Born to Walk!〜「心の時代」の次を探して

2018.05.07更新

 競輪選手に絶対音感、生命倫理に星新一・・・ノンフィクションの世界でさまざまテーマに挑みつづける最相葉月さん。6本の連作短編からなる『れるられる』(岩波書店)は、そのひとつの結実といえると思います。その最相さんが、本作でも幾度と触れられている通り、5年の歳月をかけて向き合ったのが「心」の問題です。昨年1月に刊行された『セラピスト』(新潮社)でカウンセリングの実像に迫りました。

 人の「心」が不調に陥ったとき、精神医学や心理療法はそれをどう癒やすのか――。世には「カウンセラー」を名乗る人が増えているのに、「心」の病は減るどころか増え続けているのはなぜなのか――。最相さんを取材と執筆に駆り立てたのは、こうした問題意識だったといいます。

 能楽師の安田登さんも、最相さんとは異なるアプローチで「心」の問題に取り組みます。一昨年の暮れに小社から刊行した『あわいの力』で、古代文字と「心」の関係について、驚きの見解を披露されました。人間は文字によって「心」を獲得したのではないかという見解です。

 古代中国で文字(甲骨文字)が生まれたのは紀元前1300年ごろ。当時の発掘物からは「心」を指し示す文字が見つかっておらず、「心」を意味する字が確認され始めるのは、それから300年ほど経った紀元前1000年ごろのことです。安田さんはさらに、「心」の病が増え続ける現状を前にして、「心」の限界を指摘され、「心の次」の時代にも目を向けています。

 そんな「心」に目を向けるお二人が、じっくりと、静かに、「心の時代」の次を探りました。

old20-1.jpg左から『れるられる』最相葉月(岩波書店)、『セラピスト』最相葉月(新潮社)、『あわいの力』安田登(ミシマ社)

(構成:萱原正嗣、写真:新居未希)

子どもの心が変わるとき

安田 『れるられる』『セラピスト』ともに、興味深く拝読させていただきました。とくに『セラピスト』では、日本にカウンセリングの手法がどのように流入されてきたか、歴史を整理してくださってとても勉強になりました。そのなかでも、河合隼雄先生が導入された「箱庭療法」や中井久夫先生が考案された「風景構成法」に重点を置いて紹介されていますよね。ご自身も「箱庭療法」と「風景構成法」でカウンセリングを受けられたと書かれていますが、実際に体験されてみてどんな感じだったんでしょうか?

最相 私の場合ちょっと特殊だと思うのは、取材の一環でこのカウンセリングを受けたことですね。当然、受ける前にこれがどんな心理療法であるのか勉強をしていますから、その分だけ警戒心が強かったように思います。箱庭療法は砂を入れた箱に人形や動物や家などさまざまなミニチュアの玩具を置いていくのですが、「ここにこれを置いたらこう読まれるんじゃないか」と、心を読み取られることに対する抵抗があったのです。

安田 たしかに、予備知識があるとそうなってしまいそうですね。

最相 ええ。ところが、町のクリニックを訪ねて箱庭の前に立ってみたら、そんなことがふわっと消えてなくなりました。結果、幼いころに住んでいた神戸の町をつくることになったのも驚きでした。そんなことはまったく意図していなかったんですけど・・・。

 さらに不思議なのは、河合隼雄先生ご自身がお書きになられていますが、箱庭療法に取り組んでいると、クライエントがある段階で曼荼羅のようなものをつくり始めることです。そういうケースはいくつも報告されていて、私もその実例をいくつか拝見させていただいたら、たしかにある日突然曼荼羅みたいなものができていました。

 風景構成法でも似たような不思議な話があります。白い紙に川を描き山を描き・・・、というように風景を描いていくカウンセリング手法ですが、子どもの事例で、小学校3~4年生ぐらいになると、それまで横に描いていた川を突然、縦に描くような変化が起こることがあるそうです。専門家の間では自我の発達との関係で議論されていますが、おそらくその子にとっては、いろいろな意味で自分と世界が見える瞬間なのではないかといわれています。

