数学の贈り物数学の贈り物

2018.10.01更新

 先日、息子の幼稚園の体験入園に出かけてきた。動物のぬいぐるみを手に童謡を歌う先生たちの方を、じっと大人しく座って見つめる子どもたちのなかで、息子は、部屋中を駆け回り、しまいには先生の前へゴミ箱を持って、嬉々としてダイブしていた。彼は明らかに、期待されているはずの規範から逸脱した行動をしていた。僕はその場で、彼を叱るべきか迷った。

 守ることもできれば、破ることもできる「規範」に従って人間は社会を営む。同じ規範に、尊ぶべき「英知(wisdom)」を見るか、乗り越えていくべき「偏見(bias)」を見るかで、現実はかなり違って見える。子育てをしていると、英知と偏見の線引きの難しさに、何度も直面することになる。

 環境から閉ざされたコンピュータにしかるべき規則さえ与えることができれば、機械は知的に振舞うことができると、信じられていた時代があった。ところが、与えられた規則に服従する機械は、その規則によってあらかじめ規定された枠(frame)の外に出ることができず、固定された問題を解く以上の知性を発揮しないことが次第に明らかになる。そこで、コンピュータに身体を持たせて、現実の環境の中に埋め込むことで、状況(situation)に寄り添った、柔軟な振舞いのできる機械を作ろうとする動きが出てくる。整った理想空間の中で、理性的に推論するだけでなく、不都合と予測外に満ちた環境の中で、何とかやりくりしていく力もまた立派な知性なのだという認識がここに芽生え、定着していく。

 現代の教室はしかし依然として、不都合と予測外が排除されたノイズの少ない空間である。そこでは、学ぶものの働きかけによって変わることのない不動の「知識」が供給される(ということになっている)。人間の思考と認知が、いかに環境に漏れ出しているかをこの数十年の認知科学が明らかにしてきたとすれば、教室の中に閉じ込められた子どもたちは、環境に漏れ出していくことがないよう、未だ慎重に管理されている。この特殊な空間の中で、おとなしく授業に参加できない子どもたちもいる。それは果たして、「尊ぶべき英知」への敬意を欠いた無作法なのか、それとも「根拠なき偏見」を乗り越えようとする挑戦なのか。見極めることは簡単ではない。

 現代は自明視されていた様々な規範が、音を立てて壊れていく時代だ。規範には知恵と偏見の両面があり、実際には、線引きが画然と引けないことが多い。規範が比較的安定しているうちは、それを知恵として尊び、共同で支えることで、社会の予測可能性を保つことができる。ところが、規範が高速で変容していくいま、大人しく規範を受容できる従順さよりも、規範を知恵としてみる視点と、偏見とみなす観点を、自在に切り替えることのできる柔軟さの方が求められる。同じルールを保守すべきと頑なに拘るのでもなく、悪しき思い込みだと馬鹿にするのでもなく、見方を臨機応変に切り替えながら、複数の現実を並行して生きていく力が必要とされているのではないだろうか。一つだけの物語を信じることができた時代より、不確かで、知的負荷の圧倒的に大きな時代を僕たちはいま生きている。

 不確かな時代は、いつも恐怖を煽る言説が蔓延る。しかし、「パニクるのではなく戸惑え」と、『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』の著者ユヴァル・ノア・ハラリは近著 "21 lessons for the 21st Century"(未邦訳)の中で忠告している。なぜなら、不確かな未来を恐れてパニックに陥ることは、不確かな未来は「悪い」未来であると、決めつける傲慢さの裏返しだからだ。「戸惑い(bewilderment)」は「パニック」よりも謙虚なのである。「恐ろしい未来がくる!」と思考停止で叫ぶよりも、「何が起きてるのかさっぱりだ」と困惑しながら、考え続けることの方が前向きなのだ。

 僕もいま、困惑している。これからどんな時代が訪れるのか、たった十年後の世界がどんな場所になっているか、僕には想像もつかないのである。

 こんな時代に、子どもにどういう教育を受けさせるべきかと、同世代の子を持つ親にときどき聞かれる。僕が思うに、「子どもに教育を受けさせる」という発想を捨てることこそ、まず一番にやるべきことではないだろうか。

