ちっちゃい焚き火で「共有」の感覚をとりもどす 小山田徹さんインタビュー(1)

第1回

ちっちゃい焚き火で「共有」の感覚をとりもどす 小山田徹さんインタビュー(1)

2022.10.06更新

本日より、新連載「縁食と共有地を探す旅」がはじまります。この連載は、ミシマ社から刊行した2冊『縁食論 孤食と共食のあいだ』(藤原辰史著)と『共有地をつくる わたしの「実践私有批判」』(平川克美著)のテーマである「縁食」と「共有地」について、それぞれの実践者や、これまさに! という事例をミシマガ編集部が取材・レポートするものです。

第一回にご登場いただくのは、今月からロームシアター京都で開催される「ちっちゃい焚き火(薪ストーブ)を囲んで語らい、いろいろ焼いて食べる会」の企画監修を務める、アーティストの小山田徹さん。ロームシアター京都の松本花音さんにも同席いただき、お話を伺いました。この時代の「焚き火」の可能性とは・・・? 

(取材・構成:野﨑敬乃、撮影:大堀星莉)

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小山田徹(こやまだ・とおる)
アーティスト。京都市立芸術大学美術科(彫刻専攻)教授。1961年鹿児島に生まれる。京都市立芸術大学日本画科卒業。84年、大学在学中に友人たちとパフォーマンスグループ「ダムタイプ」を結成。ダムタイプの活動と平行して90年から、さまざまな共有空間の開発を始め、コミュニティセンター「アートスケープ」「ウィークエンドカフェ」などの企画をおこなうほか、コミュニティカフェである「Bazaar Cafe」の立ち上げに参加。

焚き火っておもしろい!

――先日、私も実際に「焚き火」に参加しました。今回のプロジェクト〈ちっちゃい焚き火(薪ストーブ)を囲んで語らい、いろいろ焼いて食べる会〉(以下、「ちっちゃい焚き火」)で募集された「火守ボランティアスタッフ(募集は終了しています)向けの事前講習会に伺わせていただいたのですが、想像をはるかに超えて、楽しかったし、癒されたし、安心感がありました。いろんな年代の方々が集まっていて、自然と会話がはじまり、みんなで火を見てぼーっとしたり、その場で拾ったシイの実やさつまいも、マシュマロを焼いて食べたり、普段の生活では味わえない贅沢な時間でした。

小山田 あれはいい風景でしたね。

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――はい。私の全感覚がとにかくよろこんでいました。小山田さんは、焚き火プロジェクト以外にも、これまで全国各地でアートを入り口に、人が集う場所と風景を立ち上げられていますが、「焚き火が最高!」というところに至る前のお話から伺いたいです。

中学校に美術部はなかったけれど

小山田 そもそも僕がアートの道に進もうと思ったのは、子どものころから絵を描くのが好きだったのもあるんですが、もうひとつ、中学生のときに当時27歳ぐらいの美術の先生と2人だけの美術部をつくったというのがあって。つくったというか、そういうことになっちゃった。ははは。

―― え、どういうことですか?(笑)

小山田 僕が通っていた中学校はものすごく田舎にあって、平家の木造校舎が奥にずっとつづいているようなところでした。校舎の裏は林になっていて。中学生のころって、不思議なブームがあるじゃないですか。当時、朝早くに学校に行って、自分のテリトリーを決めて箒でひたすら掃くというのにハマっていて、7時半ぐらいに学校に行っては、1時間ぐらいそこでもぞもぞしてたんです。
 ちょうど美術室がある裏を自分のテリトリーにして掃除していたら、毎朝めっちゃええコーヒーの香りがする。一年前に赴任してきたイタリア帰りの女の先生がいるんですね。もう、中学男子には禁断のシチュエーションです・・・(笑)。木サッシの窓から中を見ると、棚にアンティークが置いてあったり、イタリアの本が並んでいたりして。その人はテンペラ画を描いていた先生で、テンペラ画は卵の黄身をメディウムにして描くので、ちょっと独特のにおいがするんですけど、そういうのをぽーっと見ながら掃除していたら、あるとき目が合ったんです。「(コーヒーを)飲む?」って言われて。もう、こんな感じ(激しくうなずく小山田さん)。

