第11回
贈与のレッスン
2022.03.11更新
ありがた迷惑がつくりだす
ヤマナシさんから配達される夏みかんは、30キロ用の米袋一袋分である。10数キロを超える。一家で食べる量をはるかに超える。早く食べないと腐ってしまう。だから、夏みかんをもらった人は、それをまた誰かに配る。わたしはそれを家族や福祉農園の仲間に配り、職場の人びとに配った。同じように一袋配達された友人は、子どもの幼稚園のママ友に配り、生協の配達員にも配ったそうだ。
贈与が贈与を生み、そして何事かを人に語らしめる。そういうやりとりを通じて、人と人とのつながりを深めたり、これまでになかった関係性が生まれたりする。たとえば、誕生日にすらプレゼントのやりとりをしていない親族に、夏みかんを贈る。職場ではいつもお土産をもらっているばかりのわたしが、お土産を持っていく側になる。スーパーなどで買ったのと違い、皮にところどころ傷がついて、決して綺麗ではない夏みかんには、来歴の説明も必要だ。ヤマナシさんとつながっていない人に、この夏みかんは何かを説明するため、ヤマナシさんのことやみかん山のことを話す。そうやってたくさんの夏みかんは、もらった人々がもともともっていたつながりをなぞり、新たなつながりを生み出していく。
そうやって、人と夏みかんとは融け合う。夏みかんは、それを育てたヤマナシさんや仲間たち、みかん山とそこに生きる生き物たち、それを運ぶ軽バンやそこで出会った人々と、途切れなくつながっていく。コロナウイルスの感染に対する防備が進み、人と人との距離が離れてしまった世界の中でも、人と人との間に夏みかんが伝播し、コロナウイルスがつくった世界とは別種の世界をつくりあげていく。
2021年5月に夏ミカンを運んで訪れた猪苗代の夜、このありがた迷惑ということが大事なんですよねとわたしが訊くと、ヤマナシさんはそうだよなあといって、ガハハハッと笑った。
夏みかんの全体的給付の体系
ヤマナシさんと夏みかんは、文化人類学の古典であるマルセル・モースの『贈与論』を思い起こさせる。
自分の必要以上に手に入れたものや、いらなくなったものにわたしたちは困惑する。
それを、まずは市場を通じて売ろうと考える。今はメルカリやAmazon、ブックオフがあって、余ったもの、使わなくなったものを売るのはとてもスマートになった。そうやってわたしたちはいらなくなったものを処分し、対価を得る。しかし、そのやりとりによって、対価以外を得ることは期待していない。むしろ対価以外のものが含まれないように、さまざまな処理をする。もともとそれをもっていた人の痕跡はぬぐい取られる。本への書き込みは、それを書いた人にとってどんな意味をもっていたとしても、価値(=値段)を下げる要素でしかなくなる。
それを、捨てようとも考える。断捨離ブームや片付けブームが起こっていることも、そのものと自分がもっていたつながりを断ち切ることであり(こんまりメソッドは、ときめかなくなったかどうかが判断基準である。それは、端的にそのものとのつながりを感じなくなったとも言い換えられるだろう)、自分の痕跡ごとそのものを捨ててしまうことだ。
モースは、市場を介した交換/売買のほかにも、もののやりとりをする術があることを語る。モースは次のように書いている。
人類のなかには、比較的豊かであり、勤勉であり、たくさんの剰余物をつくりだしていながら、わたしたちに馴染みのあるものとは異なる形態のもとで、また異なる理由によって、大量の物品を交換する術を知っていた、そして今でも知っている、人々がいるのだ。(モース2014:196)
そういった人々において、財や富や生産物が、個人と個人とが交わす取引のなかでただ単純に交換されるなどということはない。もののやりとりをし、義務を負い、契約を交わすのは、個人ではなく集団である。そして、集団が交換するのは財や富だけではない。動産や不動産、経済的な有用性のあるものだけではない。交換されるのは、礼儀作法にかなったふるまいであり、饗宴であり、儀礼であり、女性であり、子どもであり、踊りであり、祝祭であり、祭市である。そうやって、贈与に含まれるすべてのことを、モースは「全体的給付の体系」と呼ぶ(モース2014:67-68)。
ヤマナシさんの夏みかん配達ツアーも、単に夏みかんが配達されるわけではない。そこにはごちそうがあり、宴会があり、昔話や世間話がある。ヤマナシさんと夏みかんの来訪にあわせて、近所にいる人たちが集まってくる。もらったたくさんの夏みかんは、自分とつながっている人びとにまた渡されていく。そうやってヤマナシさんや夏みかんと出会った人が、今度はみかん山を訪ねていくこともある。夏みかんの木を管理する人がいて、夏みかんを収穫する人がいる。夏みかんが多くの人に食べられていくことによって、夏みかんを介して、夏みかんを育てる労働も、夏みかんが育つ山もつながっていく。
