野生のしっそう

第15回

路線図の攪乱2

2022.07.23更新

予定の切断、旅程の接合

 有楽町駅沿線で起きた火災は、鉄道のダイヤグラムとともにわたしたちの予定を混乱させた。

 1月3日の午前6時半に起きた火災は、東海道新幹線と、山手線、京浜東北線、東海道線のほぼすべての列車の運転を、お昼過ぎまで止め、駅の改札口周辺や再開した列車の車内を混乱させた。妻とわたしはわたしの祖母の家に行くのをあきらめて、妻の祖母の住む福井に向かうことにした。一方、兄は母と父と共に、予定を大幅に遅らせて祖母の家に出かけた。祖母に挨拶をし、またうちに戻る途中の最寄り駅から、兄はいなくなった。

 わたしの妻の旅は予定されていた路線を、予定とは違った時間に旅し、兄はそもそも予定されていなかった路線で旅した。

 1月4日の夜、母からわたしにかかってきた電話は、兄が大阪の天王寺警察にいるというものだった。母は、わたしに、今から迎えに行けるのかを訪ねた。すでにこの時間に天王寺まで行くのは無理なことを伝えると、母はそれなら自分が迎えに行くと言った。この時間に迎えに行ったとしても、大阪で一泊せざるを得ない。ならば、わたしと妻が翌日の早朝に迎えに行った方がいい、とわたしが言うと、母はそれだと兄は一晩警察署で過ごすことになってしまうと返した。

 困ったなあと思ったところで、とっさにわたしの頭が回転した。兄が保護されている天王寺警察は、釜ヶ崎にあるNPO法人こえとことばのこころの部屋(以下、ココルーム)の喫茶店のふりをした事務所に近い 。ココルームの代表で、詩人の上田假奈代さんの携帯に電話をかけると、一晩警察署で過ごすのはかわいそうだと言って、すぐに迎えに行ってくれることになった。わたしは母に電話をし、翌日、わたしと妻が釜ヶ崎まで行って、兄と一緒に帰ることを伝えた。母が上田さんに電話し、身元引受の方法について話をした。迎えに行く道すがら、上田さんは兄の介助者もしているカリヤサキさん(第12回参照)が、越冬闘争に参加するために釜ヶ崎にいるのを思い出し、電話をかけると、夜になってもその日の宿を決めてなかったカリヤサキさんは、渡りに船と兄と一緒にホテルに泊まってくれることになった。

 翌日、わたしと妻はバスと電車を乗り継いで、ココルームまで行った。福井の親戚にいただいた土産を出しながら、喫茶店のお客やココルームのスタッフとちゃぶ台を囲み、正月の里帰りのようにお雑煮とおせちを食べた。数年前まで、釜ヶ崎の越冬に参加していたわたしは、この年も期せずして越冬に参加することになった。

 食後、居合わせた人びとと、兄がどうやってココルームまでやってきたのか、話しに花が咲いた。すると、それまでずっとだまり、確実におせちを摂取していた兄は、自分が話題にされているのを決まりが悪く思ったのか、はじめて「おうちかえろう」と呟いた。あまりに自分勝手な言葉に、一同ほがらかに笑った。そして、妻とわたし、兄とカリヤサキさんの4人で、帰省ラッシュで大混雑の新大阪駅から、自由席をとるために奮闘し、そして東京駅を経て埼玉に帰った。

解釈の螺旋

 地元の駅から天王寺までのどこかで一泊したあとで、兄は天王寺までいった。駅の近くのたこ焼き屋で売り物のオレンジジュースを手にしたところで、たこ焼き屋の店主に声をかけられた。不審に思った店主は、面倒見のいい人で、彼を迷い人と考えて、そして警察まで連れて行ってくれた。地元の駅から、たこ焼き屋までの足取りは不明である。

 今回の旅でも、兄はお金をもっていってはいない。人に道を聞くことはしないし、携帯・スマホなどももっていない。だから、スマホで経路を検索することもない。路線図を読むこともないと思われる。そんななかで兄がどんなふうに世界を認識し、そしてどのように500キロ以上も離れた天王寺までたどり着いたのかを考えると、さまざまに思考が刺激される。

 兄は駅からいなくなった。だとすれば、少なくとも一部の区間は鉄道を利用して移動しているはずである。そして、彼が鉄道による移動が好きなことを考えると、高い可能性ですべての移動は鉄道によるものだとも推測される。

