野生のしっそう

第20回

失踪/疾走

2022.12.06更新

しっそうの先、ため息するわたし

 3月28日の午前2時半に、兄はわたしの家から走り去っていった。兄の靴がないことを確認したあと、私はドアをあけ、遠くに走り去っていく兄の声を聞いた。

 この時間にやれることはない。朝起きたら関係各位に電話することにして、わたしは寝室に戻り、妻に兄がいなくなったことを告げてから一言二言しゃべり、布団に入った。

 翌朝、母に電話をした。警察に連絡しないといけないことを確認し、ため息をついた。
 その一年前の4月、新型コロナウイルス感染症に関する最初の緊急事態宣言が出された頃に、兄が実家を出て行ってしまったことを思い出した。今考えれば必要以上に世間は緊張していた、あの頃のことだ。わたしは家の外に出ることすらためらい、だれもいないところでもマスクをつけていた。そんな時に兄がいなくなったという連絡があった。

 あの時も、私はため息をついていた。わたしはマスクもつけずにでかけていった兄がコロナウイルスに感染することだけでなく、コロナウイルスが蔓延するなかでマスクもつけずにいることで、周りの人たちに不安視や敵視されることを想った。そして、2013年の1月の大阪の天王寺へのしっそうのとき(連載第15回を参照)、兄が膝におおきなすり傷を負って帰ってきたことが、頭をよぎった。

 兄が走り去っていく後ろ姿を見ながらかすかに感じた痛快さは、もうどこかに消えてしまっていた。

 そうやって思いを巡らしながら、わたしは、父にも電話したほうがいいのではないか、と思った。午前7時前後で、まだ寝ているのかもしれないと思ったが、父はすぐに電話に出た。兄がいなくなったことを告げると、「そうみたいだな」と平静な声で答えた。少し驚いたわたしが「誰から聞いたの?」と聞くと、父は「いや、後ろにいる」と答えた。
 
 兄は、父の暮らす団地の家に帰っていた。

長男の帰還

 兄がいつやってきたのかと聞くと、父は3時ごろだと言った。昼夜が逆転していた父は、その時間も起きていた。すると兄が突然家にやってきたようだ。わたしの家を出たのが2時30分。すると兄は、4キロの道のりを30分で走り抜けたということになる。今何をしているのか、と聞くと、これから朝飯を一緒に食べると父は答えた。それなら後で迎えにいくね、と私がいうと、父はいや別に来なくてもいいよ、と答えた。

 その日の昼前に、わたしは父の暮らす実家に行った。
 家に入ると、兄はパジャマのまま、父のベッドの上に腰を掛けていた。明日は農園での仕事があるから、今日はもう帰ろうと言うと、兄は「いわない」「だいじょうぶ」という言葉を繰り返した。兄がベッドの上から離れたくないのは明らかだった。父はうれしそうに昼飯の準備をしており、これから二人で食べるのだと言った。

 二人がこの家で共に飯を食べるのは、数か月振りのことだった。ずっと父と会ってもいなかったので、兄は実家に帰りたかったし、父も兄に会いたかったのだ、とわたしは思った。

 わたしは兄と父に、翌日の午前中は仕事を休むこと、午後からは仕事に行くこと、だからお昼に迎えに行くことを伝えた。その日は久しぶりに、父と兄とで過ごすことになった。

 翌日、実家に行くと、兄は朝ご飯をすでに食べて、畑の作業着に着替えていた。わたしがでかけるよと言うと、兄はすぐに動き始めた。兄は父に「じゃあね」と挨拶をして別れた。

 兄が父のいる家に帰ったことを知った時、わたしは子どもの頃から世話になっている年長の人に、ことのあらましを書いてメールで送った。長年、兄やわたしの家族とも深い付き合いのある彼女は、次のような返事をくれた。

言葉で勝手に解釈されてしまうから
行動で表現する良太が
いいね。

この前の木曜日に最終回を迎えた長瀬君の「俺の家の話」というドラマがいいなあと思うのですが、良太の話は、それに近いものを感じて
バタバタドキドキした浩平君たちは大変だったでしょうが私はほんわかしました。そんなはなしがもっとできれば何かが変わるようなきがするんですね。

 わたしは「俺の家の話」の「俺」が、自分だとおもっていた。
 しかし、本当の「俺」は長男である兄だったのだということを、そのメールで気づいた。数週間後に彼女とわたしが直接会った際にこのときのことを話すと、彼女は、兄は家族に心配されているようだけれど、実は家族を一番心配しているんだよ。ほかの障害のある人もみんなそうなんだよ、と語った。

かろうじてなりたつ

 文化人類学者の松村圭一郎は、家族や地域などの人びとの共同性は、あらかじめ与えられた強固なつながりとしてあるのではなく、人びとの振る舞いや、関係性のあり様によって強められたり、弱められたり、時にはなくなってしまったりするものだとする[松村2009]。

 2020年4月1日、母方祖母の世話が必要になって、母と共に病院に出かけたことがある。感染リスクを極力さけようと、電車は使わず、車で向かった。母と二人きりですごす車中の時間、わたしは祖母がかつて話してくれた曽祖父の話をした。

 岩手の盛岡出身の曽祖父は、若いころに東京に出てきてやがて技師になった。戦中は国内各地や、大陸にも事業を展開していた。曽祖父には妹がおり、それが唯一の肉親だったそうだが、彼女はスペイン風邪で若くして亡くなった。彼の従兄に富田砕花という詩人がいた。祖母が知る限り、曽祖父にとって唯一の存命中の親族は富田砕花だけだった。富田砕花旧居が芦屋にあって、大学一年生の頃(1997年)に祖母と尋ねた。富田にゆかりのある方が住んでいて、祖母は自分と富田とのかかわりを語った。私はそこで、曽祖父がスペイン風邪で身内を失ったことを知った。

