野生のしっそう

第10回

夏みかんのしっそう

2022.02.05更新

夏みかんと旅する

 2021年の5月の初旬、ヤマナシさんは、夏みかん(甘夏)とともに、見沼田んぼ福祉農園にやってきた。新緑のまぶしい頃だ。軽バン(軽自動車のバン)の荷台には、夏みかんが詰められた30キログラム用の米袋が10数個積まれていた。

 農園に行く前日、ヤマナシさんと、みかん山の仲間であるヒロシさんは私の家に泊まった。静岡から私の家に向かう途中、すでに2軒、夏みかんの配達をしていた。各家で、昼飯やお茶やお菓子の歓待を受けた。

 わが家では兄も合流し、一緒に晩飯を食べた。兄がうちにやってきたのは、連載2回目に書いたあの疾走/失踪以来はじめての事だ――彼がどこに向かったのかをまだ書いていないが、それはもう少しお待ちいただきたい――。兄は愉快そうに時を過ごし、夜が更けるとヤマナシさん、ヒロシさんと枕を並べて寝た。

 この日の兄は、どこかにいってしまうこともなかった。

 翌日、農園にやってきた人びとに夏みかんを配った。ヤマナシさんと再会する人も、初めて会う人もいた。ヤマナシさんは、いつも土曜日に農園にやってくるアイザワさんや、兄を迎えに来た私の母とおしゃべりをし、ヒロシさんは子どもたちと一緒に山椒の実を摘んだ。アイザワさんにみかん山に遊びに来なよと誘い、ヤマナシさんとヒロシさんは農園を去り、次の目的地に向かった。 

 ヤマナシさんの車に私も同乗した。インターチェンジまで誘導し、そのまま東北道にのって、北上した。途中で、私もハンドルを握った。その日の最終目的地は福島の猪苗代だった。猪苗代にある、はじまりの美術館のスタッフのたっちゃんは、かつて福祉農園でボランティアをしていた。彼もヤマナシさんとつきあいがあり、静岡や埼玉、そして北タイなどでヤマナシさんと交流していた。

 美術館に夏みかんを届け、展示を鑑賞した。美術館では企画展「(た)よりあい、(た)よりあう。」が開かれており、全盲の写真家しらとりけんじさんが美術館に滞在していた。ヤマナシさんは、しらとりさんにも夏みかんを手渡し、そして長いこと話しこんでいた。ヤマナシさんは、しらとりさんにも、たっちゃんと一緒にみかん山に来なよと誘っていた。

 ヤマナシさんは、そうやって夏みかんを介したかりそめの出会いから、縁を紡いでいく。

 翌日、ヤマナシさんとヒロシさんは山形に向かった。少し早い昼ご飯の時間、ヤマナシさんとヒロシさんはじゃんけんをして運転手を決めた。勝ったヒロシさんはビールを飲んだ。私は、猪苗代のインターチェンジでヤマナシさんと別れた。

 その後、ヤマナシさんとヒロシさんは、夏みかんとともに青森まで走り、フェリーにのって北海道に渡った。各地の縁者に夏みかんを配りながら、最終的には網走に到達した。そして苫小牧からフェリーにのって大洗まで渡り、そして静岡へ帰った。

 静岡を出て、静岡に戻るまで一週間の夏みかん配達ツアーだった。軽バンの走行距離は、2300キロを超えた。

2020年春、緊急事態宣言下の風景[1]

 その1年前のことだ。

 2020 年3月13日に成立した新型コロナウイルスの特別措置法に基づく措置として、同年4月7日安倍晋三総理大臣は、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の七都府県に緊急事態宣言を行い、4月16日には対象を全国に拡大した。

 同日、新型コロナウイルス感染症対策本部の議論を踏まえて、安倍総理は以下のように発言した。

今後ゴールデンウィークに向けて、全ての都道府県において、不要不急の帰省や旅行など都道府県をまたいで人が移動することを、まん延防止の観点から絶対に避けるよう、住民の方々に促していただくようお願いします。また、域内の観光施設等に人が集中するおそれがあるときは、施設に対して入場者の制限を求めるなど、適切な対応をとるようお願いいたします。繰り返しになりますが、この緊急事態を5月6日までの残りの期間で終えるためには、最低7割、極力8割の接触削減を何としても実現しなければなりません。国民の皆様には御不便をおかけしておりますが、更なる感染拡大を防止するため、引き続きの御協力を何卒よろしくお願いいたします[2]

 緊急事態宣言の拡大を受けて、各都道府県知事が住民に対して外出自粛を要請できるようになった。4月17日には各地の知事は対策会議を開き、通院や買い出し、通勤などをのぞいた外出の自粛や、県境をまたいだ移動の自粛を呼びかけた[3]。ゴールデンウィーク(4月29日~5月6日)が近づく中で、全国の高速道路株式会社は、国土交通省から新型コロナウイルス感染拡大防止をはかるための都道府県をまたぐ移動の自粛に向けた取り組みについての依頼を受け、ゴールデンウィーク期間中、休日割引の適用除外、サービスエリア・パーキングエリアにおける営業自粛などを行うとともに、テレビやラジオ、公式WEBサイトを通じて「不要不急の都道府県をまたぐ移動の自粛」を呼びかけた[4]

