどの性的少数者を恣意的に逮捕しているとも報告されている。

 大会をめぐる人権侵害への告発や抗議行動が世界中で頻発したのである。

 招致から開催までに人権侵害が横行するこの事態は先の東京五輪を彷彿とさせ、スポーツメガイベントがいかに不正の温床となっているかが浮き彫りになった。莫大なマネーと政治的な思惑に翻弄されるスポーツビジネスの姿が白日の下に晒されたわけである。ことが人権侵害だけに決して目を逸らしてはならない由々しき事態であるが、この問題については他のメディアで書いたり話したりしているのでここでは深掘りしない。

 ピッチ外での事象に意を決して目を瞑り、あえてピッチ内に限れば、私が今大会で最も印象に残っているのは、「三笘の1mm」である。

 スペイン戦の後半まもなく、田中碧選手はチーム2点目のゴールを決めた。三笘選手がそれをアシストしたのだが、彼がまさにセンタリングを上げる瞬間のボールは相手ゴールラインを超えるか否かの微妙な位置にあった。いや、微妙というよりは、画面上で繰り返されるスロー映像ではどこからどう見てもエリア外に出ているように見えた。

 万事休すかと思われたが、VAR(Video Assistant Referee)の結果、わずかながらライン上にボールが残っていると判定されてゴールが認められた。

 サッカーでは、ライン上はエリア内となる。ボールがラインにふれるわずか1mmを、上空から映すカメラが捉えていたのである。

 これが決勝点となり、日本代表はW杯優勝経験のあるスペインに勝利を収めた。もしVARがなければどうなっていたのだろう。ラインを割っていたとみなされればゴールは取り消され、その後の展開は変わったはずだ。もしかすると勝敗の行方すら変わっていたかもしれない。

 つまり、ビデオ判定が勝敗を分つほどの重要な判定を担ったわけである。

 ビデオ判定というテクノロジーがスポーツのありようを少しずつ、でも確実に変えつつある。その象徴として「三笘の1mm」がある。

 昨今ではサッカーのみならず他競技でも積極的にビデオ判定が導入されているから、いまさらその是非を問うことはしない。ラグビーでも得点に絡むシーンや怪我の恐れがある危険なプレーに限ってTMO(Television Match Official)による判定が下されるし、テニスやバレーボール、野球もそうだ。

 サッカーやラグビーではレフリー主導でビデオ判定をするのに対し、この3競技では選手や監督がビデオ判定を求める権利を有する。判定に疑義が生じた際に選手や監督が審判にビデオ判定を要求するわけだ。

 いまやビデオ判定はこれらのスポーツに組み込まれており、その導入がスポーツそのもののあり方に深く影響を及ぼすようになった。試合時間が伸びる、あるいは流れが断ち切られて間伸びするなどの否定的な意見がありながらも、プレイヤーには公平性を、観る者にはわかりやすさを提供するとして、概ね好意的に受け入れられている。

 ビデオ判定のみならずさまざまなテクノロジーがスポーツに導入され、スポーツはそのかたちを変えつつある。

 有名どころでは、近年のアメリカのメジャーリーグ・ベースボール(MLB)を席巻している「フライボール革命」がそうだ。私が幼いころはバットで上から叩きつけてゴロを転がす打ち方が推奨されていた。相手が取り損ねることも含めて出塁する蓋然性が高くなると、考えられていたからである。でもいまは違う。水平に対して19度のアッパースイングでボールを打ち上げた方が長打率が高まり得点に直結するというのである。

 これを明らかにしたのが、選手たちの詳細な動きやパフォーマンス、ボールの回転数までをも精密に数値化し、データ化する「スタットキャスト」である。集積した膨大なデータをAIが分析することで導き出されたのが「フライボール革命」である。

