学ぶとは何か 数学と歴史学の対話

第2回

学びの中の「習と探」あれこれ(伊原康隆)

2021.11.20更新

歴史学者の藤原辰史さんと数学者の伊原康隆さんによる、往復書簡の連載です。藤原さんから伊原さんへの前回の便りはこちらから。

伊原康隆>>>藤原辰史


 過分なご紹介を温かいお言葉でいただき、どうも有難うございました。面映い、それに私こそ大いに啓発していただいております。藤原さんの学生時代の勉強についても大変興味深く読ませていただきました。私にとってかなり別世界での新鮮なお話でした。藤原さんとは当初は「自由と平和のための京大有志の会」の一人のサポーターとして、次いでは「食と政治」に関わる藤原さんの実に啓発的な数冊のご本を通して、「こういうことも取り上げて続きも書いて下さい」などと勝手な注文をつけたりしたことで、親しくさせていただくようになりました 。これらは私にとって高度な学びですので、この「学ぶとは何か」対談シリーズでは(早くても)後半向けの話題でしょうか。

 「噛み合わせ」を試みるのは追い追いとして、当面は私の方の歯車を少しずつ回し始めたいと思います。まず回す当人について、私の心の中では(良く言えばですが)どうやら几帳面さ(一種の完璧主義)と遊び心(外してみないと気が済まない)がいつも同居しており、それらが頻繁にバトンタッチし合っている、そんな気がいたします――共著論文を書いたアメリカの友人からの感想もそんな感じで「外す」はリズムの「オフ・ビート」。また、しばしば対立概念として捉えられている二要素、努力と怠惰、理系的指向と文系的嗜好、なども、仲間のように同居しつつ、押し合いへし合いしているのかもしれません。この対談でも、後に述べる「好奇心(直線的)と好回心(回旋的、造語)」などを含めたいくつかの「同居かつ対立」の対を取り上げ、「学ぶとは何か」に私の筆使いで迫ってみたいと思います。
 
 今回は、タイトルの「学びの中の『習』と『探』あれこれ」。
 「学び」の姿勢を、「習得のため」(略して「習」)と「探索のため」(「探」)に分けて考えることを私は提案しております。まず大雑把にいえば

 「習」は広範な基礎知識を身につけるため、
 「探」はその中から自分の特性を探すための、狭くとも深い学び方。
 
 「習」を無視した「探」はすぐ行き止まりになる、基本はあくまでも「習」にある。以下はこれを踏まえた上での話です。ところが「習」は、試験のための場合も含めて、やはり受け身でしょう。受け身の気分でずっとやっていては元気もでません。「勉強とは苦行にたえること」というのは、徹底すればするほど間違った方向に行ってしまうと思います。ある若い人に「ああそうか、自分たちはわざわざ苦しくなるやり方を選んでしまってきたのだった」と言われました。
 他方、「探」の学び方は、驚きを求めてそれを深め、逆に驚けないことは自分には合っていない、と思い切りよく切り捨てて幅を狭めることでもあります。対談の後半では理系での「探」にも深入りしたいと思います。
 
 まず、小、中学では「習の中の探」に注目するのが自然でしょう。たとえば理科の授業で「冬、金属の手すりに触れると冷たく感じるのはなぜか? それは金属は熱を通しやすいから手から熱を奪う、だから冷たく感じるのだ」と教わるでしょう。それを大人しくノートにとるだけなのが「習」。「そうか、なるほど、面白い!」と驚きを経て理科がちょっと好きになるのが「探」への入り口で、この場合その子は理科への適性がありそう、ということにもなるでしょう。するともう一歩進めて「では炎天下の外の金属の手すりが(焼ける程に)熱いのは?」とか「冬の手すり自体の温度はどうなっているのか」など、思いを巡らせることにも繋がり、その子はその授業を「探」として受けるようにもなるでしょう。 
 ついでに、冬場で空気が乾燥しているときドアノブを不用意に触れるとビリっと感電するのは、ご存知のようにドアノブの金属が電気を通しやすいのが基本的な原因です。高校で電子のことも学んでからなら、金属が電気を通しやすいのはそのどういう特性によるものか等、知りたいことが広がるでしょう。原因のもう一面は「では静電気が溜まっているのはどこか?」に関わってきますね。さて、それはドアノブでしょうか、触った手でしょうか、両方でしょうか?
 