 この6年前に、兄はわたしや見沼田んぼ福祉農園の関係者とともに、天王寺を2回訪問していた。その際には、ココルームに行って上田さんにも会っている。だから、兄が上田さんらに会いに行ったということも考えられる。

 今までの一人旅の行き先は、都内にある祖父の家だった(第14回参照)。祖父が亡くなってからは、東京都内の繁華街に出かけるのが多い。つまり、兄にとって好きな場所――わたしにとって、兄が好きだなと感じられる場所というのが正確かもしれない――に出かけていることが多いようである。

 それまでの一人旅でもっとも西に行ったのは箱根。その時は、わたしの母方祖父母とともに、毎年家族旅行ででかけていったホテルまでいき、馴染みの仲居さんから電話をもらい、母が迎えに行った。西日本に行ったことはない。

 2012年に開催した日本ボランティア学会北浦和大会では、二日間すべてのプログラムに参加した後、閉会時の混乱にまぎれて旅立った(第12回参照)そして、わたしの職場のある横浜の駅近くのラーメン屋の前で保護された。つまり、家族に関わる場所や、家族が話題にのぼらせる場所に行くことがある。であるならば、元旦に実家でわたしと会った際に、新幹線を乗り継いで福井に行くことを聞いていた。また、介助者のカリヤサキさんが釜ヶ崎に行くということも、実際に彼が兄の介助に入る際に聞いていた。であれば、わたしのように新幹線を乗りたくなったのかもしれないし、あるいはわたしや妻、カリヤサキさんに会いに行こうとしたのかもしれない。

 そんなふうに兄がなぜ旅をしたのか、どのように旅をしたのか思いをめぐらす。そしてその答えを出すための手がかりはあっても、答えを出すことはできない。そもそも兄がいなくなったのは1月3日であり、天王寺で保護されたのはその翌日である。一晩をどこかで明かしているはずだが、それがどこなのかはわからない。

 兄は遠く離れた場所を、わたしや家族にとって思いもよらない、彼なりの仕方で結び付け、そのことによってわたしが常識的な尺度でつくりあげた世界観を揺さぶる。地元駅から、天王寺まで線路が敷設されている。だからその最短の経路が兄の旅程そのものだと想像する。しかし、線路の軌道と実際の旅程はほんらい別物である。途中下車や乗り換えをすることもあれば、ダイア乱れによって経路の変更を余儀なくされることもある。それなのに、わたしたちは最短の経路が唯一の旅程だと錯覚し、その先に空間をイメージする。東京駅から新大阪駅までの旅程は500キロで、2時間半かかるというふうに、離れた場所を距離と時間の秩序で整理し、理解可能なものに変える。しかし、ふたたび書くが、軌道と旅程はほんらい別物である。兄がどのように旅をしたのかは、わからない。そして、その別物であるからこそのわからなさが、ひとりの人間の存在の孤立なき孤独を根源的にあらわしているのだとわたしは考える 。

されるのではなく、している

 沿線火災によって、鉄道のダイヤグラムは乱れた。わたしの祖母の家での正月の家族の対面は果たせなかった。一方で、妻の側の親族との対面は果たされた。そんななか、兄が発心して西に旅立つことによって、わたしは釜ヶ崎で血のつながらない、しかしゆかりのある人たちとの対面を果たすことはできた。兄が保護されると、わたしは上田さんのことを思い、そして上田さんはカリヤサキさんのことを思い、やがて兄を介して、わたしは上田さんにも、カリヤサキさんとも釜ヶ崎で会うことになった。本来の予定どおりにいかなかったが、結果的にとても濃密な旅になった。

 それは、「知的障害のある中年男性が失踪し、警察に保護され、家族が迎えに行った」で片づけられる話だ。しかし、わたしはそれに収まらないものを感じ、だから兄と釜ヶ崎で再会してから、Facebookで発信した。すると様々なひとがこの出来事についてリアクションしてくれた。そうやってシェアされたことで、出会った人もいる。

 たとえば、日常編集家のアサダワタルさんがシェアした記事に、浜松のNPO法人クリエティヴサポート・レッツ(以下、レッツ)の久保田翠さんがコメントをしたことで、わたしと久保田さんはつながった 。この年の2月、わたしは妻と九州を旅行しようとしていたのだが、大雪で飛行機が飛ばなくなり、行く先を新幹線でいける東海地方に変えた。そして久保田さんに連絡を取り、レッツを訪問することになった。久保田さんは鍋を料理してくれており、私と妻はレッツの活動スペースに布団を敷いて泊った。だから、一月前の兄の旅は、大雪に際して途方にくれたわたしたちに、新たな旅の目的地を与えてくれるものでもあった。

