野生のしっそう

第22回

燕(つばくら)の神話

2023.02.05更新

土まみれの兄

 兄は毎日農園で土と泥にまみれている。福祉農園の開園当時、兄はウクレレづくりや紙漉き、ポスティングの仕事もしていたので、毎日農園にいっていたわけではない。そのうちに、兄は作業所の農園班になり、ほぼ毎日農園で働くようになった。福祉農園ができて20年以上が経つなかで、もっとも長い時間農園で働いているのは兄だ。わたしが福祉農園で過ごした時間は兄の5分の1にも満たない。

 わたしは彼の仕事を、「農園で働いている」とか「農作業をしている」と語る。しかし、そこで言い表せていることは、兄がやっていることのほんの一部だ。

 それは兄の仕事が多様であるということでもある。
 でも、それだけでもない。

 パソコンの前に座ったり、教壇に立ったり、会議室の椅子に座っている私の働き方よりもはるかに深く、兄の仕事は外界に触れる感覚の中にある。野菜の周りに生えた雑草の一本一本を、鎌をつかって根っこから抜く。種の一粒一粒を指で確認しながら、自分が定規でつくった数ミリの溝に植える。作業の途中にトイレに行くこともあれば、大きな声を出すこともある。それもまた兄の内側で起こったことと、外側の世界との接面で起こる。風がビュービューとふけば、時に兄は飛び跳んで風と一体化する。兄は世界を嗅ぎ、動き、感じる(第9回参照)。

 土と泥にまみれている兄のことを、パソコンデスクに座ったわたしが代弁する。でもそれは、わたしが兄と共に出来事を共有し、わたしの眼で観察したことでしかない。兄が発する声や、断片的な言葉から、わたしが解釈できたことでしかない。そして兄は、わたしが代弁し、解釈したことについて、言葉で否定することも、肯定することもない。

 兄が父の住む家に走って帰っていたことを知った時、わたしは、父に会いたいという兄の意思を読み取った。

 わたしは勇み足をした。桜の花が満開だったこと、コロナの感染者が増加していたこと、聖火リレーがはじまっていたこと、そして父と兄がしばらく顔を合わせていなかったことが、わたしの解釈に拍車をかけた。わたしはどこかで、長男である兄が家族を恢復してくれることを期待した。家父長制を信じているわけではない。それでも、世間から長男としての役割を期待されていない兄が、老いた父を支える。そうやって、家父長制という枠組みを反復しているようで、攪乱する。そんなふうに考えたわたしは、毎週末兄が実家で過ごすよう周囲を説得した。父もそれを歓迎した。だから、さっそく翌週から兄は父の家で過ごすことになった。介助者を伴いながら、兄も喜んで父のいる家に向かったように、わたしは思っていた。

 しかし、兄はそこからもしっそうする。わたしや父たちが一方的に期待した枠組みを抜け出して、実家を出て行ってしまう。

代替わり

 兄が父の家で一晩を過ごしたのは4月3日。前週に弟の家に泊まった兄は、翌週に父の家に泊まった。穏やかに晴れた一日だった。日中、わたしは子どもを連れて福祉農園にでかけ、集まっていた人たちと芽を出したジャガイモの土寄せをし、草取りをし、芝刈りをした。散り始めた桜が美しかった。そして、父と兄が二人でカレーを食べている、幸福な姿を想像した。

 翌日も、朝のうちは雨が降っていなかった。午前中、わたしは長男を自転車に乗せて、買い物へ出かけた。

 兄がいなくなったのを知ったのは、だんだんと雲行きが怪しくなったお昼過ぎのことだ。電話があり、父はわたしに、前日は二人でカレーを食べたあと、早朝5時まで二人とも起きていたこと、ようやく眠りについてお昼過ぎに起きたら、兄がいなくなっていたことを語った。父のベッドの傍らに敷かれていた兄の布団も、綺麗に畳まれていた。父の話を聞きながら、シーツも毛布も、一辺と一辺をピシッと合わせて畳まれた布団を想った。兄とわたしとの性格の違いは、布団や洋服の畳み方にあらわれる。

 電話でわたしと話した後、父はすぐに警察に電話をかけてしまった。すると、4名の警察官がすぐに家にやってきた。父は、彼らを家の中にいれて事情を説明した。警察官は兄の暮らし全般について聞き取りをした。そして、兄にかかわる人たちに連絡をとりはじめた。警察犬も動員しようかとすら提案されたそうだが、さすがにそれは断ったという。降り出した雨のなか警察官は各地に出かけて行った。

