第7回
自然→資本から、資本→自然の逆流投資。
2018.06.13更新
「10年後を考える」をテーマに、未来に自分がどう生きていくべきかを考えるこの連載。前回の記事で言いたいこと全部言った! というやり切り感があり、もう特に何も書くことないかも・・・と思っていたタイミングでミシマ社社長の三島さんと二泊三日で秋田に旅してきました。
秋田の醸造や農業に関わる現場を訪ねながら、三島さんの今興味のあることを聞いて、さらに三島さんが激プッシュ中の平川克美さんの『21世紀の楕円幻想論』を読むなかで、突如としてなぜ僕がこの連載を書いているかの意味がわかったんだよ。
つまり何が言いたいかというとだな。
僕にはまだ書くべきことがある! 言いたいことがあるんだよ〜!!
資本→自然の逆流投資
『21世紀の楕円幻想論』で平川さんの言っていることのなかで気になったことを僕なりにざっくり要約してみると、
近代〜現代を通して自然を収奪して資本蓄積をして経済を拡大していくうちに、市場にモノが溢れているのに地域の共同体が疲弊し人口が減っていくという予期しないギャップが訪れた。つまりマーケットが拡大しているのに、人間の世界が衰退するという状況のなかでもう一度社会のありかたを見直したほうがいいのではないか? 人と人との縁、自然とのつながりから社会をつくっていく方法はないのか?
という問いかけの部分(ちなみに本文は系譜的に掘り下げたもっと丁寧な論旨。気になる方はご一読あれ)。
ここで僕が感じたのは、
「そうだその通りだ! 人間らしい世界を取り戻そう!」
という共感ではなく、
「もしかして僕の身の回りの世界で、ギャップを埋めるムーブメントがすでに始まっているのかもしれない・・・」
という「なんか始まってるぞ感」だったんだね。
それをもうちょっと概念的に言葉にしてみるならば、
資本→自然の逆投資
というように暫定で定義してみたいと思う。
「えっ、どういうこと? 説明プリーズ!」
いいとも。
19世紀以降に大規模な産業革命が始まって、文明社会に生きるヒトは、水とか鉱石とか石油とか自然資源を収奪しまくることでインフラを整備したり色んなプロダクトを作ることで大企業や国家の資本を蓄積してきた。僕が元々生業にしていたデザインはこのプロセスのなかに強く組み込まれていた職能なので、実感としてよくわかる。
でね。
こんなに収奪しまくったらそのうち資源が枯渇して経済も破綻するんじゃないの? という環境活動家や経済学者の危惧は斜め上な感じで外れ、自然資源から乖離したバーチャルな経済活動(ITや金融の領域)が拡大し、自然資源の収奪と経済の発展の相関関係が怪しくなってしまった。現実の世界の盛衰に関係なく資本蓄積はどんどん加速した結果、いま日本で何が起こりつつあるかというと、
「資本の使いみちがよくわからなくなる」
という状況なのではないかと僕は思うのだな。
人も減る、消費も伸びない、地域の共同体も衰退し、教育のレベルも低下して人材が育たなくなり、資本いっぱいあるのに投資するものがない(あるとしたらバーチャルなもの)。いくら商品つくっても消費する人と場所がない!
・・・という「資本とプロダクトの過剰」が起こっているとしたらだよ。志ある青年ならば「だったら収奪してこさえた資本を、生態系やローカル共同体を育てるために再投資しようではないか」と考えるのではないかしら?
整理してみるとだな。これまでが
自然/ローカルの収奪→資本の蓄積
だったとしたら、それが逆流して、
資本の投下→自然/ローカルの蓄積
という矢印になる。
この流れをつくることで「資本あるのに人が衰退する」というギャップのバランスを取っていい塩梅にすることができるのではないだろうか?
ていうか、僕の友人たち(そして僕自身も)は無意識のうちにこのギャップ是正の必要性を感じて行動しているのではなかろうか?
