ユザワタヌキ文庫へようこそ

第1回

とある大学の片隅で

2026.01.13更新

「研究室」がしっくりこない

 私の研究室にはいろんな人がやってくる。学生たち、先生たち、研究仲間、友人、編集者、記者、カメラマン、テレビ番組のスタッフ、会社の人たち。自分の大学だけでなく、非常勤先で教えた他大学の卒業生がふらりと訪ねてくることもある。目的はいろいろ。サブゼミ、おしゃべり、相談、取材、研究や仕事の打ち合わせ。目的がなくてもかまわない。ただなんとなく立ち寄って、本を見て、立ち去っていくだけでも大歓迎。家に入るほど気を張る必要がない「縁側」にちょっと腰かけるイメージで、気が向いたらお茶を飲んで、お菓子を食べる。そんな場所が私の研究室だ。

 と書いてみたものの「研究室」という言葉がしっくりこない。だって、この連載で皆さんとおしゃべりしたいと思っているのが、私にとって「研究」とは、「あそび学び」ということなんです、というメッセージなのだから。だから、もうかれこれ15年くらい、「研究室」というハコを、あえて別の名前で呼ぶことにしている。「あそび学び室」といえばよいのだろうけど、学生たちがとても素敵な名前を付けてくれた。その名前というのが「ユザワタヌキ文庫」だ。はじめてここにやってくる人は、外と中に掛けてある看板を見て、「いったいどういうことですか?」と怪訝そうな、不思議そうな顔をする。「よし、きた!」と私は張り切ってしておしゃべりを始める。「よくぞ聞いてくれました。ここはですねぇ、じつは『研究室』ではないんですよ。なぜってそれは・・・」。

 この連載では、そのおしゃべりの続きを、たっぷり寄り道をしながら、寄り道した先で気ままにあそびながら、時々道に迷いながら、それさえも楽しんで、のんびり書いていこうと思う。ユザワタヌキ文庫の日々、そこでの出来事、出会い、試行錯誤、考えたこと、挑戦したこと、失敗、嬉しかったことなど、徒然なるままにおしゃべりするので、ゆったりと耳を傾けていただけたら嬉しいです。

あそび学び人

 研究者という言葉もしっくりこない。そう、「あそび学び人」といったほうが私には合っているかも。学生たちからは「よくわかんないけど、なんか楽しそうだね」と言われることが多い。講義に参加している学生たちは「あまりに楽しそうに話しているから、話している内容はちょっと難しいけど、たぶんおもしろいんだろう」と思っているらしい。じつはこれこそが、とても大切なことだと私は思っている。自分が考えていること、話すことを、自分自身が「おもしろい」と思って大切にしていないと誰にも伝わらない。表面的なことは伝わるかもしれないけれど、本当のところ、本質のところはきっと伝わらない。本や文章も、絵や漫画、映画や歌だって、「あなたに伝えたいことがあるんです」というスタンスで書かれた内容の方がずっとわかりやすいし、魅力的だ。

 そういえば、つい先日、ミシマ社で開催された「MSカレッジ」というイベントに参加して気づいたことがある(1)。それは、ある対象に向き合って、それを自分なりにおもしろがって、そのおもしろさを人に伝える人が意外に少ない世の中に私たちは生きている、ということだった。「おもしろい」ということは、本当はとても大切なのに、それが絶滅危惧種になっているなんて。私の直感では、ミシマ社という出版社は、だからこそ、あえてその「おもしろさ」の意味をいろんなかたちで考え続けて発信しているのだろうと、そんなことを考えながら過ごしたイベントだった。

 このイベントでは「おもしろさ」に関わる話題として、イラストレーターの寄藤文平さんが「人がある対象を見ようとするとき、1人称、2人称、3人称という関係の持ち方がある」というお話をされていた。寄藤さんが言うには、例えばレモンを目の前に置いて「レモンを描きましょう」と言うと、レモンそのものではなく、レモンに関わる自分自身の話を始める「1人称」の人、レモンが目の前にあるのにそれには目もくれず、一生懸命「レモン」を検索して情報や知識を集める「3人称」の人が多いのだとか。一方、目の前のレモンをじーっと見て、その色や香り、味、手で触れた感触などを自分のことばで表現しようとする「2人称」の人が驚くほど少ないのだという。

 この「2人称」の人というのは、自分が向き合う何かをとことん知りたいと思い、見て、触って、食べて、聞いて、感じて、そういうことの中から「おもしろさ」をつかみ取る人だ。だから「おもしろさ」には本来、ポジティブな感情の楽しさや喜びというだけでなく、時にネガティブな感情の怒りや葛藤も含まれる。その行為こそが世の中でいう「研究」あるいは「探究」であり、私のことばで言えば「あそび学び」ということになる。

 そう考えてみると、私が何かをおもしろいと思ってそれを学生たちと共有したいと日々奮闘しているのは、「2人称」の世界にもっとどっぷり浸かってみようじゃないか、その魅力を感じてみようじゃないかと伝えようとしているからなんだ、と今更ながら気がついた。自分に沈潜するモノローグの1人称、スマート(に見える)3人称の世界に比べて、2人称の世界はざらついていて、でこぼこで、アナログで、時間がかかる。相手がいるから、思い通りにならない、予定調和じゃない「ゆらぎ」に身を投じることになる。でも、信頼に足る「おもしろさ」って、そういうところから生まれるんじゃないだろうか。

(1)2025年8月22日~24日、京都市の恵文社一条寺店コテージにおいて開催。

湯澤 規子

湯澤 規子
(ゆざわ・のりこ)

1974年大阪府生まれ、千葉県育ち。法政大学人間環境学部教授。筑波大学大学院歴史・人類学研究科単位取得満期退学。博士(文学)。専門は歴史地理学。主な著書に『胃袋の近代―食と人びとの日常史』(名古屋大学出版会)同書で、生協総研賞第12回研究賞、第19回人文地理学会賞(学術図書部門)を受賞。『7袋のポテトチップス―食べるを語る、胃袋の戦後史』(晶文社)、『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』(ちくま新書)、『焼き芋とドーナツ―日米シスターフッド交流秘史』(KADOKAWA)、同書で第12回河合隼雄学芸賞を受賞、などがある。

編集部からのお知らせ

ちゃぶ台最新号『ちゃぶ台14 特集:お金、闇夜で元気にまわる』では、湯澤規子さんに「テーマの火は闇夜に灯る」と題してご寄稿いただいています。こちらもどうぞチェックしてみてください!

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

この記事のバックナンバー

01月13日
第1回 とある大学の片隅で 湯澤 規子
ページトップへ