仲野教授の こんな座右の銘は好かん!

第16回

終わりよければすべてよし

2023.08.24更新

 みなさまに(たぶん)楽しんでいただいてまいりました連載でありますが、今回で中締めということに相成りました。まぁ、いろんな座右の銘にいちゃもんをつけるという企画なので、それほどたくさんはない訳であります。いうてみたら、ネタ切れです。

 で、最終回にふさわしい言葉として「終わりよければすべてよし」を取り上げさせていただきたく存じます。

 いつものように「ことわざ辞典」をひいてみる。どれにも載っていて、岩波ことわざ辞典には「物事の締めくくりがうまくゆくならば、途中がどうであっても問題にならない。要は最後が大事だということ。」とある。意外なのは、きちんとした出典が存在することで、それもシェイクスピアだ。

 『All's Well That Ends Well』という戯曲があるらしい。その邦訳が『終わりよければ全てよし』なのだ。知らんかった...。ウィキペディアによると「シェイクスピアの作品でもとりわけ公演回数が少ない作品の一つ」とされているから、わたしごときが知らんかってもしゃぁないわな。

 もっと意外なのは、日本でことわざ化した時代だ。同じく岩波の辞典によると「日本では第二次大戦後になってからことわざ化したようだ」とある。えらい新しいやん。それ以前は単に「終わりが大事」と言っていたらしい。「終わりよければすべてよし」には、過程はどうでもええんやという意味がこめられているから、ニュアンスがだいぶ違う。

 ざっくりした分け方だが、成果重視と経過重視という考え方がある。最近ではそうでもないような気がするが、日本人は経過重視がメインとされてきた。こういった傾向が「終わりよければすべてよし」といった考えが戦後まで入ってこなかった理由かもしれない。

 昔の日本を支えていたのは稲作である。収穫は天候に大きく左右されるとはいえ、稲作には多くの人が力をあわせて営むことが必要であった。そんな社会では、成果重視ではなくて、経過重視にならざるをえなかったのだろう。経過をおろそかにすれば成果がよくならないのだから、因果的にいって極めて妥当なことだ。

 工業化社会、そして、イノベーションの時代になり、日本でも成果主義が広まったのは時代の必然なのかもしれない。考えてみたらイノベーションというのは成果主義の極致である。いうてみたら、爆発的な成果を産む「思いつき」にすぎないのだから、経過などあってないようなもんですわな。

 そのような時代の流れだけでなく、人間には、終わりよければすべてよし的な性癖がすり込まれている可能性も高い。行動経済学で「ピーク・エンドの法則」と呼ばれるものがある。経験がどのようなものであったかは、その経験の全体ではなく、ピーク(絶頂)時と終わり(エンド)の出来事やそれに対する感情で判断してしまう、というものだ。

 ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学者ダニエル・カーネマンの有名な研究に、大腸内視鏡検査の苦痛に関するものがある。いまは大腸ファイバーの性能がよくなっているし、麻酔下でおこなわれることが多いので痛みほとんど感じないが、昔はけっこうな苦痛をともなう検査だった。

 二人の患者AさんとBさんが検査をうけた。痛みのピークの強さは同じ程度だったが、Aさんの検査は8分で終わったのに対し、Bさんは22分もかかった。時間が長い分だけ、痛みの総量は3倍近くと圧倒的に大きいのだから、Bさんの方が大きな苦痛を感じたはずだ。しかし、結果は逆だった。どうしてかというと、Aさんは痛みのピークを迎えた時点で検査が終了したのに対して、Bさんの場合はピーク時の痛みの半分程度になってから検査を終えていたからだ。

 この話を聞くと、終わりがよかったらそれでええんや、ということになりそうだ。しかし、世の中の出来事のほとんどはこれほどシンプルではなかろう。大腸検査の例ではピークでの痛みの度合いは同じという条件でエンドが大事という結論になったが、エンドではなくピークも大事ということに視点を移して考えてみたい。

 将棋棋士、あの永世名人・大山康晴のライバルだった升田幸三をご存じだろうか。記録にも残るが、より記憶に強く残る棋士で、「人生は将棋と同じで、読みの深い者が勝つ」、「着眼大局 着手小局」など数多くの名言を残している。その天衣無縫の人生は『名人に香車を引いた男―升田幸三自伝』(中公文庫)に詳しいので興味ある人はぜひ読んでほしい。