安田 面白いですね。僕も引きこもりの人たちと「おくのほそ道」を歩いていますが、数日歩くと、たしかに突然変わる瞬間というのがあります。あれは不思議ですね。

最相 箱庭療法も風景構成法も、言語の因果律に縛られない造形や絵を媒介にして、セラピスト(治療者)とクライエント(患者)が向き合うカウンセリング手法です。理屈でないものを大事にしているからこそ、理屈でないところで何かが起きるのだと思います。「おくのほそ道」を歩くのも、身体が自然を感じることで似たようなことが起こるのかもしれませんね。

テーマに突き動かされたデビュー作

安田 実は、ノンフィクションを書くことにすごく興味があります。自分ではとても書けないと思っていますが、どんなふうにノンフィクションを書かれるのか、お聞きしたいと思っていました。

最相 書き手によってそれぞれだとは思うのですが、私は、いちばん大事なのはテーマだと思います。ノンフィクションを書くのは取材に何年もかかることもありますし、本を出したあとは賛否両論を含めたさまざまな反響を受け止める力も必要です。私の場合は、テーマに対する思いが、それらを乗り越える原動力になっています。

 2009年から、北九州市が主催する「子どもノンフィクション文学賞」の選考委員を務めさせていただいています。子どもにノンフィクションを書いてもらおうという賞で、その際の参考になればと、昨年秋に『調べてみよう、書いてみよう』(講談社)という子ども向けのノンフィクションの書き方の本を出しました。ノンフィクションを書くのは子どもも大人も同じだと思っていまして、その本でも、テーマが決まれば半分以上は書けたようなものだと書いています。

安田 最相さんが最初にノンフィクションを書かれたのはどういうきっかけがあったのでしょうか?

最相 まさしくテーマに突き動かされたようなもので、最初は競輪だったのです。競輪についてはお詳しいですか?

安田 競輪そのものはほとんど知りませんが、何人か競輪選手の知り合いがいます。ランクが上がると賞金の桁がひとつ上がると聞いて驚きました。

最相 そうなんです。私がこのとき題材にしたのは、高原永伍という選手です。私が25歳ぐらいのとき、勤めていた会社の先輩に「面白い選手がいるから」と連れられて競輪場に行って、高原選手のことをはじめて知りました。私は1963年生まれで、そのときに競輪王だった人です。私が見に行ったときにはもう50代になっていました。

 競馬でもだいたい同じですが、競輪には大きく2つの戦法があります。最初に先頭に飛び出してそのまま逃げ切りを狙う「逃げ」と、飛び出した先頭の選手を後ろから追いかける「追い込み」という戦法です。「逃げ」は先頭をずっと走るから風圧の直撃を受けます。よほど足の力がないと取れない自力型の戦法なのに対し、「追い込み」は人の後ろで風圧を避けながら――「人のお尻を借りて」という言い方もしますが――途中で抜き去る他力型の戦法です。どんなに強い選手でも、年齢とともに「追い込み」に変わっていくのが普通ですが、高原選手は、50代になってもまだ「逃げ」ていました。

安田 50代の高原選手はそれで勝てるんでしょうか?

最相 当然のように毎回負けるんです。負けるのになぜ「逃げ」を貫いているのかにとても興味を持ちました。しかも、負け続けているから一番下のクラスで走っているのに、ファンからすごく人気があるんですね。ファンも負けるとわかっているはずなのに――ひょっとしたら勝つと思っていたのかもしれませんが――、ファンがこぞって高原選手の車券を買うわけです。当時はバブルのまっただなか、競輪場は世の中とはまるで違う時間と空間でした。熱狂のなか、勝ち目が薄いとしか思えない「逃げ」の戦法を取り続ける高原選手を応援する。「なんなんだ、これは」と驚いて、出版のあてもないのに取材を始め、原稿用紙300枚書いちゃったのがきっかけです。それが人づてに伝わって、徳間書店から世に出していただくことになりました。

 そういう経験があるからこそ、「これを書きたい!」という強い思いが一番大切で、文章力や技術などそれ以外のものは後から付いてくると私は考えています。

old20-7.jpg

ラブレターのように礼を尽くす

安田 取材はどんなふうに進められるんですか? アポを含めて大変だと思うのですが・・・。

最相 基本的には、人と人との関係ということに尽きると思います。取材がちょっと特殊なのは、相手は別に私と会おうともしていないのに、こっちが一方的に会いたいということでしょうか。だからこそ礼を尽くす必要があると思っています。私は2冊めで『絶対音感』(小学館)を書きまして、そのなかでは有名な音楽家の方々がたくさん登場してくださっています。それもすべては一通の手紙から始まっています。人によっては大きなプロダクションに所属されていて、何段階もの人の目を経て本人にその手紙が届くということもありました。指揮者の佐渡裕さんもその一人でした。当時の私は無名でしたし本という形にまとめられるかもわからない段階でしたが、マネージャーの方が「面白そうなことを聞いてくれそうな依頼だ」と思ってご本人につないでくださいました。そうしたら、佐渡さんご自身が「絶対音感についてはひとこと言いたかったんだ」と引き受けてくださった経緯があります。