 これに対して、投手の側ももちろん対策を講じるわけだが、そこでもまたデータが使われる。球速や回転数、軌道、曲がり幅までもが詳細にデータ化されるなかで、「ピッチトンネル」という概念が生まれた。リリースされたボールが辿る軌道の分析から、打席から7m先の地点までストレートと同じ軌道でやってくる変化球を、打者は高い確率でストレートだと錯覚することがわかった。投手と打者のあいだの距離が18.44mだから、半分より2mほど打者に近づいた地点が「ピッチトンネル」になる。そこまでの軌道をできる限りストレートに近づけた変化球を身につけるべく、投手は練習を積み重ねている。

 打者はフライボールを打つためのフォームを、投手はピッチトンネルを通すためのフォームを身につけようとする。つまり、打者、投手ともに、ビッグデータの分析結果に合わせるべく実践するようになった。内側からの感覚を頼りに独自の打ち方や投げ方を模索するのではなく、データが導き出した最適解をめがけて選手は練習を繰り返すわけだ。

 うーん、なんだかなあ、って思う。
 やっててオモシロいのかなって。
 導き出された最適解を実践するのは容易でないだろうし、それを実現するためのフォームにはそれなりの独自性が宿るだろう。でもそれはやはり「それなり」でしかなく、往々にしてほとんど誰もが同じような打ち方や投げ方になるのではないか。からだの内側から発せられる感覚よりも、外的に示された最適解に重きをおくことで失われるものがあると思うのだ。

 元メジャーリーガーのイチローは、現役引退の記者会見で「(野球は)頭使わないとできない競技なんですよ、本来は。でもそうじゃなくなってきているというのがどうも気持ち悪くて」と口にした。

 具体的に言及しているわけではないのであくまでも私の邪推に過ぎないのだが、イチローが感じている「気持ち悪さ」は、ビッグデータの解析結果に頼って頭を使わなくても済むようになりつつある現状に向けられたものだろう。創意工夫や試行錯誤をしなくてもすむようになりつつある風潮を指摘し、それへの不快感を吐露したのではないかと私には思われる。

 テクノロジーの進化はこれからも続くだろうし、データ分析による最適解が社会の隙間を埋めてゆくのは間違いない。「わかりやすさ」や「便利さ」は歓迎すべきことだけれど、それに頼りすぎれば確実に「このからだ」は衰えてゆく。「わかりやすさ」は思考や想像を必要としないし、「便利さ」はさほどからだを使わなくても済むということだからである。

 もし健やかでしなやかなからだを育みたいと望むならば、テクノロジーの進化にただただ身を委ねていていいわけがない。不便さを愛でるような、そんな余白を確保する努力が、おおよそのことはスマホひとつで事足りると思えてしまえるいまの社会を生きるうえでは不可欠だろう。

 この身ひとつであれこれ遊べる。ああでもない、こうでもないと考えながら、手足をばたつかせるプロセスにこそ、スポーツのオモシロさがある。それをテクノロジーが奪いつつあるような気がするから、ここに警鐘を鳴らす次第である。


参考資料

・「『同性愛は違法・劣悪労働』カタールに人権大国・米国が知らんぷりの裏事情」(ダイアモンドオンライン 2022年12月2日付)
・「カタールW杯の期待に隠れた現実」(GLOBAL NEWS VIEW 2022年10月27日付)
・イチロー引退【会見全文・後編】「大谷翔平は世界一の選手に」「外国人になって人の痛み想像した」(AERA dot 2019年3月22日)
・山本敦久『ポスト・スポーツの時代』岩波書店 2020年

平尾 剛

平尾 剛
(ひらお つよし)

1975年大阪府出身。神戸親和女子大学発達教育学部ジュニアスポーツ教育学科教授。同志社大学、三菱自動車工業京都、神戸製鋼コベルコスティーラーズに所属し、1999年第4回ラグビーW杯日本代表に選出。2007年に現役を引退。度重なる怪我がきっかけとなって研究を始める。専門はスポーツ教育学、身体論。著書に『近くて遠いこの身体』『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)、『ぼくらの身体修行論』(内田樹氏との共著、朝日文庫)、監修に『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)がある。

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