高橋さん家の次女

第25回

北の大地へ 前編

2021.05.07更新

 4月中旬、ダウンコートを鞄に押し込んで、とかち帯広空港に降り立った。空港のベンチで待っていると、「くみこさーん!」と飛び込んできたのは、以前この連載でも紹介した、猟師でライターの中村まやさんだ。まやさんは、蝦夷鹿を狩猟するために1月から十勝に来ていた。彼女が北海道で狩猟できる期間は3月で終了していたが、師匠のお手伝いなどをしながらこちらで暮らしていた。
 私は、彼女が獲り解体した鹿肉を度々譲ってもらい食べていたので、そのお肉がどのような場所で生きていたのか、どのように解体され私の元に来たのかを知りたくて彼女を訪ねたのだった。
 雨の予報を打ち消す晴天、「だって私たち晴れ女だもんね」と笑いながら、彼女の車で走る走る。ああ、空が広いなあ。家がほとんどない。車とすれ違うこともない。白樺並木の両側に、見渡す限り延々と畑が広がっている。広すぎて見渡せないほどだ。真っ直ぐに伸びる道を走れども走れども同じ景色が続いた。1つの農家さんで小さくても東京ドーム5個分とかだそうで・・・。四国の街がまるごと一個入ってしまうんじゃないだろうか。トラクターも納屋もアメリカサイズ。私たちのやっている段々畑がレゴに思えた。茨城や宮城の農地の広さにも驚いたが、比にならぬ。北の大地に、面食らってしまった。
「ここはカルビーのポテチ用のじゃがいも畑だよ」
「ここは雪印の工場ね」と、まやさん。すっかり十勝の子になっている。
 なるほど。これだけ田畑が続くが太陽光パネルが並んでいる場所を一度も見なかった。

 狩猟をするからさぞ山奥なんだろうと思っていたら、彼女の住んでいる広尾町という町を地図で見ると、十勝の中でもかなり海沿いの地域なのだ。
 広尾町に行ってまずびっくりしたことは、海岸から道一本隔てた目と鼻の先が山であるということ。その山からは滝が激しめに落ちている。こんな地形って珍しいと思う。実際、まやさんの師匠の白幡さんは、猟師であり漁師だった。
 山では猟友会が年間に数百頭の鹿(時に熊も)を狩り、海では魚介類が獲れ、少し歩けば田畑が広がり、さらに車を走らせば5分に1軒の間隔で牛舎や牧場をみかける。
 まやさんは、広尾町の菊地ファームという酪農家さんの離れ(本当に離れている!)を間借りして住んでいたので、私も酪農体験などさせてもらいながらまやさんの家に泊めてもらうことになった。菊地さんの奥さんのあきさんが、さらっと「広尾町は自給率が1200%だからね」と。なぬ〜? 聞いたことない数字だ。なんと、1人で12人分のエネルギー量を賄える食を生み出しているということらしい。十勝は日本の台所なのだ。クラスメイトの殆どの家が漁師か農業か酪農等の第一次産業だったと地元の子が言っていた。もし日本が鎖国しても平気でやっていける逞しい町だ。

 車で海沿いを走れば、漁師さんたちが昆布を引っ張り家々の軒先に布団のように干している美しい風景。今時期は"拾い昆布"と言って、打ち上げられた昆布を採るシーズンなんだそう。東京ではなかなかお目にかかれない本シシャモも広尾の名産だ。
 シシャモは鮭と同じように河川にそ上して産卵する魚だというのも広尾に来て初めて知ったが、現在は北海道のわずか5河川に限られるそうだ。
 今まで食べていたシシャモよりも身がふわふわで味も濃く、もはや別物である。シシャモというと卵のイメージだったけれど、雄の方が美味しいことにも驚いた。