 いま振り返っても思うのは、取材の際に大事なのは、「あなたの話をとにかく聞きたい」という強い思いを礼を尽くして伝えることですね。半分はラブレターみたいなものだと思っています。安田さんもノンフィクション書きたくなってきたでしょうか?

安田 僕は書いてみたいことは山ほどあるんですが、ひとつのことへの興味が持続しないと言いますか、興味のあることが次から次へと湧き出てきて、ひとつのことをじっくり掘り下げられない性格でして・・・。

最相 著書を拝読するとその感じがにじみ出ていますよね。次から次へと関心が枝分かれしていく。それがまた非常にわくわくして興味を惹かれます。ミシマガジンで連載されている「古代文字で写経」も面白く読ませていただきました。文字を写すというのは語学の習得によさそうですね。韓国語を勉強しているんですけど、ハングルは簡単そうに見えてなかなか記憶に定着せずに苦戦しています。

安田 いま新しい作品作りのために連載が中断しちゃっていて恥ずかしいのですが(笑)。僕はどんな文字でも手で写すのが好きで、わかってもわからなくてもまずは写してしまおうと思っています。韓国語も勉強したいと思っていてまだ手を着けられていませんが、政治的な意図を持ってつくられた文字ですし、文字としては使いにくいところがあるのかもしれませんね。

 いま学んでいる楔形文字は、最初に文字の原型ができてからある程度広く使われるようになるまでに2000年もの時間がかかっています。その間に、最初の文字とは似ても似つかぬ形に変わっています。漢字も甲骨文字を元にしていますが、甲骨文字といまの漢字では見た目も使い方も違いますよね。どちらのケースも、最初につくられた文字の使いづらいところが使いやすいように変わっていったはずです。ハングルは、中国の文化や政治システムからの脱却を目指すために、朝鮮半島独自の文字をつくるという政治的な意味合いが強かっただけに、最初につくったものを、使いづらいからというだけの理由で変えることができず、使いにくい部分が残っているんじゃないかと思います。それに、つくられてまだ500年ぐらいしか経っていないので、文字として成熟するにはまだ日が浅いとも言えるかもしれません。

old20-6.png(図)漢字と楔形文字の字体の変遷

「心の次の時代」の時間観念

最相 私も『あわいの力』、興味深く拝読させていただきました。人間は文字によって「心」を獲得し、過去・現在・未来というリニアな流れで「時間」を把握するようになり、それによって「論理」を生み出した・・・。というのが主題のひとつだと思うのですが、本を拝読していて頭に浮かんできたことがあります。2009年ごろに若年性痴呆症について取材していまして、そのことをカミングアウトされた元東大教授の若井晋先生にインタビューさせていただいたときの話です。そのときの若井先生の言葉が、安田さんのお考えとつながるように感じます。

 私たちは時系列で何かを記憶しているように思うけれど、認知症になると、平面だった記憶が台形のように歪んでそれがまたねじれるような感覚だと若井先生は言われました。私たちのイメージだと、認知症になると記憶がボコッとある時点からある時点まで抜け落ちるように思いますけど、そうじゃないんだと。だから突然ふっと過去の記憶が浮かんでくるし、順番も脈絡もなく記憶が飛び出てくるんだと。

安田 時間の捉え方が変わるということなんですね。

最相 ええ、脳の時間はリニアではないようなのです。認知症の当事者として、世界ではじめて国際アルツハイマー病協会の理事となったクリスティーン・ブライデンという女性のことも頭に浮かびました。彼女は『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)という本を出していて、その中で、永遠に今を生きることは新しい生き方だということに気づき、自分の認知症を肯定的に捉えられるようになったと書いています。安田さんが本の中で書かれた「一瞬一瞬の『今』を生きる」という言葉と重なります。

安田 人間が文字によって獲得した「心」は、多大な恩恵と同時にさまざまな副作用を人類にもたらしました。精神疾患の増加は、「心」による認知の限界を示していると思います。そうした「心」の限界を乗り越えるには、「心の次」の認知のシステムが必要になるはずだと、『あわいの力』でも書きましたが、それにはおそらく脳のもう一段の発達が必要で、それが起こると時間に対する認知も変わるはずです。

最相 そのとき時間の認知はどういうふうに変わるのでしょうか?

