仲野教授の こんな座右の銘は好かん!

第14回

あきらめない

2023.06.20更新

 あまたある「座右の銘」問題のうち、わたしにとって今回のは最大かつ永遠のテーマです。たいそうなと思われるかもしらんけど、ホンマにそう思ってるからいたしかたなし。それは「あきらめない」ということについてであります。

 人生、何事もすぐにあきらめる、というのはさすがにあかんでしょう。だから、あきらめない系の言葉がたくさんあります。それは、まぁ、よろし。しかし、であります。あきらめない状態をいつまでも続けるのが正しいかどうか。

 これまでに「努力は人を裏切らない」とか「石の上にも三年」とか、努力系の座右の銘をとりあげてはきました。似てはいるけど、あきらめない系は、ちょっとベクトルというか次元というかが違うように思うのです。

 最近は横着になって、ついChatGPTにおうかがいをたててみたくなる。「あきらめないことを勧めるような座右の銘にはどのようなものがありますか」と尋ねてみた。

「困難は一時的なもの、挑戦は永遠のもの」
「途中で諦めず、最後まで頑張れ」
「成功はあきらめない人に微笑む」
「一歩一歩、努力は必ず報われる」
「明日への希望を持って諦めないで」

 などなど、躊躇することなく、ずらずらずらっと10個出てきた。ふむ、それではと、「その逆、あきらめることを勧めるような座右の銘は?」と問い返すと、まず「あきらめることを勧めるような座右の銘は、通常は励ましや成長を促すメッセージを含むことが一般的です」との前置きが。なるほど、単にあきらめることを勧めるのは正しくないっちゅうことやな。で、

「適切な時にはあきらめて新たな道を探せ」
「自分の限界を知り、時には進むべき道を変えよ」
「無駄な努力を続けるよりも、賢くあきらめることも必要」
「失敗を認め、別の方向を模索せよ」
「時には進退を考え、あきらめる勇気を持て」

 という5つを示していただけた。ええやんか。

 読み比べてみていかがだろう。あきらめない系の方があきらめる系より勇ましい。「人間あきらめが肝心」という言葉もあるにはある。状況次第ではあるが、これは誰かに諦めさせるための言葉であって、どう考えても、座右の銘にするにはへたれすぎだ。そう思って眺めると、あきらめを勧める言葉も、なんとなく慰めてくれてるような気がしてくる。

 長い間、大学で研究の指導をしてきた。実際に手を動かす人の主体性にお任せしながら研究の方向を指導するというスタンスだった。うまくいくはずと思って進めていても、にっちもさっちもいかなくなることがある。これはもう誰が考えても、時間的にも労力的にも資金的にも止めるべき段階を迎えたとしよう。もちろん、やめた方がええで、と指導する。それでも、納得できない人がいる。

 最大の理由は「これまでの努力が無駄になる」からだ。気持ちはわかる。しかし、続けたとしても「これまでの努力」だけでなく、さらに「これからの努力」が無駄になるだけではないか。そんな時、何度、「コンコルドの誤謬」の話をしたかわからない。コンコルドの誤謬、ご存じだろうか? 行動経済学でいうところの「サンクコスト(埋没費用)」、取り返しのつかない金銭的、時間的、労力的なコストについての逸話である。

 コンコルドは英仏が共同で開発した超音速旅客機の名称だ。ある程度の年齢以上の人は、あの美しい鳥のような姿を覚えている人も多いだろう。そのコンコルド、開発途中で経費がふくらみ、採算が取れないことが明らかになった。しかし、国家のメンツその他の事情で開発が継続された。元々収益性があまり見込めない機体であった上に、墜落事故があったりして、大赤字になった。あ~あ、やっぱりあそこでやめておけばよかったのに、というやつだ。

 人間は易きに流れる。その流れに抗わなければ、自然とあきらめる方に流れいく。だから、あきらめることをわざわざ座右の銘にすることもない。一方、あきらめずにがんばるのはつらいことも多い。だから、励ますような座右の銘が多くある。きわめてまっとうだ。だが、もうすこし考えを広げてみたい。コンコルドの誤謬のような場合は、あきらめない、ではなくて、あきらめられない、あるいは、あきらめきれない、ではないのか。ここに永遠のテーマ、あきらめない vs あきらめられない問題が発生する。

