小川洋子×山口ミルコ 私たちが「似合わない服」を着ていた頃

2018.05.08更新

 2017年8月に発刊となり、共感の声をたくさんいただいている『似合わない服』。本書の著者、山口ミルコさんは、角川書店を経て幻冬舎の創業に携わり、編集者として20年にわたり、数々のベストセラーを世に送り出してこられました。その頃に担当されていた作家のお一人が、今回のスペシャルゲスト、小川洋子さんです。

 ある日、『似合わない服』を読んでくださった小川さんからミルコさんにお手紙が届きます。そこには、当時「似合わない服」を着ていたミルコさんがいなければ、生まれなかった小説があったこと、そして自分も同じように「似合わない服」を着ていたであろうその時代を愛おしく思っていることなどが、綴られていました。今回の対談は、そんなお二人の当時のお話を、ぜひおうかがいしたい、という編集部のお願いに、小川さんが快く応えてくださったことで実現しました。

 お二人の出会い、プラハへの取材旅行などをしながら本づくりをしていた頃のこと、ミルコさんをよく知る小川さんならではの、『似合わない服』や前著『毛のない生活』のお話、そしてファンにはたまらない、小川さんの小説の創作のお話まで、盛りだくさんでお届けします!

(聞き手:三島邦弘・星野友里、構成:星野友里、写真:三島邦弘)

old98-4.jpg『似合わない服』山口ミルコ(ミシマ社)

初めて会ったときに話したことが、すべて本になっていった

小川 初めて会ったときのことは、忘れられません。今はなき赤坂プリンスの1階の広々としたガラス張りのティールームで、見城さんと、伊達さんが一緒でした。

ミルコ 見城さんが月刊カドカワの編集長で、私は月刊カドカワの編集部員で、伊達さんというのは見城さんと同じ歳くらいの書籍部の編集者さんで。私が角川に入ったのが平成元年の頭だったので、それからしばらく後だったんですけれども。

小川 本当に新人っていう感じが初々しくて。ほとんどもう発言もせずというくらいでした。

ミルコ お恥ずかしい。いやあ、でもそんなね、ど新人で黙って何も口も聞けない頃からそうやってお会いして・・・。

小川 でもその時に、たぶん私のことをいろいろ話したと思うんです。『アンネの日記』が原点だとか、佐野元春のファンだとか。その顔合わせで雑談したことが、全部のちに本になってるんですよ。

ミルコ 全部形になってる。全部本になりましたよね。最初に、佐野元春の10の短編というのを月刊カドカワで連載担当でやらせていただいて。『アンジェリーナ』という本になって、いま文庫になっていますね。

1120-2.jpg『アンジェリーナ』小川洋子(角川文庫)

「小川洋子らしいもの」に導かれたプラハの旅

ミルコ ありがたいことに、幻冬舎になってからも、作品をいただいて。

小川 そうでしたね。プラハへ行くっていうのも、たいしたビジョンがあったわけではなくて、今どこに行ってみたいかな? プラハなんかいいんじゃない、みたいな話でした。まだ社会の雰囲気として余裕もあったんですね。

ミルコ そのプラハの取材を元に書かれた『凍りついた香り』、今回お目にかかるのに久しぶり再読したんですけど、すっごく面白いですね。ちょっと爆発しているよね、好きなものが。

1120-3.jpg『凍りついた香り』小川洋子(幻冬舎文庫)

小川 ある意味、私が常に偏愛しているものを、もう好き勝手組み合わせて、全部盛り込んだ感じです。プラハとウィーンに行ったとき、人工的な洞窟や、孔雀や、黒いマリアや、アルコール漬けの心臓や、小説の求めているものがどんどん引き寄せられてくるような、偶然の力がありました。

ミルコ 小川洋子らしいものにどんどんぶちあたっていくの。孔雀だとか、いろんな洞窟だとか、壺に入ったハプスブルク家の心臓とか、そういうのに本当に導かれて。『凍りついた香り』の中に出てくるものが、小川洋子作品の中にも通底してずっとあり、そして私の人生にもいろんな形で関わってきていて。だから本当にエポックな旅だったっていうのと、今はいない人たちに呼ばれて、そこへ行ったっていうことの意味みたいなものを考えました。