安田 あくまで僕の想像ですが、これまでのリニアな時間、比ゆ的にいうとヨコの時間が立体的に、あるいはタテになるなんじゃないかと思っています。過去と現在と未来が順番に訪れるのではなく、それらのすべての時間がある瞬間に含まれているような、そういう時間の認知の仕方に変わるのではないかと推測しています。いまお話しくださった認知症の方の時間認知は、僕が想像していた「心の次」の認知のイメージと重なります。

 そういう認知を、社会的には「認知症」という病気として理解していますが、それはひょっとすると、現代の人間がそういう時間認知に慣れていないだけなのかもしれません。実はまったく新しい脳の構造が生まれていて、過去と現在と未来が同時に存在する立体的な時間を、脳が認知できるようになっている可能性もありえます。「能」ってまさにそういう時間を出現させる芸能ですしね。

 認知症を引き起こしているのは、脳が拡張しているからかもしれない。もしそうだとすると、ものすごいことが起きているわけです。

最相 なるほど、認知症は脳の進化かもしれないということですね。たしかに、認知症の方はとても平和で穏やかに見えます。その視点は、「心」の不調の癒やしを考える大きなヒントになるかもしれません。

old20-2.jpg

「永遠に今を生きる」人たち

安田 認知症の研究をされていた大井玄先生から、僕も興味深いお話を伺ったことがあります。認知症というと徘徊とお漏らしが問題にされますが、「○○してはいけない」という禁止を課さなければ、認知症でも徘徊もお漏らしも起きないという話です。

 つい先日、ご住職の釈徹宗さんが運営される介護施設の「むつみ庵」を訪ねたら、そこは実例として徘徊とお漏らしがないと聞いて驚きました。開設当初は施設の庭でお漏らししてしまう人もいたようですが、だからといって外に出られないようにカギをかけるでもなく様子を見ていたら、しばらくして誰もお漏らしをしなくなったそうです。

最相 すごいお話ですね。徘徊のほうはいかがでしょうか。

安田 驚いたのは、施設では門にカギをかけないと言うのですね。各人が自分の意志で外出していくわけですが、道に迷うこともなくちゃんと戻ってくる。みなさん自分が戻ってこられそうな距離感を見極めて、それより遠出はしないんだそうです。カギをかけないからそもそも逃げ出す意識が働かないんじゃないかと、釈さんは話されていました。禁止がない社会においては、認知症は脳の新たな可能性を示しているのかもしれませんね。

最相 私からももうひとつ例を挙げさせてください。2000年に公開された『メメント』という映画がありました。外傷で記憶を短時間しか保てなくなる「前向性健忘」になった人物が主人公です。殺された妻の復讐のために真犯人を捜すという切迫したストーリーであるためか、主人公の苛立ちや焦りが印象づけられるのですが、私の知り合いで事故で同じ症状になった人を見ていると必ずしもネガティブなことばかりとはいえないように思えるのです。日常生活でイライラすることはあるようですが、性格はとてもチャーミングで、健常者であれば囚われてしまうような物事から自由になっているようにも見えます。時間認知と心のあり様には深い関係があるのかもしれませんね。

安田 ガンの余命宣告は、かなりの確率で当たると言われます。これは、宣告された時間に向けて自分で命を終えるようにプログラムしちゃうんじゃないでしょうか。不安や絶望が余命を決めてしまうのかも。

 というのはね、認知症の人にガンの余命宣告をしてもほとんど当たらないそうなんです。しかも、多くの方がそれより長く生きする。認知症の人は、時間の認知が変わることで未来に対する不安もなくなり、結果として余命宣告よりも長生きする。時間認知の違いが、この結果の違いをもたらしているのではないかと思います。

