ギター熱ギター熱

第2回

スーパースターも夢じゃない

2025.11.06更新

 物心がついた頃から、わが家にはクラシックギターがあった。父親のギターなのだが、弾いている姿を見たことはない。リビングにあるのが当たり前だったので、インテリアの一つという感じだった。
 小学生のときは御多分にもれずテレビの歌謡番組が好きだったので、トップ・アイドルの天地真理やアグネス・チャンがギターを弾きながら歌う姿を見て、私も弾き語りをしてみたいと思うようになった。
 テレビ以外の情報源はもっぱら「平凡」「明星」といった芸能雑誌で、付録のソングブックには必ずギターのコードが載っていた。コードとは複数の音を同時に鳴らす和音のことで、コードさえ押さえられればあとは歌えばいいだけだ。
 これが簡単ではない。クラシックギターはネック、すなわち弦が貼られた棹の幅が5センチほどあり、手が小さい子どもが押さえるのは大変だ。子ども用のギターがあることなど知らなかったので、思い切り手を広げて必死に押さえるしかなかった。
 まるごと一曲、初めて弾き語りができたのはアグネス・チャンの「草原の輝き」だ。鼻から空気が抜けるような歌声が特徴的な彼女のまねをしながら弾き語ったところ親にたいそう褒められたので、つい調子に乗ってしまった。
 ピアノ教室はつまらなくてすぐに辞めてしまったが、ギターなら教室に通わなくてもできそうだ。休みの日には朝から晩まで、いい加減にしろと親に怒られるまで歌謡曲を歌った。とにかく楽しかった。
 ユーチューブを見ていると、ドラムなりギターなりの天才的な子どもミュージシャンが登場する。もし自分が子どもの頃にあんなすごい子たちの演奏を見たらやる気を失っていたかもしれないが、幸いにしてユーチューブなんかないし、そばにギターを弾ける子もいなかったので、まあまあ得意気に弾き語っていたわけである。

 ここで少しだけ、ギターの説明をしておく。アンプにつなげて音を出すエレキギターに対し、生音で演奏するものはすべてアコースティックギター、通称アコギと呼ぶ。
 あれれ、アコギってフォークギターのことじゃないのと思っていて、実際そのように書かれている文章も読んだことがあるが、百科事典を調べると、本来はアコギの中にクラシックギターとフォークギターが含まれるらしい。
 ただ、もはや楽器店でも音楽雑誌でも、フォークなどのポピュラー音楽を演奏するギターをアコースティックギターと呼んでいるため、この連載でも世の慣習に合わせることにする。
 クラシックギターはその名の通りクラシック音楽でよく使われ、弦がナイロン製なので音色はまろやかで温かい。ネックが太くて弦と弦の間が広いためメロディを奏でるのに適している。
 独奏者が多く、私の子ども時代のスターといえば、NHK教育テレビ「ギターをひこう」で講師をしていた荘村清志さんだった。今考えると荘村清志さんこそ、幼少期からスペインで修行をした天才キッズだった人なのだが、そんなことはつゆ知らず、長い髪を揺らしながら弾く姿をうっとり眺めていた。
 一方、アコギの弦はスチールだ。音色は明るくきらびやかで、音量も大きい。ネックの幅はクラシックギターより1センチほど細くて、6本の弦を一気に弾くのに適している。
 ということは、手の小さい子どもがクラシックギターでコードを弾くのは、そもそもかなり無理筋なのである。案の定、ほとんど上達せず、歌謡曲の弾き語り以外の世界に出ていくことはなかった。

 あれは小6ぐらいだったか。手のひらサイズのラジオに耳を押し付けて寝ながら聴いていたときのことだ。歌謡番組のコマーシャル中、何気なく別の周波数に合わせたところ、前奏もなく、いきなりアップテンポの歌が始まった。日本語じゃなくて、よくわからないけど体中がムズムズとして、心臓あたりがきゅーっと痛くなって、なんやこれはーっと、興奮のあまり二段ベッドから転げ落ちそうになった。
 ビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」だった。
 家にはレコードプレーヤーもカセットテープレコーダーもなかったので、新しい音楽に出会うきっかけはテレビとラジオしかなかった。とくにラジオはその頃に全盛期を迎えていた日本のフォークソングや洋楽への入口だった。冒頭の「クローズユアアイズ~」が聴こえるたび、今もあの夜の感動がよみがえってくる。