 思うに、あきらめずにがんばるというのは意志の問題だ。それに対し、たとえば相手にしてもらえないのに異性のことをあきらめられない場合とかを考えると、あきらめられないというのは、むしろ本能的な問題ではないか。それだけに、あきらめない以上に、あきらめるのが難しいことがある。難易度でいうと「あきらめられない > あきらめない >> あきらめる」といったところだ。はて、どうすればいいのか、というのが長年の疑問なのである。

 リチウム電池でノーベル化学賞を受賞された吉野彰さんは、研究者に必要な姿勢として、「頭のやわらかさと、その真逆の執着心。しつこく最後まであきらめない」をあげられた。ノーベル賞学者に楯突くわけではないが、先に書いたような指導経験がけっこうあったので、このことが気になってしかたがなかった。なんと、それについて尋ねるチャンスが訪れた。

 吹田市の市民顕彰を受けられる式で、後藤圭二吹田市長に依頼をうけて鼎談をさせてもらえることになったのである。聞きにくいことやイヤなことは私が聞くという何ともいえない役回りだが、おもろそうなのでお引き受けした。そのイベントのタイトルは「あきらめない。」である。最高やないの。で、あきらめられない問題についてお尋ねした。それに対するお答えは

 「本人は筋がよさそうだと思っている場合でも周囲はそうは思わないというケースは、本人がどこまで頑張れるかでしょうね。『今は結果が表れてはいないけれども、あと2年続けたら絶対に結果が出る』と本人に信念がある場合は、周りとの摩擦があっても押し通せる。この場合は、自分の中で何か手応えがあるはずです。」だった(市報すいた令和4年4月号より)。

 う~ん、そういう手応えを感じられないのが凡人なんやねんけどなぁ。と思ったけど、よう言いませんでした。というような訳で、この問題は迷宮入りかと、お蔵入りにしていた。だが、あきらめることの重要性について書いてある本が送られてきた。立命館アジア太平洋大学学長・出口治明さんの本『逆境を生き抜くための教養』である。稀代の読書家である出口さんは、脳出血で半身麻痺・言語障害になりながらもリハビリに励み、学長職に復帰された。

 「あきらめる」には「諦める」だけではなく「明らめる」という表記もあって、後者が原義で、元々は「事情などをはっきりさせる」ことに由来するらしい。知らなんだ。それをうけて、「僕にとっては『あきらめる』は、『運命を受け入れてベストを尽くす』ことと同義語です。 ―中略― それは精神論ではなく、最も合理的な、逆境の乗り越え方なのです」と結論づけておられる。さすが、心から尊敬する出口さん、ええこと言わはるやん。って、ちょっと上から目線か。

 運命というのは、後になってからしかわからないものなのだから、早い段階で運命を受け入れるというのは難しいかもしれない。しかし、吉野さんの話とあわせて考えると、どの段階かで、これは受け入れるべき運命なのかどうかを判断することが肝要だ。

 行動経済学の大家である大阪大学の大竹文雄先生のお声がけで、いまや「走る哲学者」として知られる400メートルハードル走の為末大さんと、風しんワクチンについての鼎談をする機会があった。その機会に為末さんの書籍をしらべてたら、『諦める力 <勝てないのは努力が足りないからじゃない>』(プレジデント社)という本があるではないか。早速読んでみたけれど、サンクコストなど同じような考えが書いてある。やっぱり正しいんやわ。

 人間というのは勘違いしがちなもんで、あきらめないでがんばってるつもりでも、単に慣性力にながされてるだけかもしれません。で、気がついたら、歳だけとってしもて、どうしようもなくなってしもてる可能性も大ありですわ。それに、あきらめられない人であふれてたら、どろどろしててえらくきつそう。そんな世の中って息苦しすぎませんかね。で、結論。

 「あきらめない」を座右の銘にするのはまぁよろしい。けど、それを金科玉条のごとく守るのはいかがなものか。まずは、さまざまなことを合理的に考えて、あきらめないで続けるべきであるかどうかを判断することが大事なんとちゃいますやろか。「あきらめない」につづけて「ただし、あきらめが肝心と言うことも常に忘れない」くらいの注意書きが必要ですやろな。中途半端やなぁ、って思われるかもしらんけど。

 

(編集部より)
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仲野 徹

仲野 徹
(なかの・とおる)

1957年大阪生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学・医学部講師、大阪大学・微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院・医学系研究科・病理学の教授。2022年3月に定年を迎えてからは「隠居」として生活中。2012年には日本医師会医学賞を受賞。著書に、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)、『仲野教授の そろそろ大阪の話をしよう』(ちいさいミシマ社)、『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』(講談社+α新書)など。
写真:松村琢磨

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