最相 認知症の方は「計画」を立てないということですよね。未来を先取りしてあれこれ悩むこともない。

安田 お知り合いの方も未来に対する不安がなくなって、「永遠に今を生きる」ことで晴れやかな日々を手に入れられたのかもしれません。

 ただ、この「不安がない」というのは、未来の時間感覚だけでなく大昔の時間感覚の可能性もあると思うのです。古代の叙事詩や神話を読むと、人間による選択や計画がありません。選択をするのは神様で人間はそれに従うだけ。あと古代の物語の特徴としては「色彩が曖昧」であることと、そして「嗅覚が少ない」ことがあります。これって夢に似ていませんか。夢の中で「う~ん」と計画を立てることってあまりないでしょ。選択もできない。色も曖昧だし、匂いもあまりない。ひょっとしたら人間は、古代の時間感覚を「夢」として記憶しているんじゃないかと思うのです。

 少し話が飛びますが、人間は視覚以外にも「見る」力を備えています。夢がその代表例で、光を網膜で感じなくとも、たしかに「見る」ことができます。そう考えると、人間の意識にはもっとさまざまなステージがあってもいいはずで、さらなる意識のステージを獲得すれば、脳の拡張が起こるはずだと思っています。

 脳の拡張は、時間の認識に大きな変化をもたらす可能性があります。今の私たちは、過去・現在・未来のリニアな流れで時間を把握しているつもりになっていますが、実は時間そのものを形容する言葉を持ちあわせていません。「長い時間」とか「遠い過去」とか、距離の概念を援用して時間を把握しているにすぎません。時間を直線的に捉えてしまうのはそれが理由で、時間認識を変えるには、脳の構造や知覚そのものを変える必要があります。

最相 脳の拡張とは壮大な話ですね。具体的にはどのような試みを考えておられるのでしょう。

安田 そのために、面白そうな実験を企んでいます。いま『イナンナの冥界下り』という作品を作っています。これは現在確認し得る最古の言語であるシュメール語と能の謡で演じるという作品です(初演66日、山のシューレ)。また、泉鏡花の『海神別荘』も上演するために準備中です。こちらは内田樹さんのところの凱風館で9月に初演です。

 両方とも能の様式を使い、それにさまざまな芸能や音楽、ダンス、アートを組み合わせて作っているのですが、将来的にはお客さんに「ホロレンズ」を付けて観てもらおうと思っているのです。「ホロレンズ」というのは、今年の1月に、マイクロソフトが発表したメガネ型のホログラムコンピュータなんですが、現実の世界にヴァーチャル・リアリティが重なるんです。これって脳に対する挑戦です。しかも、未来的時間を内包している能楽。そんな演能・観能をしたらどんなことが起こるのか、試してみたいと思っています。その準備に今はオキュラス・リフトを購入して、いろいろ実験中です。

 僕は学者ではありませんから、気になることはまずは身体を使って演じてみることにしていて、そのとき芽生える感覚が、いろいろなことを考えるヒントになっています。

最相 これまで私も錯覚という現象を通して脳の潜在的な能力には驚かされてきましたが、古来、時空を超越した世界を表現し続けた能楽であるからこそ生まれる新しい感覚をぜひ体験してみたいですね。

記憶を失っても道はわかる

最相 先ほど、外傷で記憶を短時間しか保てなくなる「前向性健忘」の知人の話をしましたが、その知人は会社勤めをしています。どんなふうに毎日を過ごしているのかをご家族に尋ねたら、その日にすべきことを何度も家族と確認して、必要なことはメモをして、それでどうにか対応できているということです。

 不思議なのは、記憶は保てなくとも通勤経路は体で覚えていることです。ひとりで電車に乗って会社に通っています。ただ、東日本大震災のときは大変な思いをしたようです。普段乗っていた電車が動かず、道路もあちこち通行止めで、体で覚えていた通勤経路が寸断されてしまったわけですから。

安田 空間認知は、時間の認知や記憶とは違う働きをしているということなんでしょうね、きっと。そう考えると、スマートフォンやグーグルマップ、カーナビの普及は、人間の空間認知を大きく変えてしまう可能性がありますよね。

最相 どういうことでしょうか?

