第5回
黙祷と叫び 2
2021.09.11更新
共にあることができる
津久井やまゆり園事件の犯人の優生思想に対抗するため、「重度障害者にも、私たちと<同じように>心がある」、「重度障害者も、意思疎通ができる」と語られる。そこには、「同じような心を持っていない人がいたら」、「意思疎通ができないなら」存在する必要はないという思考が入り込むすきがある。
重要なのは、「違う/同じである」、「できない/できないようだが、できる」という二分法に陥らない方法で、さまざまなものとともに束の間にあることを語ることであり、そして犯人を含めた私たちの偏狭な人間観をゆさぶることである。
人類学者の久保明教は、人間と機械の関係について、「私たち=人間」なるものを機械ではないものとして措定するのではなく、むしろ人間を含む生物と機械の類比性を徹底的に認めることによって、機械と人間をめぐる既存の捉え方が拡張されていく可能性があると語る。ここで喚起されるのは、人間と機械を一定の規則に従って動くものとして捉えたうえで、そこから外れる人間的領域を根拠にして両者を比較する外在的な視点を確保することではなく、むしろ、外在的な視点を放棄したうえで人間を機械との類比性において捉えることを通じて、私たち自身があらかじめ予測も制御もできない仕方で生成変化していく筋道である(久保2018:199-200)。
追悼集会で兄が叫ぶ。そのことによって、予測も制御もできない形で、私の情動と思考は揺さぶられ、そして、やまゆり園事件を語る言説が見落としていたことに気づいた。ここで重要なのは、兄と私(たち)の、あるいは障害者(自閉症者)と健常者の思考の仕方が違うということを指摘すること
久保は言う、計算機科学が推進してきた「人間的知性は機械で再現できる」という発想を正面から受け入れるとき、それは人間を単調なものに落とし込むことを意味しない。むしろ、機械という単調なものではないものとして人間をとらえる既存の発想、その単調さを打ち破るものとして捉えることもできる(久保2018:200)。それはまた、障害のある人とない人の違いではなく、本来、誰であっても意思疎通などできていないかもしれないと想定しながら、しかしそれでも共にあることができることを考えることでもある。
今、私が思うのは、犯人の心の中に、彼が殺した人が現れないのかということだ。犯人に贖罪があるのだとしたら、それは障害者一般にではない。彼が殺した人に対してである。彼が「心失者」と断じて殺してしまった人たちと、彼が「対話」をすること、その彼自身が不可能にしてしまったことを、彼自身が
小人と共にいる世界
ガーナ南部の森林地帯にある開拓移民の村で調査した石井美保は、精霊に仕える司祭の家に居候していた。精霊の社は司祭の家の北西の角につくられ、戸口には白い布がかけられていた。入口の地面には、交差させた剣とガラス瓶が埋めこまれ、三叉になった枝の上に水を入れた黒い壺が置かれていた。軒先には、かつて生贄にされたヒツジやウシの頭蓋骨がつるされていた。社の内側に二間に分かれ、それぞれに精霊が祀られている。奥の間には、鈴とタカラガイが吊り下げた白い幕が中央に張りめぐらされている。来訪者の視線は、その白い幕によってさえぎられる(石井2007:67-69)。
司祭は精霊たちだけでなく、モアティアという小人にも仕えていた。小人たちは司祭の呼び掛けに応じてやって来ることも、気まぐれにやってくることもあった。石井は、奥の間で幕一枚隔てて、小人の長老たちと語った。小人たちはタバコや酒を要求したり、昔噺を語り聞かせたりした。
そうやって、白い布越しに語り合っていた小人を、石井は、二度、見てしまう。
その二回目の出会いを、石井は次のように記録する。
午前十時すぎ、ナナ・サチ(猪瀬注:司祭)がマラカスを振ってナナ・ボアフォ(猪瀬注:小人の長老)を社に呼ぶ。三回目の呼び出しで、バン!という衝撃音とともにボアフォが社に到着する。布の向こうに激しいマラカスの音。ナナ・サチは片手で布をたくし上げ、中に向かって白粉と香水のスプレーを振りかける。やがて布の向こうを覗いてみるよう、ナナがわたしをうながす。わたしは布の端から首を突っ込み、中を覗き込んだ。一メートル四方ほどの空間の中ほどに、縞模様の小さなバタカリが脱ぎ捨てられている。天井からは黒い角型の依り代が吊り下がっている。そのほかには何もない。