そんな全体的給付の体系がある。
贈与の毒
贈与は煩わしいものである。
そして、ありがた迷惑なことは、迷惑なことでもある。
コロナの状況で夏みかんが来ることに戸惑う人もいただろう。ヤマナシさんの一宿一飯は必ずしも、出張所長の家に居候するのではなく、ホテルなど宿泊施設を使うこともある。そもそも家に泊めることが可能な家ばかりではない。たくさんの夏みかんをもらって、途方にくれる人もいるだろう。それに比べれば、メルカリもこんまりも、はるかにスマートに見える。
モース自身も、贈与には危険な力があることに注目している。たとえばゲルマン語系の言語では、ギフトgiftという言葉に「贈り物」と「毒」の二つの意味がある(モース2014:37, 386-389)。もてなしを受けたときに出された酒や食事に、毒が盛られている危険がある。そこまでいかなくても、手を洗わずに料理を作って出すとか、気分良く飲ませて酔いつぶすとか、何か悪意が込められていることもあるかもしれない。誰かが手作りした食べ物に、不安を感じる人もいるだろう。
贈与は、ときめきと不安の間で揺れ動く。うまくいけば喜びや、信頼にもつながるが、悲しみや、不信、蔑みにつながる。時に、送り主と、受け手との間に支配と従属の関係をもたらすこともある。
ありがた迷惑な行為は、実はとても繊細な気遣いの中にあるともいえる。加減をまちがえば、ありがたさそのものになり、崇拝や神格化の対象になる(「○○さんは神のような人だ」)。加減をまちがえば、迷惑そのものになり、批判と炎上の対象になる。
わたしの身近なある人は、圧倒的な贈与の人である。
お歳暮の時期や、お中元の時期、子どもの誕生や身内が入院したときなど、菓子折りや箱に収められた果物をくれる。福祉農園に若者たちが手伝いに来た際も、高級なお菓子を差し入れてくれた。決して、裕福なわけではない。そうやって贈り物にお金を使いすぎてしまうと、日々の食費を切り詰めたりする。
そして、その人に返礼すると――たとえば食事をごちそうしたりすると――、今度はさらに高額なお返しが返ってくる。そのため、もうお土産は要りませんよと何度も言っているのだが、終わることはない。わたしだけでなく、その人に関わりある人たちが、様々に贈与をされている。
いただくばかりなのが心苦しく、値段のわかりにくい、そして実用性の高いものをプレゼントして渡すなど、いろいろ知恵を絞る。しかし、それも根本的な解決にはならず、またときが来ればその人から贈り物をいただく。ずっとうしろめたさは残る。
そうやって悶々と考えつづけながら、あるときに気が付いた。
大事なのは、その人が満足する返礼品を贈ることではない。それによって、自分の負い目やうしろめたさを解消させてしまったら、わたしはその人よりも優位な位置に立ってしまう。むしろ大事なのは、その人がそうやって誰かに贈与をしつづけなければいけないと感じる、負い目や傷の<途方もなさ>を想起し、そしてそのことがなにか正確に把握もできず、なにもできない自分のうしろめたさをみつめることである[1]。そうした先に、はじめてその人と同じ方向で世界を振り返ることができる。同じものを見るのとは違う。その人とわたしのつながりと、その人とわたしの立ち位置を見定めて、そして何ができるのかを悩む。かろうじてできるのは、それだけだ。
古典ヒンドゥー法を手がかりに、モースも次のように語る。
贈り物というのは、与えなくてはならないものであり、受けとらなくてはならないものであり、しかもそうでありながら、もらうと危険なものなのである。それというのも、与えられるものそれ自体が双方的なつながりをつくりだすからであり、このつながりは取り消すことができないからである。(モース2014:369)
かろうじてできることを、途切れないように続ける。そうやってほころびを繕い、しがらみを編みなおしていく[2]。
ジャガイモと旅する
ヤマナシさんの夏みかんツアーに触発されたわたしは、2021年の6月に福祉農園で収穫したジャガイモと旅をした。
毎年ジャガイモと玉ねぎは、仲間たちで食べる量以上にできる。以前は、夏に20人以上の人間が農園に一週間にわたって泊まり込んで作業をするキャンプをしていたので、ある程度は消費できていた。しかし、だんだんとキャンプの参加者も日数も減っていった。そして、コロナになってキャンプだけでなく、みんなで煮炊きをして飯を食うことがなくなっていった。
だから、例年以上に野菜はあまる。つるして乾燥させて保存する玉ねぎと違い、ジャガイモはプラスチック・カートンのなかで、やがて芽が出て、腐っていく。