安田 道をよく覚えているタクシーの運転手さんと話をすると、行く先々で見掛ける看板などで風景の記憶がよみがえると言います。カーナビも搭載はしているけれど、あくまで保険というか、実際に使うことはあまりないんだと。

 ところが、カーナビとかグーグルマップに頼っていると、空間にほとんど目がいきませんよね。地図だと自分の現在地から目的地へのルートを平面で捉えがちです。上空から見た鳥瞰図としての平面です。たとえば、ここ、ミシマ社の自由が丘オフィスもね、グーグルマップを頼りに来ようとするといつも迷うのですがが、道中の風景を見ていると、どこで曲がればいいかを体が自然と思い出します。

最相 目の見えない知人が、阪神大震災のときに道に迷ったという話も聞きました。それはつまり、普段は景色を物理的には見えていなくても、何らかの方法でイメージして記憶できていたということですよね。それが震災で地面がデコボコになったり、建物が倒れたりして、それまで脳の中にあった空間の記憶が崩れてしまったということなんだと思います。

安田 『あわいの力』でも触れたことですが、駒込にある六義園には、庭園の風景を描いた江戸時代の絵巻物が残っています。面白いのは、俯瞰の視点で描かれた地図ではなく、庭園を歩く人の視点で描かれていることです。地図には俯瞰的な地図と、ウォークスルー的な地図があります。日本の庭園はウォークスルーで歩きながら変化を楽しむようにつくられています。で、日本人はそのウォークスルー感覚がとても優れていて、それを受け継いだのがRPG(ロールプレイングゲーム)じゃないかと思うのです。そういう意味では、先ほどお話したヴァーチャル・リアリティなども日本ですごいことが起こるんじゃないかとも思っています。で、それがインターネットの世界でも画期的な発明を生み出すんじゃないかとも思っているのですが、近頃の若い人と話をすると、新しい場所に行くときはいつもグーグルマップ頼みです。このままいくと、日本のウォークスルー文化も先が危ういかもしれません。

古代日本から続く「歌の道」

安田 僕は歩くのが大好きで、道にもすごく興味があります。日本には大宝律令(701年)以来、五畿七道と呼ばれる道というか行政区分がありましたが、それらがオモテの道だとすると、どうやらそれとは異なるウラの道があったようです。

最相 どんな道でしょうか?

安田 能に出てくる大きいものは3つあって、そのうちひとつが「天狗の道」、あるいは「鬼の道」と呼ばれる道です。九州・福岡の英彦山(ひこさん)から本州にわたって日本海側を通って東北の出羽三山にまでつながります。そのルートは途中でわかれて富士山にもつながります。富士山は月につながる道とされていて、この月は天竺にまで通じています。何とも不思議な道ですが、能にはすごくよく出てきます。

 もうひとつは、神奈川の足柄ぐらいから始まって、かつては美濃の国(岐阜県)までつながっていた太平洋側の「遊女の道」があります。この道は、平安時代の終わりごろ、後白河法皇が京都までつなぎました。

 もうひとつは「海の道」ですね。結婚式などで謡われる能『高砂』の「高砂や」の謡は、この「海の道」を謡う「道行(みちゆき)」です。

 能だけではなく、日本のほとんどの芸能には、「道行」というものがあります。土地の名前を読み込んでいく歌謡の形式で、この歌の間に登場人物は旅をしたり、移動をしたりします。能では、最初のころにワキが歌を詠みながら旅をする場面が出てきます。これも「道行」です。ワキは諸国一見の僧。どこに行くかもわからない漂泊の僧侶です。が、最初の一句を謡い出すと、次にどの道を行くべきかは歌の掛詞(かけことば)によって示されるのです。そして、それに従って行くと「歌枕」とされる地にたどり着きます。「歌枕」を訪ねて歌を詠み、その掛詞によってまた次の道が示される。「天狗の道」も「遊女の道」も、そういう「歌の道」、「ソングライン」だったとされていて、それが太平洋側と日本海側に別々にあったのが面白いなと思っています。

最相 能は二十代の頃によく見に行きましたが、「旅人」というのはとても重要なキーワードですね。安田さんもその道を歩かれたのですか?

