数学の贈り物数学の贈り物

2019.07.01更新

 三歳の息子はいまレゴに夢中だ。家にいる時間はほとんど、レゴで何かを作って遊んでいる。その様子を近くで見ていると、人間の認知能力が発達していく過程を間近で目撃するようで、学びと発見の連続である。

 息子は、凸凹も隙間もなくレゴをピタッときれいに揃えるのが好きで、先日は、大きさ2×8(高さ1)のスペースをレゴで埋めようとしてパーツを探していることがあった。彼は手元に、2×4の大きさのオレンジ色のレゴと2×6の大きさの茶色のレゴ(高さはすべて1)を持ってきて、最初、オレンジのレゴをはめ、そのあとに茶色のレゴをはめた。長さ8のスペースに、長さ4と6のレゴを並べることになり、長さ2だけレゴははみ出してしまった。彼は、「ああ、ダメだ」とか言いながら、はめたばかりの二枚のレゴを外して、今度は順番を替え、茶色のレゴのあとに、オレンジ色のレゴをはめた。今度もまた、レゴははみ出す。彼は「やっぱりダメだ」と言いながら、別のピースを探し始めた。

 長さ4のレゴのあとに長さ6のレゴを並べて「ダメ」だった直後に、彼は順番を入れ替え、長さ6のレゴのあとに長さ4のレゴを並べてみたのだ。順番を変えても結果はとうぜん同じだ。だが、彼はこのことに気づいている様子がない。

 「物の数はこれを数うるの順序にかかわらず」
 「物の数はこれを加うるの順序にかかわらず」

 岡潔は、中学三年のとき、父の書庫でたまたま手にした数学者クリフォードの著書『数理釈義』(菊池大麓訳)に、上のような表題が並んでいるのを見て「調子の大分変わった本だ」と思いつつ、わからないことが面白いと感じて「読みふけった」と『春宵十話』のなかで回想している。レゴを隙間にはめようと試行錯誤する息子を見ながら、僕の頭に、『数理釈義』のフレーズが浮かんだ。

 物の数は、どんな順番で数えても同じだ。
 数は、どんな順番で加えても同じだ。
 当たり前のようだが、こうしたことがわかるようになるまで、子どもにとっては長い道のりがある。

 「いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう!」と、息子と一緒に風呂で数えるようになったのは、彼が一歳半の頃だ。それから一年半以上経ったいまも、彼はまだ物を自在に数えることはできない。

 たとえばリンゴの山があるとする。そのリンゴを一つずつ指差しながら「いち、に、さん、し、ご、ろく、なな」と数えていけば、最後に唱えた「なな」が、リンゴ全体の個数を表す。わかってしまえば簡単なこの原理には、「Cardinality Principle(基数原理)」という名が付けられている[1]。この「原理」を体得することがいかに難しいかは、近くにいる子を見ているとよくわかる。

 アメリカの子どもを対象に行われたある研究[2]によれば、子どもが数を順番に数えることを覚え、しかも数詞が物の数を表すと理解したあとにも、そこから基数原理を正しく把握し、自分が唱える数詞の意味を一つずつわかるようになるまでには、平均して優に一年以上の期間がかかるのだそうだ。

 そもそも人間は、数を正確に扱う生得的な能力を持ち合わせていない。近年進展の目覚ましい「数の認知(numerical cognition)」についての研究によれば、人間の数の認知は、主として二つのメカニズムに支えられているという。

 一つは、数量を近似的に表現する機構で、ANS(Approximate Number System)と呼ばれる。これによって、私たちは言語や記号に頼らず、物の数量を大雑把に認識できる。これとは別に、人間には4個以下の物の数を、数えなくてもただちに認識できる能力があり、これと関係しているのがOTS(Object Tracking System)と呼ばれる機構だとされる。これら二種類の認知機構は、幼児や、霊長類などヒト以外の動物とも共通していて、文化や学習の産物ではなく、進化的に獲得された生得的な能力だと考えられている。

 問題は、これらの機構だけでは、たとえば7と8の区別すらつかないことだ。ANSはあくまで近似的な数量の把握で、大きな数になればなるほど精度が下がる。だから、ANSによって8と16の区別はついても、7と8の区別は曖昧なままだ。OTSに至っては、5以上の個数の把握ができない。そのため、大人を真似て、十まで数えることができる子どもも、それらの数詞の意味を理解するには、何かしらの仕方で生得的な「数覚(number sense)」を更新し、その「解像度」を大幅に上げていく必要がある。

 生得的な数の認知が、どのようなプロセスを経て「7」や「8」を区別できるまで洗練されていくのか。そのメカニズムついては、まだわからないことも多い。ただ、多くの人にとってこの過程で、「指」が大きな役割を果たす。

 手の指は、いつ見ても同じ本数だけある。しかも、いつでも同じ順番に並んでいる。本数と順序が安定しているおかげで、数えるにも、計算を補助するにも、指はとても有効なデバイスになる(持ち運びも楽だ!)。「数」を意味するdigitは本来、「指」を意味する言葉でもある。

