第5回
37歳の反抗期
2020.05.13更新
前回までのお話
太陽光パネル業者に売られるはずだった我が家含め近隣の1反あまりの農地を買い取り、自分たちで米を作ろうということになる。大反対の父だったが、隣町の友人も手伝ってくれることになり前進する。一方、隣接するK太さん達の畑1反分は先に太陽光パネルになると決まってしまい、そちらも譲ってほしいと頼むが、「まずはお父さんが納得しないことには駄目だね」と言われてしまう。 ※1反=300坪=543.7畳
(前回の記事はこちら)
父はゾエの出現により、すっかり機嫌を直してくれていた。当初は「買うならお前の名義で買えよ!」と言っていたが、父の名義でもいいとまで言ってくれている。ここでちょっとお勉強タイム。なぜ父の名義で買うのか。基本的に農地は、既に農地を持っている人しか買えない法律になっているからだ。この辺りの地域だと昔は5反以上農地を持っていないと買えない(今は3反以上)ことになっていたので、農業に興味があっても自分の土地として買うことは無理なのだった。永遠に農家は農家。町の子は町の子。結局、農家を土地にしばりつけている法律だよなと父は言っていた。もっと幅広く売買できたら、これだけ荒れ地になることもないと思うんだけどな。多分、そうなればなったで、いろいろな問題も出てくるのだろうというのも想像はできるけれど。
詳しい方に聞いたり調べたりして、農地として買えないなら宅地として買うしかないと当時の私は考えた。そのためには農地をまず宅地に転換する、いわゆる「農転」の手続きが必要だ(場所によっては農転できない農振地(農業振興地域)もあり、我が家もたくさん持っている)。
つまり、家を建てられる土地なのに農地として使うという、とてももったいないことをしなくてはいけない(でも本当はそれも違法ということを後で知る)。そして宅地は農地の数十倍の固定資産税がかかってくる。農地の場合は1年に数百円で住む税金が、宅地になった途端に数万円になるともK太さんに聞いた。父やK太さんが言うには宅地にするための司法書士さんへの手数料が10万以上と、1年に宅地の税金が4区画合わせて20万くらいはかかるだろうということだった。
それが父の名義で農地として買った場合は、名義変更の手続きの手数料等は同じようにかかるが、毎年の固定資産税は全部合わせても1万円以内で収まるのではないかとのことだった。土地は地球のものだと思っている私にとってはもはや意味不明の世界だが、毎年の税金を考えるとこれはもう頼み込んで父の名義で買うしかない。
という一連の葛藤はその後、農業振興課へ行き一蹴されるのだが、長くなるのでまた今度書きますわ。
何と言っても私の気がかりなことは、K太さん達の土地のことだ。横からパネルで照らされながら夏に作業するなんて熱帯地獄じゃないか・・・。結局そのことはちゃんと父と話し合えないまま、11月私は東京に帰った。
事件はその数日後に起こった。夕方から日比谷ミッドタウンで打ち合わせがあり、その前に資料をもう一度整理しようと、ミッドタウン内のカフェでお茶を飲みながら資料に目を通していたときだった。机の上の携帯が震えている。画面を見ると、2年に1回しかかかってこない名前が。恐る恐る電話に出ると
「久美子、こないだの田んぼの話じゃけど、おいちゃんが土地を増やすやか言うて、そんな馬鹿なことする奴には絶対に農機具をかさんと言いよるから、やっぱりなしにしてな」
お、親父よ!!!
「は? 何いうとるん? こないだみんなといつ耕すかとか打ち合わせもしたやんか! 土地もみんなで見にいったろ? 今更何ゆうとるんよ」
「お前らは、甘いゆうておいちゃんも言いよったぞ。できるわけない言うて。東京におる人を信用しろと言ってもそりゃあ無理じゃわ。ほんとにやるなら、こっちに帰って覚悟決めてやれ。とにかく農機具はかさんから」
「おいちゃん」とは、近所に住む父の弟である。この2人、マリオブラザーズみたいにそっくりで、一心同体の兄弟なのだ。弟のルイージが言うことは絶対なのである。
小さい頃、いつも叔父に耳掃除をしてもらっていた。叔父の膝に頭を乗せて、内耳がかゆくてかゆくて笑いながら。耳掃除をしてくれる人は叔父と決まっていた。そのくらいずっと心の許せる人だった。生意気は言うが、基本は素直な子供だったからだろうか。大人になって、東京で暮らしはじめ、一丁前に自分の意見を持つようになって、そういうのが全部可愛げなく映っていたのかと思うと、悲しい。
「いやいや、機械って殆どおじいちゃんが買うたやつじゃろ? 納屋だっておじいちゃんが建てたんじゃないん? そしたら私らにも使う権利あるんやないん?」「いや、おいちゃんと二人で農業しとるからな、お父さんだけでは決められんことなんよ。これでおいちゃんがもう手伝ってくれんようになったら、弱るのはわしじゃけんな」
「今言うのは遅いわー。ほんなら私からおいちゃんに電話するわ」
「やめろ、またややこしいなるやろが!」
はっ! 気がついたら、みんなが私を見ている。まずい、ここが日比谷ミッドタウンであることを忘れていた。伊予弁丸出しで喋っていた。
「またつべこべ言うて。いかんもんはいかん!」
