野生のしっそう

第4回

黙祷と叫び 1

2021.08.14更新

疾走の構え

 兄が走るとき、無言のことはない。おーーーーーーーーと叫びながら、馬のギャロップのように跳躍を繰り返すように走っていく。体は緊張しながら振動している。それでもものすごく早く走っていく。

 今でもその瞬発力は衰えていないけれど、子どもの頃は兄が走り出してしまったら、6歳下の僕がおいつくことなどできなかった。自分の好きなリズムの音楽が演奏されたとき、心地よい風が吹いてきたとき、すぐさま兄は走り出していく。跳躍しながら、リズムとからだを一体化させていく。

 兄の中学校の卒業式の印象的な写真がある。担任に名前を呼ばれた卒業生は昇降口を出て、在校生がつくった列の間を通り抜けていく。その瞬間を写したものだ。兄は担任の先生に名前を呼ばれ、在校生の列の前を走る。学ランのフォックまでしっかりととめ、肩掛けカバンを首にかけ、卒業証書を持って走る。担任の先生――この先生は兄の中学2年と3年の担任だった。兄はその先生の名前を、中学を卒業してからもうちでつぶやいていた――は嬉しそうに笑い、別の先生も笑顔で彼を見ている。多分一年生であろう在校生たちは驚いた顔の子もいれば、笑っている子もいる。そうやって、中学生活3年間の最後を締めくくった。中学の3年間はいろいろあったはずだ。そして卒業した後の進路もまだ決まっていなかった。兄は走り、中学校を卒業した。

 彼が高校に入るまで6年を要した。6年は兄と私の歳の差である。だから、兄と私は同じ年に高校に入学した。1994年4月のことだ。

 私が、兄と同じ中学校を卒業するときには、兄の時代のような卒業生の見送りの行事はなくなっていた。クラス対抗の演劇祭などの学校行事も減らされていた。卒業式が終わり、教室で担任の話を聞き、そしてクラスメートと話しながら校舎を出て行った。

 1988年3月、15歳の兄が走った。周囲の祝福と戸惑いの先には、進路をふさぐ壁とそれを乗り越えるための長いたたかいがあった。彼を理解している人もいれば、理解していない人もいた。彼に対して、冷たい眼差しを向けたり、眼差しを向けるだけでとどまらない人たちもいたはずだ。その人たちの目の前を、声を上げて走っていく。

 兄は1979年に小学校に入学した。この年に養護学校義務化が始まり、障害のある子は養護学校や特殊学級で学ぶことができるようになった。その一方で、地元の学校に通う障害のある子は、養護学校や特殊学級に行くことを迫られるようになった。兄と父母は地元に通うことを選び、兄はほとんどやすむことなく小学校と中学校に通った。

 兄が学校に通い、学校から帰る。その毎日の振舞いは、前回に書いたカタリナの認識論的・存在論的構えに重なる。

 国が福祉の予算を削り、貧困状態にある人を切り捨てて家族にゆだねたこと、家族は男性と比べて極めて低い位置にある女性であるカタリナの世話をやめてしまったこと、そのなかで遺伝的な障害を負った彼女は、医療や福祉、そして家族のケアの対象とはみなされず、「狂気」の烙印が押された。そのあらわれとして隔離施設ヴィータのなかでのカタリナの生はあり、それへの抗いとしての言葉として彼女が綴った「辞書」があった。

 兄は、養護学校義務化によって地域から離れた養護学校に通うことを、教育委員会からも小学校からも迫られた。担任や同級生の保護者からも、ここにいる子ではないと言われたこともあった。そんな中で、兄は学校に通った。様々な出来事や事件が起きた。様々な対話があり、そのなかで人びとが抱いた思いが記録されたり――兄が中学校に通っていた時代、母はニューズレターを発行し、クラスメートや学校の先生たちに配っていた――、記憶されたりした。兄は中学を卒業し、昼間の時間、ビラ配りや、牛乳パックをつかった紙漉きなどをしながら6年かけて定時制高校に入った。そのずっと先に、見沼田んぼ福祉農園で働き、介助者の助けを借りながら暮らしている。