――はははは。その光景、目に浮かびます。

小山田 それで教官室に入ることができました。舞い上がっているので、本棚にある本を借りたりするようになって。それが美術との出会いです。当時の僕にとっては全部が背伸びした本なんですけど、借りてきてはノートに写し、という悦に入った状態をつくっていました。そこからはもうまっしぐら。エロスって怖いよねー。
 でも正直なところ、エロスって性的なものだけではなくて、自然物とか、触感とか、感覚に対してのエロスは、すべての表現についてまわるので、衝動の中にエロスが入った状態で美術に出会ったのは、とても恵まれていたと思います。そのときにはじめて、自分がなぜ椿とか山茶花の木が好きなのかがよくわかったんです。よく見ると、椿の枝は、すごく女性的で、ねばりがあって美しい。そういうことが結びついていく感覚がありました。
 こういうことにかまけていたので、僕は高校受験に失敗して、中学浪人してるんです。卒業はして、予備校に行きながら自由な生活をしていたんですが、その一年間だけはめっちゃ頑張って勉強をして、鹿児島の進学校の一つに入った。そこは美術部がある高校で、藤浩志さんという先輩に出会うことができました。

――すごいはじまりかたです。

鹿児島で、絵画専門の私塾をつくる

小山田 僕が高校のころは、鹿児島には絵画専門の受験塾や私塾がありませんでした。でも県下の高校の美術部の、あいつは美術大学に行くんだろうなっていう人とは、県展とかで知り合っていたので、だいたいが顔見知り。そいつらと、藤浩志さんと声をかけあって、鹿児島市内に一軒家を借りて、アトリエをつくることになりました。
 当時鹿児島に松山先生というユニークな先生がいて、その人に顧問になってもらい、物件を借りてもらいました。「アトリエ松山」をみんなでつくったんです。学校が終わったらそこに行って、夜まで過ごす。それが、空間を自分たちでつくる最初の経験です。いまだにそのアトリエから全国の美大に進む人たちがいます。

――いまもつづいているんですね。

小山田 先生と美術部をつくるとか、学生たちとお金を持ち寄ってアトリエを自主管理するとか、そういうのは自然とスタートが切られていったので、誰かとなにかを共有することに、僕としては違和感がなかった。「共同体をつくる」ということは、なんとなく常に幻想や憧れとして自分の中に持っていたと思います。
 だから美術大学に入ってからも、「座カルマ」というアングラ劇団に先輩がいたので自動的に入って、古橋悌二とか、のちにダムタイプをいっしょにやる連中と出会いました。下宿も先輩たちと住んで、銭湯ライフ。振り返ったら、ずーっと誰かとなにかをやっていて、つねに共有されているし、つねに誰かがいるし、つねに社会はひらかれている感じがあった。だから、その状態をわざわざ考えることだとは思ってなかったんです。
 でも、ダムタイプでエイズにまつわる活動をやりはじめたときに、実は社会のなかに「共有空間」はあんまりないんじゃないか、途切れつつあるんじゃないかというのを感じて、この「共有空間」という言葉で、それを獲得し直すにはどうしたらいいのかをあらためて考えはじめた、それで今に至ります。

共同体=家族 が固定化した中で

――ご自身の実感と社会の中での「共有空間」、具体的にはどんなところに違和感があったのですか?

小山田 自分が当たり前だと思っていたものを、他者と共有できないことが増えてきたんです。「一緒にやったらええやん」「自然にできるんちゃうの」と言っていても、わざわざ場を用意したり、組織をつくったりしないといけない時代がやってきた。その違和感の原因を考えていく中で、「共同空間」や「共有性」というものが変質してきているんだろうなと思いました。
 つまり、共同体とよばれるものは、国が勝手に「家族」とまず定めて、最小単位にしていますよね。しかも家族のあり方まで押し付けてくる。それがずっとつづいてきた結果、経済の状況とも折り重なって、かつてといまとでは共同性の意味が変質してきているんだろうなと。だから、家族とは違う共同体のあり方を生活の中に持ち込むのが非常に困難になってきている。
 結婚して、それぞれが家庭を持って、それぞれが子どもを育てないとあかん、と思っていたら、それが負担になるわけじゃないですか。社会で育てたらええやん、と言うにはなかなかサンプルがない。そして、大人たちが家族以外のかたちを示さず、そういう時代が30年、40年とつづいたら、別のあり方を知らない人が出てきて、凝り固まったひとつの方法しか生きる術がないように思ってしまうのは、当然ですよね。

