仲野教授の こんな座右の銘は好かん!

第15回

果報は寝て待て

2023.07.24更新

 これまでいちゃもんをつけてきたように、座右の銘はだいたい厳しすぎるやつが多いんですわ。まぁ、そうでないとあんまり意味をなしませんから、しようがありませんけど。しかし、中には逆のものがあります。「果報は寝て待て」、どう考えてもゆるすぎません?

 とはいえ、このようなことわざがあるということは、そういうことができない人がおる、あるいは、難しい状況がある、ということなんでしょうか。いや、きっと、こうしときたい、なんもせんと待っときたいという願望を持つ人がたくさんおるからとちゃいますやろか。

 意味はいうまでもない。「幸福は人の力で手に入れられるものでないから、あせらず時機を待っていればよい」(岩波ことわざ辞典)ということだ。それってあかんのとちゃうかという気がする。そもそも人間は易きに流れやすい。そこへもってきてこんな言葉が降ってきたら、努力をしなくなってしまいそうだ。

 「果報」、あまり耳にする言葉ではない。使われるのは、「寝て待て」と「果報者」くらいではないか。いずれも「めぐりあわせのよいこと。幸運」(広辞苑)という意味で使われる訳だが、元々は仏教用語で「因果応報、前世の行いむくい」を意味するという(これも広辞苑)。後者の意味での「果報は寝て待て」ならわかる。するべきことをしてしまったら吉と出るか凶と出るかは運次第、「人事を尽くして天命を待つ」と同じような意味になる。

 それなら基本的に正しい。ひょっとしたら、もともとはそういった意味で使われていたのが、果報っちゅうのは幸福という意味もあるんやから、そっちの方が気持ちが楽ちんになりますやん、というような輩が多くいて意味が転じてきたのかも。よう知らんけど。

 「待てば海路の日和あり」も似た意味の言葉だ。いまは天気が悪くても、いずれ船旅に適した好天がやってくる。ただ、元々は「海路」ではなくて「甘露」だったらしい。甘露というのは、飴の名前ではなくて、「中国古来の伝説で、王者が仁政を行えば、天がその祥瑞しょうずいとして降らすという甘味の液」のことらしい。なんのこっちゃようわからんけど、まぁ、意味的にはどっちでも同じようなもん、「待っていればいずれよい機会がやってくるというたとえ」(岩波ことわざ辞典)ですわな。

 「明けない夜はない」、「日はまた昇る」、「やまない雨はない」とかも、「待てば...」と同じようなたとえだ。似ているとはいえ、これらは、「果報は...」とはちょと印象が違う。何が違うかというと、他のは状況説明にすぎないのに、「果報は...」だけは、「寝て待て」と、行為の推奨が伴うからだ。何気なく待つのはええけど、それを積極的に推すってどうよ。

 もうひとつ、「果報は...」だけが異なっている点がある。それは時間のイメージだ。「明けない...」、「日はまた...」は時間単位、「やまない雨...」や「待てば...」でもせいぜい日から週単位だから、漠然とではあるけれど、期限付きという感じがする。それに対して、「果報は...」は無期限っぽい。だらだらといつまでも期待を持って待つ、ってあかんすぎるやろ。

 岩波ことわざ辞典では、「果報は寝て待て」の項目で、「勤勉を勧め、怠惰を戒めることわざは多く、その反対のものはきわめて少ない」、「このように幸運を求める態度を明示したものは例外的だろう」とあるから、婉曲に内容を否定しているようにも読める。ほぉ、見識あるがな。よほどのことがない限り、寝て待っているだけで埒はあかん。「果報は寝て待て」は、怠け者への免罪符と認定したい。

 これと逆の意味のことわざには「虎穴に入らずんば虎子を得ず」や「蒔かぬ種は生えぬ」がある。両者とも基礎論理的レベルで正しい。しかし、私の場合、このような内容で真っ先に頭に浮かぶのは、北原白秋作詞の「まちぼうけ」だ。山田耕筰による軽快なメロディーの童謡、念のために歌詞をあげておこう。

待ちぼうけ、待ちぼうけ
ある日せっせと、野良稼ぎ
そこにうさぎ がとんで出て
ころりころげた 木の根っこ

待ちぼうけ、待ちぼうけ
しめた。これから寝て待とうか
待てば獲物が驅けてくる
兔ぶつかれ、木のねっこ

待ちぼうけ、待ちぼうけ
昨日鍬取り、畑仕事
今日は頬づゑ、日向ぼこ
うまい切り株、木のねっこ

待ちぼうけ、待ちぼうけ
今日は今日はで待ちぼうけ
明日は明日はで森のそと
兔待ち待ち、木のねっこ

待ちぼうけ、待ちぼうけ
もとは涼しいきび
いまは荒野あれの箒草はうきぐさ
寒い北風木のねっこ

 「果報は寝て待て」戦略がいかにバカげているかをこれほど如実に描き出した歌詞はあるまい。なにしろ、本当に寝て待ってたんやから。さすが白秋と思っていたのだが、白秋オリジナルでなく、「韓非子 五蠹篇ごとへん」の「守株待兔しゅしゅたいと」という話が原典で、このエピソードから「守株」という単語までできているそうな。知らんかったけど、「しゅしゅ」と入力したらちゃんと変換されるので、そこそこ有名な言葉なんだろう。

 ただ、守株というのは、果報を寝て待つのはバカげているという意味ではなくて、昔からの習慣を守り続けるという意味である。それって読み取る内容がちょっと間違えてはいまいか。だいたい、ウサギが木の根っこにぶつかるのを待つというような習慣は、よほどの間抜けでないと身につけようとせんだろうが。まぁええけど。

 時には、「果報は寝て待て」という気持ちになりたいこともありますやろ。でも、そんな心境になるのは、木の根にぶつかったウサギを獲れるような幸運に恵まれた時とちごて、人事を尽くした後だけにしときましょうや。けっして投げやりな気持ちで待ったりしたらあきません。そして期間は限定に。それくらいやったら、この言葉は、精神衛生上には十分なメリットがあるんとちゃいますやろか。

 

(編集部より)
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仲野 徹

仲野 徹
(なかの・とおる)

1957年大阪生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学・医学部講師、大阪大学・微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院・医学系研究科・病理学の教授。2022年3月に定年を迎えてからは「隠居」として生活中。2012年には日本医師会医学賞を受賞。著書に、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)、『仲野教授の そろそろ大阪の話をしよう』(ちいさいミシマ社)、『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』(講談社+α新書)など。
写真:松村琢磨

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