膨張していた手帳

小川 もう一つ忘れられないのが、ミルコちゃんの当時の手帳が、もうね、縫い糸が外れていたんです。予定が書き込まれている字の密度が濃すぎて、膨張しているんですよ。糸が外れて、輪ゴムで留めていたのが、忘れられない。

ミルコ 忙しかったんですね・・・。

小川 『似合わない服』を読むと、ああそうか、私が知らないところでこんなに無理していたんだなっていうのがわかって、いとおしい気持ちがあふれてきました。この時代は夜会食で遅くなっても一回は会社に帰ってたとかね・・・。

ミルコ それでその頃、『小川洋子対話集』も肝入りで作ったのに、私が会社を辞めてから文庫になったとき、誰も教えてくれなかった。それで、ああ編集者って寂しいものなんだって思ったの。あんだけいろいろ考えたり、いろんなことを動いたりして作った本が、自分にもう関係ないものになっているということの不思議というか。

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『小川洋子対話集』小川洋子(幻冬舎文庫)

小川 いや、関係ないものになって縁が切れたわけじゃないんです。自分がすごく情熱を注いでいた仕事を、途中で不本意ながら手放さなきゃならなかった。しかしそれがある時間を経て、やっぱり自分に恵みをちゃんと戻してくれるということに、ミルコさんは気づいているんです。本の中でちゃんとそう書いておられました。

ある時期、真剣に情熱をかけたものは、たとえそのあと何かのタイミングでほかの人の手に渡ったとしても、あとでちゃんと自分を幸せな気持ちにしてくれるということがわかった。

――『毛のない生活』より

1120-5.jpg『毛のない生活』山口ミルコ(ミシマ社)

ミルコ あ、書いてました? よかった書けてて。その本=自分っていうかね。やっぱり私は、自分が担当した作家の、すごくよきファンであったと思うし、やっぱり一生懸命やっているっていう、驕りじゃないけど自負があった。

小川 そういう自負がなかったらあれだけ手帳が膨らみませんよ。私も作家の立場から、ああそうだな、だから作家が一生懸命小説を書くっていうのは当たり前のことだなと思いました。そこから始まるんですもんね、編集者という仕事は。

青春、真っ只中でした

小川 対話集のときにはね、佐野元春さんとも対談させていただいて。

ミルコ かっこよかったね〜。

小川 いつ会っても佐野さんは素敵ですね〜。だからあの当時やっぱり青春時代っていう感じです。私にとっても、ミルコさんにとっても。

ミルコ はい、真っ只中。

小川 AとBを組み合わせたらなにが起こるかわからないけど、とにかく、やろうじゃないか、という勢いがあった。経費の心配もせず。

ミルコ 時代が後押しをしてくれてね。お金の勘定なんてできなかったもん。「1、2、たくさん」って言ってたから(笑)。数えないんですか? っていうぐらいな時代ですよ。

小川 もうその時代は去ってはいるんだけど、ミルコさんのおかげで、このために自分は作家になったんだなって思うような喜びを数々味わわせてもらいました。

ミルコ いえいえ、素晴らしい作品をいただいて。

フクロウを飼おうとしていた

小川 『似合わない服』の最初のほうに、ミルコさんが猫を飼う話がありますね。同じ頃、ミルコちゃんがフクロウを飼いたいって言ったのを思い出しました。飼う寸前までいったけど、餌が結構グロテスクなんで・・・・・・。

ミルコ 冷凍パックのねずみ。

小川 それを解凍してやらなきゃいけないから、寸前のところで辞めたっていうのを聞きました。ああでも猫は飼っちゃったんだなーと。

ミルコ フクロウは60万円だったんですよ。それでね、それこそ何十年も生きるんだよ。40年か50年。看取ってくれるかもしれないと思った。

小川 でもね、フクロウこそ似合わない服ですよ(笑)。当時のミルコちゃんが、フクロウにとって、似合わない服になっちゃうとこだった。やっぱりでも、そのときから、なんか似合わない服を自分が着てるなっていう欠落が見えて、それを何で埋めたらいいのか、迷いがあったんじゃないですか? 

