仲野教授の こんな座右の銘は好かん!

第8回

山よりでっかいシシは出ん

2022.12.21更新

 あちこちでいろんな文章を書いて発表してますが、手応えがないというかなんというか、どれだけ読まれているのかはさっぱりわかりません。なので、知らない人に、あの本よかったですとか、あのエッセイ面白かったですとか言ってもらえたらとてもうれしい。ただし、そういう機会はめったにないのが悲しい。

 8万部近くといちばん売れた『こわいもの知らずの病理学講義』ですら、いままでに10人くらいしかそんなこと言われた機会がありません。でも、興奮したのは北新地の超一流クラブのチーママさんが読んでいてくれたこと。その時には、猛然と執筆意欲があがりましたわ。

 この連載も同じく、どれくらい読まれているのやら、ようわかりません。それもあって、みなさまからの「座右の銘」を募集し始めたであります。ネタ切れ対策ということもありますが、ご提案があれば、すくなくとも送ってくれはった方にはエッセイを読んでいただけてるはずですから、ちょっと安心できますわな。

 で、今回の「山よりでっかいシシは出ん」は、初めて、その中から選ばせてもらいました。ちなみに、たくさん来ているかというと全然そんなことはないので、採択される率はかなり高い。なので、ふるってお送りください!

 「山よりでっかいシシは出ん」、どの程度の知名度なんだろうか。間違いなく言えるのは、ある年代の関西人は耳にしたことが多いはずということだ。というのは、大阪・朝日放送の名物アナウンサーであった中村鋭一がよく言っていたからである。ちなみに、中村鋭一は、1971年に始まった「おはようパーソナリティー中村鋭一です」というラジオ番組において、日本で最初にパーソナリティーを名乗ったとされている(<諸説あります)。

 ついでに書いておくと、大の阪神ファンであった中村鋭一は、不偏不党の報道が重んじられていた放送業界において、やたらと「六甲おろし」を歌って阪神を応援するという今にいたるタイガース偏向報道を取り入れた進取の人であった。後に政界に転じ、参議院議員を2期、衆議院銀を1期務めていることからもわかるように、関西では知らぬ者などいなかった。

 それはいいとして、ここでいうシシは獅子=ライオンではなくて猪である。ライオンはだいたいサバンナに住んでおるから山とは相性が悪い。意味としては、猪が恐くても、その住みかとする山より大きな猪は出てくるはずがないのだから、何事もそう恐れることはない、ということで、リスナーを元気づけるために使われていた。

 ところが、岩波のことわざ辞典には、ほぼ同文の「山より大きな猪は出ない」が収録されていて、意味は「(1)誇張にも程があるということ。(2)入物より大きな中身は入っていないというたとえ」とされている。う~ん、それはちょっとちゃうんちゃうか。と思って新明解故事ことわざ辞典をひくと「山より大きな猪は出ぬ」とあって、やはり「話が大げさすぎるのを皮肉っていうことば。誇張するのもほどほどにせよということ。また、入れ物より大きな物が入っていることはないということ」とある。岩波くんといっしょやん。ちなみに、三省堂の故事ことわざ・慣用句辞典には載ってない。それはそれで、どうよ。

 しかし、である。どこの世の中に、誇張にも程があるとか、たかが入れ物より大きな中身がはいっていないことを言うのに、わざわざ猪と山を比較する人がいてるねん。それこそ誇張にもほどがあるやないか。ちょっとは考えなさい、岩波くんと新明解くん。ということで、辞典ではなくて、当然ながら、中村鋭一の解釈を採用して話を進めたい。

 とはいうものの、それでも不自然といえば不自然である。いくらなんでも喩えが極端すぎはしないか。極端すぎる喩えといえばすぐに「月とすっぽん」が思い浮かぶ。しかし、これは極端であることを示す慣用句なので、それでよろし。同じ意味の「釣鐘と提灯」よりもよく使われる(ように思う)のは、その極端さが際だっているからこそだろう。しかし、猪と山をこういうコンテキストで使うのはちょっと違うやろ。山の大きさの猪、リアリティーがなさすぎて、恐いかどうかがわからんがな。

