ギター熱ギター熱

第1回

「リンダリンダ」は知らない

2025.10.06更新

 繰り返し見る夢があった。
 本番が間近に迫っているのに、ギターの練習が全然できていない。こんなんじゃ無理だ、仲間に迷惑をかけてしまう、と焦りまくっている。
 舞台に呼ばれる直前に目が覚めて、はあ、夢でよかったと安堵する。社会人になってからいったい何度見たことか。
 高校時代にバンドでエレキギターを弾いていたので、とっぴな話ではない。舞台袖で待機している私は、あの頃のままセーラー服を着た女子高生だ。ほかのメンバーはずいぶん上達しているのに、自分だけが遅れていて、肝心のソロパートで指がうまく動かない。文化祭本番も結局、ごまかして終わってしまった。当時のそんな不完全燃焼が、現実世界の仕事や生活上の不安と重なって夢に現れたに違いない。
 年のせいか最近まったく見なくなって、夢のこともすっかり忘れていたのだが、つい先日、ある映画をきっかけに強烈に思い出して久しぶりに息苦しくなった。


「リンダ リンダ リンダ」が4Kデジタルリマスター版になって20年ぶりに劇場公開された。本当は山下敦弘監督と主役の4人のトークイベントがある池袋のグランドシネマサンシャインに行きたかったのだが、受付開始と同時にチケットは完売。映画上映だけの渋谷シネクイントもほぼ満席で、滑り込みセーフだった。
 知らない人のためにざっと紹介しておくと、高校最後の文化祭でブルーハーツの曲を演奏することになった軽音楽部の女の子たちの話だ。文化祭の3日前にギターの子が指をケガしてしまい、いろいろあってボーカルも脱退。残されたドラムとベースとキーボードの3人がたまたま通りかかった韓国人の留学生にボーカルをやらないかと声をかけ、本番に向けて猛練習を始める。
 前に見たからストーリーはわかっているはずなのに、それでも忘れていた場面がたくさんあって、何度も目が潤んでしまった。

 じつは、ブルーハーツはよく知らない。彼らがメジャー・デビューした頃は大阪の広告会社に就職したばかりで、コマーシャルの放送枠をテレビ局と交渉する仕事をしていたものだから、ちょうど天皇崩御が重なって現場はてんてこ舞いだった。ブルーハーツが主題歌を提供した斉藤由貴主演のドラマ「はいすくーる落書」が中高生に大ヒットしていたことも、ほとんど記憶にない。上京してから街中で耳にすることはあったが、こういう騒がしい曲は勘弁だわ、と敬遠していた。
 そもそも、ブルーハーツって東京臭がしませんか。とくに下北沢界隈の。もちろん偏見です。たまたまよく通った小劇場の役者たちが居酒屋で大騒ぎして歌っていただけにすぎません。青春を謳歌しやがって、という地方出身者のやっかみもあったかも。
 だから、泣いたのはそこじゃない。パンフレットに著名人の推薦コメントがたくさん並んでいて、川谷絵音の言葉に目が留まった。
「無邪気な才能と若さでしか鳴らない音がある。少し苦しくなって、たまに熱くなって、ちょっと嫉妬した。
 こんなの見ちゃったらギターを弾くしかないよなぁ」
 刺さった。
 香椎由宇演ずるキーボードの恵が急遽エレキを弾くことになって、さあ大変。芸能雑誌の付録と思しきソングブックを見ながらコードを練習していたけれど、あれ、まんま私だ。それまでフォークの弾き語りばかりだったのに、お年玉を貯めて買ったメーカーもよくわからないエレキギターを初めてアンプにつないだ瞬間、景色が一変した。神田川沿いの四畳半が、いきなりロンドンのアビイ・ロードだ。
 へったくそだけどやる気だけはある。あの頃はバンドやってる子はだいたい不良だと思われていたから、コソコソ隠れて練習して先生に目をつけられたこともあったな。
 スタジオを借りるのに、ツッパリ気味の恵がかなり年上の三浦誠己演ずる元カレに再会した瞬間、突然乙女になってしまうシーンなんか、うちのバンドで初めてドラムを叩くことになったYちゃんそっくり。近所の大学生を連れてきて叩き方やスタジオのセッティングの仕方を教えてもらっていたのだが、今考えると、あちらも女子に囲まれてかなり緊張していたはずだ。
 今や韓国を代表する女優ペ・ドゥナが留学生役で、松山ケンイチ演ずる男子生徒に覚えたての韓国語で告白されたのに、彼女のほうは日本語で返してしまうというチグハグさも、土砂降りの中、楽器が壊れてしまうかもしれないのに傘もささず走り出してしまう無謀さも、大事な話はいつも校舎の屋上で展開していくという不文律も、どれも身に覚えがあるようで、愛おしくなる。
 「リンダリンダ」に思い入れはなかったけれど、彼女たちが演奏するのは「リンダリンダ」以外に考えられなくなる。こんなの見ちゃったら、川谷絵音じゃなくても、もうギター弾くしかない。
 一刻も早く家に帰ってギターを弾きたい。この日は久しぶりに渋谷にやってきたというのに、一切寄り道せずに速攻で帰宅した。弾くしかないよなぁもなにも、もう弾いてるし。しかも、毎日。
 じつは今、バンドやってます。


