仲野教授の こんな座右の銘は好かん!

第3回

努力は人を裏切らない

2022.07.19更新

 今回は「努力は人を裏切らない」です。一見正しそうに思えますけど、これはおかしい。まず、指導者がこのことばを使うととんでもないことになりかねません。自発的に使うのは勝手ですが、もしこのことばが厳密な意味で正しければ、ほとんどの人が困るはずです。そういった意味では、反社会的とまで言えるような気さえします。どうしてそう考えるのか、説明していきましょう。

 「努力は人を裏切らない」、前回の「若い時の苦労は買ってでもせよ」と少し似ている。しかし、苦労と努力には大きな隔たりがある。広辞苑第七版を見れば、「苦労=苦しみ疲れること。骨を折ること。」に対して「努力=目標実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。」とある。

 広辞苑さまともあろうものが「骨を折ること」と「ほねをおること」を統一しておられないのがちょいと気になるが、それはまぁおいておこう。何が違うかというと、まず、努力は「目標実現のため」であって、自発的な意味合いが強い。それに、苦労は基本的につらいけれど、努力は必ずしもつらくない。それどころか、むしろ楽しいことさえある。そのせいだろう、苦労人というと哀れなイメージがつきまとうが、努力家というとなんとなく筋骨隆々な感じがする。え、しませんか?

 努力は報われてほしい。わたしだって人の子だ、切にそう願う。それに、おおむねではあるが、努力と成功というのは相関関係がありそうだ。しかし、中にはほとんど努力せずに楽しく生きていけている人もいる。ごく身近にも棲息しているのだが、その人の座右の銘は驚いたことに「不戦勝」だ。まぁ、何事にも奇跡的な例外はある。

 逆に、努力しても報われなかった人というのは、座右の銘が不戦勝であるような人より、はるかに多そうだ。長年、生命科学の研究に携わっていたが、すごく努力しても報われることのなかった人をかなり見てきた。そういう研究者は大きくふたつに分けることができる。

 ひとつは、誤った仮説に基づいて研究を進めていた場合である。研究の中には、うまくいかないかもしれないけれど当たったら大きいというもの、いわばギャンブル性の高いものがある。もちろん論理的に破綻していてはお話にならないが、論理的に正しそうな仮説であっても、結果として間違えていたという場合は十分にありえる。これだけはやってみないとわからないからタチが悪い。ダメだったらそれまでの努力が水泡に帰すことになるが、こういった「大振り」研究も必要なのである。冷たいようだが、いたしかたなし、といったところだ。

 もうひとつは、競争に負けてしまう場合である。研究は競争ではないとよく言われる。確かにそうあってほしいが、それはきれい事に過ぎない。潜在的には競争なのだ。どんなに立派な研究であっても、同じような成果がライバルから先に出されてしまえばそれでおしまい。二番煎じに甘んじなければならない。これは気の毒すぎるが、往々にしておこることだ。かように、努力が裏切られることだってままあるのだ。

 瀬古利彦を育てたことで知られる陸上コーチ・中村清のことばに「天才は有限、努力は無限」というものがある。まず前半のフレーズ、「天才は有限」というのは評価が難しい。だって、明らかな天才に会ったことないからわからへん。では、「努力は無限」はどうだろう。無理ちゃうんか・・・。ケチをつけるわけではないが、時間とか体力とか気力とか、努力にリミットをかけるファクターはたくさんある。それ以前に、努力できるかどうかだって才能ではないか。天才が有限というならば、もちろん才能だって有限だろう。そう考えたら、「天才は有限、努力は無限」というのは論理的に矛盾してるのではないか。

 「努力は無限」ということばで思い出すのは、故・沼正作先生である。ノーベル賞の本庶佑先生の研究室に在籍していた頃、同じ建物で隣の教室だった。わたしなどは部外者であったから叱られたことはないが、むちゃくちゃに厳しくて恐ろしい先生だった。なんせ、壁を隔てた向こう側でお怒りになられている沼先生の声を聞いて、あまりの怖さに、思わず持っている物を落とした人がいたくらいだ。いまなら、パワハラとかアカハラで一週間に一回は訴えられておられたかもしれない。その沼先生が、このことばをよくおっしゃっておられた。

 とある大先生が、沼先生に「あなたに熱意を感じない!! 以前から、あなたは、時々土、日曜日に labに来ていない事に気付いていましたが、研究に対する努力は無限ですよ!!」と厳重注意されたという証言を残されている。ちなみにlabとは研究室のことだ。このことからわかるように、沼研究室は完全に週休ゼロ日制で、みなさん週に100時間は働いておられた。本庶研も厳しかったけれど、お隣に比べるとましだというのが我ら本庶研所属者の慰めだった。って、慰めてもしゃぁなかったけど。

 30年も前の話なので、土曜日は半ドンの時代だ。半ドン、もう死語ですかね。午後が休みの日のことです、念のため。あくまでも世間では、ということだが、その頃に沼先生がおっしゃったことばで脳裏に刻み込まれているものがある。それは「週に7日働いたら、他の人が7年かかるところを6年でできますわ」というものだ。

 素直に感動した。正しすぎるだけに、こういった理論(?)で努力を強いられたら反論することは難しい。沼研究室におられた先生方の多くは立派な教授になっておられるが、中にはうまくいかなかった人もいる。壮絶な努力ですら裏切られることもありえるのだ。

 さて、〆にはいっていく。あなたは、努力が必ず報われる世界に生きてみたいだろうか。わたしは絶対にノーである。考えてみてほしい、仮想的な「努力は裏切らない」すなわち「努力が必ず報われる」世界を。そこでは、努力した者が間違いなく成功者になる。そうなると、やたら努力好き、あるいは、好きでなくても努力する人が多くなりはしないか。わたしだってそれなりに努力はしてきたつもりだが、決して努力好きではない。努力比べをするなんてたまらんわ、イヤや。

 とどのつまり、世の中は、運の要素があるからやっていけるのではなかろうか。努力と成功には相関関係、いや、より厳密には因果関係があってほしい。しかし、がんじがらめだと息苦しすぎる。だから、「努力は人を裏切らない」などというのはいささかの虚偽があって、「努力はおおよそ・・・・ 人を裏切らない」とか、「努力はできるだけ裏切らないでほしい」というあたりが正しいのではないか。

 どないです? 誤解なきように言うときますが、努力に意味がないとはまったく思っとりません。でも、報われると思いすぎないことが大事とちゃいますやろかということです。怠け者だからそういうことを思うのだというお叱りをうけるやもしれまへんけど、そういう態度はハラスメントにつながりかねませんで。

仲野 徹

仲野 徹
(なかの・とおる)

1957年大阪生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学・医学部講師、大阪大学・微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院・医学系研究科・病理学の教授。2022年3月に定年を迎えてからは「隠居」として生活中。2012年には日本医師会医学賞を受賞。著書に、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)、『仲野教授の そろそろ大阪の話をしよう』(ちいさいミシマ社)、『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』(講談社+α新書)など。
写真:松村琢磨

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