そんなジャガイモと玉ねぎを段ボール二箱に詰めた。ひと箱にはニンニクもいれた。それを車にのせた。普段は電車で通勤しているのだが、その日は車で職場に向かった。ボランティアセンターにもっていき、来室する学生に配った。そして事務の人に配り、授業で会った学生に配った。そしてオンライン授業の学生にアナウンスを出し、教員同士のメーリングリストにも学生へのアナウンスをお願いした。すごく喜んで、カレーを作るのだといって持ち帰る人もいたが、とりあえず受け取っていくかという感じの人もいた。ありがた迷惑だと思った人もいるのだろう。そして、そのありがた迷惑さこそが、もしかしたら「贈与」ということを教えるには、教科書以上に意味のある手掛かりかもしれない、と思う。
帰り道、以前わたしの授業を受けていた仁藤夢乃さんを訪ねて、ジャガイモと玉ねぎを届けた。彼女とスタッフはわたしに晩御飯を用意してくれており、わたしは彼女の活動の様子を聞いた。「ステイ・ホーム」が叫ばれていた2020年の4月、彼女は東京の繁華街の路上で、安全に過ごせる居場所のない若い女性たちが立ち寄り、様々な物資や情報を手に入れるバスカフェの活動をしていた[3]。そのことをわたしはネット記事や、本人とのオンライン通話を通じて知ってはいたが、実際に顔を合わせて、同じ空気を吸いながら、話を聞くと、感じること、考えさせられることが多くあった。そして、大人の男としてこの社会にある自分のことを見つめざるをえなかった。帰り道、仁藤さんに問いかけられた言葉を反芻しながら、車を走らせた。カーステレオから流れてくるラジオのつくり手のほとんどが、男であることの意味を考えた。
そして週末農園に行くと、彼女から聞き、感じたことを、福祉農園の仲間に伝えた。
わたしは彼女にジャガイモと玉ねぎを贈り、うどんをすすりながら話を聞いた。彼女はわたしに何事かを託し、それをわたしは自分の周りの人びとに伝えようとした。ジャガイモと玉ねぎは、福祉農園と大学や様々な場をつなぎながら、物語るべきものを生み出し、そして全体的給付の体系を広げていく。それはまた、当初のもくろみどおりにはいかず、ほころびがあり、だからおもわぬことを深く考えさせられる。
冬には大量にできる里芋とヤツガシラをもって、また各地を旅した。わたしだけでなく、農園の仲間も里芋とヤツガシラをもってでかけていった。
そんな話を、山口県の宇部で鶏を飼っている若い友人にした。すると彼女から、「わたしも春になって増えてきた卵(ここ数日なかなか売り切れない)を軽バンに乗せて、近所をまわろうと思い立ったのでした」というメッセージをもらった[4]。
注釈
[1]うしろめたさについては、松村圭一郎さんの『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)も参照されたい。松村さんは、うしろめたさが構築していく世界の展望を示したが、わたしはその松村さんの言葉を受け取りながら、それを言い換え、言い添えながら、また次の人に託そうとしている。
[2]「しがらみを編みなおす」という言葉は、埼玉県の越谷市・春日部市で活動するわらじの会の、山下浩志さんの言葉だ(山下2010)。しがらみを断ち切って自由になるのではない。しがらみをそのままあきらめて受け入れるのではない。しがらみを編みなおす。いつしかまたそれがしがらみになる。それを延々と繰り返していく。そのことが地域に生きるということであろう。
この言葉と、藤原辰史さんの「分解」という言葉につながりを感じたのだが、わたしが『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』(生活書院)を書いた一つの手がかりである。
[3]仁藤さんの活動については、一般社団法人Colaboのホームページhttps://colabo-official.net/をご覧いただきたい。
[4]私は、農園でたくさんできたネギをたくさん彼女に送った。すると、彼女は60個ほどの卵を送ってくれた。週末、私はそれを農園にもっていき、仲間と山分けした。お菓子作りを趣味にしている仲間にはたくさん卵を渡したら、彼女はシフォンケーキをつくって、平日農園で作業をしている私の兄や、その仲間たちにお裾分けした。その様子は写真になって、山口の彼女に送られた。
参考文献
モース,マルセル2014『贈与論 他2篇』(森山工訳)、岩波文庫
わらじの会2010『地域と障害――しがらみを編みなおす』現代書館
編集部からのお知らせ
2020年11月に発刊した、生活者のための総合雑誌『ちゃぶ台6』「特集:非常時代を明るく生きる」では、猪瀬浩平さんにエッセイ「さびしい社会、にぎやかな世界」をご寄稿いただきました。2020年4月の緊急事態宣言下における生活を綴ったエッセイ、ぜひ本連載と合わせて読んでいただきたい内容です。