高橋さん家の次女

第26回

北の大地へ 後編

2021.05.29更新

お知らせ
この連載が、加筆・再構成して本になりました。ぜひ書籍でもご覧ください。

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『その農地、私が買いますーー高橋さん家の次女の乱』高橋久美子(著)

 北海道、帯広は広尾町という食料自給率1200%の町に降り立った4月のこと。後編です。(前編はこちら

 白樺並木を走ると北海道に来たなあという気分になる。あの憂いのある美しさ。樹木界のスーパーモデルだよなあ。
 そんな白樺の樹液の採取を見学に行こうとまやさんが言う。この華奢な白樺から樹液を取るとな? 朝8時に宿を出てどこへ向かうとも知れず車に揺られた。
 既に作業中の方々に「おはようございます」と挨拶すると、みんな白樺の下に置かれた鍋を取っては、トラックのタンクに運んでいる。トラックの荷台では鍋の中の匂いを嗅ぐ人がいて、合格ならばタンクに入る。カナダのメープルシロップみたい。
 草原に並んだ100本近い白樺の幹にはワインコルクほどの穴が開けられ、取り付けられたホースを伝って鍋にポチポチと樹液が落ちる。一晩で鍋の半分、多いのは満タンに溜まっている。樹液というのでカブトムシの餌のようなネトネトしたものを想像していたが、見た目は水と変わらない。飲ませてもらうと、わずかに甘みとキシリトールのような清涼感があるが、やっぱり水に近い。
 若葉が出るとぴたっと樹液が止まるので、雪解けの2週間だけだそう。見学させてくれた"インカルシペ白樺"の方が「北欧やロシアでも、同じように白樺の樹液が古くから飲まれているんですよ。それも、向こうは発酵させて飲む文化があるんです」と話してくれた。私達がお手伝いしたものは化粧水になるそうだが、元々はアイヌの方々が飲んでいたそうで「魔法の水」と呼ばれるほどに栄養価が高いのだそうだ。「しゃぶしゃぶやコーヒーを入れる時に使うと絶品になるよ」と。確かに、コーヒー美味しいだろうなあ。
 雪に覆われた大地で暮らす人々はこうして体に必要な養分をとっていたんだ。食文化とは環境が織りなすものだなあ。

 北海道出身の子が徳島に移住してきて何に驚いたかって、スーパーに羊肉がないことだと言っていたのを思い出した。北海道では、牛や豚と同じように羊肉の棚があり、生活に欠かせない存在だという。
 養羊をしている方で面白そうな人がいるというのでアポをとり会いにいく。夕日を追いかけるように"緬羊牧場BOYAファーム"へ向かう。薄暗くなった山道をしばし走ると牧場に到着。車を下りると夕闇から赤い作業着と長靴姿で颯爽と安西さんが現れた。「やあやあ、ようこそ」にこやかに羊舎の中を案内してくれた。
 元々、縫製工場として立ち上がったBOYAファームは、昭和63年に新規事業として養羊を始めたそうだ。安西さんは当時畜産大学の4年生。大学に残って研究を続けようと思っていたところ、案内を見て面白そうだと就職を決めたそうだ。
 BOYAファームの羊の育て方を聞いて驚く。基本はずっと山林の中での放牧なのだ。
「ウールをまとっているから寒さには強いよ。5月〜10月はずっと羊は山で暮らしてます」
「え! 眠るときも、山で寝るんですか?」
「ええ。基本2週間は林間放牧で、放置したままです」
 その広さを聞いて、くらくらした。1牧区が15ヘクタール(東京ドーム3個分)で、4〜5牧区もっているそうだ。1牧区の草を食べ尽くしたらまた別の牧区へという、より自然に近い育て方だ。

 私達が案内してもらったのは、半地下の畜舎だったが、ここにいる子たちは出産前後の羊や子羊だけで、体調を整えるために冬場の夜だけは畜舎で過ごす。
 この畜舎は元縫製工場だそうで、平成14年に縫製部門が廃業後、断熱のきいた縫製工場を改装し畜舎にしたそう。
 羊たちは、穏やかな表情で藁を食べ塩をなめ、子羊が柵を飛び越えて藁の山の上で遊ぶ。白いのも黒いのも、まだらのも、かわいい。この羊小屋だけで百頭はいるだろう。
 外にも確かに羊たち放牧されている。総勢1000頭!! そのうち年間に200〜300頭が食肉として出荷されるようだ。
 先程、2週間は山に放牧と書いたけれど、2週間後どうやって羊を戻すのかというと、犬たちの出番である。BOYAファームは、羊を誘導する牧羊犬の育成でも有名で、シープドックショーを見に年間1万人近くが訪れていた。殆どの収入源はショーだったのだが、去年はコロナの影響で行えず、経営は悪化。今後、余分に100〜150頭の繁殖用のメス羊を減らす予定となっている。レストランの休業で羊肉の注文が減っていることも追い打ちをかけているようだ。
「まあ、今までも大変なことを何度も乗り越えてきましたから、規模を縮小しながらなんとか切り抜けられるでしょう」と言う背中からは、羊と共に30年以上過ごしてきた経験と手応えが感じられた。
「気をつけて。こないだも、そこまで熊が来てたから」と安西さん。というのも、年間に70〜80頭が山から帰ってこないので、おかしいなあと罠を仕掛けたところ、熊がかかったそうなのだ。食べるだけでなく、爪で傷つけられ感染症を起こして死んでいたそうで、最近は遠くまでの放牧はやめているそうだ。白樺の樹液採取場でも昨日熊が出たと言っていたが、北海道で暮らすことは野生動物との共生が大前提。自然の豊かさと厳しさはいつも隣り合わせだ。
 かわいい羊を見せてもらった後に、羊肉を買って帰る。少しおセンチな気分になるわけだけれど、熟成香をかけて瞬間冷凍させた羊肉は臭みがなく、塩だけで食べられるほど美味しかった。まやさんと、「安西さんの育てたあの羊たちがまずいわけないよね」と話しながらいただいた。クラウドファンディングや羊肉の通販も行う予定。