 その升田幸三が残したとされることばに「人間、笑えるときに笑っておけ。いつか泣く日がくるのだから。」というのがある。もちろん最後に笑えればそれにこしたことはない。しかし、そうとは限らないのが人生ではないか。さすがは升田幸三、大好きな格言だ。

 ぬか喜び、という言葉がある。広辞苑には「あてがはずれて、よろこびが無駄になること。また、そのようなつかの間の喜び。」とある。たいていの人は、ぬか喜びをしてあほらしかったと落胆して終わるようだが、はたしてそう考えるべきだろうか。

 研究には失敗がつきものだ。うまくいっていると思いながら喜んで続けていたのに、予想外の結果が出てにっちもさっちもいかなくなることがある。そんな時、ぬか喜びだったと悲しくなる。エンドだけを見ればそうだろう。しかし、一時的にピーク、とまではいえないかもしれないが、ともかく喜べたのである。そのことをもっと積極的に評価した方がいい。ぬか喜びでも、ずっとなにも喜びがなかったよりもはるかにましではないか。そういう姿勢があらまほしいとずっと考えてきたし、若い人たちにもそうとらえるように指導してきた。

 経過重視というようなたいそうな話ではない。笑えるときには思いっきり笑う。そういう姿勢が幸せな人生をおくる上でいちばん大事なことではないかという提案である。確かに後になって泣く日がくるかもしれない。そうなるかもわからんけど、うれしいことがあればとりあえず思いっきり笑う。で、もしラストがあかんかっても、まぁあの時笑えてよかったとしよう、と考える。

 「終わりよければすべてよし」というような偏狭な考えより、「終わりよければそれもよし」くらいの大らかな気持ちのほうがええんとちゃいますやろか。終わりをよくしようと思いすぎるのって、なんかさもしいような気もするし。

 なにも終わりが悪くてもいいとか言いたいのではない。できるだけ終わりはよくすべきだ。現役時代、論文を書くときにいちばん気にしていたのは、内容はもちろんだけれど、ラストをうまく締めくくること。「読後感を爽やかに」というのが、論文の書き方セミナーをするときに声を大にして強調するポイントだったくらいなのだから。

 65歳を越え高齢者の仲間入りをした。最近、母親が亡くなったこともあって、人生の終わりをよく考えるようになった。論文と同じように、できたら、知り合いたちに爽やかな印象を残して死んでいきたい。けど、これまでの経緯からそれはもう無理かもしらん。そうではないことを祈ってるけど...。

 でも、エンド、ええ人生やったと思いながら死んでいくことはできそうな気がする。それは自分だけの問題なんやから。そんなことを考える時、オーストラリアの緩和ケア看護師ブロニー・ウェアの書いた『死ぬ瞬間の5つの後悔』(新潮社)という本の内容をいつも思い出す。 

「自分に正直な人生を生きればよかった」
「働きすぎなければよかった」
「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」
「友人と連絡を取り続ければよかった」
「幸せをあきらめなければよかった」

 が、その5つである。

 やっぱり、終わりをよくするには、漫然と暮らしてたらダメで、そのことを意識して生きていかなあかんということですわな。それも、できれば楽しみながら。その方向でこれからもがんばりまっせぇ、ということで、連載を終わりまする。これまでのご愛読、まことにありがとうございました。

 え、最終回やからもっと期待して読んだのに、もうひとつやって?渾身の力をこめて書いたんですけど、あきませんかねぇ。もし、そう思われた方は、今回のをもう一度読み直してください。なにしろ「終わりよければすべてよし」っちゅうような訳ではありませんで、というのがテーマなんですから。連載中に一個くらいはむっちゃおもろいピークのがあったのを思い出してちょうだいよ。と、言い訳をしながら、さいならぁ~。

仲野 徹

仲野 徹
(なかの・とおる)

1957年大阪生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学・医学部講師、大阪大学・微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院・医学系研究科・病理学の教授。2022年3月に定年を迎えてからは「隠居」として生活中。2012年には日本医師会医学賞を受賞。著書に、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)、『仲野教授の そろそろ大阪の話をしよう』(ちいさいミシマ社)、『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』(講談社+α新書)など。
写真:松村琢磨

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