第16回
トレイン、トレイン
2022.08.14更新
Train-Train
中学生の頃、兄の同級生がロックバンドのカセットテープをうちにもってきてくれた。それは、RCサクセションでもあったが、なによりもThe Blue Hearts(以下、ブルーハーツ)であった。兄はブルーハーツのカセットを繰り返し繰り返し聴き、時に手を振り、声をあげながら跳びはねた。大音響でかけるブルーハーツは、それほど広くない団地の家の中で響きわたった。同じ家で暮らし、同じ部屋で眠るわたしは兄とともにブルーハーツを聴いていた。
今、ブルーハーツの曲を聴くと、ときどき、当時起きた出来事や、圧倒されるように感じたことの断片を思い出す。
「リンダリンダ」は、ドブネズミの美しさを歌う[1]。ドブネズミという言葉が聴こえてくると、わたしは近所のどぶ川を想い、そして中学校の帰り道、兄がどぶ川になぜか入っていた姿を想う。兄が自分で入ったのか、誰かにそこに入れられたのかは定かではない。そのときなぜそこにいたのかは思い出せないが、わたしはどぶ川の川端を歩いており、兄が学生服姿のままどぶ川に入っているのを見かけた。
わたしが小学4年生の頃、ブルーハーツの「Train-Train」を主題歌に、斉藤由貴主演のドラマ『はいすくーる落書』が放映された。ませた同級生はそれを教室の話題にしていた。ませていなかったわたしも、母につきあってそのドラマを見ていた。丁度その放送をしていた時期、兄は2年目の高校受験をし、そしてまた不合格にされた。受験した高校の教師たちとの交渉や、県の教育委員会との交渉があり、たびたびわたしも連れていかれた。学校や県庁や、何か大きな力をもっているものに立ち向かって、兄は走っており、母や父も走っており、その疾走する感じは、この曲が描くものと重なっているように感じた。わたしの言葉でうまく表せないことを、この曲が表現してくれているように感じた。
中学時代、兄は毎日学校に通っていた。ひどいいじめを受けている時期や、障害児は養護学校に行くべきであるという強い信念をもった中学1年生の担任の教師から、日々転学を迫られていた時期もある。そしてその二つの時期は重なってもいる。だから、同級生からのいじめと、本来ここにいるべきではないという担任教師の指導は、お互いを裏打ちし合う関係にあったとも言える。
それでも兄は卒業まで毎日学校に通った。その先に受験した高校の門は閉ざされたままで、浪人生になった兄は、母と一緒にビラ配りや牛乳パックの回収と紙漉きをし、そして高校を目指し続けた。その日常のなかで、ブルーハーツの曲はわが家の中を流れていた。ままならない日常をしぶとくつづけながら、どこかでそれが好転するために勝負をかけること。パンク・ロックというものを、わたしはそのようなものと理解した。
ときどき、兄はどこかに出かけていった。「Train-Train」が、兄を旅にいざなっているようわたしには感じられた。今でも、兄がどこかにいってしまうときに、わたしは「Train-Train」の音楽とともに兄が旅している姿を思い浮かべる。
野生の思考
思春期になりかかったわたしにとって、兄の受験をめぐって起こった運動は、それまでの日常を大きく変えるものだった。
国外は冷戦が終結していく頃であり、国内では昭和という時代が終わろうとしていた頃であった。そうやって目まぐるしく変化していく、身近な風景や、時代の風景が、少年の感性を刺激し、それがわたしの世界をめぐる思考を形づくった。同じようにめまぐるしく変化する状況の中で、兄の感性も刺激され、そして彼にとっての世界をめぐる思考を形づくっていった。そうやって形づくられた彼の世界をめぐる思考は、言葉という形をとらず、手仕事や、跳躍、叫び、疾走、そして旅という形をとってあらわれる。
レヴィ=ストロースは、野蛮人や未開人とされてきた人びとが自然に対して豊富な知識をもっている民族誌的事実を語る。
