仲野教授の こんな座右の銘は好かん!

第5回

成らぬ堪忍するが堪忍

2022.09.24更新

「若い時の苦労は買ってでもせよ」「努力は人を裏切らない」「石の上にも三年」と、これまでの三つを並べてみますと、ナカノは苦労とか努力とか我慢とかが嫌いな奴なのだろうと思われているかもしれません。たしかにそんな気がする・・・。

 でも、苦労、努力、我慢を好きな人っていてますやろか。それってマゾですやん。それに、この三つのおかげで今の自分があるとか豪語するようなおっちゃんが近くにいてたらイヤなことないですか? 説教くさすぎて。三つとも嫌いですねん、というおっちゃんの方がなんとなく親近感がわきませんかね。

 それはいいとして、今回取り上げたいのは、「成らぬ堪忍するが堪忍」。苦労、努力、我慢だけでなく、ナカノは堪忍も嫌いなのかと思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。生来のじゃまくさがりなので、そこそこ腹が立つことや鬱陶しいなぁというようなことに遭遇しても、関わるのが面倒なのでまぁまけといたるわと堪忍してやることが多いくらいですから。ということで、始めます。

「成らぬ堪忍するが堪忍」、なんとなく説得感がある言葉だ。しかし、これは論理的に破綻していないか。成らぬ堪忍は成らぬのであるから、そんな堪忍などできないに決まっている。以上、終わり。でもいいのだが、さすがに短すぎるか。

 原典は明の時代の『読書録』で、「忍ぶあたはざるところを忍び、容るるあたはざるところを容るる。ただ識量人に過ぐる者これをくす」とあるらしい。識量人というのは聞き慣れない言葉だが、識量とは見識と度量を意味するらしいから、その二つをあわせ持つ人を言うのだろう。でも、それって、ちゃうちゃうちゃうんちゃう? 元へ、それって、ちょっとちゃうんちゃう?

 見識と度量がある人は、むしろ成らぬ堪忍をするような人であってはいかんのではないか。もちろん、ちょっとしたことを堪忍できずにすぐ切れるようでは問題外だ。けれど、ここぞというところでは、堪忍袋の緒を切って、とてつもないエネルギーで相手を構わず立ち向かう必要があるのではないか。遠山の金さんみたいに。って、これもちょっとちゃうかもしらんが。

 科学者としてトレーニングを受けたせいか、物事を考える時に、両極端を考えてみる癖が身についている。常に有用という訳ではないが、物事の本筋がスッキリと見通せることがあってけっこう便利である。まずは片方の極、誰も堪忍しない世の中を考えてみよう。これはあかん。ちょっとしたことでトラブルを引き起こされまくって、ギスギスしすぎてしまう。だからこそ、成らぬ堪忍云々かんぬんという言葉が好まれるのだろう。

 もう一方の極、みんなが堪忍ばかりする世の中はどうだ。これはもっとあかんやろ。善人ばかりなら問題はないが、世の中はそうではない。なのに、みんなが堪忍しまくったら、ルールから逸脱していい目を見ようとする輩がいっぱい出てきて、混乱の極致にいたるはずだ。

 何事も、過ぎたるは及ばざるが如し。極端はよろしくないのである。まぁ、元々のフレーズが論理破綻してるから、それもいたしかたなしかも。とはいえ、たとえ論理破綻している言葉でも、大きな成功をもたらすことだってあるのが世の中の恐ろしいところだ。

 5年間ほどお仕えした師匠・本庶佑先生が研究についてよくおっしゃっていたのが「不可能を可能にしたいんや」という言葉だった。不可能なことは不可能なんやから、可能にはならんがな。論理破綻やんかとか思いながら、この言葉を聞くたびにいつも、それこそ堪忍してくれよと思っていた。申し訳ございません、若気の至りでございました。ご存じのように、不可能ではないかと思われていた、がんの免疫療法を実用化につなげられ、ノーベル賞に輝かれたのだから。

 ただ、科学に断定は似合わない。これは、元々の言い方が正しくなかった。「不可能を可能にしたい」ではなくて、「いまのところ不可能であると考えている人が大多数であることを可能にしたい」とかが妥当なところか。「成らぬ堪忍するが堪忍」も「ふつうに考えたら成らぬ堪忍するが堪忍」が正しいのかもしれない。しかし、まどろっこしくてそんな言い方はしませんわな。

 成らぬ、という言い回しが大仰であるところもミソかもしれない。「できない堪忍するが堪忍」では迫力に欠けて弱っちい。「ならぬ」と聞くと、どうしても思い出してしまうのが会津藩の「じゅうの掟」のラストフレーズ、「ならぬものはならぬ」である。会津藩では6歳から9歳の藩士の子どもが十人前後で集まりを作っていて、その集まりが「什」と呼ばれ、そこでの教えが什の掟だ。

一、年長者としうえのひとの言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言うそを言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人おんなと言葉を交へてはなりませぬ
                ならぬことはならぬものです

 なんだかすごい。「なりませぬ」と禁止事項がずらずらと並べられて、トドメに「ならぬものはならぬ」と問答無用で息がつまりそうだ。しかし、一方で、このような理不尽ともいえる教えが、明治になって二人の大偉人を生み出したのではないかと思っている。いずれもそれほど有名ではないが、東大総長を務めた山川健次郎と、清朝末期におきた義和団の乱での籠城戦「北京の55日」を実質的に取り仕切った陸軍軍人・柴五郎である。

 ほぼ同世代の二人だが、戊辰戦争を生きのびた後、明治になって朝敵出身として苦労に苦労を重ねるが、その高い能力と精神性をもって栄達する。なにより特筆すべきは、ともに「清廉潔白」を絵に描いたような人だったことだ。興味のある人は、それぞれ、『星座の人 山川健次郎-白虎隊士から東大総長になった男-』(ぱるす社)と『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』(中公新書)をお読みいただきたい。

 こう考えたら、論理破綻してるようなとんでもない押しつけであっても、役に立つ人には役に立つっちゅうことですかね。気に入らん座右の銘を堪忍しといたろ、という懐の広いエッセイも「成らぬ堪忍するが堪忍」かもしれませんな。それでも「成らぬ堪忍するが堪忍」は言い過ぎですわな。普段使いとしては「場合によってはもうちょっと堪忍してみましょう」くらいが妥当かと。


(編集部より)
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仲野 徹

仲野 徹
(なかの・とおる)

1957年大阪生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学・医学部講師、大阪大学・微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院・医学系研究科・病理学の教授。2022年3月に定年を迎えてからは「隠居」として生活中。2012年には日本医師会医学賞を受賞。著書に、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)、『仲野教授の そろそろ大阪の話をしよう』(ちいさいミシマ社)、『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』(講談社+α新書)など。
写真:松村琢磨

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