発酵的経済=自然とローカルへの逆流投資
ここまで考えを進めていったときに、
「おお、これって発酵のことじゃん!」
と僕は思ってしまったんだね(そもそも何でも発酵に結びつけて考える性格なんですけど)。
これまでの連載で色んな例を挙げながら話してきたように、発酵ニューウェーブの旗手たちは、
・ プロダクトをつくることで地域の農業や環境を良くする
・ 商売をすることでその土地のコミュニティを盛り上げる
・ そのスタンスが地域の外のファンを惹きつける
というポジティブスパイラルをつくっている。
微生物のために容易に引っ越せない醸造メーカーは、その土地が滅びた時に自分たちもまた滅びてしまう。
だからこそ、発酵によって得られる嗜好品(酒)や調味料としての付加価値を、原料を生み出すその土地の生態系、ものづくりの担い手になるその土地のコミュニティに還元する。もしそれをしないで原料も人材も外から調達すると、他でも代わりがきく均質なプロダクトをつくることになるし、ブランドを語るときのストーリーも弱くなる。すると付加価値が付けられずジリ貧になってしまうんだね。
センスの良い醸造蔵の旦那衆は「親の時代が刈り取りフェーズだったとしたら、自分の時代は育てるフェーズだ」という意識がある。薄利多売モデルで規模を求めるのではなく、しかるべき人にしかるべき値段で売って、その利益を使って自分の足元を立て直そうとしている。
その「足元」は、単に自分の蔵のことだけではなくて。自分のいる土地、自分が生きているコミュニティを含む「ローカリティの担保」なんだね。
がむしゃらに新しいものをつくるのではなく、まずはこれまでにつくってきたものを最適化する。原料の質を再定義し、プロセスを見直し、コミュニケーションのストレスを減らす。その結果できあがるものは、カテゴリーとしては同じものであっても、意味が全く違ってくる。
その土地の持続性を担保するような原料を使い、地域の雇用をサポートし、雇用した人もそれを買ってくれる人も気持ちがアガるコミュニケーションを考える。するとそのプロダクトは単なる消費物ではなく、その土地とそこに住む人の魅力を伝える物語でもあり、自分の知らない世界の解像度を上げてくれる学びの体験でもあり、そのプロダクトを介して外の世界とつながる出会いにもなる。一つのモノにたくさんの意味が乗っかっている。その土地のレガシー(財産)を時代遅れのものとして否定するのではなく、新しい意味を込めることで現代性のあるものに編集しなおす。そしてその魅力は他の文化のローカルへと飛んでいってそこでまた新たな化学反応を起こす。
こういう「意味のイノベーション」が起きまくっているのが新世代の発酵の世界なんだよね。
この潮流のナイスなところは、既存のものと対立しないことにある。近代の資本主義のカウンターではなく、行き過ぎたバランスを是正する。地域のなかで閉じるのではなく、グローバルなファンと価値をつくり、ローカルの風通しを良くする。全く新しいものを既存のものにぶつけるのではなく、すでにあるもの同士の良い部分を組み合わせて「いい塩梅」をデザインする。新規性ではなく、無理しなくても回る「フィット感」を大事にする。
こういう「発酵的な経済」の芽吹きは、冒頭で書いた逆流投資の発想によってデザインされるのではないのだろうか?
自然からの「収奪」ではなく、自然への「贈与(ギフト)」によって価値が生まれる。
これは絵空事ではない。もうすでに起こり始めていることなんだよ。
・・・ということで。
ようやく発酵界における新しいムーブメントの意味が見えてきたので、次回以降は「資本→自然の逆流投資」の仮説を他の領域にも当てはめて考えを掘り下げていこうではないか。
それではまた来月会いましょう。
【追記】本文で触れた「意味のイノベーション」は僕の造語ではなくて、デザインジャーナリストの安西洋之さんを介して知った概念。イタリアのミラノ工科大学教授、ロベルト・ベルガンティさんが提唱しています。