ほんのちょっと当事者ほんのちょっと当事者

第6回

奪われた言葉(2)

2018.10.05更新

奪われた言葉(1)はこちらから

 実は、クミさんはこの事件の前にも一人の子どもを出産している。

 母親が、彼女を関東から連れ戻したあと、娘の身体の異変に気がついた。しかし既に人工中絶が可能な時期は過ぎていて、もはや出産という選択しかなかった。

「このことを周りに知られたら、まともに生きていけると思いなさんな」

 母親はそう言って娘を責めながら産院を手配し、出産。また、母親は「こうのとりのゆりかご」で知られている熊本の慈恵病院に相談し、生まれた子どもは特別養子縁組により養子に出されることになった。

 特別養子縁組は、原則6歳未満の子どもが対象で、親の同意があることなどの要件を満たせば、実父母および親族との法律関係を断ち、戸籍上でも養父母の「実子」として記載されるという制度だ。

 事前にそのことが決まっていた子どもの出産直後、クミさんは耳にした産声を「かわいい」と感じたという。赤ちゃんの顔が見たいと思ったが、母親の指示で我が子を抱くことも顔を見ることもできず、すぐにどこかへ連れて行かれた。気がつけば、すべてが終わっていたと感じた、とクミさんは言う。

 彼女にとって辛い経験だったであろうこの一度目の出産は、公判では検察側に厳しく糾弾される材料ともなった。

 クミさんには妊娠・出産の経験が既にあった。それなのに事件となった二度目の妊娠時に、臨月近くまで本人に自覚はなかったのか。また、産んだあと育てられないにしても、何らかの形で一度目のように病院で出産するなり、しかるべきところに相談するなりして、子どもを安全に手放せる方法があることを知っていたはずであると。

 それに対して、クミさんはこう答えた。
 二度目の妊娠の臨月(つまり事件の直前)になって、ようやく妊娠の兆候を感じるようになった。だが、その日暮らしで、病院に行くにもお金も健康保険証もなく、もはや時期的に人工中絶もできない。動揺したが、もう母親だけは頼りたくはなかった。結果、そのまま「考えない」ことにした。

 普段から生理不順だったため、生理のないことでは妊娠に気づかなかったそうだ。でも、個人差はあるだろうけれど、お腹や胸のはりも少しはあっただろうに・・・。だからといって、彼女が話す姿を見ていると、嘘をついているようには思えない。

 自分の身体にそこまで無頓着になるのは、彼女自身が「自分」という人間を大切にしていないというか、「わたしとは何か」といった、自分に対する関心が極めて脆弱なのではないだろうか。

 前述したように、彼女の答弁には、強い思いや主張がほとんど感じられない。誰かにこう言いなさいと言われたことをなぞっているような印象すら受けた。いくら耳を傾けて彼女の姿を目にしていても、そこから「彼女の言葉」が聞こえてこないのだ。

 裁判を傍聴するにつれ、そうした彼女の人格形成に、母親の影響を感じられずにはいられなかった。

 弁護側の証人である女性支援団体のタケダさんから、やり取りを通じて知ったこととして、こんな話があった。

 クミさんは、中学生の頃から文章を書くことが好きだった。部屋にこもって自分のなかで膨らませた妄想を物語にして書くことを楽しみにしていた。
 しかしその文章を勝手に読んだ母親は、書かれた内容をことごとく批判し、目の前で破りゴミ箱に捨てた。いくら隠しても母親はそれを見逃すことなく、何十回となく破り捨て続けた。その度にクミさんは「自分を否定された」と感じたという。
 内容に、いわゆるオタク的な要素があったのかもしれないと、曖昧なクミさんの言葉から、タケダさんはそうした推測の言葉を補足した。母親にはそれが気に入らなかったのだろうか。

 わたしはそのくだりを聞きながら、母親が娘から言葉を奪ったのだと確信した。そして言葉を奪うことで、その後どれだけ多くのものをクミさんから奪ってきたのだろうと暗澹たる気持ちになった。

 彼女は死体遺棄罪については当初から認めていたが、殺意については一貫して否認している。

 わたしには出産の経験がないけれど、ネットカフェのトイレという、何の設備もない場所で、誰の助けもなくたった一人、おそらく相当な激痛に耐えながら子どもを産んだときのことについて、「すごく怖かった」と消え入るような声で答えるクミさんの言葉に嘘は感じなかった。

 気力体力を使い果たし、ほとんど倒れそうなその過酷な体験の直後、血まみれの床を見ながらほとんどパニック状態のなかで彼女の耳に届いたのは、自分を追い詰めるような赤ちゃんの泣き声だったという。

