キッチン・ストーリー――エストニアで料理を作りながら聞いた話キッチン・ストーリー――エストニアで料理を作りながら聞いた話

第1回

「うちの家族はみんな同じ工場で働いていた」――リュドミラの家でポテトサラダをつくる

2025.10.08更新

本日から、本原令子さんの新連載がはじまります。
美術家・陶芸家の本原さんが世界の町を訪ね、そこに住む人の「台所」という私的領域におじゃまして、一緒に料理を作りながらおしゃべりを何時間も記録するというユニークなプロジェクト「Kitchen Stories」。
そこで交わされる話は、インタビューでは絶対に聞けない話。知らない土地で、野菜を切り、皿を洗い、スープを煮込みながら進むとりとめのない話に、生活の楽しみや知恵、家族のルーツ、人生にふりかかる歴史が見え隠れします。
本連載の舞台は、バルト三国・エストニアの「ナルヴァ」です。この町のキッチンからはどんな声が聞こえてくるのでしょうか。(編集部)


 台所で交わされる会話は、話があちこちへ飛ぶ。
 だけど、ひとりひとりの嬉しいことや悲しいこと、ちいさなおしゃべりの断片がつながって見える景色があるはず。
 毎日、地球上で20億人ぐらいがごはんを作っている。いろんなお宅へうかがって、そのウチの定番料理を一緒に作ったり食べたりしながらの会話を本にしたい。
 そう思って、私は「キッチン・ストーリーズ」というプロジェクトをはじめた。
 名古屋の港まちからはじまり、静岡の龍山町、そして韓国の全州市へ。これまで12人の人たちと一緒に料理を作りながら、おしゃべりを何時間も記録した。
 そうして、台所でのおしゃべりは私たちがどんな社会を生きているのかを見せてくれると確信した。

 今回私が訪ねたのは、バルト三国のエストニアという国にある町、ナルヴァ。
 ナルヴァはロシアとの国境に接しており、エストニアでありながら市民の多くがロシア語を話す、独特の町だ。
 ロシア・ウクライナ戦争が起こった直後の2022年5月には、BBCニュースで、毎日300人近くのウクライナ人が国境を越えてこの町に避難してくることを報道していた。
 そんな町で暮らす人たちは、キッチンで今、何を話すのだろうか。

narvamap.jpg

 この町の人と一緒にご飯を作っておしゃべりすると、言葉も人種も性差も超えて、同じ人間だなと思う。そして今を生きている人だけでなく、その昔ここで生活した人たちとも繋がれる。なにげなく交わされた言葉からみえる歴史の断片を拾い集めていこう。

***

 ナルヴァの町には「ナルヴァ川」が流れていて、その真ん中にロシアとの国境がある。
 この川に浮かぶクレンホルム島には、かつて綿紡績工場があり、エストニア側とロシア側の両方から労働者が通っていた。最盛期には1万2500人が働き、労働者の住宅、学校、病院、教会、公衆浴場、ダンスホールなどが作られ、島ですべてが完結していたという。
 いったいどんな景色だったんだろう。
 私はこの工場で働いていた人の台所を訪ねたいと思った。ただ、到着してすぐには見つけられず、まずは滞在先のナルヴァ・アート・レジデンシーに勤めていたリュドミラという女性を紹介してもらった。

1 ルドミラ.jpg

写真:花坊

 2023年9月2日、リュドミラの次男ニキータがスバル・アルシオーネで、12時半に滞在先のナルヴァ・アート・レジデンシーへ迎えに来た。車中、ニキータが『ワンピース』や『アキラ』など日本のアニメーションが好きで、一番は『イニシャルD』だと聞く。
 大型スーパーが並ぶ4車線の大きな通りから少し入ると、集合住宅が並んでいる。10階建の大きな建物の一番奥のエレベーターで4階へあがる。室内にはドラゴンツリーやサボテン、たくさんの植物が配され、リビング、ゲストルーム、ベッドルームが清潔に整えられている。冷蔵庫には、ニキータ兄弟の小さな頃の写真や旅行先で買ったマグネットが賑やかに飾られている。