 ところで講義の時間を退屈に過ごすことが多い場合、それは大きな無駄使いですね。何とか減らせないものでしょうか。まず、退屈が「やさしすぎて」の場合。それは「習」から早めに「探」の要素を取り入れるチャンスですから、刺激から生じる連想あれこれを考えて時間を過ごしてはどうでしょうか。それによって先生が次に言われることを聞き逃すこともあるでしょうが、「探」ならそれでもよいと思うのです。大切なのはまずびっくりして好奇心に火がついたかどうか。火がついていて授業内容からちょっと遅れたぐらい、火がついていないでちょっと先行しているよりも、はるかにポテンシャルが高くなり、先に行けば行くほどその効果が出てきます。
 逆に、どうしても分からないとか、いつ迄も面白さを感じられないという場合は、その初期の内に勇気をもって質問をするのが一番お勧めですが、その資格すらないと感じるようになって久しいのでしたら、関心の的を他科目(での「探」)と他の生徒に向けてみてはどうでしょう。他の生徒というのは、「そういうことを面白がる生徒もいるのだ、自分には役に立っていなくてもその子には役立ちそうで、いずれはその子の社会への貢献を通して自分達にも役立つかもしれない」と考えることが社会勉強にもなるかと思います。「こんな授業は無意味」と即断しないことの勧めです。

 今後も実例を追加して話を進めてゆきたいと思っています。次回は学習における「二通りの記憶力」についても、機械的な記憶力が悪かった私の感想と意見を綴ってみたいと思います。

 今回の締めくくりに、対談への期待感をひとこと追加させていただきます。藤原さんのご専門「農の歴史」の「農」は(数学とかなり離れた、現在の私には興味深い側の)理系ですし、藤原さんは数学的な理系の気質とセンスも元々豊かにお持ちです。「学問は文科理科の相違を超えたところに根源的な価値がある」との共通認識も、勉強しながら深めることができそうで、私もこの対談を大いに楽しみにしております。
 なお、その過程の中で「考え方の根本的な相違点にも互いに目をつぶらず、それらも確認して共有できれば」という欲張った思いもなきにしもあらずです。しかしこれは、多分、定年後の自由人の思うこと、成り行き次第でしょうか。
 ではどうぞよろしくお願いいたします。

藤原辰史/伊原康隆

藤原辰史/伊原康隆
(ふじはら・たつし/いはら・やすたか)

藤原辰史(ふじはら・たつし)
1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年『ナチス・ドイツの有機農業』で日本ドイツ学会奨励賞、2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、2019年日本学術振興会賞、同年『給食の歴史』で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞を受賞。『カブラの冬』『稲の大東亜共栄圏』『食べること考えること』『トラクターの世界史』『食べるとはどういうことか』『農の原理の史的研究』ほか著書多数。

伊原康隆(いはら・やすたか)
1938年東京生まれ。理学博士。東京大学名誉教授。京都大学名誉教授。1998年日本学士院賞。東京大学数物系大学院修士課程修了後、勤務先の東京大学理学部(1990年まで)と京都大学数理解析研究所(2002年まで)を本拠地に、欧米の諸大学を主な中期滞在先に、数学(おもに整数論)の研究と教育に携わってきた。著書に『志学数学――研究の諸段階 発表の工夫』(丸善出版)、『とまどった生徒にゆとりのあった先生方――遊び心から本当の勉強へ』(三省堂書店/創英社)など。最新刊は『文化の土壌に自立の根』(三省堂書店/創英社)。

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