仲野教授の こんな座右の銘は好かん!

第7回

急がば回れ

2022.11.21更新

 ここまで5回続けて、しっかり頑張れよ系の言葉に文句をいうてきました。さすがに飽きてきたし、そろそろ種切れなんで、ちがう方向性でいきます。で、今回は「急がば回れ」。これは、急いでる時はくるくる回ればよい、という意味ではありません。って、あたりまえですわな。そんなことしたら、それこそ忙しさに目が回ってしまうだけですやん。いうまでもなく、急ぐときこそゆっくりと着実に、っちゅうことです。

 「急がば回れ」、一般的に使われる慣用句だが、その語源は、ある特定の場所に由来する。テレビで紹介されたりすることがよくあるのでご存じの方が多いかもしれないが、近江国は琵琶湖の発祥である。室町時代の連歌師・宗長そうちょうが詠んだという「もののふの矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋」という短歌が起源であるとされている。ふむ、それならわからないでもない。

 矢橋は「やはし」ではなく「やばせ」と読んで、現在も滋賀県草津市にある地名だ。琵琶湖の東岸からちょいと入りくんだ所にあるが、湖まで水路が通じていて、かつては湖上水運の港であった。「瀬田の長橋」は古い名称で、現在は「瀬田の唐橋」と呼ばれ、近江八景にも名をつらねる名橋である。琵琶湖に流入する川は多々あれど、流出する川はただひとつ。琵琶湖の南端に源を発し淀川となる瀬田川だけなのだが、そこに架かる橋である。

 武士が近江から京へと上る時、矢橋から船で行ったほうが早いけれど、急ぎの時は陸路をとって瀬田の橋へと回った方がよろし、という意味だ。歌にはでてこないけれど、行き先は矢橋からほぼ真西にある大津である。瀬田の唐橋は、その水路の4~5㎞南に位置するので、陸路だとだいぶ大回りになる。速いだけでなく、お金さえ払えば、座ったままで行けるのだから水路をとりたくなるのが人情だろう。

 なのに、急ぐときはやめておけという。それには相応の理由がある。比叡颪――颪は「おろし」、ちまちました字で見にくいが、「下」に「風」で吹き下ろす風、♪六甲おろしに颯爽と、の「おろし」だ――が吹くと、船が遅れたり転覆したりする危険があるのでやめといた方がよろしいで、という戒めである。さらに、清水克行さんの『室町は今日もハードボイルド:日本中世のアナーキーな世界』(新潮社)によると、琵琶湖では海賊ならぬ湖賊が出没したらしいし。

 たしかに一理ある。しかし、それやったら、急がん時でも回った方がええんとちゃうんか。それに、比叡おろしって毎日吹くもんでもなかろうが、比叡おろしが吹く季節って限られてるんとちゃうんか。調べてもようわからんかったが、岸田智史の「比叡おろし」というほとんど知られていない曲の歌詞には、「恋を求めて比叡颪の頃」とあって「もうじき春ですね」と受けてある。さらには、比叡山のすぐ北に位置する比良山からの比良おろしは3月から4月に頻度が高いとあるから、比叡おろしもきっと似た季節やろう。

 宗長、ひょっとすると、悪い季節に悪いタイミングで船に乗ってしもて約束の時間に着けずに後悔したことがあったんかもしれませんな。それでこんな歌を作ったんかも。それはええとしても、このような特定の場所における特殊な状況を一般化したことわざってどうよ。論点のすり替え、拡大解釈、牽強付会、いろんな言葉が頭に浮かぶ。

 とはいうものの、同じような意味の「急いては事をし損じる」もよく耳にする。確かに、気がせくと失敗することが多いのは間違いない。そういえば、子どものころよく「慌てる乞食はもらいが少ない」ってよう怒られたなぁ。どんだけ意地汚い子やったんや。「短気は損気」とかいう戒めもあるのだから、あまり急いではいけないというのは、ある程度の普遍性を持っていると考えるのが妥当だろう。かといって、常に悠長に構えてたらええっちゅうもんでもないやろ。

 それが証拠に、「先んずれば人を制す」という言葉もあるではないか。これは史記・項羽本紀にある言葉で、「おくるれば即ち人の制せらるる所と為る」と続く。「急がば回れ」と真逆やん。「先手必勝」とかもあるし。こう考えると、急いだ方がいいときもあるし、ゆっくりやった方がいいときもある、としか言いようがありませんわな。

 あかん、袋小路やんか、と思いながらネット検索をしていたら、「『急がば回れ』は本当か?」というエキサイティングな記事を見つけてしもた。これ幸い、さっさとまとめるために内容をパクろうかと思いながら読んでみた。我ながら慌てる乞食みたいに卑しいことであるが、瀬田川は帰られぬ、じゃなくて、せにはらはかえられぬ。サブタイトルは「語源の舞台・琵琶湖で実験してみた」である。おもろそうやんか。

 草津から大津まで陸路だと13キロメートル、歩いて4時間だった。平地の割にはちょと遅いような気がするが、夏の炎天下のことだから、まぁそんなもんか。水路は、まず草津から矢橋までの3キロを歩いて1時間弱、そしてカヌーが1時間16分で、計2時間ちょい。風速2.7メートルの向かい風でこんなもんだったらしい。比叡颪、ちょろいがな。って、夏やから颪じゃなくて普通の風やったんやろな。その上、カヌーは歩行よりずっと爽快だったらしい。

 なので、参加者たちの結論は「急がば近道」。爆笑! 喧嘩売ってるんですか・・・。しかし、やはり、冬と春は風が強くて湖の荒れやすいことが多く、カヌーだと転覆の危険や、前に進めないことすらあるらしい。で、最後には、中道をとってというか、季節限定で「急がば近道。ただし夏秋のみ」と結ばれている。

 いやぁ、まったくごもっともなご意見である。で、今回の結論。「急がば回れ」は、やはり言い過ぎ、あるいは拡大解釈を招くミスリーディングである。「『急がば回れ』かどうかは、状況を見て判断しましょう」が、より正しい。あたりまえすぎて、座右の銘になりそうにありまへんけど、しゃあないです。


(編集部より)
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仲野 徹

仲野 徹
(なかの・とおる)

1957年大阪生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学・医学部講師、大阪大学・微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院・医学系研究科・病理学の教授。2022年3月に定年を迎えてからは「隠居」として生活中。2012年には日本医師会医学賞を受賞。著書に、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)、『仲野教授の そろそろ大阪の話をしよう』(ちいさいミシマ社)、『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』(講談社+α新書)など。
写真:松村琢磨

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