 一度目の出産時には「かわいい」と感じた赤ちゃんの産声なのに、そのときは一転して彼女の恐怖の対象となった。声が外に漏れれば、この状況がバレて、家代わりに滞在しているネットカフェでトラブルを起こすことになる。それは困る。お願いだから静かにしてほしい。そんな思いで思わず口をふさいでしまった。小さな赤ちゃんの顔に大人の手が当たれば、自然と鼻も覆ってしまったのだろうか。

 結果として、その行為が小さな命を消すことになってしまったが、そこに「殺意」があったのか。わたしにはわからない。というよりも、わたしは裁判が始まった当初から、クミさんには殺意がなかったのではないかと強く感じていた。だからといって、赤ちゃんを守りたいという彼女の思いも感じることができない。

 繰り返すが、何かしら「強い思い」というのが、彼女からほとんど感じられないのだ。伝わってくるのは、このことが明るみに出たら困る、怒られる、怖い。そうした反射的な不安ばかりだった。

 ただ前述したように、公判中、唯一と言っていい、強い意思をもって示した言葉が、人工中絶に対する否定であった彼女が、殺意を持って赤ちゃんを手にかけようと思うだろうか。

 クミさんの母親は、彼女が逮捕されて以降、一度だけ娘の元へ面会に訪れた。追い詰められた娘の心労や体調を心配する言葉をかけるでもなく、母親は呆れ果てた態度を示し、親子の縁を切るという言葉を投げつけて帰っていった。それ以来、母親とは会っていないと彼女は淡々と語った。

 母親からすれば、一度目の経験に懲りず、ついにはこんな最悪の事態まで招いた娘に対する思いはあるだろう。

 ただ、わたしはクミさんの母親に、一種の心理的虐待行為を感じる。それは中学の頃から始まり、事件後も続いているように思う。思春期の頃に彼女の手紙を破り捨てて人格を否定し、言葉を奪い、それが彼女の思考も奪ってきたのだ。さらにいえば一人目の赤ちゃんも奪った。それらが今回の事件へとつながり、彼女の今後の人生まで奪おうとしているのではないだろうか。

 法廷で、弁護人と医師を除けば、たった一人彼女を弁護し続けた女性支援団体のタケダさんに聞いたが、事件後、家族も友人も、他に誰も彼女に救いの手を差し伸べる人はいなかったそうだ。彼女はそれほどに孤立していた。

 検察側の求刑は懲役8年。弁護側は、殺人罪は否認した死体遺棄罪のみで懲役3年保護観察付き執行猶予5年という判決を求めた。

 殺人罪がつくかどうかで彼女の人生が変わることは誰にも予想されるし、わたし個人としては殺意があったとは思えなかったため、ただただ殺人罪が成立しないことを祈るのみだった。

 そして迎えた判決。
 殺人罪と死体遺棄罪が成立し、懲役3年の実刑判決が下った。
 殺意の程度が軽度ということと、反省しているということから求刑より軽くはあったが、執行猶予はつかなかった。法廷に響く判決主文を前に、クミさんはただ黙って背中を丸めていた。

 あれから4年が経つ。
 控訴したという情報は耳にしていない。それであれば彼女は刑に服し、もう社会に出ていることだろう。
 3日間の傍聴を終えたあと、わたしの中ではこの裁判で見聞きしたことが、4年が過ぎた今でも澱のように心にたまっているのを感じている。

 わたし自身も過干渉な父に思春期の頃、ずいぶんと嫌な思いをした。常に父から逃げ出したい衝動にもかられていた。クミさんの母親ほどではないかもしれないが、母はしつけに厳しく体罰も受けた。家が楽しく居心地の良い場所だと思えないことも多かった。

 そうしたことも関係して、クミさんのことが他人事とは思えないのかもしれない。

 ただ、わたしには「読む」「書く」ことについていつも自由があった。望めば本はいくらでも与えられ、好きなように誰かに手紙を書き、窮屈で居心地の悪い家にいても、一人になれば、いつでもそこに逃げ込むことができた。言葉はわたしを広い世界に連れ出して解き放ってくれた。大人になってもそうだ。いつだって言葉がわたしを救い、支えてくれている。

 だからよけいに言葉を奪われたクミさんが痛ましくてならない。誰かがどこかのタイミングで、彼女に「奪われた言葉」を返すことはできなかったのだろうか。たった一人で弱々しく法廷に立ち、これから穏やかではない人生を生きていかなければならない彼女のことを、今も想像せずにはいられない。

 彼女自身がそんな人生を導いたともいえる。自業自得という実も蓋もない意見もあるだろう。でもそう宣告して彼女を断罪するだけで良いのだろうか。一度堕ちた人間は、「自己責任」という言葉のもとに徹底的に堕とされて、その後は放置される。それは果たして社会的に健全なやり方なのだろうか。そんな大きな疑問も抱えている。