キャラコの外に顔を出して「何も見えなかった」とナナに告げると、彼は祭壇の窪みにヒョウタンを差し入れて霊水を汲み、それをわたしのまぶたに塗りつけた。布の後ろを再び覗き込むと、部屋の隅に縞模様のバタカリを着た身長七十センチくらいのものがいる。黒い長髪(縮れ毛)が顔から足元まで覆い、からだ全体が小刻みに揺れている。「エエ、エフィア、オピフォ!」というナナ・ボアフォの声が、それの方から聞こえる。できるかぎり首をのばし、まじまじとみつめているわたしをナナが引き戻し、「見たか?」と尋ねる。「みただろう。彼はそこにいるんだ」(石井2007:266-267)
ガーナから帰って、小人を見たこの経験を石井が話した。
すると、彼女の知人の中にも小人や河童らしきものを見たことをためらいながら語ってくれる人がいた。
しかし、友人たちが語る日常の裂け目が見えてしまった経験は、彼女が司祭の家で小人を見たときの感覚とは違うという。
その感覚は、よくわかる。でもそれは、ガーナの村に住んでいたときの私の感覚とは、少し違ってもいる。村の暮らしの中で、精霊や小人たちは異形の者でありながら社交的であり、妄想というには具体的でありすぎた。彼らの存在は、畑仕事や隣人同士のいざこざやサッカーの試合といった、ありとあらゆる出来事とかかわっており、生活の細部にまで浸透していた。初めのうちこそ、私もナナ・サチのトリックや自分の感覚を疑ったが、そのうちに慣れてしまった。精霊や小人たちは生活の機微と分かちがたく絡みあっているために、彼らだけを「非現実的なもの」として切りとることはおよそ不可能なのである。(石井2019:21)
村で暮らしながら、そこで暮らす人びとがそうであるようにあたりまえのものとして小人を見てしまった時の感覚を、石井はサウジアラビア生まれの文化人類学者タラル・アサドの「正気のsane」という言葉で表現する。正気であろうとすることは、自分自身でその場に立ち現れた世界を受け入れながら、自己のあり方を実践的に調律していくことである。小人のいる世界を、あり得ないものと退けるのでも、自分になじみのある価値観を手放さず、ためらいがちに認めることでもない。
他者と共にいる世界
石井が小人のいる世界について語っていることは、本来、他者と共にいる世界全般のことを言っているのではないだろうか。そして他者の存在が意味のあるものとして見いだせないのだとしたら、それはその人の他者に対する理解の不足ではなく、その人が他者と生きる世界のあり方に考えるべき問題があるのではないだろうか。
2017年の4月、私の職場の尊敬する先輩が主催する研究会によばれて、兄と3歳になろうとする娘と一緒に埼玉県西部の町に出掛けた。当時、二人目の子どもが生まれたばかりで、私が上の子どもの面倒をみることになった。兄も週末の予定がないとしり、同行してもらった。
前日は先輩の山の中にある家に泊めてもらうことになっていた。途中、娘が喜ぶだろうと動物園によった。キリンとコアラを見て、アスレチックで遊んだ。兄は動物たちをそれなりに興味深そうにみていたが、遊具で遊ぶことはなく、少し距離をとりながら、娘と私の様子を見守っていた。売店で昼飯を買った。兄はカレーを、私と娘は焼きそばとフランクフルト、3人で分けるようにフライドチキンも買った。
出発前、母親がついて来ないことに機嫌を悪くしないよう、娘にはアイスをあげた。彼女はそのアイスを車の中で食べた。動物園を出る頃、自動販売機の前でその日2本目のアイスをねだり、わあわあと騒ぎ始めた。
その様子をひとしきりみていた兄は、おもむろに自分の財布を出し、その日、兄にとっては3本目(!)のアイスを買い始めた。商品取り出し口の前に娘がおり、結果アイスを取るのは娘になった。ほしかったアイスが手に入り、彼女はうれしそうに兄を見上げた。兄の顔には、「しまった」という表情が浮かんだ。二人の間に、偶発的に「やさしいおじさん」と「よろこぶめいっこ」の関係が生まれた。その傍らにいた私は見て取った。私は兄に了解をとって娘に一口アイスを食べさせて、残りを兄に渡した。そして、3本もアイスを食べるのはどうなのかと小言をいった。
