第6回
あのう、農地を買いたいのですが
2020.05.26更新
前回までのお話。
紆余曲折ありすぎたが、太陽光パネルになる予定だった土地2反のうち、まずは1反分で、農作物を作ることになった私達。当初予定していた米作りから変更し、まさかの愛媛でサトウキビ!? ところで作り方って誰に聞けばいいのかな? そもそも土地ってどうやって買うのかな? ※1反=300坪=543.7畳
(前回の記事はこちら)
2020年正月、ぼんやりとだがサトウキビを育ててみようかなあという方向になった。去年ベトナムの屋台で、搾りたてのサトウキビジュースを母と妹と飲んだ時の爽やかな甘さとライムの酸味。あまりに美味しくて、あのジュースを作りたいというドリームだけが先走っている。ネットで調べると、電動の絞り機は最安値でも30万。むむむ・・・。手絞りの機械は5万。竹やもんな硬いだろうなあ。
「これでいけるんちゃうかな? みんなで交代で絞ったらなんとかなるじゃろ」
「まあ絞れたとして、どうやって煮詰める?」
「餅つきのときにもち米を蒸しよる羽釜に入れて、ほんで下から焚き物くべたら、まあ一日ぐつぐつしたら砂糖らしくなっていくんじゃないのかなあ」
こんな塩梅であった。
そんなことより、まず苗である。そして、そんなことよりまず土地の申請である。「誰か一緒に市役所に相談に行こうや」と言ったけど、母も妹も天気の良い日は自分たちの畑の世話をしなくてはいけない。既に畑はあって、春から秋にかけては在来種の金胡麻やハトムギ、豆類やサツマイモ、トウモロコシ、夏野菜等を。冬だと白菜やほうれん草、大根、春菊や水菜などなど数十種類を育てていた。豆は大豆にして保存し、米や麦と合わせて味噌を仕込むし、春に山で採った野草は天日に干してお茶にする。そういう手仕事で年中くるくると動いている二人だ。農家というより「百姓」を目指していると妹は言う。作物はもちろん、味噌、梅干し、らっきょう、ぬか漬け、ジャム等、自分で育てた物で加工品を作り、それらをベースに食生活を送る。その土地から出た植物ゴミで発酵堆肥を作り、再び畑に還す。雨の日は裁縫や編み物をして、自分の手で作ったものを身に纏う。これが私の幼い頃からの日常だ。生活に関わる百のことができる人、お百姓。この時期は、柑橘類の最盛期でもあり、妹たちは、じっと役所にいって話を聞いている暇などないのだった。
私は1人、車を走らせ市内へ向かった。昨年新設された市庁舎は、木が多く使われ、白を基調にした明るくてモダンな都会のオフィスビルみたいだ。自動ドアを入ってすぐの総合案内のお姉さんのところに行ってみる
「どうされましたか?」
「あのう、農地を買いたいのですが」
受付の2人は顔を見合わせた。
「農地を、買いたいのですか?」
AIロボットみたいに繰り返す。そして、内線でどこかに電話しはじめた。私は慌てて
「いや、ごめんなさい。もう買う予定の農地はあって、名義変更の手続きをしたいんです」
と言った。2人は受話器を置いてまた顔を見合わせる。どう見ても農業をしなさそうな中年の女性が、1人で農地を買いたいと言ったことが怪しさ満点に映ったと思われる。そして、また電話をかけ始める。私はじわーっと脇汗をかいていることに気づいた。電話を終えたお姉さんがつやつやの髪の毛を耳にかけながら、受話器を置いた。そしてクリアファイルからコピーされた地図を取り出して言った。
「マクドナルドわかりますー?」
「あの、わからないです。こっちに住んでなくて」
「こっちに住んでないんですか?」
「え、あ、はい・・・」
ますます怪しいと思われとる。町が合併した頃に進学で県外へ出たので、実家に近い旧役場辺りしか私はわからないのだ。それに昔は地図の場所にマクドナルドなんてなかったもの。なにより、実家に帰ってきても畑か山にしか行かないので、中心街には来ることがないのだった。
「じゃあ、この地図あげますね。この農業振興センターという建物へ行ってください」
お姉さんは地図に線を弾きながら丁寧に道を教えてくれた。なんと、農業振興課はこの綺麗な建物の中には入っておらず、海沿いにあるらしい・・・私はお礼を言って市役所を出、再び車に乗る。無事マクドナルドを通過し、海を目指す。
風の吹きすさぶ海沿いの広場に農業振興センターはあった。駐車場だけがただただ広かった。高校時代の部活の合宿所を思い出す、レトロで頑健なコンクリートの建物。嫌いじゃない、この佇まい。ガラスの扉を押して中に入ると、目の前にはいきなり「会議室」と書かれた部屋が出現。電気がついているので話し合いが行われているのか、はたまたこの会議室が農業振興課として使われているのか。他に部屋がないので、多分ここだろう。でも明らかに「会議室」と書いてあるし、開けていいものなのだろうか。
見渡しても受付も案内所もないのを見ると、一見さんはまず来ない所なのだろう。閉鎖的な匂いがぷんぷんする。私は、数分間辺りをうろうろしたが会議室のドアを開ける勇気が出ず、とりあえず階段を上ってみることにした。すると左手にまたドアがある。上半分のガラス面から中を覗くと役場っぽい形態になっている。良かった、こっちが正解だな。
「こんにちはー」
小さめの挨拶と共にドアを開けるとジャージを着た男性たちが、こちらを見る。こ、これは職員室やないか。紛れもなく高校の職員室を広くしたやつだ。6列ほどに並んだ机には、体格の良い体育教師風の男性達が20名ほど座っている。それと垂直に、入り口からまっすぐに作業机を並べただけのカウンターがあって、ここが窓口のようだ。中央の石油ストーブが懐かしい香りを放っている。