 だとすると、わたしが兄の世界を解釈するだけでなく、兄がわたしや妻の世界を解釈しているともいえる。お金をもっていない、そして文字を読むわけではない兄が天王寺までいけてしまったことの背後に、兄自身が十分に知ることができていない、何かとんでもない力を感じるとともに、その何かとんでもない力は兄の旅が終わった後も、わたしの世界を解釈し、構築していく。

暴力の痕跡

 しかし、<何かとんでもない力>は、ポジティブなことだけをもたらすものではない。そして、誰もが自由に生きられるわけではなく、様々な圧略や軋轢をうけながら生きざるを得ない。
M・オジェは、メトロの規則性が、人びとの振舞いを規制することを語る。

もし各人がメトロで「自分の人生を生きている」としても、この人生が完全なる自由のうちで生きられるわけではないことはまったく明らかである。それは単に完全な仕方で生きられる自由など社会にはありえないからではなく、より正確に言えば、メトロの運行がもつコード化されて秩序立った性質がすべてのひとに、いくつかの振る舞いを強制するからだ。こうした振る舞いから逸脱してしまうと、公的な圧力や、他の利用者からの非難によって――この非難は有効である場合もそうでない場合もあるが――、罰せられる危険を冒すことになる。(オジェ2022:63)

 メトロの規則性は、人びとの振舞いを規制することで、それに従う人びとの共同体をつくりだす。人びとはそれに従うことで、快適な移動をすることができ、そしてその快適な移動によって自分らしい生をつくりだす。そこから逸脱もできるが、それは圧力や非難にさらされる危険と裏表である。

 兄の旅は、わたしたちの常識的な移動のイメージを超えてしまうことで、わたしや、わたしの周りの人びとを熱狂させた。しかし兄の旅はネガティブな力にさらされることと、紙一重のものでもある。兄の旅のあとの、わたしやわたしの繋がる人びとの熱狂の横で、母は次のように書いている。

 彼の一人大阪行き、何人かの人が語っている。事実と事実から「想像」したことと。なべて、いいひとたちとめぐりあえて無事帰還、みたいな感じだが......。一番好きだった「事実からの想像」は「兄が弟夫婦を心配して大阪まで来てくれた」だったよ。
 彼が帰ってきたとき(...)右足のひざの外側にはあかくはれた大きなすり傷があった。世の中優しい人もいるけど、傷つける人も優しくない人もいるさ。語られないことの中にも真実はあるってことを語られない側はどうつたえられるんだろう。

 すり傷が生々しくあることは、熱狂する周囲に冷や水を与える。わからなさのなかに、暴力の存在が予感される。

 それでも兄は、一人旅に出かけて行く。

 だからとんでもない力を解き放つのは、兄自身であり、わたしや周りの人間ではない。


注釈

[1]今回の文章は、猪瀬(2015)を手元におきながら、それを大幅に書き換えたものである。

[2]当時のココルームについては、上田假奈代ほか2016『釜ヶ崎で表現の場をつくる喫茶店、ココルーム』フィルムアート社を参照。なお当時喫茶店のふりをしていたココルームは、今少し場所を変えて(といって歩いて5分以内の位置だが)で、ゲストハウスを運営している。https://cocoroom.org/cocoroom/jp/

[3]この部分の記述は、D・マッシ―[2014:59]の空間をめぐる議論が発想の手がかりとなった。

[4]レッツについては、以下http://cslets.net/を参照。

参考文献

猪瀬浩平2015「直線、切断、接合、螺旋:ある知的障害を持つ人の旅をめぐる考察を通じた、世界の<変革>にむけた試論」『PRIME』38:17-23
オジェ,マルク 2022『メトロの民族学者』藤岡俊博訳、水声社
マッシー,ドリーン 2014『空間のために』森正人・伊澤高志訳、月曜社

猪瀬 浩平

猪瀬 浩平
(いのせ・こうへい)

1978年埼玉県生まれ。明治学院大学教養教育センター教員。1999年の開園以来、見沼田んぼ福祉農園の活動に巻き込まれ、様々な役割を背負いながら今に至る。著書に、『むらと原発ーー窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと』(農山漁村文化協会)、『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』(生活書院)、『ボランティアってなんだっけ?』(岩波書店)など。

写真:森田友希

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