 そうやって、兄がいなくなったことの波紋は広がっていった。

 兄の足取りはつかめないまま、雨の日曜日は更けていった。

 もし兄がこのまま見つからなかったらどうなるのだろうか、とわたしは考えた。

 兄がいなくなったら、福祉農園は続けられるのだろうか――福祉農園の開園当時からもっとも長い時間草を抜き、種をまき、耕運機をかけた人がいなくなる。それは農園にかかわる人が一人減ったということではすまない。雨の日も、風の強い日も、暑い日も、寒い日も。2006年に盗難事件がおき、農機具がごっそり盗まれた時も、2011年の東日本大震災の日も。それに続いて起きた原発事故で放射能汚染が心配されたときも。そして新型コロナウイルス感染症で緊急事態宣言が出されたときも、兄は畑で働いていた。その折々において、わたしは兄の姿にはげまされ、途切れそうになる心をつなげていた。そのことを想った。そして、週末のみ農園で活動しているわたしが、兄の存在を支えにしていることに気付いた。多くのことを物語らない兄に、農園のすべてがあるようにわたし・・・は感じた。

 そのとき初めて、わたしは福祉農園に代表という存在がありえるとしたら、兄をおいて他にはいないのだと思った。そして、そんな存在である兄が代表であるということを、実際に考えることが一度もなかったことに、わたしや社会をとらえて離さない、強烈な差別があるのだと気づいた。農福連携と語られるようになっているが、それは農作業を障害のある人や高齢者とすることに留まる。これまで、知的障害のある人を農家にしようと思った人はいない。それは、農政や農学、農村自体が知的障害のある人を差別していることの現れなのだと思った。

 知的障害のある兄が農園の代表をする。もちろん一人でできないことが多くあるので、周りの人たちが支える。彼が立ち会う中で、だれもが分かるように重要事項を話し合う。彼が立ち会う中で、これまで発言する機会をもつことのなかった子どもたちや、農園になかなか来ることができなくなった高齢者が発言の機会を持つ。外との交渉の場があれば、みんなでどかどかと出て行って、同じように語り合う。

 それが、わたしの意識の中で、福祉農園の代表が父から兄に代替わりした瞬間だ。

兄を迎えに

 千葉市の警察署で兄が保護されている連絡がわたしに入ったのは、翌日月曜日の夕方のことだ。わたしは最初に兄を保護した千葉市の福祉課に連絡し、そして兄を保護している警察署の電話番号を聞いた。警察署の場所を聞き、兄の着替えとしてわたしのシャツとジャージをもって車を走らせた。

 19時になる頃に警察署についた。もう一般市民がほとんどいない時間で、警棒をもった守衛に声をかけて、兄が保護されている場所を教えてもらう。玄関から入って待っていると、やがて奥から体格の良い警察官が出てきた。彼はわたしの身元を確認し、そしてまた警察署の奥にいった。やがて、兄をつれて彼がやってきた。

 兄はパジャマ姿だった。警察署の殺伐とした風景と、屈強の警察官とのコントラストで、それはとても弱々しく見えた。兄はお昼過ぎに近くの駅で駅員に保護されたようだ。言葉が通じないので警察を呼んだが、警察も対応に困って役所の福祉課に相談した。そして福祉課が迷い人の情報をしらべていくうちに、兄の情報にいきあたり、そしてわたしたちの暮らす街の福祉課に電話をした。家族に連絡がとれるまで、千葉の福祉課の職員は兄と同席してくれていた。警察官は兄が寒そうにしているので、暖房をつけたこと、おなかがすいていそうだったのでカップラーメンを食べさせたことを教えてくれた。

 車に兄を連れていき、兄は、わたしのわたしたシャツとフリース、ジャージに着替えた。高速道路に乗って、わたしは平日兄が暮らす家に向かった。

 運転しながら、コロナウイルスが蔓延し、その恐怖が広がる世間で、兄はパジャマ一つの無防備な姿で、家を出て、一晩をどこかで過ごし、海のあるその町まで出かけた。マスクをしていない彼にむけられたまなざしがどんなものだったのかを想う。とともに、兄の姿によって喚起された人々の不安や恐怖、怒りのようなものについて想う。そして、それでも世界に出ていく兄の想いを自分が受け取れているのかを考える。二人の間の会話はなく、ただブルーハーツの曲が流れていた。

