第21回
みえないもの
2020.04.18更新
まだ結婚していない須恵村の若い女たちの多くにとって、目標は、村を逃げだし、町や都市で仕事を見つけることだった。このような土地に、工場で働く者を探しに、募集のための人がやってくる。多良木から来た男は、職業はちょうちん屋であるが、いまは労働契約業者になり、工場のために女の子を集めにここにくる。彼は女の子を姫路の工場に、1日40銭の賃金で斡旋した。彼は...工場労働の方が収入が高いといって、容易に人びとを説得していた。(ロバート・J・スミス/エラ・L・ウィスウェル『須恵村の女たち:暮らしの民俗誌』河村望・斎藤尚文訳、御茶の水書房、1987年、286頁)
酒を飲んでは羽目をはずし、神に祈り、ほがらかに噂話を楽しむ須恵村の女性たちは、同時に村の貴重な「労働力」でもあった。その働きぶりには目を見張るものがある。
〔16歳くらいの〕彼女は...女中だが、仕事のことでいつも不平を述べていた。仕事があまりにきつく、工場での仕事の方がずっと楽だし、そこでは友達もつくれるといった。ここでは、彼女は1日3回食事を作り、家の掃除をし、また多くの野良仕事を要求される。今日、私はお墓の近くの桑畑に米ぬかを運んでいる彼女と出会った。籠は大変重くて、私は肩まで引き上げられなかった。彼女は、これから5往復するといっていた。(206頁)
女たちが運んでいる荷物の重さには、ただ驚嘆するばかりである。いつか、人びとがあぶなっかしい小さな橋を渡って、炭にする木を運んでいるのを見た。夫と15歳ぐらいになる男の子と妻とが、みんなそこにいた。彼女は妊娠していて臨月だったが、非常に多くの丸太を肩にしょって、注意深く橋を渡っていた。彼女は6往復か8往復した。息子は毎回、母親の先を渡ったが、ときどき立ち止まって、明らかに心配して後を振り返っていた。(207頁)
「肉体労働は男の仕事だ」という現代の常識は通用しない。病気をしても、臨月であっても、流産をしても、休む間もなく働きつづける女性たちの姿は、あの「ほがらかさ」の別の側面を、その裏にある逃れられない現実とともに照らし出す。
乙女が流産したあと、まだ休んでいたので、みんなの軽い笑いの的になった。一方、家には世話をしなければならない男がいっぱいいたから、妹や女中は一日中働いていた。女中は洗濯だらいにかがんで、「女ん仕事はつらくて、報われん。休むこともできん」といっていた。(207頁)
外での野良仕事も、家庭内の家事も、いずれも女性の働きなしには成り立たなかったことがわかる。女性たちの過ごす一日は次のように描写される。
子供たちが朝食をすませ、7時を少し過ぎたころ学校にいくと、両親と老人夫婦が食事を始める。老人は祖先の位牌の前で拝み、草刈りにでかけ、一方嫁と娘は山に肥料を集めるためにでかけた。彼らは昼に帰り、残った汁と冷たいご飯で昼食をすませた。老婆は家に残って、夕食の支度をする一方、赤ん坊の世話をした。昼食後、年上の娘は〔昨夜からたまっていた〕皿を洗い、お茶をつみにでかけた。一方、老婆は家を片付けた。嫁は風呂をわかすために、家の下の川からバケツで水を運び、破れたちょうちんを直し、野菜の種を植え、赤ん坊と料理とを年寄りにまかせて野良にでていった。すぐに赤ん坊は邪魔にならないように、年上の娘の背中にしばりつけられ、外に出された。数分後に、二人とも帰ってきて、赤ん坊はまた祖母が面倒をみなければならなくなった。(209頁)
冒頭の言葉にもあるように、若い女性たちにとって、村での労働の過酷さが都会の仕事への憧憬につながった。しかし、村の外での仕事に多くの選択肢があったわけではない。それはあくまで「あこがれ」に過ぎなかった。
学校を終えた、まだ結婚してない女の子は、この村から出て行くことのできる、どのような種類の仕事を見つけられるかを想像して、多くの時間を過ごしていた。...文枝がそこにいたが、彼女は、自分は来年は子守りを続けないといった。 ...藤田さんとこの女の子は、免田の料理屋で働いたらどうかといったが、文枝はそれに抗議した。にもかかわらず、その可能性についての議論は、バス・ガールになるか紡績工場で働くかという話と、まったく同じ調子で話されていた〔町の料理屋で働く女の子は、普通は売春婦に転落する〕。藤田さんは、3年か5年契約の後、女の子が村に帰ってくるなら、そんなに悪くないと思っていた。(288頁)
玉子は絶えず、どのようにして自分がバス・ガールになり、新たに採用された仲間といっしょに村を出ていくかについて話をしていた。問題は、彼女のボーイ・フレンドが反対していることだった。...私たちの女中は、「バスのことはすべて嘘たい」といった。「若か人たちは、嘘ばつくことしかすっこつがなか。嘘がつくことは面白かし、みんなそぎゃんことを話すとは好きだけん。いま、文枝はバス・ガールになることば話しとるけど、そらきつか仕事ばい。」彼女は、このような長広舌を、この仕事がいかに魅力的かを玉子といきいきと話しあったすぐ後で、述べていた。(289頁)
父親が娘を売ることもあった。ある父親は、22歳の長女を売春宿に800円で売って借金を返済し、16歳の次女を料理屋に売っていくらかの田を買い、家の修理をした。長女はやがて客の子どもを妊娠し、村に戻って出産した。生まれた赤子は実家の籍に入れられた。
須恵村の女性たちの姿は、エチオピアの農村で目にしてきた女性たちの姿と重なる。農家の妻たちは朝一番に起き出して、火をおこし、みんなの食事の準備をする。薪を拾い、水くみに行き、家の掃除をする。そのあいまに隣近所の女性たちとコーヒーを飲みながら噂話に花を咲かせ、談笑する。
若い娘たちは村を出ることにあこがれ、中東で家政婦として働くために出稼ぎに行く。彼女たちの仕送りで、家族はテレビを買い、きれいな家を建てる。なかには望まない妊娠をして帰国する女性もいる。肌の色の違う子どもが、他の子と同じように村で育てられている。
弱き者が困難な境遇を強いられる。そんな時代にはもう戻れない。日本が豊かになってよかった。須恵村の克明な記録を読み進めると、ついそう思ってしまう。
でも「そんな時代」を生きている人は、この瞬間も世界にたくさんいる。現代の日本にも、その困難は別の目につきにくいかたちで残存している。もしかしたら、私たちの「豊かさ」は過酷な労働や貧困を別の場所の小さき者に押しつけることで成り立っているのかもしれない。かつての須恵村で弱い立場の女性に辛苦が押しつけられたのと同じように。
見えないウイルスに脅かされる日々のなかであらわになっているのも、そんな不均衡な世界の姿だ。自宅でリラックスできる政治家がいる一方で、医療や介護の現場、スーパーのレジや流通を担う配送など、社会を支えるために休む間もなく緊張を強いられながら働く者たちがいる。休校でも親が仕事を休めず、ひとり不安な気持ちで留守番をしている子どもがいる。自宅にも居場所がなく、行くあてもなく鬱々としている若者もいる。自分たちの目の前にはいない世界の片隅に生きる者たちへの想像力が、いま試されている。
*本文からの引用部分は個人名や地名の一部を削除するなど、訳文を若干改変しています。
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