仲野教授の こんな座右の銘は好かん!

第6回

為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり

2022.10.22更新

 「こんな座右の銘いらんやろ」と、毎月書いていると、なんか因縁をつける性格の悪いおっさんみたいな気がしてきます。ホンマは、ええとまでは言いませんが、普通のおっさんです。で、今回は、正しいといえば正しいけど、言うてもええ人が極めて限られる格言を。それは「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」であります。

 まず響きがよろし。五七五七七の三十一文字、短歌になっておる。その上「為す」と「成る」が繰り返され、「な」音が八つもあってとてもリズミカルだ。それもあって、つい口にしたくなってしまう。平たくいえば、「何事もやればできるが、やらなければできない。できないのはやらないからだ」といったところだろう。正しそうに聞こえるが、よく考えてみると、ちょいといかがなものかという気がしてしまう。

 「為さねば成らぬ何事も」はよろしい。やらなければ何もたいしたことができないのは当然だ。研究生活を長く送っていると、さすがにいろいろなことがわかってくる。考えついたことのひとつに、仲野の第一法則と名付けているものがある。それは「研究はやらなければ進まない」というものだ。そんなことあたりまえやないか、えらそうに法則とか言うな! とお叱りを受けるかもしれぬが、ちょっと説明を聞いてもらいたい。

 研究というのは必ずしもうまくいくわけではない。それどころか、うまくいくような研究、予定調和の研究ばっかりしてたら進歩がないからあかんのである。だから、まともな研究であれば、うまくいかなかったときのためにプランBを常に考えながら進めていく必要がある。しかし、多くの人はうまくいかなかった時のことを考えたら縁起が悪いとかいうアホな思想の持ち主であるからして、それができない。こういう輩は、うまくいかなかった時点で手を動かせなくなって完全に立ち往生、時間を無為にすごすことになってしまう。そういった時が第一法則を用いた指導の出番である。

 「研究はやれば進む」のではなくて「研究はやらなければ進まない」というのがミソだ。同じように聞こえるかもしれないが、まったく違う。先に書いたように、研究はやったからといって必ずしも成果があがるわけではない。それどころか、後退することすらある。それに対して、やらなければ進まないというのは絶対的な真実である。

 ここまで書けばおわかりいただけるだろう。同じ意味で「為せば成る」も必ずしも正しくはないのである。それは、為し方が悪かったのかもしれないし、運が悪かったのかもしれない。いずれにせよ、為したからといって成ると考えるのは間違うておるのじゃ。おわかりいただけたでござろうか。ここまでが上の句の解説。で、下の句「成らぬは人の為さぬなりけり」はどうか。

 成らないのは為さないからだ、という論理である。否定文がふたつ並んでいるから、いささかわかりくいかもしれない。こういう時は論理学の基礎、対偶をとってみるとわかりよい。さすればこの文章は、為すから成るのだ、というのと同義になる。それって無理ちゃうん。なにかをおこなったところでうまくいくとは限らへんのやから。

 ここまで書いて、ふと気になったことが。「何事も」というのは、「為せば成る為さねば成らぬ」にかかるのか、「成らぬは人の為さぬなりけり」にかかるのか。上の句の最後にあるのだから前者みたいな気はするが、必ずしもそうではないんとちゃうやろうか。短歌では句の切れ目が必ずしも意味の切れ目と一致するとは限らないんやから。意味的には、下の句にかかったほうが妥当とちゃうかなぁ。まぁ、どっちゃでもええか。

 難癖をつけているようだけれど、この言葉を発した人に思いを馳せると、そんなこと言うたらあかんのとちゃうかという気がしてくる。この言葉は出所が非常にハッキリしていて、江戸時代における名君中の名君、米沢藩主であった上杉鷹山によるものである。

 鷹山といえば飢饉、飢饉といえば鷹山である。凶作に備えての穀物や金銭の蓄え、さらに、飢饉においては大量の米の買い付けにより、天明の大飢饉を一人の餓死者を出すこともなく乗り切った。さらには将来のための制度設計をおこない、それが半世紀後の天保の大飢饉でも民を救うことになった。

 幼い頃から英才教育をうけ17歳という若さで困窮極まる米沢藩の藩主となった鷹山は、決意の誓詞を神社に奉納している。

・民の父母の心構えを第一とすること
・学問・武術を怠らないこと
・質素・倹約を忘れぬこと
・賞罰は正しく行うこと

 この四つを実際におこない、藩の財政を立て直したのみでなく、飢饉をもしのいだのだ。あらためて岩波新書の『上杉鷹山』と藤沢周平の小説『漆の実のみのる国』を読んでみたが、いやはやもう、その意志といい行いといい、立派としかいいようがない。

 こういう人が自らを振り返り、「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」と独りごちたりするのはとてもよろし。納得だ。毎晩百回となえてもよろし。普通ならできそうもないことを成し遂げた松下幸之助しかり、稲盛和夫しかりである。しかし、心構えとしては悪くないけれど、何事も為しも成させもする前にこういう言葉を軽々に発するのはあかんのとちゃうのか。それに、なにかを成した人を誉めるために言うのはいいとして、人になにかをさせるための説得にこういうフレーズを用いたりするのはもってのほかやろ。パワハラ認定になりかねなませんで。

 ということで、今回の座右の銘は、語る人を選ぶ座右の銘でありました。凡人的には「為せば成る? 為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬためかも」くらいですかね。


(編集部より)
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仲野 徹

仲野 徹
(なかの・とおる)

1957年大阪生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学・医学部講師、大阪大学・微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院・医学系研究科・病理学の教授。2022年3月に定年を迎えてからは「隠居」として生活中。2012年には日本医師会医学賞を受賞。著書に、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)、『仲野教授の そろそろ大阪の話をしよう』(ちいさいミシマ社)、『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』(講談社+α新書)など。
写真:松村琢磨

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