たとえば、フィリピンのネグリト・ピナツボ族の男は、誰でも植物450種、鳥類75種、蛇、魚、昆虫、哺乳類のほとんどすべて、さらには蟻20種類の名称を言うことができる。琉球列島のある後進地域の子どもは、木材の小片を見ただけでその木を特定できるだけでなく、現地人が考える植物の性別で、その木の雌雄を言い当てる。その識別は、木質部や皮の外観、匂い、硬さ、その他の特徴の観察による(レヴィ=ストロース1976:6)。
このように過剰なまでに豊かな知識の目的は、実用性ではない。それは物的欲求を充足させる前に、あるいは物的欲求させるのではなく、彼らの、彼女らの知的欲求にこたえるものである(レヴィ=ストロース1976:12-13)。自然の豊かな差異が、人間の感性を刺激し、その思考能力を駆動させることによって、単に機能性や有用性に還元されない形での知の体系をつくりだす。それは料理であり、婚姻であり、親和であり、宗教であり、近親相姦やカニバリズムのタブーである[2]。
ブルーハーツが生み出した音楽は、あたかも自然の豊かな差異として、兄とわたしの感性を刺激し、その思考能力を出来事のなかで駆動させていく。それを言葉として、論理として説明しようとするわたしに対して、兄はそれを身体や身振り、声や動作、そして動きとしてあらわす。
兄の行為を物的欲求でとらえるのも、それすらない異常な行動ととらえるのも、それは「健常者」を自認する人の傲慢にすぎず、そこに知的欲求――知への勇気――をよみとったときに、わたしたちは同一種の人間の多様性ということを、本当の意味で理解できる。
野生の思考は、兄においてしっそう(疾走/失踪)としてあらわれる。
輪郭をつくらない線
しっそうは輪郭をつくらない。ドゥルーズは次のように語る。
私たちが「地図」とか「ダイアグラム」と呼んでいるのは、同時的に機能する多様な線の集合のことです(だから手相の線も一つの地図になるわけです)。じっさい、じつにさまざまなタイプの線があるわけで、しかもそれを芸術にも、ひとつの社会のなかにも、ひとりの人間のなかにも見出すことができる。何かを(具体的に)表象する線もあるし、抽象的な線もある。セグメントを持つ線もあれば、セグメントをもたない線もある。大きさをあらわす線もあるし、方向を示す線もある。また抽象的であってもそうでなくてもいいのですが、輪郭をつくる線もあれば、輪郭をつくらない線もある。そういう線は美しい。[ドゥルーズ2007:72-73]
ドゥルーズは「線とは事物と<事件>の構成要素」であるとし、「だから、どんな事物にも固有の地理があり、固有の地図学があり、ダイアグラムがあるのだ」という。
正月の兄の西への旅も、様々な事物と<事件>を結ぶ。それは、年賀の挨拶や、新幹線の沿線火災、釜ヶ崎のアートNPO、天王寺警察であったりする。それを並べてみても、空白の部分があまりにも多く、旅の輪郭を描き切ることはできない。旅の始点と旅の終点だけがはっきりした、輪郭のない線である。それは、飼いならされた、常識的な思考が、たとえば「障害者」や「自閉症者」といった言葉で枠づけ、意味づけようとするその力をかいくぐる。
そしてそれは、右足の膝のすり傷でもある。逸脱は、圧力や非難、そして弾圧と暴力をまねきよせる。
2020年の春に日本でも新型コロナウイルス感染症が拡がっていく中でも、兄はたびたびいなくなった。そんななかで、わたしが感じた不安は、兄がコロナウイルスに感染してしまうことだけではない。多くの場合兄はマスクをせず、公共交通機関を使い、都心部に出掛けて行く。だから感染することは、もちろん大きな不安だった。しかし、それ以上に不安だったのは、コロナウイルスに感じる人びとの恐怖が、そのまま兄に向けられることだ。少なくとも私にとって、コロナウイルスの恐怖は感染することそれ自体だけでなく、感染した場合に向けられる非難や怒りだった。だから自分の行動は規制したし、また自分の行動の多くを人には語らなくなった。兄がコロナウイルスに感染し、そして誰かに感染させるかもしれないという不安を抱かれたとき、そこにあるのは同情ではなく、敵意なのではないかと感じた。
