仲野教授の こんな座右の銘は好かん!

第13回

学問に王道なし

2023.05.22更新

 タイトルどおりに「好かん」座右の銘をとりあげてきた訳でありますが、今回はちょと趣向がちがいます。好きやし、正しいし、そうあるべきと考えている言葉であります。しかし、たぶん、次第に通用しなくなるのではないか、あるいは、違う意味に使われるようになるのではないか、と危惧している言葉であります。「学問に王道なし」。いつにもましてハイブロウにいきまっせぇ。

 プロフィール欄にあるように、40年近くの間、大学で研究者生活をおくってきた。ご存じない方もおられるかもしれないが、それもやむを得まい。なにしろ、自分自身が、定年になって1年少ししかたたないのに、研究のことなどすっかり忘れてしまっているのだから。しかし、現役時代は「学問に王道なし」という言葉が好きだった。

 一般の人にはあまり関係のない言葉だろう。が、多くの研究者は意図するしないに関わらず、多少なりともこういう心得を持っているはずだ。なにより格好がええではないか。意味は言うまでもないだろう、「学問を修めるのに、手軽で安易な方法はない」(新明解 故事ことわざ辞典)ということだ。

 大昔になるが、最初にこの言葉を知った時、不思議な印象を持った。王道を「歴史小説の王道を行く傑作」というような「最も正当な道・方法」(広辞苑)と考えると、意味が真逆になるからだ。一般的には「王道」はこの意味で使われることが最多だろう。別の意味もある。それは、大好きなエピソードの中に出てくる「王道」だ。ダイエーの創業者・中内㓛を、あの松下幸之助が諭したシーンである。

 定価販売を是とする松下電器(現パナソニック)は、自社製品を安売りしようとするダイエーに対し出荷停止を命じる。それでも断固安売りを続けようとする中内を京都の別邸に呼んで幸之助が諭す、「覇道をやめて、王道をすすんではどうか」と。しかし、その時、中内は黙って退室したという。どちらも優れた経営者であるが、格は松下の方が相当に上だ。まるで戦国ドラマではないか。ここでの「王道」は、覇道、すなわち「武力・権謀を用いて国を治めること」と対比されていることから、「儒家の理想とした政治思想で、古代の王者が履行した仁徳を本とする政道」(広辞苑)の意味と考えて間違いない。

 「学問に王道なし」の王道はこれとも違い、第三の意味、「(royal roadの訳語)楽な方法。近道」(広辞苑)のことである。たぶん明治時代やろうけれど、すでに王道には二つの意味があったはずやのに、なんで三つ目の意味を持たせたんでしょうな。ややこしいのに。それに、「学問に王道なし」以外で、「王道」がこの意味で使われることはほとんどなさそうやし。

 そもそも、「学問に王道なし」は「There is no royal road to learning.」の訳である。royal road、直訳すれば王道だが、これは普通名詞というよりは固有名詞に近く、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世によって紀元前5世紀に建造された、高速で移動できる古代のハイウェイを指す。そこから転じて、簡単に到達できるという意味で使われるようになったという。ふむ、それやったら、royal roadは王道ではなくて、王の道と訳すべきやったんちゃいますかね。「学問に王の道なし」、どうですやろ。う~ん、意味はわかりやすくなるかもしらんけど、語感としては王道の方がええかなぁ。

 ひょっとしたら、多くの人はロイヤルロードといえば中国の唐を思い出さはるのとちがいますやろか。「ろいやるろーどは唐の道」いうて、建国の年、618年を覚えませんでした?私だけやろか。しょうもないことを言うてないで、本題に戻ります。

 意外なことに、岩波のことわざ辞典には「学問に王道なし」が載っていない。単にことわざとして認定されていないのか、あるいは、ことわざではなくて故事という扱いなのか。というのは、「ギリシャの数学者ユークリッドが、幾何学を学んでいたエジプト王トレミーの『もっと手軽に学ぶ方法はないのか』という質問に対して、『幾何学に王道なし』と答えた」(新明解 故事ことわざ辞典)のが出所だとされているからだ。なるほど、来歴もやっぱり格好よろしいがな。

