数学の贈り物数学の贈り物

2019.04.01更新

 昨日、二年ぶりに、熊本の長崎書店で「数学ブックトーク」があった。会場の「リトルスターホール」は書店と同じビルの三階にある居心地のいい空間である。窓の外では、クスノキたちが気持ちよさそうに葉を揺らせている。大きな窓から、あたたかな春の光が差し込む。二年前と同じ場所で、同じ光に包まれながら、僕は、公演前最後の準備を進める。

 「数学ブックトーク」のアイディアを初めて三島さんに伝えたのは、2013年の11月である。たまたま天気がよかったこの日、僕は自転車でふらふらと恵文社に出かけた。ここで、書店の横に、新しいイベントスペースができたことを知った。興味をひかれ、完成したばかりの「恵文社COTTAGE」に入る。このとき、なぜかすぐ、僕は「ここでトークライブをしたい!」と思ったのである。

 さっそく三島さんにツイッターでDMを送った。三島さんと出会ってすでに二年近くが経っていたが、一緒に仕事をしたことはまだなかった。

 いま、この日のメッセージのやりとりを、久しぶりに読み返してみた。
 DMを送った日付は、2013年11月6日だ。
 僕は、新しくできたイベントスペースの素晴らしさを三島さんに力説したあと、「ここで、ミシマ社とジョイントで『数学ブックトーク』なるイベントをやることを妄想しました」と、興奮気味に伝えている。これ対し、三島さんからすぐ、「それは、ぜ・ひ!!」と、爽やかな返信がかえってきている。

 この三ヶ月後、2014年2月に、最初の「数学ブックトーク」が恵文社COTTAGEで実現することになる。これに先立ち、元旦に僕は、ミシマガ読者への新年のあいさつとして、最初のエッセイを贈った(これは『数学の贈り物』に「捨身」として収録されている)。以後、季節ごとに開かれる「数学ブックトーク」に先立ち、三ヶ月に一度、エッセイを書くという流れが定着していく。「みんなのミシマガジン」上での連載「数学の贈り物」が、こうして始まったのである。

 数学ブックトークは、定期的に開催している東京と京都だけでも、すでに38回、その間に127冊の本を紹介してきた。もう、かれこれ120時間以上もトークをしてきたことになる。開催の度にミシマ社のメンバーが総出で集まってくれ、親密で、真剣で、熱気に包まれた場が生成していく。僕はそこで思考し、逡巡しながら、全力でことばを届ける。ミシマ社と、集ったすべての人たちとともに育んできた、僕自身にとっても特別な時間だ。

 不特定多数の人にではなく、心通い合う、親密な誰かへと言葉を贈る。詩人で評論家の大岡信は、詩的言語が生まれるこうした場のことをかつて「うたげ」と呼んだ。ブックトークの場は、僕にとってまさにうたげなのである。季節ごとに、同じ場に集まり、親密な距離感のなか、ことばと、思考を分かち合う。

 熊本でのブックトークは二年ぶり、二度目の開催だった。
 春のあたたかな光が差し込むホールで、三島さんが冒頭のあいさつをする。すると、にわかにその場が、あたたかなうたげの空間に変容していく。同じ場所で、同じ春の光を浴びながら、僕は二年前と同じように夢中になって語る。語る言葉は無論、二年前と同じではない。だが、語りたいことは、いつも同じなのである。

 mathematics(数学)ということばの起源にあるのは、ギリシア語のμαθήματαである。それは、日本語に訳すとすれば、「学ばれるべきもの」という意味になる。ここでいう「学び」は、単に知識の獲得ではない。自分の手許にないものを求めるのではなく、はじめから手許にあるものを掴む。新奇な知識を求めるのではなく、はじめから手中にあるものに目覚める。これこそが、ことばの真の意味でのmathematicalな姿勢だと喝破したのはマルティン・ハイデッガーである。

 誰もしたことのないことを殊更に成そうとするのではなく、すでに幾度もなされてきたことを、自分のことばと思考で反復していく。そのくり返しのなかではじめて、「はじめから手許にあるもの」を人は掴むことができる。