「あのう・・・」
「え? 何か?」
明らかに間違って来てしまったと思われているな。白いシャツにチョッキの男性が本式ではない顔でカウンターにやってきた。他の人もきょろきょろとこちらを見ている。
「あのう、農地を買いたいんですが」
「は? え?」
職員が一斉に私を見ている。良かった、知っている人はいなさそうだ。農地だとしても土地を買っているなんて分かると、すぐ変な噂になるからなるべく地元の人には知られたくないと思ったのだ。
「畑をしようと思っていまして、それで近所の人の農地を買おうと思っています」
チョッキの男性は他の男の職員さんと顔を見合わせている。この人、何かの間違いでここに来ちゃったんじゃない? もしくはドッキリか何かじゃねえかな? という感じでこそこそ話している。
「えーと、ちょっとこちらお座りください」
「はい」
遠くの席の人も、ちらちらこっちを見ている。何だよ、売りたい人は来るけど買いたい人は来ないのかよ。こりゃ長くなるだろうなあ、と後ろの椅子にリュックを下ろしたとき、
「あれれ? 久美ちゃん? 久しぶり〜」
「せ、先輩・・・」
隣の準備室らしきところから出てきた女性は吹奏楽部の先輩だった。
「私、市役所で働いてて、今度ここに変わったんよね。久美ちゃんは?」
「えっと、はあ、まあ、ちょっと・・・」
空気を察したのか先輩は笑顔のまま、すっと自分の席に戻っていった。むしろ先輩が担当だったら良かったかも。私の前には手強そうなチョッキのおじさんだ。私は事の経緯を説明する。
「あのね、ご存知かもしれませんが、農地を買うには既に3反以上の農地を持っている必要があるんですよ。ですから無理かと思いますねえ」
「はい、知ってます。私は自分の農地は持ってないから買えないってことですよね。そこで、農転させて宅地にしたら買えますよね」
「はあ? 宅地として買って、あなたそこに家を建てるんですか?」
「いいえ、建てません。畑として使います。宅地の方が固定資産税が何倍も高いことは承知の上です。でも、どうしてもこの土地を買いたいんです」
チョッキの男性は、呆れた顔で別の職員に助け舟を求めている。そして引き出しの中から資料を出すとその職員と規則を確認しあい、今度は2人で私に言った。「あのね、宅地として買ったら家を建てないといけないんです。宅地で農作物を作るというのは許可できないんですよ」
「ええ? でも私の家、納屋と畑がくっついているところがあるんですが、納屋は宅地、畑は農地って分けるのに名義変更のお金がすごいかかるから、いいですよってなって、どっちも宅地のままですよ。固定資産税はすごく高いですけどね」
「なるほど昔はそういうのもあったでしょう。でも今は厳しくなってて駄目なんです。何年かして家が建ってないとなると指導することにもなりますよ」
「ええー! じゃあどうにか農地として買わせてください」
「だからね、あなた住民票は東京なんでしょう? だったらそもそもが買えないですよ。これはね、農家を守るための規則だからねえ」
「え・・・? この辺り、もう殆どが荒れ地じゃないですか。だったら農業したいっていう若者に、なんでもっと農業がしやすい方法を作らないんですか? 農家を守るというても、逆にしばりつけてますよ」
「私に言われたって仕方ないですよ。決まりは決まりなんだから」
そりゃそうだよね。でも、ここまで辿り着くのに、どんだけ大変だったか。近所まわって親父と死闘を繰り広げて。叔父さんまで敵に回して。
「だいたいねえ、今農地を買いたいなんて人はパネルの業者しかいませんよねえ」
「その太陽光パネルにしたくないから、その予定だった土地を私が買いとるんです」
「はぁ・・・!」
男性は目を見開いて驚いている。相当にやばい奴と思われているに違いない、宇宙人を見る目になっとる。のどかな職員室で、他の先生たちが聞き耳を立てている。正体がバレるのも時間の問題だろう。
「買って何にするの?」
「作物育てますよ」
「だって東京にいるのにどうやって管理するんですか? 農業したことあるんですか?」
「こっちにおる有志の子と、妹もこっちで農業しとるから一緒にやろうってなってて」
「ははぁ、有志・・・そういうのねえ。ほんとにできるのかなあ。基本的に土地は個人でしか持てませんからね」
一時間ほど堂々巡りの話し合いをしたが、お父さんの名義で買うことでしか許可できないと男性は言い張った。それだけは絶対に無理だ。私はもうへとへとに疲れ果てた。また振り出しにもどるのか。どうしよう・・・買えないとなっても、もうパネル業者との契約は取り消してしまったし。絶望的じゃないか。半泣きだった。
チョッキの男性が少し考えて言った。
「あなた、ごきょうだいは?」
「だから、妹が実家に住んでますよ。姉も近くにいますし」
「え? どちらか農業されている?」
「だから、妹は農業をしとるって、さっきから言うとるじゃないですか」
「だったら買えますよ。妹さんの名義で」
「はあ?」
男性は、急いで別の部屋へ住民台帳を調べに行った。
「ああ、高橋M子さんねえ。確かにいますね。お勤めもされてないね」
「だから、農業してますから・・・」
さっきから何回も言うてましたよ!!!!