[以下発言者]本原=著者、リュ=リュドミラ、ニ=ニキータ(次男)、セ=セルゲイ(夫)、花坊=著者と共に訪問した写真家の花坊

本原:お土産に日本の靴下を買って来たんだけど、二人にはどう見ても小さすぎる。
:僕、大きいからなぁ。
リュ:大丈夫、誰か履けるよ。
:始めようか。最初にポテトサラダを作ります。
本原:キミの好物?
:好きな料理の1つ。ロシアの伝統的な料理だよ。
リュ:クリスマスの時とかに作るの。
本原:じゃがいもは皮を剥いてから茹でました?
:そう。
本原:丸ごと茹でる人もいるから、ちょっと聞いてみた。
:ソビエトが負けるまで、この街は1つでボーダーがなかったんだよ。僕のおばあちゃんは、川の上にあるロシア側の島で一人暮らしをしてる。
本原:クレンフォルムのある島じゃないよね?
:ちがう、隣。すんごい元気な人で、庭でじゃがいもとか野菜を作ってる。
本原:おばあちゃん、何歳?
: 86歳。超健康!
本原:わ、うちの母と同じだ。クレンホルムで働いていた人が親族にいますか?
:おばあちゃん、働いてたよ。うちの家族はみんなクレンホルムで働いてた。
リュ:私の父と母、私、私の姉、夫、夫の父と母。
本原:家族全員だ!?
:ポテトの上に、魚をのせて。
――大きな皿に細かくしたポテトを並べ、その上に小さくカットされた塩漬けのニシンをのせ、マヨネーズをかける。
本原:リュドミラは、何の仕事をしていたの?
リュ:販売促進の仕事。
本原:会社でご主人と出会ったの?
リュ:ちがう、ディスコ!
本原:ディスコ?! 同じ会社で働いてるの、知ってたの?
リュ:知らなかった。
:マヨネーズをフォークで平らに均して。
本原:はい。
:次はにんじんを上にかけて。
本原:(にんじんを削りながら)きれいだね~。
:次は卵。
本原:(ゆで卵の白身をグレイターで削ってのせながら)おもしろ~。

――セルゲイが台所の入口に立ってこちらを見ている。
本原:お父さん、心配してる?
:や、お腹空いてるだけ。
本原:そんなに見ないで。緊張する。
:ここに引っ越したのは2007年、僕は当時7歳。兄と同じ部屋で過ごしてた。タリンに行ってから市営バスで働いた。母は1997年までクレンホルムで働いた。
:切ったビーツもマヨネーズと和えます。
花坊:令子さんと体の大きさがちがいすぎて、写真が撮りにくい。
:ビーツだけだと、乾燥しちゃうからマヨと混ぜるとしっとりするの。
リュ:そしたら、ビーツを上にのせて。
本原:(ビーツをのせながら)これ、何人分?
:10人分くらい。下が見えなくなるまで、カバーして。
――リュドミラがナイフでビーツを均して完全にカバーする。
:そしたら卵の黄身を細かくして。
本原:むずかしいな。
:僕がやるよ。
リュ:これは男の仕事。
本原:ほんとだ、手のサイズとぴったり!!

5ルドミラ.jpg写真:花坊

――できあがったサラダをテーブルに移しながら、
:味を馴染ませるのに少し置きたいから、この間にパンケーキを作ろう。
本原:このサラダ、見た目はケーキだよね。この作り方、想像できなかったなぁ。
:母はパンケーキの生地をカンで作るから、焼く係をやって。
本原:わかる、目分量だよねー。
――リュドミラが卵3つを包丁の刃で叩いて割る。
本原:え? その割り方、初めて見た。
:少しだけ、塩を入れて。砂糖は大さじ4杯。ミルクも入れて、砂糖が溶けるまで混ぜます。
――リュドミラは泡立て器で混ぜながら、ミルクを足したり、小麦粉を足したりする。
本原: 目分量だね。
:あとでミルクを足してくと、ダマもできにくい。
:サラダオイルも少し入れる。なめらかになるから。
花坊:すごいたくさんのトマト。
:あとであげるよ。スーパーマーケットで買うのはこういう強い匂いはしない。
本原:キッチン、すごい綺麗にしてるよね。
:このキッチンは16年前に作ったんだけど、めっちゃ綺麗でしょ?母はずっとクリーンに保ってる。
本原:料理しながら、常に片付けてるよね。
:最初に1枚焼いて見せるから。
――リュドミラがパンケーキをひっくり返す。
本原:わぁ、綺麗。
:じゃ、やってみて。
――焼けたパンケーキをお皿にのせる。
:おばあちゃんは1枚ずつ、バターを塗ったんだよ。