 武満徹の「吃音宣言」に、次の美しい一節がある。 

 どもりも鳥も、いつも同じことはくりかえさない。その繰りかえしには僅かのちがいがある。
 このちがいが重要なのだ。

 三ヶ月に一度のブックトークに臨み、季節に一度の「数学の贈り物」を執筆しながら、僕はたとえば、空海が直観し、道元が体得し、あるいはデカルトが夢想し、岡潔が理想としたことを、自分のことばと経験において、ひたすらくりかえそうとしてきたのである。無論、どこまでいっても僕は僕でしかない。かつてすでになされたことを、自分のことばと経験においてくり返そうとするとき、そこには自ずから「ちがい」が生じる。

 それは自分の未熟さや無力さの証でもある。だが、そのちがいが、自分のオリジナリティでもある。独創とは、ひとりよがりに何かを打ち立てることではない。すでにあるもの、古くからくり返されてきたことを、何度でも反復していく。このとき、避けることのできない「ちがい」が生じる。この「ちがい」が、この「ずれ」が、生成であり、創造ではないか。

 誰も聞いたことのない斬新な声で鳴く鳥が素晴らしいのではない。
 古くからくり返されてきた声を、自分の声として鳴く鳥たちが、今年も春を告げ、季節の風景に彩りを添える。めぐり続ける季節の反復は、自ずから繊細な差異を自らのうちに孕む。ただくり返される季節が、何度でも新鮮に、あらたな相貌で蘇っていく。

 山口からはじまり福岡を経由して、最後に熊本でのブックトークで終わった遠征の後、僕は四日ぶりに京都に戻った。家に戻ると「おとーさんおかえりー!!」と息子が元気よく飛びかかってきた。僕もしゃがんで息子を抱きあげようとする。僕の頭を力強く掴んで笑う息子のからだが、僕の顔に思い切りぶつかる。右耳がぎゅっと、彼の胸におさえつけられる。「ドクっドクっドクっドクっ」と、早い心臓の音がきこえる。息子は僕の髪を引っ張る。「やめてー」と叫びながら僕は、じっと右耳に注意を集める。

 乱暴に、力強く髪を引っ張る息子の胸のなかで、小さな心臓が、力いっぱいに鳴る。彼の笑顔も、声も、髪をひっぱる腕の力も、すべて、この内臓が収縮と拡張の反復をやめたら、消えてなくなってしまうのである。巨大な宇宙のなかで、小さな器官が、健気に同じリズムを刻む。なぜ。どうしてこんなことが可能なのだろうか。

 たしかな生命を支える根拠のはかなさに、僕は慄きながら、また耳を澄ませる。

 ドクっドクっドクっドクっ......
 同じことが、同じ場所で、くり返されていく音......
 ドクっドクっドクっドクっ......
 根拠のない、生命の反復のリズム......

 溌剌としたいのちが、いきいきとして咲く春。

 同じことが、同じ場所で、今日もちがいを孕みながらくり返されていく。

森田 真生

森田 真生
(もりた・まさお)

1985年東京生まれ。東京大学理学部数学科卒業。現在は京都に拠点をかまえ、独立研究者として活動。国内外で「数学の演奏会」をはじめとするライブ活動を行っている。2015年10月、デビュー作『数学する身体』(新潮社)を刊行、第15回小林秀雄賞を受賞。2016年2月、編纂を担当した岡潔の選集『数学する人生』(新潮社)が刊行された。ミシマ社では、数学にまつわる本を紹介しながら、数学を通して「生きること」を掘り下げるトークライブ「数学ブックトーク」を共催。ライブで手売りすることを元に作られた『みんなのミシマガジン×森田真生 0号』(ミシマ社)なども発刊している。最新刊に『アリになった数学者』(福音館書店)がある。

Choreograph Life

編集部からのお知らせ

『数学の贈り物』好評発売中です!