 高速道路の渋滞はなく、一時間もたたずに兄の家についた。同居人も介助者も待ってくれていた。風呂も沸いており、晩御飯も用意されていた。どれくらいぶりの食事なのかわからないが、出された食事を兄は即座に平らげた。介助者や同居人とこの間起こったことを語り合い、やがてわたしは家に帰った。

TOO MUCH PAIN [1]

 3月28日の未明、兄はわたしの家から、かつて家族で暮らし、いま父の暮らす家に帰った。そして二人はともに食卓を囲み、久しぶりに枕を並べ、一晩を過ごした。ベッドで寝る父と、布団で寝る兄とで高低差はあったけれど。わたしが迎えにいっても父のベッドの上から離れようとしない断固たる姿をみて、わたしは兄が実家で過ごしたいと理解した。

 4月4日、兄が父の家に留まっていたら、週末ともに過ごすことが、父と兄の習慣になったはずだ。しかし、そうはならなかった。

 朝方に眠りについた父は、兄に朝ごはんをつくらなかった。冷蔵庫のなかから食べ物を探したが、それでは足りなかったようだ。だから兄は父が起きるのをまたず、しびれを切らして出て行ってしまった。着替えは残されていたので、パジャマのまま出て行ってしまったのではないかと、父は推測した。ひさしぶりに恢復したはずの、あの団地の家での一家の団欒は、そうやってまた失われてしまった。

 兄は父に触れ、そしてまた旅立っていった。春先にわたってきた燕が、かつて暮らし場所で巣作りを始めたが、しかしそれを途中でやめて、また旅立ってしまったように。そこに家族があったこと、そしてそれがかつてのようではないことを確認するように。

 兄はかろうじてあの家族に間に合い、そしてそこから出ていった。

 あの日以来、兄が実家に帰ったことはない[2]

 兄はここ数年、よく涙をながすようになった。不愉快そうな声を発していた後に泣くことも、笑っていたはずなのに気づけば泣いていることがある。泣いているときの兄は、本当に悲しそうだ。それは兄にとって、帰るべき場所、帰りたい場所がなくなってしまったこと、かつてのような場所でなくなったことを悲しんでいるようにも、わたしは感じる。そしてそれは、わたし自身の内側にある想いでもある。

 生きることの切なさとは、かつてそのただなかにあったものが徐々に(あるいは突然に)、そして確実に失われてしまうことだ。そして、その耐えきれない切なさに対峙しているもの同士として、孤独なわたしたちははじめて、それぞれの世界を重ねることができる。


参考文献

レヴィ=ストロース,クロード2006『生のものと火を通したもの』早水洋太郎訳、みすず書房


注釈

[1] 今回の原稿を書きながら、わたしはThe Blue Heartsの「TOO MUCH PAIN」を繰り返し聴いていた。この曲に描かれていることと、わたしが描こうとしているものは、確実に重なっていると感じている。
[2] この部分を書きながら、レヴィ=ストロースが神話論理で取り上げる、人間がなぜ死ななければならないのかをめぐる、南米のシバイアの神話のことを想う。

 M76 シバイア 短い寿命

  造物主は人間を不死身にしたかった。造物主は人間たちに言った。水辺に行って、二つのカヌーを通り過ぎさせ、三番目を止めて、それに乗っている精霊に挨拶し、抱擁せよと。

  最初のカヌーには、腐った肉を一杯に入れた籠が積んであった。ひどい悪臭がした。人間たちは出迎えに駆け寄ったが、悪臭で近づけなかった。人間たちはこのカヌーは死を運んでいるのだと考えた。ところが死は二番目のカヌーに乗っており、人間の姿をしていた。だから人間たちは死を歓迎し、抱擁した。造物主が第三のカヌーに乗って現れると、人間が死を選んだことに気づいた。反対にヘビや木や石は不死の精霊を待っていた。もし人間も同じようにしていたとしたら、古くなった皮を取り替え、ヘビのように若返っていることであろう。[レヴィ=ストロース2006:224-225] 

父は兄を抱擁するに急ぎ過ぎた。かつてあった家族は失われてしまった。しかし、その断片は、まだ残っている。そして、農園は続く。

猪瀬 浩平

猪瀬 浩平
(いのせ・こうへい)

1978年埼玉県生まれ。明治学院大学教養教育センター教員。1999年の開園以来、見沼田んぼ福祉農園の活動に巻き込まれ、様々な役割を背負いながら今に至る。著書に、『むらと原発ーー窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと』(農山漁村文化協会)、『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』(生活書院)、『ボランティアってなんだっけ?』(岩波書店)など。

写真:森田友希

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