 まやさんの家に、タコやキンキ等を持ってきてくれたのが漁師の保志弘一さんだった。私と同世代の保志さんは色白で文学少年のようなルックスだけれど(冬は白くなるそう)、話してみると広尾の海を愛してやまない根っからの漁師だった。
 漁師の高齢化や漁獲量の激減等、ニュースでもよく耳にしていたが、広尾町でも現在おおよそ120軒ある漁家が5年後には60軒に減るだろうと保志さんが話してくれた。漁師の世界(広尾町の漁業組合の場合)は世襲制度で新規参入が認められていないという話も目から鱗だった。
 数年前まで一籠に10匹は獲れていたカニが、今では1匹か0のときもあり、徐々に規模を縮小しているという。無理に人を増やしたり漁獲高を上げたりするのではなく、新しい漁業のあり方を模索したいと言っていたのがとても印象深かった。それは、新しい農家のあり方を模索する地元のみかん農家の友人たちの考えとも似ていた。保志さんは、仲間がほしいし勉強したいからと他の漁師町へ出向いて、様々な交流を深めている。
 広尾町はシシャモや時しらず(夏にとれる鮭。産卵期でないため油がのっておいしい)も有名だが、昆布が名産だ。まやさんは車にいつも昆布をつんでいて、ガムの代わりに昆布をかんでいる。北海道で1時間車を走らせるのは本州の15分の感覚らしく、2、3時間は朝飯前。車の中でお腹が空いたら昆布をパリポリ食べるのである。噛めば噛むほど出てくる旨味、止まらないし止めなくても健康食だもの。

 後日、保志さんの昆布小屋を見学させてもらった。薪のように美しく束で積み上げられた昆布の隣で大きなナイロン袋にパンパンに押し込まれた切れ端の昆布がある。
 昆布はなんと13等級にもランクが細分化され、1等や2等のものは高級料亭等で高く売買されるそうだ。ところが、カットされた後の半端の昆布は、例え1等のものでも他の等級の切れ端と一緒にタダ同然の値段で販売されるそうだ。私は実家のみかんのことを思い出していた。形の悪いものや皮に傷のあるものは全てタダ同然の値段でジュースに加工されていく。こだわりをもって丁寧に作っても、同じコンテナに積み上げられる切なさ。
 クズにされてしまう、等級の高い昆布を他の形で独自に販売できないかと、保志さんや仲間たちは試行錯誤を続けていた。切ったあとの長さが規定に足りなかったというだけで味も艶も一等品。保志さんたちの新しく開発しようとしている商品の話も少し聞いたけれど、家庭に美味しいと便利が一緒にやってくる画期的な方法だ! 商品化、期待しています!

 乳製品をこんなに食べたのも生まれて初だった。一週間十勝にいたが、いろんな牧場を巡りながら毎日、チーズ、ヨーグルト、牛乳、ジェラート・・・食べましたねえ。もうねえ、美味しいんです。飼料や育て方で牧場によって味にも個性があり、食べ比べができるのも十勝ならではだ。
 菊地ファームの菊地さんご夫妻も私と同世代だが、なんとこの土地へ来て新規で酪農を始めたパワフルな二人。数名の若いスタッフたちと80頭の牛たちを束ねる。
 牛に飼料をあげるお手伝いや搾乳体験をさせてもらった。
「是非一頭一頭の表情を覚えて帰ってください。牛乳が生き物の乳なんだということを感じてもらえたら」と菊地さん。
 確かに、よく見ると一頭一頭性格が違う。食べるのが早い子、人見知りタイプ、好奇心旺盛な子、人間のように個性がある。種類でも性質は違い、茶色のブラウンスイスは好奇心旺盛で人懐っこいけれど、白黒の柄をしたホルスタインはシャイで日本人気質なのだとか。
 菊地ファームでは、牛たち全員にヒナコとか、アイスとか名前をつけて家族のような距離感で育てている。人も牛も互いへの眼差しが優しい。「それぞれの個性を見ながら接するとすごく楽しいんですよ」とあきさん。
 家族とはいえ700キロ近くもある牛のお世話は、一歩間違ったら命を落とす危険と隣り合わせだ。
「絶対に牛の後ろには立ってはダメだよ」と最初に教わった。
 牛は人間と性格が似ているそうで、先輩牛が来たりすると、どうぞお先にと、咄嗟に下がって道を譲ったりするのだそう。そういうときに後ろに立っていたら思わぬ事故になることがあるのだそうだ。
 いよいよ搾乳だ。牛の足元にしゃがみ乳に手を伸ばすとき心臓がバクバクした。これほど大きな動物に対峙するのは、タイで象に乗って以来だ。
「自分の手に少し絞ってみてください」――
 ゴム手袋越しだが、牛の乳房は温かく、そこから出る乳も温かかった。
 牛乳は母乳なんだ。
 スーパーに並ぶ冷えた牛乳しか知らない私にとって、その体感が何よりも刺さった。そして、搾乳できる牛たちは当然、皆出産後なのだ。人間と同じように、子に飲ませるために作られた乳を私たちがいただいているということ。頭では分かっていたが、そのことを想像して飲む牛乳は重みが違った。
 菊地ファームの牛の妊娠回数の平均は3回弱だというが、中には11回目の妊娠をしているアイスという高齢の牛もいて、その乳は地面につきそうなほどに大きかった。
 搾乳の順番が来るまで皆おとなしく待ち、4つの乳首に機械を取り付けると、自動で搾乳が始まる。 "9リットル"というようにデジタルで乳量が出るようになっている。こうして牛たちを誘導して1日2回の搾乳をする。生き物相手なのでお休みはない。 