 "しあわせチーズ工房"、"エゾレザーワークス"、狩猟と民宿を行う"ぎまんち"など、同世代の様々な生産者たちに会わせてもらった。皆、いい顔をしてらっしゃった。この大地を愛し、この地から生まれる命と共に暮らしていた。安西さんを含め、みんな移住者だったのも驚きなようで納得できた。ここで育った多くの若者がこの土地を離れ、逆に外から入ってきた人が暮らす。宝の詰まった大地でも、外に出たいという気持ちも分かる。外から見るから輝いて見えるということはどの地域でもあることだ。

 さて、広尾生活最後の数日、私はまやさんとお師匠さんの白幡さんの猟に同行させてもらうことになった。白幡さんの家に集合し、トラックに乗り込む。昨日仕掛けたという罠に鹿がかかっているかを見に行く。白幡さんは、海の漁師さんでもあるので、70代とは思えない引き締まった筋肉をされている。猟師さんってもっと無口で硬そうなイメージだけど、笑顔が優しく山のことをいろいろ教えてくれた。
 町から15分ほどで狩猟のできる山に到着すると、目の前をオジロワシがすごいスピードで低空飛行していく。半矢(撃ったが致命傷を与えられなかった)の鹿を狙って鳥が集まっているのだろうとのこと。そもそも私はオジロワシを見るのが初めてだった。山の王者の風格が漂う雄々しい鳥。東京のカラスの5羽分はあるだろう。
 鷲でびくびくしている私は、鹿がかかっていてほしいような、いないでいてほしいような複雑な心境になってきた。白幡さんについて木々の茂みに作った罠のポイントを、一つ、二つとチェックしていくも・・・鹿はかかっていなかった。雪や雨の日は一日に何頭も捕れるそうだが、春の晴天となると、かからない事も多いそうだ。見たかったはずなのに、私はどこかほっとしていた。まだあんたにゃ早いわと言われたようだった。昨日の強風で、罠の上にかけた葉っぱや土が見事に飛ばされて見破られていたようだ。
 もう一回別の場所に仕掛けることになった。「ここに鹿の道ができているでしょ」と白幡さん。ほうほう、生い茂る緑の中に一筋の獣道ができている。「まず、一歩目にここを踏む。二歩、三歩」鹿が着地するだろう箇所を歩く白幡さん。「後ろ足にかかってしまうと、足をもいでも逃げてしまうから、前足にかけなきゃいけないんだ」
 信じられないが、そこまで鹿の動きを読むのが罠猟なんだ。
「野生動物との駆け引きだから。今回は僕らの負け。そんな時はそれ以上やっきにならない。山を楽しむ心を忘れてはいけないよ」と白幡さんは笑った。
 今日は罠猟だが、まやさんも白幡さんも普段は銃猟を行う。
 5キロ近くある猟銃を構えて、100メートル先で動いている鹿を撃つということがどんなに凄技であるか。しかも足場は不安定な急斜面だ。数ミリのズレが100メートル先では数十センチになる。鷲たちに狙われた鹿のように半矢で逃してしまうと、その後鹿に長い間苦しい思いをさせることになるので、一発で仕留めるように少しの呼吸の乱れも許さない世界。初心者のまやさんは、ただでさえ緊張するのに、集団戦法で狩りをしていて外したとき「馬鹿野郎!」と先輩ハンターから叱られることがプレッシャーになり、余計に撃てなくなって悪循環におちいったそうだ。
 白幡さんは他の先輩と違っていた。「山を楽しむことが一番だから、外しても大丈夫。気にしないでいい」と言ってくれた。そして、まやさんの構えを見て「君の構えなら絶対に撃てる!」と励ました。その言葉で、リラックスして狩りができ見事ファースト蝦夷鹿をこの北の大地で仕留めることができたのだった。
 ハンターが今若い人の間で人気となり、試験を受ける人は年々増えているそうだが、後継者を育てることは難しいのではないかとまやさんは言う。撃つのと教えるのは別で、白幡さんのように気長に、そして具体的に山で指導してくれる方はなかなかいない。二人は、孫とおじいちゃんのように、微笑ましいチームワークで罠を仕掛けていった。私も罠に葉っぱや土をかけるのを手伝った。「ここに糞がある」「足跡がある」「この辺りに気配が残っている」二人の見ている山は動物目線だった。

