はやりすたれの医療学

第3回

知らぬ間に! がん治療の革命前夜(1)

2018.08.13更新

 私がまだ今の病院に勤め始めて間もないころ、がん研究の専門医が、自分の研究に協力してほしい、ということでお話をされにいらっしゃいました。その先生のレクチャーを聞いて、門外漢の私の知らない間に、がん治療の最前線でトンデモない変化が起きつつあることを知りました。まさに革命前夜、衝撃の一報に接したような感じを受けました。

 がんは古くから人類と共にあり、感染症による死者が減り長寿化するにしたがって多くの人々を悩ます病となりました。現代は、二人に一人ががんにかかる時代です。がんとは、性質の悪い腫れものの総称ですが、腫れる、ということだけが問題ではありません。腫物がばらばらにちらばって、正常の組織の中に染み込むように拡がり(浸潤)、遠く隔たった臓器に飛び火(転移)します。

 この浸潤と転移さえしなければ、多少腫れものが大きくなったところで、外科手術で切り取ってしまえば治療完了です。手術で切除できるものはたいてい命にかかわることにはならないので、浸潤転移しない腫瘍はタチの良い腫れもの、良性腫瘍と呼ばれます。

 他方、がん、すなわち悪性腫瘍でも浸潤転移を起こす前に、早い段階で切り取ってしまうことができれば治すことができます。多少拡がって、何カ所かになってしまっても、まとまって存在してくれていれば、放射線を当てて消し去るという治療もあります。

 しかし、ほんとうにバラバラに飛び散ってしまい、全身にがんが広がってしまうと、際限なく手術を繰り返したり、体中に放射線を当てるわけにはいかないので、治療はかなり難しくなります。

 ここで登場するのが化学療法、つまり抗がん剤による治療です。

 がんが大きくならないように、がん細胞が増えないようにする薬剤ですが、抗がん剤にも非常に大きな問題があります。がん細胞と正常の細胞を見分けて、がん細胞にだけ効くのなら、それは理想の抗がん剤ですが、残念ながらそんな素晴らしい薬はほとんどありません(第1回で取り上げたビタミンA誘導体は、わずかな例外のひとつです)。ほとんどの抗がん剤は正常の細胞になにがしかダメージや影響を与えます。一般的に、がん細胞よりも正常の細胞の方がそのダメージから回復するスピードが速いため、繰り返し抗がん剤の治療を受けるとがん細胞が次第に減っていく、というのが化学療法の一応の理屈ではあるのですが、よく知られているように強い吐き気や脱毛、だるさ、しびれ、といった副作用があり、治療が最後まで完遂できず、命を落としてしまうこともあります。

 がん細胞と正常な細胞を正確に見分けることさえできれば、全身にがんが拡がっても患者さんを救えるかもしれない、ということで考え出されたのが免疫療法です。

 免疫は自分自身と外敵を見分けて、外敵を攻撃する働きですから、免疫ががん細胞を敵とみなしてやっつけてくれれば、副作用に悩まされることなくがんが治せるはずです。

 その始まりは100年以上も前、19世紀末にウィリアム・コーリーという医者が、がん組織に細菌を注射したのが始まりです。抗生剤も無く細菌感染でも人が沢山亡くなっていた時代に、わざわざ細菌を注射するとは乱暴極まる治療法ですが、細菌ががんやその周囲に感染してひどく熱が出るようになると、免疫が活性化したのか、がんが小さくなり運よく命を取り留めた患者もいたようです。

 日本では1960年代に日本医科大学の丸山千里教授が、結核菌の熱水抽出物をがん組織に注射する、という研究を始めました。

 結核菌そのものは加熱により死滅してしまっており、病気を起こす力はありません。ですからコーリーの治療に比べればかなり安全で、洗練されたものと言えます。一時は「がんの特効薬」として脚光を浴び、"丸山ワクチン"という俗称で知られるようになりましたが、有効性はかなり限定的で、日本の当局はいまなお「抗がん剤」として正式に認めていません。

 1970年代に入ると、同じ結核菌の仲間であるBCG(ウシの結核菌)を使って膀胱癌を治療する方法が考案され、これは有効性も安全性も高く、現在でも標準的な治療法のひとつとして定着しています。

 1980年代には免疫学の発展により、病原体が感染すると熱が出たり、腫れたりするのはどういった仕組みなのか、詳細なメカニズムが明らかになりました。それは免疫を担当する細胞が「サイトカイン」という信号物質を出して、炎症を起こさせていたのです。であるならば、わざわざ危険な細菌を使わなくても、「サイトカイン」を注射すれば、がんの周りで免疫が活発になり、がんを攻撃してくれるのではないか・・・と考えて、さまざまな試みがなされました。その結果、腎臓がんの一部など、効果が認められたものもありますが、多くのがんに応用されるまでには至りませんでした。

 1990年代に入ると免疫を担当する細胞の研究が進みます。顕微鏡で見ただけではほとんど違いがないように見えても、細胞の表面のタンパク質を調べるとさまざまなタイプの細胞に分けられることが明らかになりました。炎症を起こさせる細胞や、病原体を退治する抗体を作る細胞、がんをやっつける細胞や免疫反応をストップさせる細胞などなど、これらの細胞がどんな「サイトカイン」を出してどのようにやり取りしているか、飛躍的に知識の量が増えました。

 私が大学に入ったのはこのころですが、ひとつ、印象に残る事件がありました。がんをやっつける免疫細胞を増やして、もとの身体の中に戻すと、がんが治療できると主張して、その研究を精力的に行い、テレビ番組でも取り上げられるような有名な教授がいました。その教授が、がんにかかって亡くなってしまったのです。最期まで、自分の研究を信じて、自分を実験台にして治療を続けていたようですが、残念な結果となりました。

 この一件のあと、私はがんの免疫療法の将来に疑念を抱くようになりました。亡くなった教授は誠実な人でしたが、この教授の方法と同工異曲の治療を患者に勧める医師がいて、まだ十分に有効性も証明できず当局も認めていない治療ですから保険が使えず、高額の医療費を請求する、といったことが一部で行われていたのです。

 一方、リウマチや膠原病の領域では炎症の信号物質である「サイトカイン」を抑制すると病気が良くなることが2000年前後から知られるようになり、治療薬も次々に出始めました。いままで良くならなかった患者さんが元気になっていくのを目の当たりにして、この分野の専門医になろうと決めた私は、やがて、がんの免疫療法の話題を追うことも忘れてしまいました。

(つづく)

津田 篤太郎

津田 篤太郎
(つだ・とくたろう)

1976年京都生まれ。京都大学医学部卒業。医学博士。聖路加国際病院リウマチ膠原病センター副医長、日本医科大学・福島医科大学非常勤講師、北里大学東洋医学総合研究所客員研究員。日本リウマチ学会指導医、日本東洋医学会漢方専門医・指導医。NHKの人気番組「総合診療医ドクターG」の医事指導を担当。著書に『病名がつかない「からだの不調」とどうつき合うか』(ポプラ新書)、『漢方水先案内』(医学書院)。共著に『未来の漢方』(森まゆみ、亜紀書房)、『ほの暗い永久から出でて』(上橋菜穂子、文藝春秋)がある。

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