 高速道路の交通量は、大幅に減少した。中日本高速道路が5月21日に発表した5月1日〜17日の管内高速道路の交通量(速報値)は、前年同期比57%減と、2005年の道路公団民営化以来最大の下げ幅となった。長距離移動が自粛された影響がはっきりと出たという。平日は33%、休日は73%の減少だった。また、多くの自治体で緊急事態宣言が解除された14日までは58%、解除後の15〜17日も56%減少だった[5]

 緊急事態宣言は予定の5月6日には解除されず、さらに延長された。

 5月14日に政府は、北海道、東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、京都、兵庫以外の地域で緊急事態宣言を解除した。5月21日には京都、大阪、兵庫、5月25日にようやく残る東京、神奈川、埼玉、千葉、北海道が解除された。

交換と贈与

 ヤマナシさんは、毎年の5月に自分の山で採れた夏みかんを自分の友人・知人に配達し、その家に泊めてもらいながら交流してきた。

 夏みかんは彼の父が植え、世話をしてきたもので、1993年に父が亡くなってからヤマナシさんが世話をしてきた。60代になって仕事を引退するまでゴールデンウィークに、引退してからは車が混むのでゴールデンウィーク後に配達した。

 夏みかんは販売するのではない。様々な縁でヤマナシさんが巡り合った人をみかん山の「出張所長」と決め、その人に夏みかんを届け(贈与し)、その代わりに一宿一飯に預かり、夜遅くまで酒を呑む。私が活動する福祉農園には2008年にやってきて、その時は一緒にキャンプをし、夏みかんを絞ったジュースで蒸留酒を割って、夜遅くまで呑み語った。そうやって農園で彼と交流した人が、冬の温州みかんの収穫のために、彼のみかん山を訪ねていくこともあった。

 父親からみかん山を相続してから、ヤマナシさんは温州みかんも、夏みかんも市場に出してこなかった。みかん山の半分を引き継いだ兄は、父と同じように収穫したみかんを農協を通じて市場に出荷した。

 一方、ヤマナシさんは、温州みかんをトラストで維持してきた。一本一本の木にオーナーを募り、12月、1月の収穫作業はオーナーがおこなう。ヤマナシさんが草取りや、剪定、施肥、摘果など日ごろの面倒をみる。オーナーには、ヤマナシさんの青年団時代の活動や、青年団OBとしてかかわった同人誌の活動などを通じてめぐりあった、全国各地の人びとがなった。父親から相続した時点で年間5トンあまりとれた温州みかんは、市場を経由せずに流通するようになった[6]

 夏みかんは地元の仲間の力を借りて収穫する。温州みかんが、ヤマナシさんの暮らす山小屋のまわりに生えているのに対し、夏みかんは離れた場所にある。車道までの作業路は急こう配で、収穫した夏みかんをあげるのは重労働だ。高いところになっている夏みかんは、木に登って収穫する。収量はだいたい1トンになる。

 土蔵で長期保存する温州みかんと比較し、夏みかんは保存がきかない。それを、ヤマナシさんは米袋にいれて、全国の出張所長に配る。ある年は西日本に向かい、ある年は北日本に向かう。そうやって、夏みかんを介してこれまでのつながりをたどっていく。

 2020年の春、全国に緊急事態宣言が出されている中、ヤマナシさんは夏みかんの配達をした。県境をまたぎ、北陸や首都圏の知り合いのところにみかんを運び、そして訪問先に泊めてもらって交流した。マスクをつけるなどの最低限の感染対策をした。コロナウイルスを心配する人には、夏みかんを渡すだけにした。同行した仲間は、車のナンバーがその地域のものでないことを見られていると感じてびくびくしたこともあったそうだが、ヤマナシさんは気にしていなかったそうだ。

 高速道路には自家用車はほとんどなく、渋滞は起きず、移動はスムーズだった。

 そうやって、夏みかんは、その年も各地の出張所長に届けられた。

切れ目の攪乱

 新型コロナウイルスに直面する社会は、様々なところに切れ目を入れる。ソーシャル・ディスタンスが大事と言われ、私たちは他者との間に距離をとった。ウイルスが体内に入り込まないように、体内にあるウイルスをまき散らさないように、マスクをつけた。国境や、(国によっては)都市と都市との境界は閉鎖された。日本政府が2020年4月に出した緊急事態宣言は、都道府県の境界に切れ目を入れた。

 そこで入れられた切れ目は、実は新しいものではない。新しく入れられた切れ目のようでありながら、実はもともとあった切れ目をなぞっていることもある。たとえば、経済や社会をまわすために役に立つものと、とるに足らないもの。エッセンシャルワークと、それ以外のもの。障害のある人と、障害のない人。日本人と外国人。......。普段多くの人にとっては破線としか感じられなかったものが、このときは誰もが分かる実線になる。でも、そのことを気に留める人は多くはない。