ずっといい人なのではない。道連れになるような濃密な関係のなかで、時にいい人になる。
先輩の家に着いた。先輩の家は、その地域でもっとも標高の高いところにつくられた村の古い農家である。薪ストーブでつくった料理を食べ、薪で沸かした風呂に入った。兄はくつろぎ、娘は先輩のお連れ合いが風呂を沸かすのを手伝った。そして、私と先輩、その家族、そしてそこに居合わせた人たちと酒を飲んで語った。娘は先輩の家にある、この家に昔住んでいた人の所有物らしい古い日本人形をみつけてきて、それと遊んだ。先輩が持って帰っていいといってくれたが、さすがにそれは断った。ビールやワインを飲まない兄は、来る途中でサワーを買うのを忘れたため、ニンジンジュースを飲んだ。
前日の曇天だったが、翌日は素晴らしく晴れた。山の新緑がまぶしく、そこにヤマザクラが色を添えていた。娘が起きてくると、先輩は娘に「塗り絵をしよう」と誘った。子どもがくるので、わざわざ塗り絵を用意してくれていたのかと感謝した。すると、先輩は年季の入った青い鉄製のテーブルに娘を座らせた。そして柚子が乗せられた皿と、コーヒーカップをどかして、その日の配布資料のコピーを出した。そして、配布資料に自分の描いたイラスト――納豆とご飯が描かれていた――に蛍光ペンで色をつけはじめた。パジャマ姿の娘は、先輩と一緒に椅子に座り色を先輩にならいながら思い思いに色を塗り始めた。
遊びが仕事になり、仕事が遊びになる。結果として何十枚コピーされた資料は、一つ一つ個性的なものとなった。そして、七輪にフライパンをのせて卵焼きをつくり、コーヒーを入れ、庭にテーブルを出して朝ご飯を食べた。研究会の前のあわただしくなりがちな時間に、そこにあったのは、先輩がアフリカをはじめ、世界の各地で多様な人とともにあろうとしたなかで、生まれた知恵と身振りなのだ、と私は思った。一足早く起きて着替えも済ませた兄は、椅子に座りながらその姿を眺めていた
研究会では、兄は終始ご機嫌だった。自由討論の時間は、発言もした。兄は立ち上がり、不愉快な時とは違う、少し高い声で「あーーーーー」と言葉を発した。参加していた人達は彼の発言をじっくりきき、彼はひとしきり喋った後に着席した。司会をしていた先輩は、「ご発言ありがとうございます」と応えた。「障害者問題」を考える研究会ではなく、集まった人の関心は農やアート、地域づくりにあったのだが、その中の大事な一人として障害のあるといわれる人もいて、しかし彼の発言(普通の会議では、たぶん発言とは思われず、場合によっては会の進行を妨げる「奇声」と思われたかもしれない)に皆、耳を傾けていた。
そんな「正気のsane」空気があったから、兄はご機嫌だったのだと私は感じる。
一人ひとりの表現が、その内容も形式も多様であることを受け止めることが、まさに共にあることで、そしてそれは特別な場所ではなく、日常のそこここで発生しえるものだ。
私たちがこの世界で見なければならないのは、小人ではないかもしれない。
それでも十分に意味がある。私たちが当たり前に思っている事柄――たとえば伯父と姪の関係や、仕事や遊び、子どもと大人、声と言葉、研究会、心や理性、意思疎通、そして人間――のイメージを揺さぶりながら、自分と世界のあり方を実践的に調律していく。
そんなことを、パラリンピックが開かれ、障害者スポーツにかつてないほどの関心が高まるそのざわめきのなかで、強く想う。
注釈
[1]この部分の記述は、猪瀬がこれまで書いたことに、その後考えたことを踏まえて加筆した(猪瀬2020)
参考文献
石井美保2007『精霊たちのフロンティア――ガーナ南部の開拓移民社会における<超常現象>の民族誌』世界思想社
石井美保2019『めぐりながれるものの人類学』青土社
猪瀬浩平2020「すれ違う、こすれ合う・かけがえのなさと切なさ。――『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』を書いた先に」『福音と世界』75(2);30-34
久保明教2018『機械カニバリズム――人間なきあとの人類学へ』講談社
編集部からのお知らせ
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