 数か月前のこと。あるSNSで知り合った@みぃさんという女の子からメッセージが届いた。
「ギター、弾いてくれませんか」
 たまたま私が投稿した弾き語りの動画を見てバンドに誘ってくれたようだ。
 えー、できるかなあ。弾き語りは好きで今もたまにやるけど、バンドとなると自分だけの話ではなくなる。だいたい、こっちはもう還暦を過ぎているのですよ。しかも、脊柱管狭窄症の外科手術をして退院したばかり。コルセットなしには歩けないし、リュックにはヘルプマークをつけている。医師からは重い荷物はしばらく背負わないほうがいいといわれていて、ギターを担ぐのもままならないだろう。長い間、親の介護をしてきたけれど、自分が介護される日がくることを真剣に考え始めていた。
 でも、うれしかった。またバンドをやれるなんて。それって、バンドを懐かしい青春の思い出では終わらせないということじゃないか。聞けば、オルガンやクラリネット、リコーダー、バイオリン、オカリナ、ベース、ドラム、ミキサーも決まりつつあるらしい。すごい。お互いハンドルネームしか知らない間柄だけど、これはやってみたい。
 映画をシニア料金で見られるようになってからというもの、これまで背負ってきた荷物をいかに手放し、いかに人生を閉じていくかということばかり考えていた。
 だが、本当にそれでいいのか――。たまに気分転換で弾くだけだったギターが私に問いかける。
 幸いにして、今はいろんなギター講師がレッスン動画をユーチューブに公開している。そばに教えてくれる人がいなかった昔を思うと、夢のような時代だ。基礎から応用まで、知らないことばかりで、これまで自分がいかに我流でやってきたかを思い知らされる。
 この機会に基礎からやり直してみようか。バンドのメンバーは若い人が20代で、おそらく私は最高齢。みんなの足を引っ張らないよう、練習もたくさんやりたい。願わくば、人前でも弾けるようになりたい。「リンダリンダ」は知らないけれど、弾きたい曲はたくさんある。
 さては、あの夢にリベンジする時が来たということか。認知症予防にもうってつけだし、やってみるか。
「今すぐ動くのはむずかしいけれど、家で練習して準備しておくね。お誘いありがとうございます」
 @みぃさんにそう返信した。

最相 葉月

最相 葉月
(さいしょう・はづき)

1963年、東京生まれの神戸育ち。関西学院大学法学部卒業。科学技術と人間の関係性、スポーツ、精神医療、信仰などをテーマに執筆活動を展開。著書に『絶対音感』(小学館ノンフィクション大賞)、『星新一 一〇〇一話をつくった人』(大佛次郎賞、講談社ノンフィクション賞ほか)、『青いバラ』『セラピスト』『れるられる』『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』『証し 日本のキリスト者』(キリスト教書店大賞)、『中井久夫 人と仕事』など多数。ミシマ社では『母の最終講義』『なんといふ空』『辛口サイショーの人生案内』『辛口サイショーの人生案内DX』『未来への周遊券』(瀬名秀明との共著)、『胎児のはなし』(増﨑英明との共著)、『口笛のはなし』(武田裕煕との共著)を刊行。

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