 ビートルズのことはまた改めて書くとして、当時、深夜ラジオでよく流れていたギターのコマーシャルがある。長野県松本市にあるモーリス楽器製造会社の「MORRIS」だ。フォークグループのアリスが宣伝していたので、リーダーの谷村新司が亡くなったとき、私と同世代かそれ以上の人たちはみんな「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない」というキャッチコピーを思い出したんじゃないかな。
 そう、モーリスにあこがれた。モーリスでアリスの弾き語りをしたいと思った。空前のフォークブームといわれた1970年代、私がモーリスを手にしたのは中学生のときだが、フォークソング集を買ってからは、本人が歌うのを見たこともない未知の曲でも楽譜とコードを頼りに弾き語りできるようになった。「神田川」も「竹田の子守歌」も「なごり雪」も、テレビやラジオで聴いただけでは弾き語りできるようにはならなかったと思う。
 以来半世紀近く、モーリスと一緒に暮らしてきた。神戸の実家に1台、東京の家に1台。もはや家族同然の存在である。しかし、家族同然ということは、空気のようなものになっているということでもある。
 社会人になってからはもっぱら気分転換の相手で、うまくなろうとか、人に聴かせようという気はさらさらない。弾き語りできればそれで十分。心は安らぐといえば聞こえはいいが、要するにストレスのはけ口だ。実のところ、モーリス以外のアコースティックギターがあることすら知らなかった。マーチンもギブソンも、名前は聞いたことあるけど関心がないというか、そこは自分が深掘りすべき世界ではないと思っていた。

 さて、春にバンドへの参加を決めたものの、スタジオに集まってみんなで練習するぞー、とはならなかった。そもそもSNSで知り合った人たちなので、住んでいるところはバラバラだ。オルガン奏者は関西、ベース奏者は中部、ほかは関東かその近郊なので、いずれ集まるにしてもそれまでにある程度、自分たちで仕上げておく必要がある。集まれなくとも、各自音源を提出すればミキサー担当の人が編集してくれることになっている。自宅で練習できるのは、腰にコルセットを巻いてよちよち歩き状態の私にはありがたかった。
 演奏する曲目はそのSNSで誕生したオリジナル・ソングだった。オフ会で歌ったり踊ったりして、いっとき盛り上がった曲を、SNSの周年記念に新たなヴァージョンで完成させて公開しようという企画だ。
 作曲したオルガン奏者の@Midorinさんがパート別の楽譜を書いて、みんなに配布する。ギターの私はもっぱら伴奏担当で、コードさえわかれば弾けるから楽譜は不要だと思っていたが、公開された楽譜を見た瞬間、クラクラしてきた。#や♭がいっぱいある上、なんと、途中から転調しているじゃないか。ギターではカポタスト、通称カポという器具を使えば、押さえにくい複雑なコードをやさしいコードに変換できる。転調してもカポさえあればほとんど対応できるはずだ。
 ところがそんな簡単なことがうまくいかない。いまどきは音楽を聴かせるとギターのコードが表示されるスマホのアプリがあるため、オルガンで演奏してもらったガイドメロディを聴かせてみるが、出てきたコードを弾くと今度は楽譜と何かが違う。
 どういうことーっ、と小声で叫びながら手探りでコードを探していてハタと気がついた。楽譜に書かれているのはピアノのコードだ。弦がたくさんあるピアノと違って、ギターには弦が6本しかない。当然コードの押さえ方も違うはずである。
 @Midorinさんにこちらの戸惑いを伝えると、すぐにコードの違いを調べて、ギター用の楽譜を送ってくれた。音楽教室の講師だった人だから、瞬時に理解してくれたようだ。なんて頼もしい。楽器奏者の中には、ブランクはあるけど、吹奏楽部やオーケストラやプロのバンドで演奏したことがある人たちもいるので、このまま彼らにおんぶにだっこで甘えちゃおうかな......。
 いや、いかんだろ。こんな調子ではいずれみんなの足手まといになってしまう。音楽理論も知らずに約半世紀、我流で気まぐれに弾き語りばかりしてきたので、未知の曲にどう対応したらいいのかよくわからないのだ。ためしに、「ギター歴長いのに弾けない」で検索してみると、結構あるあるな話らしく、Yahoo!知恵袋にもこんなQ&Aがあった。