そう言って電話が切れた。ぽかーん。まだ小学5年生だと思っているのだ、父は。私はもうとっくに大人だ。それも、もう立派なおばさんの域に達している。私はミッドタウンで農地の喧嘩をしているという、ちぐはぐさが情けなかった。ミッドタウンにも愛媛にも申し訳なかった。東京を去ることができないのは、夫がこっちに事務所を持ち仕事をしているからというだけでもないだろう。やっぱり父や叔父が言う通り、どこか宙ぶらりんで甘いのだろうか。きっぱりと、何かに別れを告げて手に入れなければならないことがあるのだろうか。まだよくわからなかった。どうにか気持ちを切り替えて打ち合わせに向かった。
正月に帰ると、母がぐったりしている。随分とマリオブラザーズにやり込められているらしかった。この状況でK太さんの土地に関して父と和解することは難しかった。K太さんの所へ行って、やっぱり1反を買う話はなしにしてくださいと話した。K太さんは、やっぱりなという顔で苦笑いしながら、
「お父さんに、おじさんじゃね? はっはっは。おじさんの気持ちもよく分かる。それが普通の考えよ。まあ、U子さんらの方の1反分は、もうパネル業者との契約も切ったのだからちゃんと買ってあげなよ。正月明けにも農業振興課へ行ってくるといいよ」
と言って、最初に書いたような税金のことなどを教えてくれた。
家に帰ってからも、もんもんとしていた。私、一生後悔するんだろうな。
お雑煮を作りながら母が言った。
「久美子は、反抗期がなかっただろ。お姉ちゃんも、M子もなかなか凄かったのになあ。いつ来るんだろいつ来るんだろと思いよったのに、いつも機嫌ようて、とうとう1回も反抗期なかった。そうじゃからな、37になってこれが初めての反抗期なんやけん、許してあげないうて、お父さんには言うたんよ。だまーっとったけどな」
私は、胸が詰まった。この年になってもまだ母にこんなことを言わせて。バカすぎる。私は学校が好きではなかったから、家がオアシスだったのだ。学校をズル休みしても笑って許してくれる家があったからやってこれた。だから、家族と一緒に過ごした場所を残したい気持ちが強すぎるのかもしれなかった。
「あんた一生後悔するわ。もう大人なんじゃから、自分で決めたらいい。お父さんのことはいいやん。自分のお金で買うんじゃからつべこべ言われる筋合いはない。K太さんとこもう1回行ってきたら?」
子も子ですから、親も親なんだなあと笑って、私は再びK太さんの家へ行った。
チャイムを押すと、またかい! とびっくりしている。
「やっぱり、買わせてください。もう気持ち変わりません」
「そう。もう大人だからね、自分の思うように生きるのも1つじゃわいね」
とK太さんも言った。
「その代わり、パネル業者が譲ってくれたらの話になるよ? あちらと先に契約しとるからねえ」
「はい。もちろん、それで構いません。本当にありがとうございます」
家に帰ると、妹と姉が呆れている。ほんまにすんません。
それで、田んぼの話だ。農機具を貸してもらえないとなると、全部手植えにするの?
ミッドタウンでは
「わかったよ、農協に機械借りて自分らでするよ」
と言ったものの、この際、別の作物を作る方が喧嘩の火種にならなくていいのではないかという話になった。私はふと祖父のことを思い出していた。
「ねえ、うちのみかん畑って昔はサトウキビ畑だったって、おじいちゃん言いよったよねえ?」
確か、愛媛でも東予の方はサトウキビ畑を開墾して戦後に流行りだしたみかんの木を植えたのだと祖父が子供の頃に話してくれた。家のみかんや八朔の木はそのときに植えたものなので、65年くらい経っている。
「そうそう、じゃけん、黒糖作ってほしいって前から言うてただろう?」
と母が言った。
「ああ、確かに、あの懐かしい黒糖食べたいって言ってたなあ」
沖縄とか奄美大島を旅したとき黒砂糖を買ってよく母に送るのだが、「美味しいけどやっぱり子供のころ食べた愛媛の黒砂糖とは違うなあ」と言っていた。
「お母さんが子供の頃は、地域ごとに製糖所があって自分で製糖しよったんよね。みんなサトウキビを作っとったように思うよ。冬になるとそこで絞って煮詰めて、それで砂糖ではなくてトロっとした蜜のままで大きな瓶に入れといてね、スプーンですくって料理に使いよったなあ。こっそり台所へいってはその蜜を舐めてなあ。その味が忘れられんなあ」
母は、まるで狂言の附子に出てくる小坊主さんみたいな、うっとりとした顔で蜜の味を思い出している。
母の友達が来たときに砂糖の話をしてみると
「ああ、赤砂糖なあ」
と言っている。なるほど、黒糖ではなく赤砂糖と言われるとしっくりくるなあ。沖縄ほどは日照時間が長くはないだろうから、黒ではなくて赤くらいの糖度なのかもなと思った。
え! まさかのサトウキビ??
もうこの甘くて美味しい赤砂糖に囚われた女子の心は誰にも止められなかった。
「でも、あれってどうやって絞るん?」
「めちゃくちゃ硬いで」
「あんなに甘いんだったら速攻猿に全部食べられるだろ」
「作れてもそっからどうやって砂糖にするんだろ」
「何月に植えるんだ?」
妹と母との相談会は深夜まで続いた。
そしてなっちゃんに謝りのメールした。
「ごめん。いろいろなことがあって急展開やー。米ができんくなって、もしかしたらサトウキビになるかも・・・」
「ほんとですか! サトウキビ! いいですね。農業できたら何でもいいんで! 手伝いますよ!」
この子も反抗期なかったとみた!