やまゆり、五輪

 2021年7月23日に東京オリンピックは開幕した。私は開会式も、競技もほとんどみなかったが、パソコンやスマホを開いても、テレビやラジオをつけても、あるいは職場の人とのメッセージのやりとりや、家族の会話のなかでも、オリンピックのことが語られた。選手の活躍に対する好意的な反響にしろ、開催自体を問う批判的な意見にしろ、私のタイムラインの多くの部分をオリンピックの話題が占めた。

 津久井やまゆり園で起きた殺傷事件から、今年の7月で5年が経った。オリンピックの開幕式のニュースや、競技の様子のニュースを聞きながら、5年前のリオデジャネイロオリンピックの「メダルラッシュ」で、やまゆり園事件をめぐる報道がかき消されていったことを思い出した。7月26日に事件は起き、現地時間の8月5日にオリンピックは始まった。多くの人びとの目は、選手たちの活躍に向けられた。当時の新聞の一面を振り返ってみても、凄惨な事件をめぐる報道は、いつの間にか屈強な若者の笑顔に変わっている。

 やまゆり園は1964年にできた。その年に開かれたオリンピックでの漕艇競技の地元開催と合わせて、当時の相模湖町の町長が地域振興の呼び水としてやまゆり園を誘致した。1965年には城山ダムが竣工し、その見返りによる地域開発もすすんでいった[1]

 やまゆり園事件をめぐって様々なことが語られた。私も様々な文章を綴った。そうやってあふれ出る言葉の意味を受け止めつつ、その傍らでほのかに感じたのは、彼らが生きていたことよりも、殺されてしまったことが意味をもってしまうことのやるせなさだ。

 事件の後、言葉があふれた。一つは、事件の犯人に対するもの。メディアでも、日常の会話でも語られる彼についての言葉を、私はうまく受け止めることができなかった。この事件について解説する、解釈しようとする言葉が、すべて上滑りしているように思えた。語られる言葉の中には、犯人を諭そうとする意図と反して、実は彼の思想を支えてしまっているように感じることもあった。意思疎通はできない人は生きる価値がないという犯人の主張に対して、重度の障害のある人と意思疎通ができるのだと語るときに、では意思疎通のできない人は生きる必要がないのかと返すことができてしまう。結局、できる/できないの線をどこで引くのかという話になってしまう。

 犯人犯人を諭そうと語りかける人はいずれも饒舌に語りながら、しかしその間に意思疎通が成り立っているように、私には思えない。それはまた、<私>と<他者>との間に意思疎通が十分に行われることなど、本来できっこないのを表しているように感じられる。

 事件の圧倒的な暴力と、分からなさの傍らで、首にメダルをかけた若者の笑顔と、彼ら、彼女らのキラキラした物語が世の中を魅了していく。しかしその物語をいくら読んだとしても、本当はメダルを手にした彼ら、彼女らの何事を、私たちは理解できているというのだろうか。

追悼会で叫ぶ

 2017年の7月下旬に、相模ダム建設殉難者追悼会に、兄と参加した。

 追悼会は冒頭、ダム建設で亡くなった日本、中国、朝鮮の人びとへの黙祷を行うのだが、この年は前年の7月に津久井やまゆり園で亡くなった19名の方に対する黙祷もしましょうと、事務局の男性が呼びかけた。津久井やまゆり園の元職員だった人で、追悼会がはじまった頃からのメンバーである。

 「あーーーーー」。神奈川県立相模湖交流センターの大ホールに集まった人たちが黙祷をするその沈黙の時間、兄が大きな声で叫んだ。

 兄の叫び声はいくつかの形があるのだが、「あーーーーー」というのは、もっとも頻繁にするものだ。右手の手のひらを皿の形にして、口の下にあてる。左手の手首の側は右手の先端にあて、指先の方は左耳にあてる。叫んだ声が耳に響く、その音と震えを確かめる。そう叫ぶ時の兄は決して心地良さそうではない、私はそこに兄の不安と不満を読み取る。

