第9回
魚心あれば水心
2023.01.20更新
連載においていちばん心配なのはネタが尽きてしまうことであります。自己肯定感を強く漂わせる小心者というややこしい性格なので、こういったことについては強迫的かと思えるくらい心配してしまいます。なので、この連載を始める時も、本やネットで調べて、そこそこの数の座右の銘らしきものをストックしました。とはいえ、いざ書く段になると微妙なやつもあるわけです。
とりあげたら面白そうやけど、本当にそれを座右の銘にしている人がいるかどうか。これはけっこう大きな問題です。おかしなものを取り上げると、けっ、そんなもんを座右の銘にしてる奴がどこにおんねん、アホボケカス、とかいう誹りを受けかねません。そんなことまで気にせんでええんちゃうんかと思われるかもしれませんが、こういうことが心配になる性格なのでいたしかたありません。
前回の「山よりでっかいシシは出ん」もストックにありはしたけれど、どうしようかと考えあぐねておりました。が、愛読者からのオススメがあって取り上げたのです。今回の「魚心あれば水心」もそんなひとつで、座右の銘にしているという方がおられることがわかったので書くことに。という前置きで始めまする。
「魚心あれば水心」、座右の銘になり得そうだけれど、ちょっとした逡巡があった。理由は三つ。それほど一般的ではなさそうということ。それから、魚心と水心ってなんやねんということ。もうひとつは、なんとなく印象が良いとばかりは言えないこと、である。
どんなシチュエーションで使われがちか。人にもよるだろうが、私にとっては、今や絶滅危惧になっている時代劇、そう、水戸黄門や遠山の金さんとかに出てくる悪代官と越後屋(他の屋号も可)の悪だくみシーンが真っ先に思い浮かぶ。
越後屋 : では、お代官さまもそのようにお考えで。
悪代官 : さよう。魚心あれば水心とはよう言うたもんじゃ。
越後屋 : おそれいります。
悪代官 : ふおっふおっふおっ。お前も悪よのぉ。
というようなやつだ。
あかんやろ。もちろん、このようなシーンで使われるばかりではないが、どうにもこういったイメージが強い。そんなことありませんかね。とか、ぶつぶつ考えながら、正しい意味を調べてみることに。
語呂やリズムはいいのだが、よく考えてみると、言葉の意味がいまひとつわかりにくい。まずは魚心。ネット検索すると、お寿司屋さんや居酒屋がヒットする。読み方は「うおしん」が多い。「うおごころ」と読んでの魚心は「魚心あれば水心」以外に使われることはなさそう。もうひとつの水心は、「みずごころ」と読んで「水泳の心得、遊泳のたしなみ」とある。なるほど。って、わかったようでいっこもわからんがな。
そもそも、魚に心があるかどうかはかなり微妙である。さかなクンに聞いたら、あるにギョまってます! とか言いそうだけれど。で、全幅の信頼を置いている岩波ことわざ辞典をひいてみた。最初からひけよと言われそうだが、そんなことしたらおもろないし、字数がかせげませんがな。
そこには驚愕の事実が! というほどのことはないけれど、魚心とか水心とかいう単語があるわけじゃなくて、もともとは「魚、心あれば、水、心あり」で、それが縮められたものだとのこと。意味は「魚が水を思う心をもてば、水も魚を思う心をもつ」とある。魚に心があるかどうかは定かでないが、さかなクンの顔をたてて(←推定)、ここはあるということにしておこう。
魚心と水心って何やねん問題は一応の解決を見たが、次なる問題は「魚が水を思う心をもてば、水も魚を思う心をもつ」が何を意味するかである。元科学者として、魚はまだしも、さすがに水が心を持つというのは許せないから、実際的な解釈が必要である。岩波ことわざ辞典によると、二つの意味が併記してある。
「(1)相手が自分に好意をもてば、こちらも相手に好意をもつものだというたとえ」
「(2)自分の方が相手に好意をもてば、相手の方もこちらに好意をもって良好な関係を結ぶことができる意」
読めばわかるように、「行動を受け止める主体が逆になっている」二通りの解釈があるのだ。一方が先にあって、もう片方が誤用、という訳ではなくて、昔から両方の意味で使われていたとある。ちなみに、三省堂と新明解のことわざ辞典には(1)の意味しか書かれていない。
さて、どう思われるだろう?(1)の意味で使うのはいいけれど、(2)はちょっとあかんのとちゃうんか。(1)は、あくまでも主体がこちらなのだから、おおような感じ、お大人感がしてよろし。やや高飛車な印象はあるやもしれねど、少なくとも害はなかろう。絶対イヤな奴に好かれて困ったりすることもなくはないけど、まぁ、それぐらいは我慢して好意返しをしてあげる程度の懐の広さは持ち合わせておきたい。
問題は(2)の意味で使う場合である。あらまほしいことは間違いない。けれど、必ずしもそうなるとは限らんだろう。たとえば、片思いみたいなことはしょっちゅうおきるではないか。悪代官と越後屋のような場合は以心伝心なのでええかもしらんが、(2)の意味をもって座右の銘として思い込み、突き進んでしまうと、ストーカーになったりしてしまう可能性もあるではないか。
以前は、自動翻訳はことわざが苦手と言われていた。たとえば、「Time flies like an arrow.」を「タイム蠅は矢が好き」と訳してしまうとか。とことんアホやん。しかし、時代は進んだ。AIが、文法からではなく、例文検索を利用して翻訳をするようになったからだ。AI自動翻訳DeepLさまを愛用しているのだが、その賢さには舌を巻いてしまう。でも、ひょっとしたら「魚心あれば水心」みたいなのは苦手ではないかと疑い、やってみた。
「If a fish is friendly toward water, water will be kind to the fish too. (もし魚が水に対して友好的ならば、水は魚に親切にする)」
賢いがな、やっぱり・・・。魚が水に友好的になったり、水が魚に親切にするかどうかは知らんが、それくらいはまけといたろ。しかし、岩波ことわざ辞典でいくと(1)ではなくて(2)の意味やん。ただし、「まれ」とあって、もうひとつの訳文もあがってくる。
「You scratch my back and I'll scratch yours. (あなたが私の背中を掻いてくれたら、私はあなたの背中を掻いてあげよう)」
これは英語の慣用句にあるらしい。あまりに即物的な物言いで興ざめだが、こちらの意味は(2)ではなくて(1)である。さすがのDeepLさまも二つの意味の狭間で悩むのか。というより、例文の網羅的検索だと(1)より(2)の方がたくさんひっかかってくるということなんか、ようしらんけど。う~ん、はっきりせんなぁ。まぁ、賢いとはいえこの程度なんやな。って、喜んでてもしゃぁないけど。
さて、いつまでもいらんことして遊んでないで、結論に入ろう。悪代官・越後屋関係がもたらすよろしくない印象はさておき、(1)の意味で座右の銘とするのはいい。しかし、やはり(2)の意味は、場合によってはよろしからぬ状況を招きかねない。ということで、「魚心あれば水心は、意味を限定した座右の銘に留めおけ。決して悪用してはなりませぬぞ、ふおっふおっふおっ」ということで。
(編集部より)
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