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ミルコ やっぱりどうかしてますよね? もうちょっと始まっている。まともじゃないです。でもまあなんとか、大丈夫なところまで戻ってこれました。

書くものは向こうからやってくる

小川 乳がんの宣告をされた、つらい日に、チェス教室に行ったんですね。

ミルコ そうなのよ。私『猫を抱いて象と泳ぐ』を読んで、チェスを習おうと思って。

1121-1.jpg『猫を抱いて象と泳ぐ』小川洋子(文春文庫)

小川 入院したときも、チェス盤を持って行ったって書いてありました。私は直接的には何の支えにもなれなかったけれど、チェスがそばにいたんだったら、孤独じゃないための道具としてチェスが役にたったんだったら、『猫を抱いて象と泳ぐ』を書いた意味があったなと思いました。

ミルコ そうなんですよ。そういえば今年に入って、また久しぶりにチェスをやったんですけどね、覚えてました。でもなんか、チェスもそうですけど、数学といい、なんでしょうね、小川洋子が歩くと何かに当たるっていう。

小川 いやそれはね、向こうからやってくるんですね。自分の外に書くものを見つけていく。別にフットワークよく海外に取材に行くわけではないんですけど、日常の範囲の中で自分の外側にあるものと出会う。チェスなんて別に普通名詞なんですけど、いざ触れて見たら奥深い世界が隠れている。数学もそうですけど、小鳥だってね。

ミルコ それをああやって物語にね。しかも自分はやっていないくらいの。

小川 そうそう、ルールも知らないレベルです。老木ですよ。ただ立っているだけです。そこに寄ってくる。老木の木陰でチェスを指す人がおり、木の実をついばむ小鳥がやってくるっていう感じです。

ミルコ 自分は家政婦のおばさんだとか、フロントのおばさんだとかね、博物館の隅に座っているおばさんだとかね、仰ってますよね。

小川 動かなくていいんですよ。

自分じゃないということの自覚

小川 今思うとやっぱり『アンジェリーナ』が原点だったなって思います。若いときは、自分がどうやって小説を書いているのか、わかってないんです。ある意味本能のままにというか、こういうふうなやり方でしか書けないっていうやり方です。その時代にミルコちゃんと仕事をした。
ここ10年くらいですよね、ようやく、あ、自分はこういう書き方でずっと書いてきたんだ、それで変わっていないんだっていうことがわかってきた。若い時に育ててもらった編集者の人たちのおかげだなと、思えるようになってきました。

ミルコ この10年くらい、小川洋子という作家の自覚、自分じゃないということの自覚が、よりクリアになっていっているという気がします。死者に呼ばれて、自分はいつも一番後から付いて行って、その人たちの言葉とか、生きた痕跡を拾い集めているというのは、以前から仰っていたけれど。それがより、すごく小川洋子なんだけど、すごく自分じゃないというところにフォーカスしていくプロセスが、やっぱり『ミーナの行進』とか『博士の愛した数式』の後ぐらいに。

1121-2.jpg左)『ミーナの行進』小川洋子(中公文庫)右)『博士の愛した数式』小川洋子(新潮文庫)

小川 でも、書けば書くほど難しいですね。デビューして30年経ったら、じゃあすらすら書けるようになるかっていうと、逆ですね。余計自信がないというか、疑り深くなるというか、選択肢が増えるというか、迷う時間が長くなる。

神様がすることは予測できない

小川 それとね、ミルコさんと出会って本当によかったのは、音楽。佐野さんのこともそうですけど、ミルコさんが非常に音楽に親しい人であったということが、私にとって意味深かった。言葉で「愛している」と書くと、ものすごく嘘くさいんだけど、尾崎豊が「アイラブユー」と歌うと、胸にずしんとくる。音楽家たちがオペラやミュージカルやポップスやロックで、調べに乗せて意味を超えたものを伝えていることを、小説でやらなきゃいけないんだということが、最近わかってきたんです。『ことり』あたりからわかってきた。