 先日、予防医学を研究している石川善樹さんと、福岡でお話する機会があった。そのとき石川さんが「学び、働き、休む」という人生を三段階に分けるモデルは、これからの「人生百年時代」には通用しないと指摘していた。「人生百年」と言われて僕はまだピンとこないが、人生の序盤で学び、中盤で働き、終盤を余生として過ごすというモデルが通用しないという点に関して、僕は全面的に賛成である。

 「子どもに教育を受けさせる」というとき、どこかで自分は「学び終わって」いる側で、子がこれから「学ぶ」時代に突入するのだという、人生の「三段階モデル」が頭にあるのではないか。しかし、制度や規範が流動化している現代において、学びが終わるということはない。学ぶことは安定した大地の上にピラミッドを建設することより、どちらかといえば、荒波の上で、サーフボードを操縦し続けることに似ている。絶えず重心と姿勢を調整しながら、動き続け、考え続けないといけないのである。足場を固定し、人生の序盤で蓄えた知識でやりくりしていくことができるほど、世界はもう単純ではない。

 学び終わった大人として、これから学び始める子に接する。そういう風景は世界から徐々に消えていくだろう。遠くない将来、教室という場は、教室の外に溢れ出していくはずだ。学ぶことと働くことの境界は曖昧になる。なぜなら、何かを知るとは、壁の内側で知識を貯めることではなく、世界に働きかけ、その応答を引き受けながら、自己を変容させていくことだからだ。

 私は研究者(investigator)である。私は探りを入れる。私は特定の観点を持たない。(...)探求者(explorer)はまったく首尾一貫していない。いつどの瞬間に自分が驚くべき発見をするのか、彼は決して知らない。

 これはマーシャル・マクルーハンが、彼の言葉を編んだアンソロジー " McLuhan: Hot & Cool" に寄せた文の一節である。特定の観点から世界を見晴らし、首尾一貫した物語を構築するのではなく、全貌を把握できない未知の世界に自らを投げ込み、探りを入れる。彼は自分が、その意味での「研究者(investigator)」であると宣言するのだ。

 彼の「make probes」という言葉を「探りを入れる」と訳したが、probeは「探針」や「探り棒」のことで、「make probes」というのは、外から眺める代わりに、知りたい世界の中に入り込み、全身でそれに触れることで、情報を得ていく方法を意味する。知ることは働きかけることであり、学ぶことは、学ぶべき対象とともに自己を変形させていくことだというイメージをありありと喚起させる表現である。

 人はすべて、意味の確定していない未知なる世界に投げ込まれた存在である。大人も、子どもも、「いつどの瞬間に自分が驚くべき発見をするのか」知らない「研究者」として生きることができる。僕ができることは、子どもにどのような教育を受けさせるべきか悩むことではない。子どもに自分の「知識」を授けることでもない。ただ、彼らの手を引き、ともに同じ「探求者」として、未知に飛び込み、戸惑いながら、この圧倒的に不思議な世界に「探りを入れ」続けていくことだけである。

森田 真生

森田 真生
(もりた・まさお)

1985年東京生まれ。東京大学理学部数学科卒業。現在は京都に拠点をかまえ、独立研究者として活動。国内外で「数学の演奏会」をはじめとするライブ活動を行っている。2015年10月、デビュー作『数学する身体』(新潮社)を刊行、第15回小林秀雄賞を受賞。2016年2月、編纂を担当した岡潔の選集『数学する人生』(新潮社)が刊行された。ミシマ社では、数学にまつわる本を紹介しながら、数学を通して「生きること」を掘り下げるトークライブ「数学ブックトーク」を共催。ライブで手売りすることを元に作られた『みんなのミシマガジン×森田真生 0号』(ミシマ社)なども発刊している。最新刊に『アリになった数学者』(福音館書店)がある。

Choreograph Life

編集部からのお知らせ

10月19日に『ちゃぶ台Vol.4』が発刊されます

2018年10月19日(金)発売の『ちゃぶ台Vol.4』には、森田真生さんと内田樹さんによる対談「壊れゆく制度のなかで、教育は」が掲載されます。どうぞご期待ください!