 当時、新型コロナウイルス感染症とスペイン風邪をつなげる論考や研究が、様々な形で紹介されていた。スペイン風邪のパンデミックを、わたしが自分と地続きに感じる手がかりは、祖母がしてくれた話だけだった。

 祖母はわたしに様々なことを語ってくれた。しかし、母にはあまり多くのことを語っておらず、だから曽祖父の妹の話を母は知らなかった。私は曽祖父と会ったことはなく――曾祖母にはかわいがってもらったが――、ただ敗戦によって彼が虚脱状態になり、やがて認知症になったという話や、敗戦前に大陸での事業にかけて一家で移住しようとするのを、曾祖母が必死に止めたという話を祖母に何度も聞かされた。そして、曽祖父の代わりに大陸に渡った人が、その後大変な目にあったということを聞いた。それがどういうことなのかを、聞いたことはない。祖母自身も知らないのかもしれない。

 曽祖父とその妹、祖母、母、私はそれぞれに分割されながら、しかし、自分でしかうけとれない出来事を分かち持つことによって、かろうじて親族という<つながり>は成り立つ。そしてそのかろうじてある<つながり>は、新型コロナウイルスによって呼び覚まされた「スペイン風邪」の記憶によって導かれたものである 。

 同じようなことが、2021年3月28日のわたしたちの団地の家においても起きた。かつて団地の一室で暮らしていた「家族」が雲散霧消とする予感のなかで、まだ夜も明けない町のなかから、兄が帰ってきた。父は彼を迎え入れ、二人で朝ご飯を食べた。わたしは、父が普段眠っていたベッドに三角座りをしている兄の説得をこころみた。そしてわたしは兄の説得を断念し、翌日やってくることを告げた。

 父と兄という最小単位のメンバーによって、一家の団欒が束の間に復活した。兄が帰還し、それにともなってわたしも帰還し、そして3人の男たちが何事かを言い交すことによって、わたしたちという「家族」はかろうじてなりたつ 。

言葉よりも早く

 しっそうは、失踪と疾走のあわいに位置する。
 兄はわたしが暮らす家からいなくなった。わたしはそれに驚き、警察に電話をかけようとした。警察が連絡を受けたら、それは知的障害のある人の失踪事件として処理しただろう。

 しかし、兄は失踪したのではなかった。兄は父の暮らす家に向かって疾走していたのだ。

 誰かの解釈や思いやりや差別によって、言葉を与えられるよりも前に、全身の、全力の運動によって自分自身の意思を表す。それはろくでもない世界から逃げることであり、新たな世界を求めることでもある。そして走り出す身振り自体が、新たな世界のあらわれそのものでもある。

 それは意思の表明とか、意思の疎通ということの固定観念を打ち砕く。だから、2016年の7月津久井やまゆり園で多くの障害のある人を殺傷した犯人やその賛同者の「意思の疎通ができない人間は生きるに値しない」という思考に対する、もっとも本源的な批判である。それは批判の言葉でなく、批判そのものの運動である。

 相模ダム建設殉難者追悼会において、ダム建設の犠牲者と津久井やまゆり園で殺傷された人々に捧げる黙とうの沈黙のなかで、兄は「あーーーーー」と叫んだ(第4回参照)。叫ぶことを止めようとしていたわたしは、いつしか叫ぶことができるのに、叫んでいない自分に気づかされた。同じように、わたしは兄がいなくなってしまったのを失踪とかたづけようとした。しかし、兄の失踪の行く先を知った時に、疾走できるはずなのに、疾走していない自分自身を突き付けられているように感じた。

 コロナウイルス感染症が広がっていくなかで、まったく飼いならされた走りとして聖火リレーが実施された。ほかの関係者のすべてがマスクを着用し、沿道に群れることがないように呼びかけられた。そんななか、唯一マスクをつけていないリレー走者が、聖火のトーチを持って走る。そうやってつながっていくリレーが、結局何をつなぎとめようとしていたのかが、その愚かさとともに2年半たった今、明らかにされようとしている。

 兄は父の暮らす家にひた走った。
 2021年3月28日の兄のはしりよりも、明瞭な意思の表明をわたしは知らない。


注釈

[1]この部分の記述は、猪瀬がこれまで書いたことに加筆した(猪瀬2020)。

[2]それにリアリティをもたらすとする。そして、その振る舞いを生み出す空間の配置や、習慣のあり様の重要性を指摘する(松村2009)。


参考文献

猪瀬浩平2020「「病気はまだ、継続中です」――分割/連帯を生み出すために」農文協編『新型コロナ19氏の意見――われわれはどこにいて、どこに向かうのか?』農山漁村文化協会:98-104
松村圭一郎2008『所有と分配の人類学―エチオピア農村社会の土地と富をめぐる力学』世界思想社

猪瀬 浩平

猪瀬 浩平
(いのせ・こうへい)

1978年埼玉県生まれ。明治学院大学教養教育センター教員。1999年の開園以来、見沼田んぼ福祉農園の活動に巻き込まれ、様々な役割を背負いながら今に至る。著書に、『むらと原発ーー窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと』(農山漁村文化協会)、『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』(生活書院)、『ボランティアってなんだっけ?』(岩波書店)など。

写真:森田友希

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