 ヤマナシさんは、みかんを販売し、市場に出荷する農家ではない。トラストでみかん山を維持している点を思い起こそう。

 緊急事態宣言下でも、流通業にかかわる人びとは休まずに都道府県の境界を超えて、各地の農産物を運び続けていた。

 市場出荷しないヤマナシさんが、夏みかんを出張所長に配達するのは、それと何がちがうのだろうか。そして、彼が配達しなければ、長期保存ができない夏みかんは彼の山で腐る。であれば、夏みかんがヤマナシさんに運ばせているようにも見える。そして緊急事態宣言下のこの配達に眉をひそめることは、市場流通ではなく、贈与のためにみかんを生産する営みをとるに足らないものとする。実際、販売をしていないヤマナシさんのみかんの生産量は、市場経済の諸指標では把握されることがない。

 ここにおいて、実は市場流通/贈与という切れ目が、あらかじめ引かれている。新型コロナウイルスはそれをなぞるように、機能しているに過ぎない。夏みかんを運ぶことによって、彼の身体は夏みかんを生産し、そして緊急事態宣言下でわざわざ・・・・運んだものとして受け止められる。

 新型コロナウイルスがありふれたものになった世界で、夏みかんとともに、ヤマナシさんはしっそうする。かつてめぐりあったひとびととの、ゆるやかなつながりをたどりながら。そうやって、感染拡大という緊急事態に対応するために政府や専門家が考えた規制が、そしてその規制とからまりながら生み出されていく私たちの思考が、どこかでもともとあった切れ目――差別や排除といってもいいかもしれない――をなぞっていることを露わにし、その切れ目を揺るがしていく。


注釈

[1] これ以降の記述は、私が書いた「コロナの時代の野蛮人――分解の人類学に向けて」『社会人類学年報』の記述に寄っている。ここでは、ヤマナシさんと夏みかんのことだけでなく、緊急事態宣言中の福祉農園のことや、私と関わりの深い、障害のある人の暮らしのことから議論を展開している。学術雑誌に掲載した論文なので理屈っぽく、少し読みにくいかもしれないが、拙著『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』(生活書院)の議論を深めたものでもあるので、関心を持たれた方はご一読いただければありがたい。

[2] 首相官邸Websiteより引用。https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/202004/16corona.html 

[3] 朝日新聞のデータベースによれば、「県をまたぐ移動」の自粛が求められたのは、4月17日に緊急事態宣言が全国に拡大されて以降のことである。

[4] 中日本高速道路株式会社ホームページを参照。https://www.c-nexco.co.jp/corporate/pressroom/news_release/4792.html

[5] 読売新聞2020年5月22日中部朝刊を参照。

[6] このあたりの文章を推敲しつつ、藤原辰史さんの『縁食論――孤食と共食のあいだ』を再読した。以下の言葉が印象に残った。

縁とは、人間と人間の深くて重いつながり、という意味ではなく、単に、めぐりあわせ、という意味である。じつはとてもあっさりした言葉だ。めぐりあわせであるから、明日はもう会えないかもしれない。場合によっては、縁食が縁となって恋人になったり、家族になったりするかもしれないが、いずれにしても、人間の「へり」であり「ふち」であるものが、ある場所の同じ時間に停泊しているにすぎない。これは「共存」と表現すると仰々しい。むしろ「並存」のほうがよい。(藤原2020:27)

 縁食という言葉で、藤原さんが書かれていることは、ヤマナシさんと、出張所長との関係にも通じる。どこかでめぐりあった人と、夏みかんを通じてつながる。一晩を愉快にすごし、去っていく。そこにはべったりとした、持続的な責任はなく、ただ一宿一飯の恩義のみがある。

 さらにいえば、ヤマナシさんとみかんは共存しており、そしてそのみかん―人間が、各地で何かと共存した人間と、束の間に並存している。


参考文献

藤原辰史2020『縁食論――孤食と共食のあいだ』ミシマ社


猪瀬 浩平

猪瀬 浩平
(いのせ・こうへい)

1978年埼玉県生まれ。明治学院大学教養教育センター教員。1999年の開園以来、見沼田んぼ福祉農園の活動に巻き込まれ、様々な役割を背負いながら今に至る。著書に、『むらと原発ーー窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと』(農山漁村文化協会)、『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』(生活書院)、『ボランティアってなんだっけ?』(岩波書店)など。

写真:森田友希

編集部からのお知らせ

今回の連載に登場する本についてご紹介します。ぜひ連載と合わせて手にとってみてください。

20210205-1.jpg『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(川内有緒・著)

見えない人と見るからこそ、見えてくる!
全盲の白鳥建二さんとアート作品を鑑賞することにより、
浮かびあがってくる社会や人間の真実、アートの力。
(集英社ホームページより)

もっとこの本を知る

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