高橋さん家の次女

第14回

猿さん、山へ帰ってよう。

2020.09.26更新

前回までの話。
7月、サトウキビの9割が猿に食べられてしまった。新型コロナウイルスで帰省も難しい中、畑を続けていけるかどうかをリモートで話し合った。そして、私はまだ帰れないが3人は心機一転、猿に食べられない物を作ることに。そもそも、ここまで猿が出るようになったのは何故だろう?

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 四国山脈に囲まれた美しい私のふるさと。子供の頃はここまで動物が出てくることはなかった。祖父と山へ行くと時々猿を見かけたが、警戒心が強いため人間を見たら一目散に逃げた。猪も猿も人里へやってくることはなかったのだ。温暖化が進むのと比例して動物は少しずつ人里に近づいてくるようになってしまった。数年前からは家の門の上に座ったり、悠々と玄関から出ていく姿も目撃され、畑の作物だけでなく庭に干した玉ねぎまで食べられる始末。どうしてここまで野生動物が出るようになったのか。
 私は祖父母と同居の7人家族だった。大正生まれの祖父は農業もしながら若い頃は製材所で働いていたので、地のことは何でも知っているスーパーマンのような人で、山へ行って枝打ちをしたり木を切りに行ったりもしていた。庭でその木々をトーン、スパーンといい音をさせながら割り、薪にして、何かのツルで綺麗に縛って重ねたものが納屋の前には積まれていた。毎日学校から帰って風呂を沸かすのが楽しみだった。クラスでも薪の風呂の子は殆どいなかったように思うので、やっぱり祖父が特別なおじいさんだったのかもしれない。軽トラに乗せてもらって山へ行き清水をくんで帰ったり、猪を獲るための罠を見に行ったり、祖父のお陰で山という存在がとても近くにあった。マタギのおじさんも近所に住んでいたので、みんなで猪を狩ってきては解体して、ブロックの肉をよく持って帰ってきた。ぼたん鍋や、イノカツが食卓に出ることもそう珍しくはなく、学校から帰るとその獣臭で「うわ・・・今日、猪だわ」と分かった。
 高校生くらいになって、祖父が「最近の若いもんは枝打ちをしなくなったから、山が荒れて足を踏み入れられん状態になっとる。これは、もうちょっとしたら大変なことになるぞ」と言うようになった。父も私も「へー」くらいにしか反応してなかったし、現実味を帯びていなかった。この地のことを知り尽くしていた祖父だけが今から起ころうとしている何かを予測していたのではないかと思う。祖父はいつも「じいちゃんが死んだら全部わかるわい」と最後に付け加えた。
 祖父が亡くなって10年近く経ち、野生動物が近くの雑木林へ住むようになっていた。山へ入り、祖父のような生活をする人は誰もいなくなった。国産の木は殆ど使われなくなり製材所はいつの間にか潰れてしまった。私の家も薪の風呂ではなくなったので木は必要なくなり、必然的に人が山へ入らなくなった。もちろん登山へ行く人は多いが、それは名前のついた山だ。名前のない小さな山々へ入る人はいなくなった。それは里と山との境界線がなくなるということだった。ここからが、あんたたちの縄張りだよ、こっちは私達の縄張りだから来ちゃだめだよ。麓の山を整備することで、人の匂いや気配が残り、暗黙で境界線ができていたが、それがなくなり荒れた山の裾野は下へ下へと広がり、それをつたって猿も降りてくるようになったのだ。そしてもっと大きな問題は、枝打ちをしなくなると山に日光が入らなくなるということだ。倒木も増え、蔦ばかりがからまり鬱蒼とした動物さえも住めない森になってしまうのだと祖父がよく言っていた。こうして猿たちの山の食べ物がなくなっていったのも想像できる。
 戦後、木材需要が高まり国が推奨して成長の早い杉の木を大量に山に植えてしまったことも祖父から聞いた。針葉樹林の杉は広葉樹よりも育つのが早く、まっすぐ上に伸びるので建築材にするにも使い勝手がいいのだそうだ。しかし、杉は根の張り方が広葉樹のように広がらないので、大雨のときに地すべりを起こしやすいということも言っていた。そして多くの針葉樹林はどんぐりや栗のような猿たちが食べられる実をつけない。
 それに、一度楽して食べられることを覚えてしまったら猿も猪も苦労して木の実を探すことをしなくなるんじゃないかな。木の実よりもおいしい、ぶどうや柿、トマト、なす、畑はビュッフェのように選り取り見取り。猿の数は爆発的に増え、何より問題なのは人間を怖いと思わなくなったことだ。数年前まではまだ人里へ降りてきても追い払うと逃げていた。しかし今は、歯茎を出して威嚇してくるようになってしまった。猿の牙や爪で子どもやお年寄りが襲撃されたらひとたまりもないだろう。全国では熊が集落へ出てきている地域もある。食べ物だけの被害で済めばいいけれど、年々動物への危機感は募っていく。
 猿対策に関しては、市役所が開いている講演に行ったりもしたけれど、本で調べたことと同じような内容で根本的な解決策は見つからなかった。人に近い姿をした猿を撃つことには抵抗があるとマタギの方が言っていたが、その気持ちもとても分かる。松山市などはモンキードッグといって訓練をうけた犬が猿を山へ追い払うという方法にも乗り出しているみたいだが、私の市は大規模農家がほとんどいない地域なので、問い合わせてみるがあまり農業支援に力を入れてくれない。「猿との知恵比べじゃ」と近所のおじさんが言っていたけれど、猪や鹿に比べて頭の良い猿を追い払うことは至難の業だなあ。
 今になって祖父に学びたいことばかりだ。でも、私達は私達のやり方を見つけて動物や地域の人とバランスよく共生していく術を見つけたい。今には今のベストがあるはずだ。

 さて、サトウキビのなくなった畑に、妹たちは新しい種を植えてくれた。春菊や明日葉、もち麦、ほうれん草など、猿の食べない野菜を。新しい方法で、試行錯誤しながら気長にやっていくしかない。私も正月くらいには帰れるかなあ。

高橋 久美子

高橋 久美子
(たかはし・くみこ)

作家・作詞家。1982年愛媛県生まれ。様々なアーティストに歌詞提供を行う他、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、翻訳、詩の朗読など文筆業を続ける。また、実家の愛媛と東京を行き来しみかん、米等の農業も行う。食べると生きるを考える「新春みかんの会」を主催して8年目。著書にエッセイ集『いっぴき』(ちくま文庫)、絵本『赤い金魚と赤いとうがらし』(福田利之/絵、mille books)など。翻訳絵本『おかあさんはね』(エイミー・クラウス・ローゼンタール/著、トム・リヒテンヘルド/絵、マイクロマガジン社)でようちえん絵本大賞受賞。webちくまにて短編小説も連載中!近著に『今夜 凶暴だから わたし』(ちいさいミシマ社)がある。

公式HP:んふふのふ 公式Twitter

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