本原:もし、クレンホルムで製造した生地を持ってたら、見せてほしいな。
リュ:あるよ、今、持ってくる! 
リュ:記念に取っておいたテーブルクロス、たぶん40年くらい経ってる。質がいいの。とてもしっかりしてるでしょう?
――リュドミラがストライプ柄のシーツとバスタオルも持ってくる。
本原:すごく綺麗。この端のところで織が変わってるの、いいなぁ。

6ルドミラ.jpg写真:花坊

:この時計はね、ぼくの祖父がクレンホルムから記念にもらったの。おじいちゃんは、機械を直す仕事をしてて、表彰されたんだよ。大理石でできてて、今も動いてる。
――リュドミラがモノクロ写真を持ってくる。
本原:え~、かわいい。ユニフォームかな? 水玉模様!
リュ:同級生の友達と一緒。
:学校の研修でクレンホルムの工場で働くから、就職したときにはすでにプロフェショナル。
本原:何歳ぐらいのとき?
:15、6歳の頃。週に一度、工場研修があったんだって。
本原:親戚はロシアに住んでるの?
リュ:私の父はロシア人で、母がベラルーシの人。セルゲイの父はロシア人で、母はウクライナ人。
本原:そうなんだ。セルゲイはウクライナ語を話すの?
リュ:うぅん、ロシア語だけ。ウクライナ語とロシア語は似てるの。
本原:よし、最後の1枚を焼くよ。あ、なんかサラダがしっとりして来た。

――トマトをのせたトーストを食べながら
本原・花坊:ガーリックトースト! おいし~。
:このトーストは母の発明!
リュ:今年採れた一番大きなトマトは、650g。
本原:えーっ、なんで?! 肥料なに?
:種を植える時、小さい生のニシンを入れるんだよ。
本原:えっ? 生の?! 初めて聞いた!

4ルドミラ.jpg写真:花坊

リュ:パンケーキの食べ方、全員ちがうね。笑
:コンデンスミルクは、ロシア製の方がいい。
:クレンホルムで機械の整備をしていたんだ。(携帯電話の写真をみせて)この機械は日本製。
リュ:クレンホルムで働いてる人には、食堂のごはんもすごく安かった。
リュ:ホリデーに行く時、バスタオルやら会社のテキスタイルをくれたのよ。すごくいい会社だった。
本原:働いてる時、会社のオーナーは誰だったのかな?
:ソビエト連邦がオーナーだった。
本原:昨日会った70代の女性は、今アート・レジレンシーになっている建物を会社が管理していたとき、映画を観たり、ダンスをしたと言ってました。
リュ:私の姉は、あそこでダンスをしてたわ。映画も観にいったし、ソ連時代はよかった。
:労働者のためにサウナもあったし。
本原:ふぅん、それぞれいろんな思い出があるね。
:第二次世界大戦中、タリンみたいなオールドタウンだったナルヴァの街は壊滅した。クレンホルムが街を建て直したと言っていい。
:ところで、ロシアに行ったことある?
花坊:残念ながらないです。行きたいけど、行くにはビザが必要。
:それは僕らもそうだよ。おばあちゃんのとこはソビエト崩壊後、ロシアだから行くにはビザが必要。
本原:すぐそこじゃん。
:そう、歩いて5分。
花坊:ニキータは、エストニアのパスポートなの?
:うん。だから、今はむずかしい。
本原:ニキータは学校で何語を習ったの?
:60%はエストニア語で、40%はロシア語だった。

2ルドミラ.jpg写真:花坊

本原:お茶、淹れる?
本原:ポットが薔薇の柄だ。
花坊:バラが多いねぇ。
:これは、ロシアの伝統的なお茶だよ。
本原:これ、バラが入ってる?薔薇の香りがする。
:そうそう。
本原:おいしい~、おいしいしか言ってないな。
花坊:(ポットを見て)かわいい~。これ、ここで買える?
:や、これはロシア製。
本原:今日は、いい天気。このキッチンからの景色はすごくいいね。
リュ:朝起きて、コーヒー飲みながらここから外を見るのが好きなの。葉っぱが黄色、赤になってきた。ナルヴァは小さいけど、クリーンな街よ。
花坊:う~ん、いい香り。
本原: ivantea.ruって書いてある。ドット・アール・ユーってあんまり見ないね。私たち、こんなに歓待されていいんだろうか?
:この紅茶を飲むと落ち着くよ。ノンカフェインだし。
リュ:サウナに入ってから飲むといいのよ。サウナ → ティー → サウナ → ティー。
花坊:ありがとう(日本語で)。スパシーバ(ロシア語で「ありがとう」)。
本原:スパシーバ。
:どういたしまして。
花坊:ロシアへ行くときは、ここから行きたいよ。
本原:そうだね、歩いて行ける。めっちゃ近いもんね。