――もうずっとその状況がつづいていますね。他人への関心が薄れたり、急なことに対応できなかったり、ひとりひとりの感覚が鈍くなっているようにも思います。このままいくと、小山田さんのように「こうやったらええやん」と体感で思っている人たちがどんどん少なくなっていって、とても危険な状況ですよね。

負荷こそが楽しいんとちゃうの?

小山田 最近のコミュニティのつくられ方にはいろいろな情報網があるので、SNSで簡単に集まることもできます。中には「面倒臭さがない」ことが推されているものもある。「自分の存在を消すこともできます」「別人になれます」とか。人が集まるときの、いろんな負荷を取り除こうとしているんだけど、じつはその負荷こそが楽しいんとちゃうの? ということを言う人が少なくなっているんですよね。

――負荷こそが楽しい。わ、すごいですね、なんだかとても、言葉にずっしりとした重みを感じます。いまは、どうしたって、効率的に、スムーズに、ツルツルと物事を進めることが目指されているような世の中ですし・・・。

小山田 大人も、楽なほうを選んでいるんです。それでは子どもたちも避けはじめます。いくら子どもたちに頑張れと言っても過酷です。そんな過酷な状況と経験しか与えてないのに、なんとか頑張れと。学校にも行け、受験戦争にも勝てよと。ひどい。
 それで、休みたかったら休み、と言うじゃないですか。でもその先がない。そんな社会をつくっておいて、「休み」なんてよういわん。それだったら、休んでも大丈夫な、別の道としての未来を先につくっておかないとあかんやん、と思います。
 エイズにまつわる活動をしている中で、セクシャリティやジェンダーの問題と出会うと、家族の問題が大きく見えてきました。その中で、生きづらさはその当時からあったし、それが解消されないまま、現在はどんどん激しくなっている気がします。
 いま自分が子どもを持ち、育てていく中で子どもたちを見てても、学校ではずっと座っていないとあかんし、与えられた課題をこなすというのが勉強だと言われていると。そこにはとても息苦しさを感じます。

――そうですよね。

小山田 ほんまに息苦しい世の中をつくっているのは大人たちだと思うんです。それで、子どもたちがやがて成長し、大人たちの仲間入りをさせられている。だから、それぞれが小さな革命を作り出すしかない気がするんですよね。

――このままだと大変なことになってしまうし、そういう状況をなんとか変えたい。「共有」する場をつくりたい。「ちっちゃい焚き火」はその一歩でもありますね。でも、なにかをしようとすると、やる側とそれを受け取る側、企画者と参加者、というように、だれもがフラットに参加するというよりは、企画者と、そのまわりという構図がどうしてもできてしまうように思います。興味が強くある人は集まるけれど、そうではない人たちや、きっかけがない人を巻き込むのは難しいんだろうなとも思います。だからこそ、どんな人も集まりやすい「焚き火」は、すごく絶好の行為なのかも、といまあらためて感じています。

 明日公開の後編では、今回の「ちっちゃい焚き火」プロジェクトは、どうやってはじまった? その瞬間に迫ります。

後編に続く

OKAZAKI PARK STAGE 2022/ステージ インキュベーション キョウト
ちっちゃい焚き火(薪ストーブ)を囲んで語らい、いろいろ焼いて食べる会

◎開催日時・会場
2022年10月8日(土)、10月15日(土)、10月22日(土)、10月30日(日)
各日17:30~20:30
会場:ロームシアター京都 ローム・スクエア
定員:約70名(7名×焚き火10か所)
※雨天・荒天の場合は中止いたします。

◎問い合わせ
ロームシアター京都 TEL.075-771-6051(代表)

詳しくはこちら

ミシマガ編集部
(みしまがへんしゅうぶ)

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