 十勝に来る直前、「久美子さん、ラッキーですよ。丁度放牧が見られますよ!」とまやさんが知らせてくれた。
 菊地ファームでは、4月の中頃になると牛たちを放牧させて生の牧草を食べ自由に散歩させるのだ。牛乳のパッケージなんかに、草原で自由を謳歌している牛の姿が描かれていたりするけれど・・・実際に放牧をさせている酪農家は十勝でも殆どいないのだそうだ。それだけ土地も人も必要になってくるし、誘導の大変さもあるからだ。
 放牧初日、嬉しそうな牛もいれば、少し戸惑っている牛もいる。この日を待ってましたとばかりに飛び跳ねて転ぶもの、私たちに興味津々で移動しなくなったり、牛同士で体当たりしてじゃれ合うもの、予想以上にてんやわんやの運動会。まやさんいわく、牛は本来とても臆病な動物なので、こんなに人間好きなのは大事に育てられている証拠なのだそうだ。
「さあ、ではみなさんも柵の中に入りましょう」と菊地さん。え! この中に入るの! 怖いなあ。人間好きな牛がめちゃめちゃ寄ってくる。で、でかい。大阪からやってきたという、小学生とお母さんは躊躇せず群れの中に入っていく。私も始めは端っこにいたが、少しずつ馴染んで、名前を呼びながらなでてみると、かわいいなあ。この子たちの体の中でできたお乳をいただいているんだ。

 名前をつけて大切に育てた牛だが、最後はお肉としていただく。菊地ファームに併設したカフェに入ると、ジェラートの隣に「今日のお肉はミライです」と書かれた黒板と牛の写真があった。ここでお肉も買えるのだ。最初はぎょっとした。けれど、それは菊地さんたちにできる最大の感謝であり愛情なのだと、牛に対する眼差しを見ているとわかる。
 乳の出なくなった・・・つまり妊娠できる期間を終えた牛は解体されお肉として売り出されるという現実を、隠すことなく菊地さんは私たちに見せている。私は、酪農家としてのプライドと覚悟を感じた。牛乳を飲むということは、命をいただくことなんだと知った。
 毎回、解体所へ連れていく前には号泣してしまうという話を聞いた後にいただいたミライの体も、牛乳も、いつもの何倍も体に染み渡った。ほんのりと甘い、優しくて濃い牛乳の味が忘れられない。
 菊地さんたちの牛乳の大半が十勝の大手乳業メーカーに引き取られている。どこかできっとみなさんの口にも入っているはずだ。

※ 次回も十勝広尾町の自然レポートです。まやさんのお師匠について山に行った話を書きますね。

菊地ファーム:https://kikuchifarm.jp

広尾漁業協同組合:https://tokachibare.jp/post_spot/post_spot-2927/?fbclid=IwAR2xkbbemWy2DgwsM0fcF3ftrnDeL7fwh5RyunNkluzs-RAsdJw8Zi3hwD8

高橋 久美子

高橋 久美子
(たかはし・くみこ)

作家・作詞家。1982年愛媛県生まれ。様々なアーティストに歌詞提供を行う他、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、翻訳、詩の朗読など文筆業を続ける。また、実家の愛媛と東京を行き来しみかん、米等の農業も行う。食べると生きるを考える「新春みかんの会」を主催して8年目。著書にエッセイ集『いっぴき』(ちくま文庫)、絵本『赤い金魚と赤いとうがらし』(福田利之/絵、mille books)など。翻訳絵本『おかあさんはね』(エイミー・クラウス・ローゼンタール/著、トム・リヒテンヘルド/絵、マイクロマガジン社)でようちえん絵本大賞受賞。webちくまにて短編小説も連載中!近著に『今夜 凶暴だから わたし』(ちいさいミシマ社)がある。

公式HP:んふふのふ 公式Twitter

編集部からのお知らせ

髙橋さん初の小説集! 『ぐるり』(筑摩書房)が発刊となりました!