 数を学び始めたばかりの頃、指を折りながら懸命に数えた経験は、多くの人がしているはずだ。自分の意志で、一本ずつ指を折り曲げていくことによって、「一つずつ増える」という自然数の性質をからだを使って覚えていくことができる(ANSに支えられた数量の表現には「一つずつ増える」という構造がない)。指がいつも同じ本数あり、いつも同じ順番に並んでいるだけでなく、意のままに、一本ずつ動かせるという事実が、指をますます便利な道具にしている。

 とはいえ、人間の手はそもそも、指を一本ずつばらばらに動かす仕様になっていない。人間はあくまでサルの仲間で、木の枝を掴んだり、木の実をもいだりするためにもっぱらその手を使ってきたのである。このとき、一本ずつ指をバラバラに動かすよりも、五本の指を協調させて動かすことの方が基本的であった。

 神経科学者のマーク・シーバー(Marc Schieber)とリンドン・ヒッバード(LyndonHibbard)はサルを対象とした実験で、指の動きに伴う神経細胞の活動について、興味深い発見をしている[3]。彼らは、手全体を使う基本的な動きに比べて、指を一本ずつ正確に動かす動作の方が、多くの運動皮質の活動を必要とすることを明らかにした。特に、指を一本だけ動かそうとするときには、運動皮質の神経細胞のいくつかが、他の指の動きを「妨げる」ためにことさら働いていることがわかった[4]

 十本の指それぞれに対して、それを動かす専門の神経細胞集団があり、それらが同時に活動することで複数の指が動くのではなく、、、、、、むしろ複数の指を協調させて動かす動作の方が、指を一本ずつ動かすよりも少ない運動皮質の活動で済むというのだ。これは、実に興味深い発見である。

 手はそもそも、数を数えるときのように、指を一本ずつ正確に折り曲げる動作のために進化してきたのではない。そのため、指を使って数えるときに、人は脳と指をいわば「ハック」しながら、それを生来の機能とは違う仕方で使いこなしているのだ。

 先週、息子と一緒に、新しいレゴのパーツを買いに出かけた。作れるもののヴァリエーションが増えてきたので、いくつか基本パーツを買い足すことにしたのだ。この日あたらしく買ったセットの中には、タイヤのパーツが一つ入っていて、すでに持っているものと合わせてタイヤは全部で四つになった。

 僕は帰り道に息子に、「これでタイヤは全部でいくつになった?」と聞いた。すると彼は、じっと左手を見て、おもむろに、右手の人差し指で左手の指先を一つずつ触り始めた。しばらく考えたあと、僕の方を見上げて「これ!」と、右手の親指だけ綺麗に曲げて、残り四本の指を開いてみせた。彼が、指で「4」を表現するのを見たのは、これが初めてのことである。

 心の中にまだ浮かべられないからこそ、心の外に描き出された「4」。
 その形を僕は胸に刻んで、彼とまた家路についた。


[1]Gelman, R., & Gallistel, C. R. 1978. The Child's Understanding of Number. Cambridge, MA: Harvard University Press.
[2]Winn, K. 1992. Children's acquisition of the number words and the counting system, Cognitive Psychology24.
[3]Schieber, M., and Hibbard, L. 1993. How somatic is the motor cortex hand area? Science261: 489-492.
[4]アンディ・クラーク『現れる存在』(NTT出版)の第7章にこの研究の紹介がある。

森田 真生

森田 真生
(もりた・まさお)

1985年東京生まれ。東京大学理学部数学科卒業。現在は京都に拠点をかまえ、独立研究者として活動。国内外で「数学の演奏会」をはじめとするライブ活動を行っている。2015年10月、デビュー作『数学する身体』(新潮社)を刊行、第15回小林秀雄賞を受賞。2016年2月、編纂を担当した岡潔の選集『数学する人生』(新潮社)が刊行された。ミシマ社では、数学にまつわる本を紹介しながら、数学を通して「生きること」を掘り下げるトークライブ「数学ブックトーク」を共催。ライブで手売りすることを元に作られた『みんなのミシマガジン×森田真生 0号』(ミシマ社)なども発刊している。最新刊に『アリになった数学者』(福音館書店)がある。

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数学ブックトークin京都@恵文社一乗寺店

季節に1度の森田真生さんによるトークライブ「数学ブックトーク」の次回開催日程が決定しました。

◾️日時:2019年8月25日(日)14:00~(開場13:30~)
◾️会場:恵文社一乗寺店 コテージ
〒606-8184 京都市左京区一乗寺払殿町10 恵文社一乗寺店 南側
◾️定員:50名様
◾️入場料:4,000円(税込)
※学生・ミシマガサポーターは3,000円(税込)でご覧頂けます。

◾️お申し込み方法
[1] ミシマ社にてメール予約。( event@mishimasha.com )
件名を「0825数学ブックトーク」とし、
「お名前」「ご職業・年齢」「お電話番号」をご記入のうえ、お送りくださいませ。
[2] ミシマ社京都オフィスにて電話予約。(TEL:075-746-3438)
[3] 恵文社一乗寺店店頭または電話で予約。(TEL:075-711-5919)

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