1121-4.jpg『ことり』小川洋子(朝日文庫)

ミルコ 最近ですね、わりと。『ことり』が2012年ぐらいですかね。

小川 で私泣いちゃったんですけど、「死より恐れていたのは楽器が吹けなくなることだ」っていうのが『毛のない生活』のなかにありました。これは、ちょっと見方を変えると、死ぬっていうことよりも大事なことが、ミルコさんには一つある。それは素晴らしいことだと思って、嬉し涙を流したんです。

ミルコ ありがとう。

小川 『似合わない服』のなかにも、編集者時代、生活感のない暮らしをしていた、部屋にはアルトサックスが一本あるだけだった、という記述が出てきます。でもそれが、ミルコさんの背骨になっているんですね。

ミルコ まさに背骨みたいな形をしてる。

小川 手術した後に手が動きにくくなって絶望も味わうんだけど、結局そこを通り抜けて、すごく大胆な演奏ができるようになったと。

ミルコ そう、もうあんまり音数はいらないっていう域に。上手くなってたんですよ。

小川 神様がすることって予測できないですね。人間はそこで、一気に絶望してしまう。できなくなるっていうことしか見えなくなるんだけど、そこを通り抜けて、ちゃんと誠実に病に向き合っていると、まったく違う地平が開けてくる。

全体の中の一部分であるということを確認するお題

小川 しかも、私がミルコさんの本ではっとさせられたのが、地球の運命について考えるようになるんですね。普通病気をすると、自分の運命に囚われるのに、ミルコさんはそこで、地球の運命っていうとこにまで視野を深める。そこがね、ちょっと普通の人とは違いますよね。

ガンになってよかったとは言わない。 言わないけれど、私はこうなって初めて、地球の運命とつながっている自分というものを、真剣に考えることになった。

――『毛のない生活』より

体のなかで起こっていることは世界で起こっている。 いいかえれば自分一人でやっててもどうにもならない。 私たち一人一人がまんまるい一個の地球だ。

――『似合わない服』より

ミルコ 自分でもわけがわからないんですけど、とにかく闘病があったあと、神様はやっぱり思わぬ課題を投げかけるというかね。なんかそういうことになっちゃったんですよね。

小川 体のなかで起こっていることは、一個人の体験ではなくて地球で起きていることと一緒で、すべてはつながり合っている。それは自然の摂理として正しい気づきなんでしょうね。

ミルコ たぶん洋子さんもね、全体の一部が自分であること、それを確認するための文学だって、考えられているのかな、と。全体の中の一部分であるということを確認するお題が、それぞれにやってくる。それはやっぱり、みんなの仕事なんだと思うんですよ。わりとコツコツした仕事。

 コツコツって大事だよなっていうことを、会社時代の後半ぐらいから思っていて、なぜなら、それでしか救われないと思ってやっているところがあった。コツコツという言葉を思うときに、いつも思い浮かべていたのが、小川さんのワープロ原稿。普通に送ればいいのに、わざわざ原稿用紙にプリントしてた。

小川 かえって読みにくいと言われながら、コクヨの原稿用紙に。

ミルコ この人にとって原稿用紙のひとマスひとマスをコツコツ埋めるっていうことは、すごく大事なことなんだって、受け取るたびに。小川さんの丁寧さというか、小説に対する扱いっていうのかな。いつも自分のコツコツを思う時に、あの原稿用紙の印字された姿が、セットで浮かぶんですよ。

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自分が自分じゃなくなる怖さ

ミルコ あとはすごくなんか矛盾しているようなんだけど、先ほどの、小川洋子が小川洋子でなくなって、小川洋子になったみたいなことなんですけど、自分に還っていく過程で自分をなくしていくというかな、たぶん病気もそういうところがすごくあって。

小川 そうそう、だから病気になったときに、自分が自分じゃなくなるっていうのがすごく怖かったって書いておられます。自分の意思ではなくて、「勝手な型紙でセーターを編む」。もうなんて凄い表現だろうと思いました。