数学の演奏会in周防大島 Talk&Walk Liveが開催されます

森田真生さんによるライブ、数学の演奏会が周防大島で開催!

■日時:2018年11月11日(日) 14:00〜〈 開演13:30~〉
■場所:周防大島・円満山 正覚寺

詳しくはこちら

数学ブックトーク in 東京 2018 極月

■日時:2018年12月15日(土)開演17:00(開場16:30~)
■場所:青山ブックセンター本店内・大教室
■入場料:4,000円(税込)※学生・ミシマガサポーターは3,000円(税込)でご参加頂けます。
■定員:110名様

お問い合わせ ミシマ社・自由が丘オフィス(TEL:03-3724-5616)まで

詳しくはこちら

数学ブックトーク in 京都 2019 如月

■日時:2019年2月3日(日)※時間は決定次第お知らせいたします。
■場所:恵文社 一乗寺店 コテージ(叡山電鉄 一乗寺駅より徒歩3分)
■入場料:4,000円(税込)※ミシマガサポーター、学生は3,000円(税込)でご参加頂けます。
■定員:50名様

お申し込み方法等の詳細は決定次第お知らせいたします。

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 尾崎世界観×寄藤文平 いま、表現者であるということ(1)

    尾崎世界観×寄藤文平 いま、表現者であるということ(1)

    ミシマガ編集部

    2018/9/26(水)に発売されたクリープハイプの新アルバム『泣きたくなるほど嬉しい日々に』。そのデザインを手がけた寄藤文平さんと尾崎世界観さんは、4月にミシマガで対談しています。ミシマ社とも縁の深いお二人の対談、この機にぜひお読みください。(実は、今回の新アルバムの特装版の詩集と、タワーレコード特典の豆本の編集をミシマ社がお手伝いしています!)

  • 西村佳哲×ナカムラケンタ 最近〝仕事〟どう?(1)

    西村佳哲×ナカムラケンタ 最近〝仕事〟どう?(1)

    ミシマガ編集部

    みなさん、最近、仕事どうですか? ナカムラケンタさんの『生きるように働く』と、『いま、地方で生きるということ』の著者でもある、西村佳哲さんの『一緒に冒険をする』(弘文堂)の2冊の刊行を記念して、2018年9月18日、代官山 蔦屋書店にてトークイベントが行われました。「最近〝仕事〟どう?」をテーマに、それぞれの角度から「仕事」について考え続けてこられたお二人が、自著の話、人が働くことの根っこについて、そして「働き方改革」までを語り合いました。そんなお話の一部を、前・後編2日間連続でお届けします。どうぞ!

  • 町田 康×江 弘毅 「大阪弁で書く」とはどういうことか(1)

    町田 康×江 弘毅 「大阪弁で書く」とはどういうことか(1)

    ミシマガ編集部

    2018年6月22日、編集者であり長年街場を見つめてきた江弘毅さんがはじめて「ブンガク」を描いた、『K氏の大阪弁ブンガク論』が刊行になりました。司馬遼太郎や山崎豊子といった国民的作家から、黒川博行、和田竜など現代作家まで縦横無尽に書きまくっている本作で、2章を割いて江さんが絶賛しているのが、作家・町田康さん。本書の刊行を記念して(そして江さんが熱望して!)、紀伊國屋書店梅田本店にておこなわれた、お二人の対談の様子をお届けします。

  • 前田エマ×北野新太 将棋に恋をした。(1)

    前田エマ×北野新太 将棋に恋をした。(1)

    ミシマガ編集部

    2017年12月に発刊された『等身の棋士』。静かに燃える棋士たちの世界が著者の北野新太さんによる熱い文章で綴られています。この一冊に、ミシマ社に来て間もない新人ノザキは衝撃を受けたのでした。そして、この本が刊行された当初から、いつかはこのお二人の対談を、と願い続けて半年。念願の企画が今回ついに実現しました。

この記事のバックナンバー

10月01日
森田 真生
ページトップへ