 それから、私達は山歩きをした。なかなか現れないというオシドリのつがいを見られたり、珍しい形のサクラソウの群生地を教えてもらったり、そうそう蝦夷鹿の角拾いもした。鹿は毎年角が生え変わるそうで、2歳は二つ又、3歳は三つ又、と毎年角の枝分かれが増えるのだそう。
「あ! あったー!」「こっちもあった。4才だね」
 アンティークショップなどにある、立派な鹿の角が草原にぽこんと落ちている。ここは動物の庭なのだ。そんな時も白幡さんは猟銃を持って遠くをきょろきょろ。いつ熊が出てもいいように気を引き締めて歩く。20年前、熊の子を撃ってしまい、親熊に狙われていた時期があったとか。「熊は車のナンバーを覚えるくらい賢い動物。子熊を撃った人間の車が再び山へ来るのをじっと待っていたんだ」
 そこで聞かされた熊との武勇伝は、凄まじいものだった。ハンターにとって、熊撃ちは永遠のロマンスでもあるのだろう。
 逆に、まやさんは鹿肉を食べたいという思いからハンターになった。全国で駆除された鹿やイノシシの殆どが食べられていない。ここ広尾でも、食肉にされる鹿はほとんどいないという。その場で、鹿に番号を書き、しっぽを切り、写真を撮り役所に申請すれば害獣駆除として謝礼が出る仕組みになっている。
 まやさんの気持ちがすごく分かる。あの鹿肉を一度食べたら、捨てるなんてもったいないと思う。そして、それが命の最後として正しいのではないかとも思う。
 けれど、この山の上から150キロある鹿を瞬時にトラックまで下ろし、解体施設まで運ぶのは不可能に近いということも山に同行して実感した。1時間以内に血抜きをしないと臭くて美味しくなくなるそうだが、荷物を持ってなくとも転げ落ちそうな急斜面だ。
 なんといってもお肉は処理の仕方で全く味が変わる。まやさんは、山ですばやく血抜きをし、お肉がおいしく食べられるように適切な処理をするので臭みが全くないのだ。レストランにおろしたらいいのに! と思うけれど、衛生上の決まりで解体施設で処理したものでなくては市場に出せず、仲間内でいただいている(私はとっても嬉しい)。
 特別な機材をトラックに積んで仕留めてすぐに解体して冷凍するというシステムを作っている団体もあると聞くけど莫大な費用がかかるだろう。
 白幡さんの倉庫のでっかい冷凍庫には鹿肉が山のように入っていて、まやさんが仕留めた肉もここに保存させてもらっている。保存場所だって必要だよね。
 その夜、バーベキューでいただいた鹿肉はやっぱり最高に美味しかった。まやさんの夢は自分の仕留めた鹿肉をレストランにおろすこと。この広尾に数ヶ月のうちに溶け込んだバイタリティーのある彼女ならきっと近い将来叶えるのではないかと思っている。

 翌早朝、白幡さんからのラインで目が覚めた。
「罠に鹿がかかったよ。やっぱり前足にかかった!」
 さらに数日後、東京に帰ったあと白幡さんから2頭の熊の写真が送られてきた。白幡さんが子供に見える、300キロの信じられない大物。
「高橋さんも熊の爪いりますか? 広尾のふるさと納税の返礼品にもなってるんだよ」
 熊の爪がふるさと納税。やっぱりすごい町だ。

BOYAファームホームページ
https://www.boyafarm.com/

インカルシペ白樺ホームページ
https://incalshipe.jimdofree.com/白樺樹液/?fbclid=IwAR2XthebB_8zbDnKx0c9Zz1VFRs9a1yD0eR3iS1DtEYFIXsBnKJp5TPAuPE

中村まやさんのインスタグラム
https://www.instagram.com/mayamon78/?hl=ja

高橋 久美子

高橋 久美子
(たかはし・くみこ)

作家・作詞家。1982年愛媛県生まれ。様々なアーティストに歌詞提供を行う他、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、翻訳、詩の朗読など文筆業を続ける。また、実家の愛媛と東京を行き来しみかん、米等の農業も行う。食べると生きるを考える「新春みかんの会」を主催して8年目。著書にエッセイ集『いっぴき』(ちくま文庫)、絵本『赤い金魚と赤いとうがらし』(福田利之/絵、mille books)など。翻訳絵本『おかあさんはね』(エイミー・クラウス・ローゼンタール/著、トム・リヒテンヘルド/絵、マイクロマガジン社)でようちえん絵本大賞受賞。webちくまにて短編小説も連載中!近著に『今夜 凶暴だから わたし』(ちいさいミシマ社)がある。

公式HP:んふふのふ 公式Twitter

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