「良かったね、土地買えますよ!」
ぽかーん、である。急転直下。10分で済んだことやないかい!
でも、良かった! 本当に良かった!!
「やりましたねえ」
「良かったですねえ!」
こうして、妹の名義で土地を買えることになった。もう私も男性もくたくたであった。ようやく農地売買の資料が手渡される。
「あのね、まず、この書類に必要事項を売ってくれる人みんなに記入してもらって、そして法務局へ行って土地の登記簿謄本をとってきて、またここへ持ってきて毎月15日までに仮の申請をしたら、私達が本当にあなたたちが農業をやれるだろうかと会議をします。それで認められたら、そこから本申請となるんです。いいですか。その時は司法書士さんに頼むのが楽ですが、お金はけっこうかかります。ですから、まあ頼まなくてもやる気と根気があればできなくもないです」
「大変なんですか?」
「まあ、大変ですけどね。でも、やれなくはないと思いますよ」
どれも初めて聞く単語ばかりでちんぷんかんぷんだ。なるほど、さっき一階で見た「会議室」で決めているのだろう。
「それで、何を作るんですか?」
と言うので、ここでは野菜を、ここでは引き続き米を、ここではサトウキビをと説明し、(まだ買えるかどうかはわからないが)K太さんが五葉松を植えているところは、そのまま自由に育ててもらおうと思うと話した。隣の、現在は野原になっているところもピクニック用にそのままにしますと呑気に言ってしまった。
「いやね、それは駄目なんですよ。農地を買うということは、高橋さんが農業で食べていくということを前提に許可しているわけです。だから、K太さんの五葉松が高橋さんの儲けになるならいいですがK太さんの儲けなら許可できないんで移動してもらってください。それから隣の野原の部分も、必ず何か植えて農作地として使ってもらわないと違法となります」
私ここに来てから、「えー!」しか言ってない気がする。なるほど、農業で食べていくことが基準だから既に3反以上持ってないと買えないのか。3反というのが、農業で食べていける最小規模ということらしい(いや実際は3反でなんて食べていけないと思うよ)。そもそも私は農業で稼ごうなんて思ってないし、自然をそのまま残したいから買うのだ。なんて言ったら即刻却下されるだろうから、黙って頷いた。男性の説明では、買った農地を遊ばせておくことも駄目だし、駐車場等田畑以外のことで使っても駄目、借用書なしに他の人が作物を作るのも駄目なのだそうだ。
「だったら、荒れ地にしている人は土地を遊ばせていることにならないんですか? どこもかしこも荒れ地ですよね?」
「まあ・・・ねえ・・・それはねえ・・・」
嫌な女だなあと思っているだろうけど、こっちも必死だから現状の矛盾を根掘り葉掘り聞きたくなる。
「とにかくね、最初の1年は本当に作物を作っているか、実際に見回りをします。作ってないとなると申請を取り下げることもあります」
簡単には売買できない=なかなか農家が土地を手放せないシステムになっているわけだ。そもそも農地を3反以上持っている人が、さらに農地を増やすなんてこの辺では聞いたことがない。今農業をやりたいと言っている人の多くは、「やりたい」ではなく「やってみたい」くらいの初心者たちだ。元々都会暮らしをしていた人が色々な気づきを経て、農業に興味を持つことは素晴らしいことだと思う。
もちろん借りて作ることもできる。しかし、持ち主が土地を太陽光パネル業者に売ることになったからと、長年育ててきた土地を全て手放した人も知っている。それでは、あまりに寂しいじゃないか。特にこの2ヶ月の巣ごもり生活で、食に対しての危機感を持ち、自給自足をしてみたいと思った人も多いだろう。農業が農家だけのものではなく、もう少し気軽に始められて、守られる方法があればいいのになと思った。
ということで、私はよろよろへとへとになりながら、書類をもらって職員室を後にした。何とか妹の名義で農地として買うことができそうだ。妹よ、ありがとう!