仲野教授の こんな座右の銘は好かん!

第11回

生きてるだけで丸もうけ

2023.03.22更新

 「誰それの座右の銘」としていちばん有名なのは、明石家さんまの「生きてるだけで丸もうけ」とちゃいますやろか。さすがは大スター、『明石家さんまヒストリー』という本が出とります。著者はエムカクさんで、世の中にこんな詳細な伝記がありえるのか、っちゅうくらい詳しすぎる内容です。これまでに2巻が出版されていて、一冊目のサブタイトルは『1955~1981 「明石家さんま」の誕生』、そして二冊目が『1982~1985 生きてるだけで丸もうけ』。そう、なんと、本の題名にまでなってるんです。

 明石家さんまがこの言葉を座右の銘にしているのは、師匠である笑福亭松之助の影響が大きい。名人とか大人気とかいうわけではなかったが、松之助師匠というのは、味のあるいい落語家さんだった。さんまが松之助師匠に入門を頼んだ時のエピソードが最高だ。

 楽屋入りする時に「ちょっと!ちょっと!」と呼び止めた杉本高文(さんまの本名)と高座の後で面会し、「なんでワシの弟子になろうと思たん?」と尋ねた時の答えがすごい。「......いや、師匠はセンスありますんで」。普通の芸人さんなら怒るところだが、「まだ18やのにそんなこと言うのは生意気やという人もありますけど、僕自身は『俺ってセンスあるんや』と嬉しかった。彼とはセンスがあうんですわ」と語っている。この弟子にしてこの師匠あり。後年は芸よりもさんまの師匠としての方が有名で、そのことをとても嬉しそうにしておられたのが素敵だった。

 さんまが不始末をしでかした時も破門せず、落語よりもテレビに重きを置くのも温かく見守った。この師匠でなかったら、さんまはブレイクすることなく消えてしまっていたかもしれない。さんまが売れ出して東京へ行った後は、「弟子と師匠いうても名前だけになってしまって、なんのつながりもなくなってしまうから」と、週に一度、多い時は三度も手紙を書き続けた。さんまは、それをとても大事にしていたが、返事は書かずに電話だけ。なんとも不思議な師弟である。

 その松之助師匠が生涯大切にしていた言葉がある。それは「人は生かされて生きている」と「急がず慌てず、あるがままに生きていく」というものだ。だからだろう、さんまの「生きてるだけで丸もうけ」という言葉は、松之助師匠との会話の中で浮かんだという。しかし、この座右の銘ができるにはいくつもの悲しい出来事があった。

 ひとつは最愛の弟の死である。19歳という若さでの焼死であった。それも、火事の状況から自死ではないかという検分がなされている。その週は、当時爆発的な人気があったテレビ番組「オレたちひょうきん族」で、自ら考案したキャラクター「アミダばばあ」を登場させなければならなかった。大きな悲しみをこらえてお笑い芸人として生きなければならない状況に、さんまは大きく変わったという。ある種の開き直りだったのかもしれない。

 翌年は、これも大人気だったバラエティー番組「ヤングおー!おー!」以来、さんまと抜群のコンビネーションで笑わせ続けていた落語家・四代目の林家小染が亡くなった。36歳だった。酔っ払った小染が国道に飛び出してトラックに轢かれたからだ。さらにその翌年の1985年、祖父の音一が逝去する。むちゃくちゃに面白い人で、さんまは小さい頃、この祖父にお笑いのセンスを鍛えられた。

 これら三人の死に加えてもうひとつ、音一が亡くなった一ヶ月少しあとに日航機墜落事故があった。いつも月曜日の羽田発伊丹行き123便に乗っていたのだが、自ら申し出たスケジュール変更で、一ヶ月前から日曜日の便を利用するようになっていた。その偶然のおかげで難を逃れることができたのだ。あまりのショックに、直後のラジオ番組では何も話さず、ひたすら音楽をかけ続けたという。

 「生きてるだけで丸もうけ」、いかにも明石家さんまらしいあっけらかんとしたイメージがある。けれど、こういったエピソードを知ると、けっしてそのようなものではないことがわかる。相当に奥深い。

 読売新聞の読書委員会でごいっしょした国語辞典編纂者・飯間浩明さんは、朝日新聞の「街のB級言葉図鑑」で、「誰が言ったか分からないが、広く知られた、なるほどと思わせることば。これを私たちは"ことわざ"と言います。『生きてるだけで丸もうけ』も、広告にもじられるほど知られた名言です。新しいことわざに認定してもいいでしょう」と書いておられる。なんと、ことわざ認定!

 娘・IMARU(いまる)の名前がこの言葉からとられていることもあり、さんま作として非常に有名である。でも、諸説あります。先日別府へ行った時に知ったのだが、別府温泉を日本一の温泉に育て上げた実業家・油屋熊八の言葉だといもいわれている。短い言葉なので、別々の機会に思いつかれても不思議はなかろう。

 ちょっと余談。別府駅前に油屋熊八の銅像が建っている。髪の毛が少なくて「ぴかぴかのおじさん」と呼ばれた姿が、なんだか私にそっくりなのである。ウィキペディアの写真はそれほど似てないのだが、なんだか妙な親近感を抱いている。

 熊八は、若い頃に大阪の米相場で大儲けし「油屋将軍」とまで持ち上げられるが、暴落により全財産を失い、英語もわからないのに米国へ渡り放浪し帰国する。大阪で再起を期すがうまくいかず、別府で旅館を経営するようになる。以後、地獄巡りの開発、バスガイド付き観光バスなど、次々とユニークなアイデアで別府を一流の観光地に育てあげる。

 いまならこういったことには公的なお金が使われるのが普通だが、当時は違った。ほとんどすべてを私財をなげうっておこなったために「別府一の借金王」を自称していたほどだ。「生きてるだけで丸もうけ」を口癖にしていたというから、書かれているかと、熊八をモデルにした小説、『万事オーライ 別府温泉を日本一にした男』を読んでみたけれど、記載はなかった。残念。

 波瀾万丈の人生だったが、別府を人気の観光地にするための片腕だった梅田凡平を38歳で亡くしている。小説なので創作かもしれないのだが、凡平の死は熊八のせいだと強くなじられるシーンがある。理不尽な言いがかりなのだが、熊八はずいぶんとショックをうけた。想像でしかないけれど、そんなこともあって、熊八は「生きてるだけで丸もうけ」という言葉をよく使うようになったのかもしれない。

 さんまの言葉とされていることもあって、なんとなく楽しく暮らすというイメージがありますわな。しかし、「生きてるだけで丸もうけ」と言い切れるようになるには、相当につらいプロセスがいるのとちゃいますやろか。それに、悪い出来事があって落ち込みまくっている人に向かって、「大丈夫や、生きてるだけで丸もうけやで!」とか言ったら激怒されそうやし。

 「生きてるだけで丸もうけ」。そんな達観した考えで生きていきたいけど、ちょっと難しいんとちゃうかなぁ。座右の銘とかじゃなくて、ほとんど悟りの言葉みたいな気がしますわ。みなさんはどう思わはりますやろ。

230322-1.jpg(撮影:著者)


(編集部より)
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仲野 徹

仲野 徹
(なかの・とおる)

1957年大阪生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学・医学部講師、大阪大学・微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院・医学系研究科・病理学の教授。2022年3月に定年を迎えてからは「隠居」として生活中。2012年には日本医師会医学賞を受賞。著書に、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)、『仲野教授の そろそろ大阪の話をしよう』(ちいさいミシマ社)、『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』(講談社+α新書)など。
写真:松村琢磨

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