第3回
どんでん返し
2020.04.10更新
前回までのお話
我が家の田んぼとご近所さんの田畑、合わせて2反あまりの土地が太陽光パネルの業者に買い取られることになってしまった。風景が変わることや台風などに不安を感じる私は、自分が土地を買い取り作物を作ることはできないだろうかと思い始める。地元の青年たちに一緒に作物を作らないかと声をかけると賛同してくれ、いよいよ本気で土地所有者の家に説得に行くことに・・・(前回の記事はこちら)
※1反=300坪
二〇一九年、十一月某日。私は朝から慌てていた。今日は金曜日、明日から役所がお休みになるので、きっとみんな土地を売買するための必要書類を取りに行くだろうと思うのだ。母にも妹にも一緒に説得に行ってほしいと頼んだが、言い出したからには自分で突破口を開けと言われ、一人で土地所有者の家に行くことになった。
ドキドキしながら、まずは隣の畑のU子さんのところへ。勝手口の方で声がするなと思ったらお孫さんと外で遊んでいる様子。U子さんとはご近所なので、ときどき道でも会う。我が家と同じくいろんなところに田畑があって少しでも減らしたいというのは聞いたことがあった。
「あら、久美ちゃん帰ってたん? どうしたん?」
「あのう・・・田んぼが太陽光パネルになるって聞いて」
「そうそう。決まったみたいね」
太陽光パネルが台風のときにどのような被害をもたらしたかという話をやんわりとしてみると、U子さんも、実は少し気になっていたのだと言う。最もパネルから家が近いのもU子さんや、私の小学時代の後輩にもあたる娘さんの家なのだ。だけれど、近所みんなで決まったことだから反対するわけにはいかないという思いがあったみたいだ。足並みを揃わせることが最も大切だということは町にいたら痛いほどわかる。しかし、U子さんは言った。
「そりゃ、できたらそのまま農地を維持してくれる人がいるならその方がいいけどねえ」
あれ? なに? なんだと??? ついに本音がきましたぞ!
「ええ! ほんとに! 私、私に売ってもらえませんか?」
U子さんは、お前さん気は確かか? という顔をしている。
「ええ? 遅いわ久美ちゃん。もうちょっと早くに言うてくれとったら良かったのに。もう決まってしまったから、これを辞めるというのは、ちょっと無理なことと思うよ」
足元に群がるU子さんの孫たちが私を焦らせる。
「ですよねえ・・・でも、残したい気持ちはあるんですよねえ。だったら(ドンの)K太さんに話してみるんで、それでいいって言ったら、私に買わせてもらえますか?」
「うーん。まあねえ。でも決まったものをひっくり返すって言うのは、ご近所の関係もあるからやめといた方がいいと思うわ」
そりゃそうだよねえ。もっともな意見だよ。
「でも、とりあえず、役所に書類をもらいにいくのはストップしとってもらっていいですか?」
「うんうん、わかった。でも、ちょっと遅いと思うなあ・・・」
と繰り返す声を遮って、
「じゃあ、またどうなったか話しに来ますねー」
そう言って、子どもたちに手を振って、次はSばあちゃんのところへ走る。このおばあちゃんには元々野菜を作るために土地を借りていたので、優しい人柄を知っていた。事情を説明すると、
「ふんふん、分かったよ。書類を取りにいこうとしてたとこ。私はみんなのするようにしますからね。とにかく、土地があっちこっちに、沢山あってね。子どもたちに迷惑をかけないように、どんどんとパネルの業者さんに売っているんです」
みんな同じ状況だなあ。確かにSばあちゃんの家は我が家よりもまだまだ山のように農地を持っているそうで、既に何箇所も手放してしまったと聞いた。旦那さんも数年前に亡くし子どもたちは皆家を出てしまって一人暮らしをされている。それでも、今もできる範囲で農業をがんばっているスーパーウーマンで、私も母も妹も大尊敬している人物だ。Sばあちゃんの言う「できる範囲」がとんでもなく広い。小さい体で、2反(幼稚園の運動場くらい)くらいの田畑で野菜や米を作り、山にはハナシバを育ててお店に出荷している。信じられないパワフルさだ。しかもトラクターも軽トラも乗りこなす。何よりも、話していて農業が好きなんだというのが伝わるのが素敵だった。けれど、責任感も人一倍強い方なのだと思う。荒らして近所に迷惑をかける前に自分の手で始末をつけないといけないと語尾を強めた。
「久美子ちゃん、ようにお父さんと話し合ってみなさいね。土のまま残せるんだったらそれはその方がいいんだからね」
そう言ってくれて、じんわりと温かいものがこみ上げてきた。そのままのものなんて何一つない。人はいつかは土に返り、家は朽ち、そうなると管理のできない土地は次々に太陽光パネルになっていくのだろう。そもそも土地は地球の持ち物で、地球に返すべきなんじゃないんかい。などと考えてしまう私はガキだ、いや皆から見ると高橋さんちの次女はもはや地球外生命体だろう。でも、もし移住先を選ぶとき、果たしてあの黒いパネルの乱立する田舎に引っ越したいと思うだろうか。今の価値観が百年後も続くだろうか。百年後の人間は帰農していたりしないだろうか。新型コロナウイルスのことで経済も大きな痛手を負ってしまい、世界を含めまだこれからどうなるのかも分からない状況だ。外出できず東京で息を潜めて暮らしていると妹から米や野菜、柑橘が届いた。鶏を育てている方からは卵をいただいた。私は農のすごさ、ありがたさを思い知った。何もかもストップし、スーパーにもし食べるものがなくなったとしても、究極、米と野菜、大豆(つまりは種を繋ぐということ)、卵があれば生きていける。ここ数日で、やっぱり農地は残しておくべきだと、生きる上での根源であると思った。