この時私が抱いた不安とつながることを、兄の介助者が語っている。
兄の介助に入る人たちの最初の不安は、兄と一緒に買い物に行く際、彼が大きな声を出すことだ。彼に向けられる眼差しを、介助者は自分に向けられるものとして感じる。それがつらい。だから大きな声を出さないようにしたり、あるいは大きな声を出すこと自体を別の形で理解するようにする。その人は音楽活動をしており、自分も時に大きな声を出す。だからそういうものだと理解していた。
そんな彼が、兄への人びとの眼差しが変わっていることに気づいたのは2021年8月に小田急線の車内で起きた無差別刺傷事件のあとのことだ。女性を執拗に刺し、そして牛刀を振り回して多くの人を傷つけたことが、乗客が逃げる様子をスマホで写した映像とともに報じられた。ショッピングモールで買い物をしているとき、兄が大きな声を出すと、振り返る人びとの眼差しには、恐怖があった。それはあの事件で高まった不安によるものだと、彼は感じた。そのとき、兄は社会によって守られるべき「障害者」ではなく、社会に不安を与える「加害者」として、「敵」として眼差された[3]。
それでも、兄はしっそうする。それを、ドゥルーズのようにただ「美しい」と語る勇気は、わたしにはない。そしてそれは、暴力や差別に対峙する人たちのたたかいを、ただ「美しい」と語れないことに通じる。
孤独だが、孤立していないしっそう
2021年の3月28日未明の街で、兄は走った(第2回参照)。
3回目の緊急事態宣言が解除されて一週間足らずの頃だ。それでも感染者は思ったほどは減少せず、だから様々な行動規制は引き続き呼びかけられていた。その頃に一年延期された東京オリンピックの聖火リレーが沿道に多くの観衆を集め、しかし黙って旗を振ることだけを期待されていた。
そんなあまりに異常な日常の中で、マスクをしない知的障害者が、時に大きな声をあげながら、夜中の街を走った。この社会は、共生社会やインクルージョン、障害者アート、農福連携......そんな言葉で障害のある人を社会の内側にしようとしながら、結局、抱えきれないことがあれば、外に放り出し、敵として断罪する。その一つの極点が、東京五輪という愚かな祭典だったとわたしは考える。肯定的な言葉でくくられるのでも、否定的な言語でも切り捨てられるのでもなく、ただ、はしる。走る。奔る――
桜が満開のその夜の風景こそ、旧街道を、繁華街のロータリーを、神社の杜の前を駆け抜ける韋駄天走りこそ、わたしがいま物語るもののすべてのように思う。
それでは兄は、どこに向かったのだろうか。
注釈
[1] 「情熱の薔薇」をめぐる想い出については、『分解者たち』の第5章「三色ご飯と情熱の薔薇」に書いた。
[2] このような「野生の思考」の特性を、渡辺公三は次のようにまとめる
・それは人間を自然と分離せず常に自然へと送り返し、種の多様性によって同一種としての人間の多様性を表現する。
・種による分類の論理は種のさまざまな特徴をひきだして常に放射状のイマージュの網の目をひろげる動的な性質をもつ
・したがって「野生の思考」における「同一性」とはわたしたちの既成の概念とは対照的に、個人の個人としてのかけがえのなさといったものに収斂するのではなく、個体の常なき変容と、異質なものの出会いの場としての個体の可能性を意味するのである。(渡辺2003:322)
[3] この部分の記述は、猪瀬(2022:218-219)と重なる。
参考文献
猪瀬浩平2022「見捨てられた体験を未来に差し出す――本書に寄せて」 児玉真美編『コロナ禍で障害のある子をもつ親たちが体験していること』生活書院:206-223
ドゥルーズ,ジル2007『記号と事件――1972年―1990年の対話』宮林寛訳、河出文庫
レヴィ=ストロース,クロード『野生の思考』大橋保夫訳、みすず書房
渡辺公三2003『レヴィ=ストロース――構造』講談社