 Q.「ギター歴は長いのにギターが上手くない人の特徴とその原因はなんだと思います? アマチュアにめっちゃ多いですよね」Yonaguniさん

 答えは7本しかないが、的を射ていると思ったのは、こんな回答だ。

 A.「上手くなろうとしていないから。簡単に言えば基礎を疎かにしたり、我流&自己満足のままやり続けているか。上手い人は研究熱心で、(正しい)練習を欠かしません」mys********さん

 はあ~、そうなのだ。私は巷にめっちゃいる、無駄にギター歴ばかり長い万年初心者なのだ。コードで弾き語りはできるから、それだけで満足してしまっている。弾いて歌って気持ちいい、で終わり。フォーク全盛時代にアコギを始めた人たちに案外多いんじゃないかな。

 やっぱりギターを習いに行ったほうがいいのかな。弾き癖みたいなものもあるんだろうな。ユーチューブでギター講師たちの動画を眺めながら、どの人に習うのがいいだろうとあれこれ調べてみる。
 具体的な曲をまずは一曲完成させることを目指して、楽譜に沿ってゆっくり少しずつ丁寧に教えてくれるやさしそうな人。
 ヘイ、ユー! っていう感じでグイグイ迫ってくる軽快な解説がとてもわかりやすいけど、BGMがにぎやかすぎてパチンコ屋さんでギターを習っている感じがする人。
 日本人のリズム感を西洋ノリに切り替えるとき、オノマトペのような日本語を拍子に載せて脳に教え込ませようとする、言語学者もびっくりの技を沖縄弁で語る人。
 話し方はとても静かで穏やかだけど、いったん弾き始めると別人格に豹変する人。顏がわからないから余計にこわい。
 ジャーンとコードを弾くのではなく、メロディラインも自分で弾くフィンガースタイルが専門で、画面全体に誠実さがあふれている人。
 どのギタリストもそれぞれ真剣にユーチューブの視聴者に向き合っていて、これを無料で観ているのが申し訳ないほどの逸材ぞろいだ。
 中には、教えているはずがいつのまにか自分で弾き始めて遠くに行ってしまう人や、影響力が大きいためかギターの会社からの依頼案件が増えすぎてしまった人もいるが、それでも、こんな高いレベルの講座をいつでも簡単に無料で視聴できる今の若い人たちは心底うらやましいと思った。
 リアルの音楽教室だと対面で練習できる良さはあるが、ギター担いで定期的に通うのは腰を手術して間もない今の自分にはむずかしい。継続するには自由度が高いほうがいい。と、あれこれ悩んでいると、夫がぼそっと一言。
「ポール・マッカートニーも桑田佳祐も楽譜が読めないって公言してるし、音楽理論なんか知らないアーティストはたくさんいるよ。音楽は心だよ」
 わかってるよ! わかってるけど、それじゃあ自分が自分をゆるせないんだよ!
 気分転換でしかなかったギター、突き詰めることをしなかったギター、学ぼうとしなかったギター。ごめんよ、モーリス。スーパースターになれなかったのは私の責任だ。でも、やっと心を入れ替えたよ。
 ギターの神様、どうか、私に一度だけチャンスをください。

最相 葉月

最相 葉月
(さいしょう・はづき)

1963年、東京生まれの神戸育ち。関西学院大学法学部卒業。科学技術と人間の関係性、スポーツ、精神医療、信仰などをテーマに執筆活動を展開。著書に『絶対音感』(小学館ノンフィクション大賞)、『星新一 一〇〇一話をつくった人』(大佛次郎賞、講談社ノンフィクション賞ほか)、『青いバラ』『セラピスト』『れるられる』『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』『証し 日本のキリスト者』(キリスト教書店大賞)、『中井久夫 人と仕事』など多数。ミシマ社では『母の最終講義』『なんといふ空』『辛口サイショーの人生案内』『辛口サイショーの人生案内DX』『未来への周遊券』(瀬名秀明との共著)、『胎児のはなし』(増﨑英明との共著)、『口笛のはなし』(武田裕煕との共著)を刊行。

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