一心不乱に、勝手な編み物がすすめられている。何者かによって。ものすごい速さで。私の意志はそっちのけで。そして異常な細胞が、美しい編目で編まれて、「どう? とってもステキでしょう?」と誇らしげにヒトの体にまとわりつく。

――『似合わない服』より。

ミルコ それがガン。

小川 でもそういうふうに具体的な映像としてイメージできると、ある意味、一歩前進できますね。正体がわからないものに対して、どうなるんだろう? とむやみに怖がっていると、苦しいばかりです。

ミルコ そうなんですよ。でも、型紙の勢いに負けちゃったら身体がダメになっちゃうので、そこで一回戦争があるんですよ。やっぱり戦わなくちゃいけなくて。そのために、抗がん剤という手を打たなきゃいけないというのは絶対あると思っていて。私もだから戦ったんだなって思ったんです。終わって。

小川 うんうんうん、立派に戦ったじゃないですか。

自然のリズムはもっとゆっくり

小川 一番適切な時期に、適切なことが起こるっていうことですね。人間のペースよりも自然のペースのほうがやっぱり遅い、ゆっくりなんです、きっと。人間の頭で理屈で、次こうしたいとかこうしようとかこうするべきだとか考えるペースよりも、よきことが起こるリズムは本当はもっとゆっくりなんでしょうね。

ミルコ やっぱり我慢するとか待つとかっていうのはすごく大事だなって。今それができていない人がすごく多いんじゃないかな、って思うんですよね。

小川 風邪を引いても、実は頭で思うよりずっと長くかかるんですよね、治るまでに。小説も、終わりが近づいてきたときに、早く終わりたいからと、作家が無理をして終わらせるとダメなんですよ。

ミルコ でもだいたい終わりを教えてくれるって言いますよね。

小川 そう、教えてくれるまで待てるかどうか。だからやっぱり余裕がないとね。小説なんて、ゆっくりやることの最たるものですよ。どんなに急いだって、一字一字しか書けないんですから。効率、効率の現代社会で、小説ほどコツコツなものも、ないかもしれない。

死者は雄弁

ミルコ ゆっくり自分がそっちのほうに寄り添うようにしてみると、私なんかは、会社を辞めて暇になっちゃったからそうせざるをえなかった、病気もしたっていうのもあったんですけど、なんというか、死んでる人に起こされるっていう感覚が、この3年ぐらいかな、あって。必ず朝方起こされるんですよ。それで死者についての本を読んだり執筆をしたり。ちょっとすごく不思議な感じ。

小川 本当に大事なことをやっているときって、そういうことなのかもしれないですね。自分の意思じゃないものに動かされる。

ミルコ 洋子さんが以前、「自分は死者のことばかり書いている気がする」って仰っていて、ほんのちょっとだけれどもわかったというか。これから生きているあいだに書けるかわからないですけど、何か書くとしたら、この先そういう死者のことを・・・今からちょっと勉強させられているのかなって。

小川 そうですね。死者は雄弁ですよ。生きている人はやっぱり都合よく取り繕ったり嘘をついたり、薄っぺらな言葉しか持っていない。しゃべれなくなってからが人間ね、大事ですよ。死んだ後に、どんな言葉をくみとってもらえるかっていうのが。

ミルコ だから、くみとり係ですよね。

小川 そう、作家ってそういう係。世の中には、そういう係が必要なんですよね。

うまくいかないことも含めて、ちゃんとなっている

小川 小説を書き終わったときも、あっ自分が書いたんじゃないみたいな気がするっていうのが一番の喜びです。自分が書いたんだって思ったら、それは小さな達成感でしかないんだけど、「え? これ私が書いた?」って思うときが本当の喜びですね。

ミルコ あの、私も本当にもうまだひよっこなんですけど、『似合わない服』がわりとそういう感じで。『毛のない生活』のあとに、もうガンはこれで終わりって思っていたんですね。ただ一緒に闘病していた友達が死んで、「ああ、ガンだ」と思って。そのとき札幌にいたんですけど、その日のうちに三島さんに原稿を送ったんですよね。ガンのことはもう終わりって思ってたけど、なんかこう起こされて、自分がやったんだけど自分じゃないみたいな。

