仲野教授の こんな座右の銘は好かん!

第10回

たとえ明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはりんごの木を植える

2023.02.18更新

 開高健、好きな作家のひとりです。どれくらい好きかというと、森鴎外と並んで、死ぬまでに全集を読んでみたいと思っているくらい好きであります。たぶんどっちも読まなさそうやけど・・・。

 それはさておき、よく知られているように、開高健は数々の素晴らしい言葉を遺し、名言集まで出されているほどです。ファンなので、文字通りの座右に、いや、より正しくは机の左側にある本棚ですから「座左」に『開高健 名言辞典 漂えど沈まず-巨匠が愛した名句・警句・冗句200選』(小学館)を鎮座させております。

 この本には、タイトルにある「漂えど沈まず」をはじめ、「毒蛇は急がない」、「悠々として急げ」、「美食と好色は両立しない」など、すばらしい名句が200も紹介されています。中でも「何かを手に入れたら何かを失う。これが鉄則です」がいちばん好き。これのフルバージョンは「何かを得れば、何かを失う。そして何ものをも失わずに次のものを手に入れることはできない」で、これはもう私にとって座右の銘中の座右の銘です。かように心酔しておるのではありますが、ひとつだけ、どうにも納得できないものがあるのです。そのお話から。

「たとえ明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはりんごの木を植える」。開高健がよく色紙に書いたという言葉である。これは座右の銘にはなりえない。「あなたはりんごの木を植える」とあって、自分ではなくて他人に向けたものなのだから。しかし、これには原典がある。「たとえ明日、世界が終わりになろうとも、今日私はりんごの木を植える」というやつだ。

 この言葉はドイツの宗教改革者マルチン・ルターによるとされているものが多い。しかし、『ルターのりんごの木-格言の起源と戦後ドイツ人のメンタリティ』(教文館)によると、ほぼ否定されている。どうやら、誰の作かはようわからんらしい。ルター、ひょっとしたら、こんな言葉を遺したという「濡れ衣」を着せられて迷惑かも。

 意味としてはわからない訳ではない。どのような状況にあっても希望を持って生きましょうということだろう。悪くはない、というより、とてもよろしい。しかし、内容はいかがなものか。正直に答えていただきたい。明日、世界が滅びるとして、さらにこの言葉を知っていたとして、はたしてあなたはりんごの木を植えますか? そんなことありえへんのとちゃいますか。

 世界が滅びる、といえば、誰が何と言おうと『ノストラダムスの大予言』だ。と書いても若い人には意味がわからないだろう。しかし、一定以上の年齢の人は間違いなく覚えておられるはずだ。今となっては、どうしてこんなトンデモ本がアホほど売れたのかさっぱり理解できないが、1973年に発売された五島勉によるこの本、最終的には450版、209万部も売れたという。その後、続々とシリーズが出されていて累積は500万部にもおよんだとは、ますます信じられん。

 フランスの医師・占星術師であったノストラダムスの予言「一九九九の年、七の月 空から恐怖の大王が降ってくる」を、世界の滅亡がやってくる予言と解釈した本だ。第三次世界大戦による核爆弾とかによるとされていた。面白いというか訳がわからないのは、この本がノンフィクションの位置づけだったことだ。どこがノンフィクションやねん! どうみても妄想やんか。当時高校生だった私も読んで、ひょっとしたらそうなるかもしらんと思ったからえらそうには言えないが。

 さすがに大人は大丈夫だったと思うが、真に受けて、そんなんやったら勉強せんでもええわと投げやりになった子どもがけっこういたという話を聞いたことがある。さすがに都市伝説だとは思うが、これだけ売れたのだから、そこそこの数はいたかもしれん。

 しかし、当時この本を読んで、「そうだルターの名言がある。私はりんごの木を植えよう」と思ったような人はおらんかっただろう。おったら名乗りをあげてほしい。まぁ、本の発売から滅亡まで20年以上もあったのだから、「明日世界滅び今日りんご」とは事情が違うかもしらんけど。

 ルターの言葉であるかどうかはさておくとしても、どう考えてもリアリティーがなさすぎないか。明日、世界が滅亡するとわかったら、他にすることがあるやろ。たとえば、昔にしでかした過ちを謝りに行くとか、この人にだけはお礼を言っておきたいとか、一度はしてみたかったけれど先延べにしてたことをするとか。

 たとえば愛を告白するとかいうのはいいかもしれない。どうせ明日になったらお互いにいなくなるのである。伝えておいて悪くはなかろう。あいつふられよったらしいでとか、噂されることもないのだし。相手が好意を持っていてくれていたら申し分ない。もし持ってなくても、もう明日で世界が滅亡するから優しくしといてあげようと「私もだったんです」とか言うてくれるかもしらんし。

 もうひとつのオプションは、これまでの人生を振り返りながら、淡々とルーチンをこなすことだろうか。これはこれで素敵ではないか。その場合、りんご農家の人であれば、りんごの苗を植えることもあるだろう。お、ひょっとしたら、この言葉、最初に考えついたのははりんご農家の人とちゃうやろか。あるいは、ルターかルターのニセモノか誰かが、りんご農家の人を前に一発かますために発した言葉とか。それやったら納得やけど。

 ちょっと似た言葉に、「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」というのがある。ガンジーの言葉とされているが、それも違うらしい。りんごの木と同じように、それらしい言葉は、言いそうな人の言葉にしようというドライビングフォースがかかるのかもしれませんな。

「永遠に生きるかのように学べ」というのはいい。素晴らしいではないか。しかし「明日死ぬかのように生きよ」というのは、いかがなものだろう。真に受けて、自暴自棄になる人が出てくるかもしらんではないか。もちろん、言わんとすることは、今を精一杯生きなさいということなのだが、言葉というのは難しい。

 座右の銘として「たとえ明日、世界が終わりになろうとも、今日私はりんごの木を植える」をどう捉えるかは、かくも難しい。気持ちはわかるが、できそうにあらへんし、したくもない。たとえ大好きな開高健に「たとえ明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはりんごの木を植える」と催眠術をかけられてもお断りするしかない。キッパリっ!

「明日、世界が終わりになるとしたら、今日は何をすべきか考えなさい」あたりはどうですやろ。日によって違ってもよろし。いや、違った方がもっとよろし。そのバラエティーこそがあなたの生き様になるかもしらんのやから。


(編集部より)
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仲野 徹

仲野 徹
(なかの・とおる)

1957年大阪生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学・医学部講師、大阪大学・微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院・医学系研究科・病理学の教授。2022年3月に定年を迎えてからは「隠居」として生活中。2012年には日本医師会医学賞を受賞。著書に、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)、『仲野教授の そろそろ大阪の話をしよう』(ちいさいミシマ社)、『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』(講談社+α新書)など。
写真:松村琢磨

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