 こんなふうに思う。
 事件のいちばんの被害者である彼女の可哀想な赤ちゃんを鎮魂するには、クミさんに自分の足でしっかり立って生きてもらうことがなによりも大切なことなのではないだろうか。そのことは、クミさんだけにではなく、わたしが生きる社会にも重要な意味を持つ気がしてならない。
 そのためには、彼女は自分の言葉を取り戻さねばならないのだ。

 娘から言葉を奪った母親の呪縛。
 親子の縁を絶ったままでいるならば(あるいはまた同居していたとしても)、クミさんの母親はおそらく今でも彼女に呪いをかけ続けているだろう。そのことに深い憂いとほとんど怒りのような感情を持つことを禁じ得ない。

 つい先だって、子ども作文教室のやり取りで、10歳ほどの子どもたちが自分の言葉を自由に発する様子に触れていると、中学の頃から言葉を奪われてきたクミさんの姿が思い出されてならない。
 彼女はもう母親の呪縛から解き放たれて、自分の言葉と自分の人生を取りもどしただろうか。それを想像すると、胸が詰まる。

 この裁判の傍聴以降、似たような嬰児遺棄の事件を幾度となく見聞きした。新聞記事やテレビの報道でコンパクトに伝えられる内容から一見同じように思えるが、その一つひとつ、一人ひとりの背景にある事情や思いは異なるという想像力を持ち続けたい。

 もしこの文章にたまたま辿りついた人で、クミさんのように望まない妊娠や、生活の困窮により逃げ場がなく追い詰められている女性がいたら、シェルター(緊急一時避難所)や、タケダさんが所属するような女性支援を目的としたNPO団体があることを知ってもらいたい。

 児童相談所や福祉事務所など、いきなり行政機関に相談するのは心理的にハードルが高いという人もいるだろう。「妊娠 相談できない」などで検索すると、無料で相談に乗ってくれるNPOを見つけることができる。

 また、クミさんのように、親からの心理的な虐待行為により家出をした場合は、住民票にある市区町村役場か、これから生活しようとしている地域の福祉事務所などに事情を伝えて相談すると、親族への扶養照会なしで生活保護申請が認められるケースもある。住民票があれば母子健康手帳の取得も可能だ。そうなると少し安心して妊娠中から産後を過ごすことができるかもしれない。

 妊娠に対する悩みを持っている人、産みたいけれど不安がある、育てられないけれど中絶はしたくない場合など、さまざまなケースで相談に乗ってくれる機関や施設を紹介している全国妊娠SOSネットワークのようなサイトも参考にして欲しい。

 追い詰められたあなたには「誰かを頼る」ことに躊躇があるかもしれない。でも誰かを頼って生きるのはごく当たり前のことなのだ。そして既にあなたが持っている権利でもある。匿名での相談も可能な機関が多いので、まずはアクセスするだけでも十分だと思う。その小さな声に必ず誰か応えてくれるから。

※プライバシー保護のため、一部の事実を意図的にぼかしている部分があります(虚偽ではありません)。


引用・参考文献

『揺れるいのち』熊本日日新聞「こうのとりのゆりかご」取材班(編)
『うちの子になりなよ』古泉智浩(イースト・プレス)

青山 ゆみこ

青山 ゆみこ
(あおやま・ゆみこ)

フリーランスのエディター/ライター
1971年神戸市生まれ。大学卒業後、アパレルで4年間デザイナー職に従事。27歳で出版業界に転職し、『ミーツ・リージョナル』誌副編集長などを経て独立。2006年よりフリーランスのライター・編集者として、単行本の編集・構成、雑誌の対談やインタビューなどを中心に活動し、市井の人から、芸人や研究者、作家など幅広い層で1000人超の言葉に耳を傾けてきた。著書に、ホスピスの食の取り組みを取材した『人生最後のご馳走 淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院のリクエスト食』(幻冬舎)。親の看取りや認知症の介護をとおして社会福祉に関心を深めるようになり、地域の寄合場「くるくる」を立ち上げて、実践的に「社会福祉とは何か」を考え中。

編集部からのお知らせ

青山ゆみこさん出演の対談イベントがあります!

心斎橋で犬まみれ猫まみれ
『犬(きみ)がいるから』刊行記念トーク
村井理子 × 青山ゆみこ

『犬がいるから』の著者で、翻訳家・エッセイストの村井理子さんと、青山ゆみこさんの対談イベントが開催! 黒ラブラドール「ハリー」を飼う村井さんと、愛猫の居る生活をおくる青山さんの、言葉の通じない生き物が身近にいる暮らしを語ります。

2018年10月28日(日)
開場11:15 / 開演12:00(〜14:00ごろを予定)

【会場】スタンダードブックストア心斎橋カフェ
大阪市中央区西心斎橋2-2-12 クリスタグランドビルBF
TEL 06-6484-2239

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