ミシマガ上での5年間にわたる連載「数学の贈り物」に全面的な加筆・修正を加え、一冊の本が誕生しました。ぜひお手にとってみてください。

sugaku_shoei.jpg


森田真生さん×甲野善紀さん「この日の学校 in 京都」

独立研究者の森田真生さんと武術家の甲野善紀さんが全国で開催してきた「この日の学校」。今年もまた、ミシマ社主催で開催させていただく運びとなりました。

◾️日時:2019年4月7日(日)14:00~(開場13:30~)
◾️会場:永運院(京阪 神宮丸太町駅から徒歩20分)
〒606-8331 京都府京都市左京区黒谷町33
◾️定員:80名様
◾️入場料:5,000円(税込)
※学生・ミシマガサポーターは4,500円(税込)でご覧頂けます。

詳しくはこちら


寄り道バザール vol.11

今回は『数学の贈り物』を出版したばかりの森田真生さん、『数学の贈り物』をはじめ数々のミシマ社本の装丁をしてくださっている寄藤文平さん、そしてミシマが登壇するという、ミシマ社とご縁の深いイベントです。

第1部 「偶然の宴」森田真生
第2部 「おお! すおうおおしま」寄藤文平×三島邦弘
「島の人たちがつくったガイドマップ」を一緒に作ります。寄藤文平さんがイメージのイラストを作ってくださいました!

◾️日時:2019年4月28日(日)
◾️場所:周防大島・八幡生涯学習のむら
山口県周防大島町久賀1102-1
◾️主催:YORIMICHI BAZAR

0324_e.jpg

詳しくはこちら

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 『銀河鉄道の星』発刊記念対談 後藤正文×名久井直子(1)

    『銀河鉄道の星』発刊記念対談 後藤正文×名久井直子(1)

    ミシマガ編集部

    11月22日、『銀河鉄道の星』(宮沢賢治・原作、後藤正文・編、牡丹靖佳・絵)が発売となりました。発売を記念して、この本の著者であり、12月5日にはNEW ALBUM「ホームタウン」を発表したASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル&ギターを担当する後藤正文さんと、装丁を手がけてくださった名久井直子さんの対談を2日間にわたり、お送りします。昨日掲載した「あとがき」からさらに踏み込んで、後藤さんがなぜ、宮沢賢治を新訳しようと思ったのか、そして子どものころから宮沢賢治の作品に触れてきた名久井さんは、今回何を感じられたのか? たっぷりとお届けします。

  • 数学の贈り物数学の贈り物

    数学の贈り物

    森田 真生

    昨日、二年ぶりに、熊本の長崎書店で「数学ブックトーク」があった。会場の「リトルスターホール」は書店と同じビルの三階にある居心地のいい空間である。窓の外では、クスノキたちが気持ちよさそうに葉を揺らせている。大きな窓から、あたたかな春の光が差し込む。二年前と同じ場所で、同じ光に包まれながら、僕は、公演前最後の準備を進める。

  • 胎児はめちゃくちゃおもしろい! ~増﨑英明先生と最相葉月さん、発刊後初対談(1)

    胎児はめちゃくちゃおもしろい! ~増﨑英明先生と最相葉月さん、発刊後初対談(1)

    ミシマガ編集部

    発売から1カ月半ほど経った『胎児のはなし』、「本当におもしろかった! 知らなかったことがたくさん!」という読者のみなさまの声をたくさんいただいています。そして新聞などメディアでの紹介が続き、おかげさまで3刷大増刷中です!

  • イスラムが効く!

    『イスラムが効く!』刊行直前 内藤正典先生インタビュー(1)

    ミシマガ編集部

    今週末2019年2月23日(土)に『イスラムが効く!』が発売となります。イスラム地域研究者の内藤正典先生と、イスラム法学者でありムスリムである中田考先生による対談本。『となりのイスラム』(内藤正典著)から2年半ぶりに、ミシマ社からは2冊目のイスラムに関する本が登場です。本を書き終えた内藤先生に、とくにこれは日本人に効く!という場面を詳しく教えていただきました。2日にわたってお届けします。

この記事のバックナンバー

04月01日
森田 真生
ページトップへ