 追悼会は、40年にわたりこの地域で活動してきた実行委員会の人たちが、多様な人たちの参加を呼びかけてきた歴史の積み重ねがある。保守から革新までの政治家や秘書が、日本・韓国・朝鮮・中国の行政・関係諸団体の代表が、参加していた。

 この地域の歴史に向き合いながら、丁寧に作られてきた会の、もっとも厳粛な時間に、兄は大きな声で叫んだ。

 私は狼狽した。この時間だけはやめてくれと思った。しかし、私は兄に対して何もできずに黙祷を続けた。兄は、様々な人の視線を集めた。黙祷の時間の周りの人からの視線に、私はこの人がここにいていいのか糺されているように感じた。

 私は黙祷を続けながら、段々違うことを考えはじめていた。

 それは、この場面で兄が苛立たしそうに叫ぶことが、強烈な意味をもっているのではないかということだ。2016年7月26日の事件について、誰もが言葉にならない想いを抱えている。しかし、それを論理的にしか説明できず、そのために多くの言葉を費やしながら何も語れていない徒労感にとらわれている。そんななかで、厳粛な空間を切り裂いて、兄は叫んだ。

 叫んでいない私は、兄の叫び声に震えた。そして、自分は津久井やまゆり園の事件に対しても、相模ダム建設に対しても、何も叫ぶことなく、ただ言葉だけに頼り、言葉だけを発し続けていることに気づいた[2]


注釈

[1] 拙著『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』(生活書院)の第七章「土地の名前は残ったか?――津久井やまゆり園事件から/へ」では、戦後の首都圏開発において、相模湖町に水源、観光施設、そして知的障碍者の収容施設が作られたことの意味について触れている。
[2] この部分の記述は、猪瀬がこれまで書いた文章を参照した(猪瀬2019; 猪瀬2020)。


参考文献

猪瀬浩平2019『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』生活書院
猪瀬浩平2020「すれ違う、こすれ合う・かけがえのなさと切なさ。――『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』を書いた先に」『福音と世界』75(2);30-34

猪瀬 浩平

猪瀬 浩平
(いのせ・こうへい)

1978年埼玉県生まれ。明治学院大学教養教育センター教員。1999年の開園以来、見沼田んぼ福祉農園の活動に巻き込まれ、様々な役割を背負いながら今に至る。著書に、『むらと原発ーー窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと』(農山漁村文化協会)、『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』(生活書院)、『ボランティアってなんだっけ?』(岩波書店)など。

写真:森田友希

編集部からのお知らせ

猪瀬浩平さんの既刊本についてご紹介します。ぜひ連載と合わせて手にとってみてください。

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『分解者たちーー見沼田んぼのほとりを生きる』(猪瀬浩平・著/森田友希・写真)

障害、健常、在日、おとな、こども、老いた人、蠢く生き物たち……
首都圏の底〈見沼田んぼ〉の農的営みから、どこにもありそうな街を分解し、
見落とされたモノたちと出会い直す。
ここではないどこか、いまではないいつかとつながる世界観(イメージ)を紡ぐ。
(生活書院ウェブサイトより)

●著者の猪瀬浩平さんより
『野生のしっそう』は、『分解者たち――見沼田んぼのほとりに生きる』の「第7章 土地の名前は残ったか?――津久井やまゆり園事件から/へ」の続編とも言えます。この章の冒頭、2017年7月に相模ダム建設殉難者追悼会で、やまゆり園事件で亡くなった方へ「も」ささげられた黙祷に際して、兄が叫んだことを書いています。亡くなった方の沈黙と、解説する人びとの饒舌の間で、兄は叫びます。連載と合わせてお読みください。

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