小川 でしょうね、それはいい本になった証拠ですよ。

ミルコ ありがとうございます。だからね、そう思ったら人が死ぬのはあんまり寂しくなくなった。

小川 なるほどね。これ以上ない自然なことですよ、死ぬっていうことは。

ミルコ そうですよね。だからすごくうまいことできてるなって思って。

小川 だからそんなに焦ったり、嘆いたり、人の悪口言ったりする必要ないんですよ。うまくできているんですから。

ミルコ 何にもない。それで、うまくいかないことも含めてちゃんとなってるって思えるようになったら、もう何にもこう、ビクビクしなくなったんですよね。

小川 それが身体にもいいことなんでしょうね。

小説は、「これ以上」がいつもあるからいい

ミルコ 次の作品はどんな?

小川 来年の1月くらいに発刊予定(『口笛の上手な白雪姫』幻冬舎)で、子どもと音楽が出てくる短編集なんです。でもそれは最初からそうしようって言っていたわけではなくて、必ず子どもと音楽が出てくるなって、途中で気がついたんです。

ミルコ へぇすごいですねぇ。楽しみです。

―― 今の最新刊の、『不時着する流星たち』の着想は、どんなふうにして思いつかれたんですか?

1122-2.jpg『不時着する流星たち』小川洋子(角川書店)

小川 『ニーチェの馬』っていうものすごく退屈な映画があるんです。ニーチェって広場で馬に蹴られた日から精神が錯乱したそうなんですね。

―― ああそうですか。全く知らなかった。

小川 で、『ニーチェの馬』は、その馬を飼っていた農夫の話なんです。ニーチェは一切出てこない。その関係の絶妙さがおもしろいな、と思いました。実際に起こった出来事をちょっと違う方向から切り取って、みんなが知っている出来事なんだけど、誰も知らない話っていうのを書いてみようというのが始まりです。

ミルコ すごい。読んだことのないものだった。なんていうのかな、小説でしかできない。『ブラフマンの埋葬』『琥珀のまたたき』ぐらいで、もう本当にこれ以上ないなと思っていたんですね。そしたら、『不時着する流星たち』が送られてきて。あれって思って。

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左)『ブラフマンの埋葬』小川洋子(講談社文庫)右)『琥珀のまたたき』小川洋子(講談社)

小川 いやでも、小説は、これ以上ない、というのがないからいいんですよね。これ以上がいつもある。

ミルコ だからね、なんかこう、小説は本当に小川洋子を得て幸せだったなと。

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―― いかがでしたでしょうか。お二人の濃密な対話、今でもこのときのことを想い出すと胸が温かくなります。これを機に、お二人の作品を、ぜひあらためて、お手にとってみていただけたらと思います。

於・ブレッツカフェ クレープリー 銀座店


小川洋子(おがわ・ようこ)
1962年、岡山生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。88年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。91年、「妊娠カレンダー」で芥川賞を受賞。2003年刊『博士の愛した数式』がベストセラーになり、翌年、同作で読売文学賞と本屋大賞を受賞。同じ年、『ブラフマンの埋葬』が泉鏡花文学賞、06年、『ミーナの行進』が谷崎潤一郎賞、13年『ことり』が芸術選奨文部科学大臣賞を受賞する。来年の1月に『口笛の上手な白雪姫』(幻冬舎)が発刊予定。

山口ミルコ(やまぐち・みるこ)
1965年生まれ。出版社で20年にわたり活躍、さまざまな本をつくる。数々のベストセラーを世に送り出した末、2009年3月に退社。闘病を機に執筆をはじめる。著書に『毛のない生活』(ミシマ社)、『毛の力~ロシア・ファーロードをゆく』(小学館)がある。大学で「編集」を教えた一年半の記録『ミルコの出版グルグル講義』(河出書房新社)が1月中旬刊予定。http://yamaguchimiruko.tanomitai-z.com/

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