 いきなり話はかわるが、なにが陸生動物の大きさを規定するかをご存じだろうか? いろいろなサイズの四つ足動物を思い浮かべてほしい。といっても、そうたくさんでなくていい。ネズミ、ネコ、イノシシ、ウシ、ゾウ、くらいでよろし。大きな動物ほど体の大きさに比較して脚が太いということに気づかれただろうか。

 ある動物の大きさをX倍にしたとする。そうすると、体重は体積を反映するので、おおよそだけれどXの三乗になる。しかし、脚の断面積は二乗にしかならない。ということは、動物のからだが大きいほど、脚の単位面積にかかる重さがどんどんと増えて、耐えられなくなる。だから、大きな動物ほど、体の大きさに比べて脚が太くなる必要がある。恐竜の脚がむっちゃ太いのはそのためだ。

 なので、山ほどでっかい獅子がいたら、って、いるわけないけど、とんでもない太さの脚にならざるをえない。そんな脚だと、きっと歩くことすらできなくて、ホンマに山みたいにじっとしてるはずなので全然恐くないのである。だから、ことわざとしておかしい。って、こんなしょうもないこと考えるの私くらいですかね。

 では、この言葉が嫌いかと言われると、あに図らんや、好き。世間ではどう思われているかしらないが、えらそうな物言いで書いたりしている割には、とても気が小さい(<自己イメージです)。なので、いまや隠居の身だが、現役時代にここぞというプレゼンなどの前にはとても緊張するのが常だった。そんな時には、いつも直前に「山よりでっかいシシは出ん!」と気合をいれていた。

ただ、これは、座右の銘とはちょっと違う。あくまでも、自分に気合を入れるための呪文みたいなものだ。だから、岩波ことわざ辞典にあるような「山より大きな猪は出ない」というような軟弱な言い方では意味をなさない。「山よりでっかいシシは出ん!」と勢いよくいかないと心が萎えてしまう。

 座右の銘、と、いざという時に気合を入れるための言葉、どちらも大事ではあるけれど、ニュアンスには相当違いがある。「山よりでっかいシシは出ん」をお題にくださった方には申し訳ないが、これを座右の銘とするのはちょっといかがなものかと言わざるをえないのではないかという気がしないでもないのである(<むっちゃ遠慮してます)。ここぞという時に使うのはいいけれど、日常的に使っていると、なんとなく世の中を嘗めるようになってしまいはせぬか。また今回も山みたいに大きなイノシシは出んかった、ちょろいわ、と。

 だいたい、心配したことの95%は実際に起きないと言われている。そこへもってきて、常に「山よりでっかい...」をかぶせると、いやぁ大丈夫やわぁ感が増しすぎて世間を嘗めてかかり、ここぞというときにとんでもない失敗をしてしまいそうやん。老婆心すぎますやろか?

 そこへもってくると、しょっちゅう「山よりでっかい...」と共に中村鋭一が言っていた、「陽気に元気に生き生きと」の方が座右の銘にはふさわしそうだ。格調は高くない、というか、ハッキリ言って低いが、毎朝これを唱えるのは悪くなかろう。きっと、ほとんど優勝する機会のない阪神タイガースを心から愛し続けるには、「陽気に元気に...」と言い続けないとメンタルがもたなかったのかもしらんけど。

 初の読者応募、決して貶すわけではございません。が、「『山よりでっかいシシは出ん』は、座右の銘としてより気合を入れる呪文のように使いましょう」、というのを結論にいたしとうございます。


(編集部より)
読者のみなさまからの「座右の銘」を募集しています。

このたび、仲野先生が読者の方からの座右の銘相談を受けてくださることになりました。「わたしの座右の銘はこれです!」というお便りも、「この座右の銘は好かんのですけど、どないですやろ?」というお便りも、どちらでもお気軽にお寄せください。仲野先生に「好かん!」認定された座右の銘は、いつかこの連載の中で、取り上げるかもしれません。連載へのご感想も、お待ちしています。

お送りいただく方法

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hatena★mishimasha.com (★をアットマークに変えてお送りください)

仲野 徹

仲野 徹
(なかの・とおる)

1957年大阪生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学・医学部講師、大阪大学・微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院・医学系研究科・病理学の教授。2022年3月に定年を迎えてからは「隠居」として生活中。2012年には日本医師会医学賞を受賞。著書に、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)、『仲野教授の そろそろ大阪の話をしよう』(ちいさいミシマ社)、『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』(講談社+α新書)など。
写真:松村琢磨

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