新聞やテレビの討論会等でエネルギー政策について語られるとき、必ず今と同じだけの電力をまかなうことを前提として考えられることに違和感をおぼえる。「使う量を減らそう」とはならない。皆でもっと節電したら減らせるんじゃないの? と私なんかは安易に思っちゃう。自然と共に暮らす道を選んだ妹や友人がいる一方で、世間的には生活の勢いを落とすという方向へはシフトチェンジする気配さえなかった。
帰って父に、みんなのところへ行ったと告げた。みんな本当はそのままにしておきたかったのだと。Sばあちゃんの言うように分かり合えないのは承知の上で気持ちを伝えた。若い二人が農業に乗り気であること、妹も入れて四人で水田をやってみたいので機械を使わせてもらえないかということも。「農業未経験者にできるはずがないだろう」「農業をなめとんか」「なんにも知らんくせに」ざっぱーーんと、襲来でございます。来ましたー。おうおう、何でも言うてくれ。でもな、二人は言うたぞ「できるならそのままがええ」と。
父は不機嫌そうに「一晩考える」と言って、どこかへ行ってしまった。
数日後の夕方、
「K太さんのところへ謝りに行くぞ」
と、父が言った。きっと裏で母が父を説得してくれたに違いない。
既に契約をしてしまっているかもしれない。そのときは諦めること、とも言った。私達は菓子折りを持ってK太さんの家に向かった。その道の途中には幼馴染の家があって、子供の頃毎日のように通った。私と父と妹は間隔を置いて、何も喋らずに、ただてくてくと歩いた。集会所の錆びついた鉄棒脇を通り、もうだれも耕していないが、除草剤だけまかれて真っ赤に枯れた誰かの畑を眺めながら、寒々とした十一月の夕暮れだった。
K太さんは、外で農機具を洗っているところだった。庭木がきっちりと剪定されている。私は、挨拶をし、目を見て正直に気持ちを打ち明けてみた。二人は既に賛同していることも言った。父と同い年くらいのK太さんは、うんうんと、黙って私の話を聞いてくれた。
「僕らの1反分は既に申請したけど、そちらのU子さん、Sばあちゃん、高橋さんの1反分はまだしてないからね。そういうことなら、業者の方へ連絡して断っておくよ」
あまりに、すんなりで拍子抜けしてしまった。お菓子も大丈夫だから持って帰りなさいと言う。人間は話してみないと分からないということが分かった。K太さんと話すのなんて初めてじゃないだろうか。ちょっと怖そうな人と勝手に思い込んでいたが、父の百倍優しかった。父は、この契約を破棄にするということは、近所の誰もを敵に回すようなことだと言っていたが、みんなきちんと話を聞いてくれたではないか。なんじゃらほい。お互いがお互いのことばかり気にして、臆病になっていたのかもしれない。一人が心を開けば、また一人が開くのかしらね、なんて。その後、まだまだ騒動が勃発するなんてこの時の私は知るよしもなくて、そんな呑気なことを思った。K太さんに、台風の問題等について話してみると、
「そりゃあね、自然のままで残せるなら子どもたちのためにもいいと思う。ただね、地域の大半の人が後継者がおらんでしょう。スーパーへ行けば何でも買える時代だし、土地を手放したいのが本音よ。今、農地を買いたい言う人はまずおらんじゃろなあ」
と言って笑った。そうですよねえ。
「だから、パネルにしよる人を悪いことしているみたいには思わん方がええ。実際、政府も環境にやさしい方法と言って今推奨しているわけだからね。むしろ良いことだとみんな思っとるよ」
「もちろんです。悪いだなんてそんなことは思いませんよ。ただ想定できない災害があったとき二次災害が起こりかねないということと、あと、こないだ近所の子が、パネルの柵の中に入って触ってしまったそうなんですが、ビリって感電したそうで」
「ええ? そんなことなったん。それは危ないなあ」
まだまだ太陽光パネルは未知な存在なのだと思う。いや、原発と同じように殆どの人が、何かない限りその正体を知らずに人生を終えるのだろう。おじさんと、随分と長いこと話をした。会って、話をしてみることが何より大切だと思った。たとえ反対の意見同士だとしても、それでも目を見て話すことで、許し合えること、譲り合えることができてくるのだとも思った。
帰り道、三人は足取り軽くうきうきしていた。単純な親子である。
「ただいまー! お母さん、K太さん、ええよって。業者に断っておいてくれるってー」
「えーすごい! 早いねえ、もうそんなことなったん! 言うてみるもんじゃねえ」
父も心なしか諦めのついた顔をしている。改めて、何を育てることにしようかねえ。やっぱり道具も揃っているし米がいいだろうか? と妹と話し合ってみる。一区画だけは手植えにして、残りは機械を使うことにしよう。毎日食すお米を育てることが農業の基本として意味のあることだと思った。ただ、小川からの水を田に入れたり閉めたりの、水かけを毎日しないといけない。案外その良し悪しで米の味は決まる。それを妹に全部任せるのは忍びない。毎日の作業なので、田植え後は旅行に行くこともできない。一緒に作る青年達は車で四十分くらい離れた所に住んでいるので、無理だろう。
「まあ、でもそれくらいなら私がやれると思うよ」
と妹が言ってくれた。きっと楽しいことに人は集まる。そういう場所にしていきたい。そして、早速、米作りのいろはを父が若者たちに教えてくれることになった。そうそう、これかなりいい流れです。日程を決めて、青年二人が我が家へ打ち合わせにくることになった。