ナルヴァ川.jpg


 まさかリュドミラの家族全員がクレンホルムで働いていたとは思わなかった。
 この街で暮らしている人のほとんどが、繊維工場と関係のある仕事をしていた。豊田市の人の8割近くがトヨタ自動車関連の仕事に就いてるのと同じだ。

 バルト海の真珠といわれたほど、ナルヴァはバロック様式の建物が並ぶ、かわいらしい北欧の街だった。
 1944年3月、旧ソ連は「ナチス・ドイツからエストニアを解放するため」という位置付けでこの街を破壊し、住民はわずか550人しか残らなかった。戦争中に亡命した人たちもナルヴァへ帰還することが許されなかった。
 クレンフォルムの紡績工場には、ソ連全土からロシア語話者が労働者として集められた。この工場で働くためにナルヴァへ来たニキータの祖父母は、この街が昔どんな景色でどんな人々が住んでいたのか知る由もなかっただろう。

 川の真ん中にロシアとの国境があるナルヴァ。国境検問所がある橋のあたりを散歩した時、小さな魚を釣っている人がいて「何を釣ってるんですか?」と尋ねたら「猫のエサ」と答えた。もう一人の男性は大きな鮭を釣って見せてくれた。
 ロシア側の川岸でバーベキューをするロシアの若者が聴いている音楽がこちらまで聴こえてくる。ヒップホップみたいな曲だった。私と同じ年のマリナはときどき橋を渡って国境を越え、対岸の町イヴァンゴロドに住む親戚の家を3軒まわってお茶をして帰ってくる。3時間だけロシアに滞在してナルヴァに戻ってくるなんてびっくりする。
 1992年生まれの女性が「小さい頃はこの川で泳いだのよ、ここは"若い国境"なの」と言ったのはとても印象的だった。



【レシピ】

●ポテトサラダ=「毛皮のコートを着たニシン」
・中ぐらいのじゃがいも9個
・にんじん2本
・ゆで卵4 個
・ビーツ2個
・にしん油漬け
・マヨネーズ

1.大皿の上で、茹でたじゃがいもをグレイターで刻み、平たくならす。
2.1の上に刻んだ塩漬けにしんをのせる。じゃがいもが隠れるよう、層をつくる感じ。
3.2の上にマヨネーズで斜めの線を描きながら網目を描くようにのせ、フォークで均一にする。
4.3の上にゆでたにんじんをグレーターで刻んでのせる。
5.4の上にゆで卵の白身をグレーターで刻んでのせる。
6.5の上に3と同様にマヨネーズの層をつくる。
7.刻んでおいた茹でたビーツにマヨネーズをかけて混ぜる。
8.7をケーキのように表面をナイフで綺麗にカバーする。
9.卵の黄身をグレーターの側面の細かな歯で、雪を降らせるようにのせていく。

*じゃがいも、にんじん、卵の白身はグレーターの一番粗い刃を使う。
*マヨ混ぜのビーツで全体を覆うことで乾燥も防ぐ。

●ガーリックトースト
1.おろしにんにくとマヨネーズを和える。
2.パンをグリルで両面焼きにする。
3.1のマヨネーズをパンに塗り、その上にスライスしたトマトをのせる。

本原令子

本原令子
(もとはら・れいこ)

1963年生まれ。陶芸家・美術家。「土」を使って焼き物に限らず、映像やパフォーマンス、ワークショップなどを行う。2021年からプロジェクト「キッチン・ストーリー」を国内外で行っている。2012〜15年、静岡市の登呂遺跡で稲作から道具作りまで実験的活動をする「アートロ」の企画監修。主な著書に『Kitchen Stories』(港まちづくり協議会)、『登呂で、わたしは考えた。』(静岡新聞社)。

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