安田 太平洋側の「遊女の道」はまだちゃんと歩いていませんが、日本海側の「天狗の道」は、いくつかを歩いたことがあります。クルマで山道をくねくね行くより、山の中を歩いて行ったほうが早かったりするんです。

 今年は引きこもりの子たちと出羽三山に登ろうと思っていて、出羽羽黒山神社の方にもいろいろお話を伺っています。その方は最初に月山(がっさん)に登ったときはすごく疲れたそうですが、2度目に老齢の先達の人と歩いたらまったく疲れなかったということです。先達の人が言うには1000年ぐらい前から踏むべき場所が決まっていて、そこを踏むとまったく疲れないんだそうです。芭蕉もそこを踏んで歩いたとかで、能のワキはそういう道を、歌を詠みながら、探していったんじゃないかと思っています。「歌枕」の「まくら」は「真実の蔵」ですから、そこに眠る霊がいて、その霊と出会っていくのが能じゃないかと思って、私も道を歩いています。

最相 先達の足あとを踏むことにはどういう意味があるのでしょうか? その先達の方も最初は誰かに導かれたわけですよね? 始まりはどこにあったのでしょうか?

安田 意味まではわかりませんが、それが鬼の足跡ということだと思います。能の舞に「序之舞」という舞があり、舞を始める前に「序の足使い」をします。それを「序を踏む」といいます。また能『道成寺』の中には、とても不思議な舞「乱拍子」があるのですが、それも「乱拍子を踏む」と言います。日本では古来より「踏む」ことを大事にしてきたのだと思います。

「おくのほそ道」歩き

安田 先ほど、引きこもりの子たちと俳句を詠みながら「おくのほそ道」を歩いている話をしましたが、「箱庭療法」の曼荼羅さながらに、ある日突然、詠む句が劇的に変わることがあります。それまではずっと下を向いて歩いていて、「俳句の本 読んでみたけど わからない」みたいな句を詠んでいた子が、ある日を境に「天高く 心も澄みし 秋の空」という歌を急に詠み始めるんですね。顔つきも大きく変わりますし、何より笑うようになります。理由はわかりませんが、こうしたことがほぼ毎回のように起こります。

最相 とても興味深いお話です。だいたいどれぐらいの人数で歩かれるのですか? 大人は同行されるのですか?

安田 あ、引きこもりの子といっても40歳以上の方もいるので、子どもというわけではありません。少ないときで67人、多いときで十数人、そのときは2つか3つのグループにわけて歩きます。芭蕉の跡を追って歩くのですから、俳諧のグループのように、この人数をひとつの「座」にします。いちおう各グループにひとり「宗匠」と呼ばれる人も付いて歩きますが、宗匠は絶対に口出しをしません。地図を見ながら座のメンバーたちが自分たちで道を決めるのを黙って見守ります。明らかに道を間違えていると思っても、彼らと一緒に道に迷います。

 僕たちスタッフチームは付き添いもせず、あちこちの喫茶店に寄り道しながら、何時間かに一回か合流して少し話をするだけです。なので、彼らが変わるのは僕たちの関与があったからではなくて、彼らが自分の力で変わっていきます。

最相 道に迷うということは、目的地は定めているということでしょうか?

安田 芭蕉の『おくのほそ道』を辿っているので、芭蕉が泊まったところが目的地になります。東日本大震災があった2011年の秋に歩いたときは、平泉の中尊寺が目的地でした。道中でスティーブ・ジョブズの訃報が飛び込んできました。夜の集まりで「ハートとIntuition(直感)に従う勇気を持つ(have the courage to follow your heart and intuition. )」というジョブズの言葉を紹介したら、次の日からは地図もまったく見なくなって、彼らの直感でまったく道もないところに入って行ってしまいました。もう、追いかけるのが大変で(笑)。でも、それがあとで調べたら、本当に芭蕉が歩いた道だったことが判明して驚いたこともあります。

最相 まさに先人の足あとを「踏む」道だったわけですね。距離や期間でいうとどれぐらい歩かれるのですか?

安田 時間にしてだいたい一日8時間、それを810日ぐらい続けて歩きます。変化が起こるのはたいてい4日目とか5日目とかそれぐらいです。面白いことに、変化する前の日は必ずといっていいほど雨が降ります。雨のなかをずぶ濡れになりながら、田んぼのあぜ道を歩いた翌日にだいたいガラッと変わります。