 おおよそどの分野にでも「学問に王道なし」は通用するし、してきたはずだ。しかし、それは次第に揺らぎつつあるのではないか。すでに過去20年くらいの間、そんな気がしていた。すくなくとも生命科学のような実験系では間違いない。最大の理由はネット検索だ。

 研究を進める上で最も大事なのは、自分自身が出したデータである。それと並んで重要なのは、これまでに報告された関連論文だ。昔は、どんなことが行われてきたか、また、どの論文に書かれているかを知っていることが極めて重要だった。それには、「頭の中のデータベース」とでもいえばいいのだろうか、読んだことのある論文の知識の蓄積が頼みの綱だった。しかし、いまは違う。キーワード検索で関連論文は簡単にピックアップして、すぐにインプットできる。それも大昔から最新にいたる膨大な数の論文からだ。

 そんなことをしても、脳の中にある「学問」は進歩しないのではないかと言われるかもしれない。もちろんそうなのだが、もはや、そんな考えは通用しまい。数年前に、ロボット研究の石黒浩先生と対談をしたことがある。その時のトピックスのひとつは、人間はどれくらいの知識があれば考えることができるだろうか、ということだった。有史以来、学問というのは[知識×思考]みたいなところがあったけれど、いまや知識は外付けできるようになった。そんな時代、脳の中にだけ閉じられた学問にどれだけの価値があるというのだ。

 そこへ持ってきて ChatGPTである。いよいよすごい。完璧に足を洗ったが、かつての研究テーマの将来的な方向性について尋ねてみた。あまりに的確な答えが返ってきて驚いた。賢さなど持たないアルゴリズムであることはわかっていても、その「賢さ」は凄すぎる。

 どの研究テーマの研究をやればメリットがあるかを教えてくれるサービスが開始されるようになるだろうと、10年ほど前から予想はしていた。ずっと考えていたのは、どこぞの会社が請負サービスでやるようなシステムだ。それなりの費用を払えば、指導教授が出してくるテーマよりも優れた提案をしてくれる。そうなると世も末ではないか。もちろん、教授にとって、である。

 多くの人がそのサービスを利用するようになったとしよう。そうすると、完全に同じでなくとも、複数の研究室が似た方向性の研究をおこなうようになる。競争は激しくなるが、すくなくとも見た目上は、その方向の研究がトレンドになっていく。だが、それが正しい方向かどうかなど、誰にもわかりはしない。いよいよ、世の末の末ではないか。そんなことを考えていたのだけれど、甘かった。ChatGPTはそれに近いことを無料でやってくれるのだから。それも、思っていたよりずっと早い時代に。

 ChatGPTは、過去のデータからしか学べないのだから、そういったことからは思いつけないような発想の学問をやればいいという考えは成り立つ。そりゃそうだ。しかし、そんなものめったにないのである。どこで読んだのか忘れたのだが、ChatGPTに対抗するには、みうらじゅんのような、誰も思いつかない独創性のある奇抜な発想が大事になっていくのではないかと書かれていた。冗談みたいな話だが、まったくそうだと大きく肯いた。けれど、みんながみうらじゅんみたいな学問分野があったら怖すぎるやんか...

 で、結論。「学問に王道なし」は、急速に時代にそぐわなくなっていくのではないか。あるいは、「学問に王道なし」という言葉は、最初に紹介した「王道」の意味で使われるようになり、「学問には最も正当な道・方法などない」、という意味に転じていくのではないか。AIに頼った学問など、従来の学問から見るとどう考えても邪道としか思えない。

 いやぁ、この未来予測、正しいと自信持ってるんですけど、どないですやろ。かなり哀しい感じもしますけど、しゃぁないですわなぁ。自宅裏の畑を耕しながら、しみじみと、引退しててよかった、ええ時代に研究ができてよかったわぁ(過去完了形)、と幸せにひたっておるこのごろでございまする。

 

(編集部より)
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仲野 徹

仲野 徹
(なかの・とおる)

1957年大阪生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学・医学部講師、大阪大学・微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院・医学系研究科・病理学の教授。2022年3月に定年を迎えてからは「隠居」として生活中。2012年には日本医師会医学賞を受賞。著書に、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)、『仲野教授の そろそろ大阪の話をしよう』(ちいさいミシマ社)、『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』(講談社+α新書)など。
写真:松村琢磨

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