71THkiBRSLL.jpg

webちくまで連載していた短編小説に「群像」等に掲載された作品も加え再編成した19編!何気ない日常の細やかな熱を切り取った物語たちは、地球上のどこかでぐるりと繋がっていきます。(高橋久美子さんHP「んふふのふ」より)

詳しくはこちら

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 『くらしのアナキズム』(松村圭一郎 著)「はじめに」を公開!

    『くらしのアナキズム』(松村圭一郎 著)「はじめに」を公開!

    ミシマガ編集部

    今月、文化人類学者の松村圭一郎さんによる、著書『くらしのアナキズム』を刊行します。ミシマ社からは、『うしろめたさの人類学』以来、4年ぶりとなる松村さんの新刊です。本日は、9月24日(金)のリアル書店先行発売に先立ち、『くらしのアナキズム』より「はじめに」を公開いたします。刊行記念イベントも予定しておりますので、ぜひご注目ください。

  • 特集『三流のすすめ』発刊記念 安田登×平川克美 対談(前編)特集『三流のすすめ』発刊記念 安田登×平川克美 対談(前編)

    特集『三流のすすめ』発刊記念 安田登×平川克美 対談(前編)

    ミシマガ編集部

     7月22日、平川克美さんが店主をされている隣町珈琲のブックレビュー対談に、『三流のすすめ』著者の安田登さんがゲストとして登壇されました。リアルイベントにお客としてうかがったミシマ社のホシノとイケハタが、そのあまりの面白さに、これはもっとたくさんの方に届けたい! と切望し、その一部を公開させていただくこととなりました。 中国の古典から現代の政治まで、止まることなく転がり続けた、“落ち着きがない”お二人の対話、2日間にわたってお届けします。

  • 本のこぼれ話

    作者・デザイナー・編集者による、もっと知りたい人への深掘り絵本トーク

    ミシマガ編集部

    網代幸介さんによる絵本『てがみがきたな きしししし』の刊行から2カ月が経ちました。昨日(9/4)より、広島のREADEN DEATにて原画展を開催中です。本日のミシマガジンでは、この作品をより深く知ってもらうべく、『てがみがきたな きしししし』が生まれるまでのきっかけや、ブックデザインの制作秘話についてお伝えいたします。

この記事のバックナンバー

07月03日
第27回 今日が始まりの日だ(最終回) 高橋 久美子
05月29日
第26回 北の大地へ 後編 高橋 久美子
05月07日
第25回 北の大地へ 前編 高橋 久美子
04月17日
第24回 ぶどうと千萱 高橋 久美子
03月24日
第23回 東京でサバイブするということ 高橋 久美子
02月14日
第22回 世界の台所を旅する 高橋 久美子
01月30日
第21回 東京の農業 愛媛の農業 高橋 久美子
01月14日
第20回 うし年の、お肉の話。 高橋 久美子
12月11日
第19回 師走のひとり言。 高橋 久美子
11月24日
第18回 みかんの季節です。 高橋 久美子
11月11日
第17回 山のギャング現る 高橋 久美子
10月28日
第16回 種は誰のもの? その2 高橋 久美子
10月14日
第15回 種は誰のもの? その1 高橋 久美子
09月26日
第14回 猿さん、山へ帰ってよう。 高橋 久美子
09月14日
第13回 ふりだしに戻るの!? 高橋 久美子
08月31日
第12回 私達が植えた未来 高橋 久美子
08月17日
第11回 黒糖の道も、一本から。 高橋 久美子
07月30日
第10回 ぴかぴかの黒糖の誕生! 高橋 久美子
07月20日
第9回 黒糖部の先輩たち 高橋 久美子
06月28日
第8回 姉妹、黒糖工場へ! 高橋 久美子
06月14日
第7回 奄美大島と愛媛のサトウキビ 高橋 久美子
05月26日
第6回 あのう、農地を買いたいのですが 高橋 久美子
05月13日
第5回 37歳の反抗期 高橋 久美子
04月25日
第4回 輝く若者たち 高橋 久美子
04月10日
第3回 どんでん返し 高橋 久美子
03月24日
第2回 ビアトリクス・ポターになりたい 高橋 久美子
03月13日
第1回 久美子の乱 高橋 久美子
ページトップへ