最相 自然と交わることが心に作用するということなのでしょうか? 日が射すことで何かが降りてくるようですね・・・。

安田 なるべく芭蕉が歩いた道をたどろうとするので、田んぼのあぜ道や泥道もあります。そんな中も合羽だけを着て、ずぶ濡れになって歩いていると、ふつうつらいわけです。そのつらさが、彼らを雨と一体化します。雨と一体になっているとつらくなくなるんです。で、自分が雨になっているから、日の光がさすと、今度は自分自身が光そのものになります。「旅の空 我が人生に 光射し」という句を詠んだ人もいますし、「雨の日にはじめて自分が芭蕉のあとを歩いている気がした」と言った人もいます。

old20-3.jpg

人間は歩くために生まれてきた

最相 ウォーキングというと軽くなりますけど、歩くのは本当に心身にいい効果をもたらしますよね。私も歩くのが好きで、歩き始めて2年になりますが、浮き沈みの激しかった気持ちも安定するようになりました。歩くのは朝なので朝日を浴びられるのも気持ちいいですし、途中で必ず意識して鼻で深呼吸するようにもしています。鼻呼吸は口呼吸より体内に酸素を取り込む量が多いといわれていますが、朝の澄んだ空気が脳に染みわたる感覚があります。

安田 BORN TO RUN 走るために生まれた』(日本放送出版協会)という本がありましたが、僕は「Born to Walk」だと思っています。人間の足は走るためというよりも、歩くためにできていると思います。

最相 歩くことはある年齢になれば誰でも上手くできる当たり前の行為のように思われていますが、実は容易に下手になれるんですよね。一例ですが、競輪やロードレースの選手たちはみな歩くのがとても苦手なんです。毎日何時間も自転車に乗り続けて練習するので、歩き方がわからなくなるというのです。自転車体型になってしまうみたいですね。

安田 歩くのにも実はコツがあります。筋肉を使わないで歩くのが大事なんですね。「おくのほそ道」もそのコツを練習してから歩くので、みな楽に歩きます。

最相 筋肉を使わずに歩くというのは・・・?

安田 能のすり足の歩き方が理想型です。舞台の上で歩くときは、膝を緩めてかかとを床からできるだけ離さずに歩きます。これをマジメにやろうとするとすごく疲れますが、それだと80歳とか90歳の人が現役の能楽師でいられるわけがありません。疲れないコツがあって、足をぶら~んと振り出すようにすればいいんですね。能のすり足は、かかとを床につけたまま足をぶらぶらと振りますが、道を歩くときはかかとから足を前に振り出すつもりで歩くと疲れません。登りの坂道もけっこう楽ですし、足を前に振るとき体も前に行こうとするからスピードもけっこう速くなります。

最相 かかとを振り上げてかかとから下ろす歩き方ですよね。その歩き方、たぶん私も無意識のうちにやっているかもしれません。けっこう速く歩けますよね。ホノルルマラソンに「レースデーウォーク(10km)」というウォーキングの部があって、去年それに参加したのですが、苦もなく歩いて一緒に行ったツアーの女子で一番でした。ふだんも意識しなければゆっくり歩けないのですが、その理由が今わかりました。

安田 この歩き方は大腰筋の活性化にもつながります。テレビの番組で大腰筋を計測してくれるというので、僕も観世流の津村禮次郎先生と一緒に調べてもらったことがありますが、50代の僕が20代の大腰筋で、70代の津村先生は30代の大腰筋でした。

最相 それはすごいですね。何年か前にNHKスペシャルでうつ病の特集がありまして、歩いたりジョギングしたりすることには抗うつ剤と同じレベルの効果があることがアメリカの研究でわかっているようです。安田さんのお話を伺って、歩くことは体と心にいい作用をもたらすとあらためて実感しました。安田さんの「おくのほそ道」歩きのように、歩く活動がもっと広まるといいですね。

安田 僕が個人でできることには限界がありますが、歩くことがもっと注目されてもいいですよね。人間は「Born to Walk」なわけですから。


最相葉月(さいしょう・はづき)
1963年生まれ。ノンフィクションライター。著書に『絶対音感』『星新一 一◯◯一話をつくった人』(共に新潮文庫)、『セラピスト』(新潮社)、『れるられる』(岩波書店)など多数。

安田登(やすだ・のぼる)
1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師をしていた二五歳のときに能に 出会い、鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京(広尾)を中心に全国各地で開催す る。著書に『能に学ぶ「和」の呼吸法』(祥伝社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』『身体感覚で「芭蕉」を読みなおす。』(以上、春秋社)、『身体能力を高める「和の所作」』『異界を旅する能  ワキという存在』(以上、ちくま文庫)、『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』(ミシマ社)など多数。

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

ページトップへ